【名称】追浜隧道(おっぱまずいどう)
【所在地】横須賀市浦郷町
【竣工】1912(M45)年(「横須賀トンネルマップ」より)
【延長】69m(同上)
【幅員】約6m(目測)
【高さ】約6m(目測)
2014年10月19日訪問
初めての横須賀。夏島の夏島都市緑地駐車場から出発。
さて、この日は、この後のとあるイベントに讃歌の約束があるので時間があまりない。おなじみ、まきき氏も来るはずだが、電話をしたところ、まだ千葉県内をウロウロしているとのこと。お先にチャリを組み立てて出発させていただくことに(笑)
駐車場の隣には、かつて東京湾の富津岬沖にあった第三海堡の建物が移設されていた。いった、どうやってここまで運んだのだろう?
せっかくなので、見学したかったのだが、鍵付きの柵で囲まれていた。どうやら一般公開は付きに一度だけらしい。
追浜駅方面に向かい、途中で左折すると、最初の隧道が登場。
キタコレ、煉瓦隧道だよ。北側より。
隧道の手前に立派な石碑らしきものがあった。
石碑ではなくて、墓碑だった。
葬られている兵士は、昭和14年ノモンハンで戦死したとのこと。いわゆるノモンハン事件での戦死者なのだろう。
北側坑口。
北側の扁額。「追浜隧道」
この隧道、竣工したのは1912(明治45)年。竣工当初は鉞切隧道という名前だったが、1933(昭和8)年の改修時に現在の名前に改名されたそうだ(「横須賀トンネルマップ」より)
ところで、要石の部分が煉瓦で囲まれている。いったいどういう造りになっているんだろ?もともと石組みだったのを改修時に煉瓦にした?それともこれがオリジナル?付近の他の隧道もこのパターンが多かった。
それにしても、見事。
北側坑口から内部を望む。
都市部の住宅地にあるだけあって、綺麗に整備されている。千葉の古隧道とは扱いが違うなぁ(^-^;
ポータルの処理。煉瓦を残しつつも幅員を少しでも確保しようという工夫の跡なのかしら?
内部から見た北側坑口。
かまぼこ型の断面、いかにも戦前の隧道という雰囲気ですな。
さて、今度は南側。手前の橋が邪魔だなぁ(^-^; 一瞬、水路橋かとおもったが、そういう造りではなさそう。
南側の扁額。「追浜隧道」
角度を変えてなんとか坑口の全体を。
南側坑口から内部を望む。
おっ、銘板があるぞ。
昭和8年の改修時の銘板のようだ。
内部から見た南側坑口。
さて、せっかくなので、坑口手前の邪魔な橋も取材していこう。階段を昇っていけばよさそうだ。
道標かと思ったら、こちらも墓碑だった。
「西南役 殉国者 官修墳墓」と刻まれていた。
恥ずかしながら、てっきりカンオサムさんの墓なのかと思ったのだが、官修墳墓というのは、西南戦争の戦没者の墳墓で全国に1013箇所もあるという。ここに葬られているのは、西南戦争が終わり凱旋してきたものの途中の船上でコレラに罹患して命を落とした方々のものとのこと。階段の上に墓地があったようだが、注意していなかったので気付かなかった。
階段を登ったところ。
橋の方は藪になっている(;´Д`) まぁ、今日は汚れる可能性が高いから藪ぐらいはどうでもいいか。。。
橋の先は行き止まり(^-^; う~ん、どういうことだ?ひょっとして、昔は正面お工場へのアクセスルートだったのかな?
車道に戻って南側より。
さて、次に行こう。
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追浜隧道
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