【名称】武陵洞(ぶりょうどう)
【所在地】茂原市某所
【竣工】1908(M41)[or1910(M43)]年11月3日
【延長】約50m(目測)
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約3m(目測)
2014年5月25日訪問
茂原市某所、事情により場所は明かす事ができない(地図の場所はダミー)のだが、この先に貴重な物件がひっそりと現存している。
おなじみまきき氏の車が見えるが、今日は彼だけではない。
ご覧のライダーの方々と一緒させていただいた。7名プラス案内して下さった地元の方の総勢8名で山に向かう。
この先にあるのは武陵洞という明治時代に建設された隧道。一部の人の間では知られているが、おいらの調べた範囲ではネット上の地図には記載されていない。以前から気になっていたのだが、今回、あったんさんのご尽力で思いがけず見学する機会を得ることができた。しかも、事前に地元の方に話を通して下さっていて、案内までしていただけるという至れり尽くせり。感謝感謝!
さて、地元の方によれば、ここはかつて山向こうに在住していた篤志家によって建設されたものだそうだ。開通したのは明治41年11月3日。明治時代の天長節だ。竣功当時、与謝野鉄幹・晶子夫妻からも祝歌を寄せられたという。
現在では山向こうの道は荒れ果てて通行不能になっているが、案内して下さった御仁も子供時代(ウン十年前?)は小学校に通うために利用していたそうだ。
おや、境界杭。
山の中に。
おっ!いよいよか来るか?
来たっ!
「ささ、どーぞどーぞ」と促されて中へ。
内部ももちろん素掘り。
延長は50メートル、いやもう少しあるかな?
振り返り。
突然の訪問に驚いたのか、小森さん達の大乱舞が始まった。こっちが普通にしていればぶつかる心配はないはず、とは解っているのだが、飛び交う彼(彼女)らの下を歩くのは気が進まない(^-^;
反対側の坑口に到着。
反対側の坑口。こちらにはかつて扁額があったそうだが、今では崩れてしまったとのこと。後ほど竣功当時の写真を、、、
さて、この先にもうひとつ穴があるという。どんな穴なんだろ?Σ(゚д゚)
かつてこの近くにあったレンズ工場(現存せず)に水を引くために掘られた穴だという。房総といえば、江戸時代以来、随所に掘られた二五穴(二尺×五尺)の水路隧道が有名だが、これは二五穴より少し断面が大きいようだ。
「オオーッ!オオーッ!」と歓声が聞こえてくる。どんな様子なだろwktk
おや、パイプが残っているぞ。
おや、内部に敷居が。後付けらしき敷居で水を堰き止めたようなものは見た事があるが、こういうのは初めて見た。どうなっているんだろ?
おいらの番が回ってきた。なるほど、水路と言うより、一種の貯水槽のようなものだったんだ。まきき氏の強力ライトで照らされた姿は地元の方も初めて見たようで、「神秘的ですね~」と関心していた。ここ、真夏は涼しくてよさそうだなぁ~
おっと、置いていかれちゃう前に戻らなきゃ(^-^;
坑口の前で皆さんと記念撮影。
満足満足!元来た道を引き返す。引き返すのはもちろん車やバイクがあちらにあるからだが、前にも述べたとおり、こちら側から先にある里に出るには少々の藪漕ぎが必要。
道が荒れてしまった原因は、かつて(バブル期?)、一帯に住宅地建設計画が持ち上がったことによるという。その時、こちら側の土地の一部が不動産業者に売却されたが、結局、宅地計画は頓挫。しかし道は使われなくなってすっかり荒れ果ててしまったという。バブル崩壊乙、開発失敗ザマァ、というところだが、結果的にこうなってしまったのは残念。
※ ※ ※
後日、あったんさんから竣功当時の写真を送って頂いた。郷土史に掲載されたものだ。今では失われてしまった扁額もしっかり写っている。先程の集合写真と見比べていただきたい。
なお、こちらの資料には明治43年と記されていて現地での話とは若干のズレがある。まぁ誤差の範囲だろうが一応念のため。
隧道名の由来、「中国の故事にならい」ということだが、【武陵桃源】俗世間からかけ離れた平和な別天地、理想郷のこと(三省堂「新明解四字熟語辞典」より)なのかな?
古道・廃道 ブログランキングへ
にほんブログ村
中国の世界遺産 3 武陵源 [DVD]
↧
武陵洞
↧