【名称】茂平谷橋(もへいやつはし)
【所在地】市原市柿木台
【竣工】1986(S61)年3月
2011年10月24日訪問
ある秋の月曜日、「市原市民の森」にやってきた。平日なので人影はまばら。ここにあるというガチ物件を探索するぞ~
と、車からチャリをおろして突撃しようとしたら、入り口にある看板、、、第7項、チャリ禁止か、、、(;´Д`)
ってことで、あっさりUターン、林道月崎1号線に向かった。
そして、約50分後、お役ご免となったチャリを車に戻して徒歩で。最初に遭遇した橋。東側より。
いかにも遊歩道にありがちな、木製のふりをしたコンクリの欄干(^-^;
東側左の親柱。「茂平谷橋」
また難読名がでてきたぞ(^-^;
東側右の親柱。「釜谷川」
これもなんて読むのだろう?「かまやつがわ」?それとも「かまたにがわ」?ググってみたけど不明。ちなみに、養老川の支流で、水路隧道を何本か持っている。でも、水路隧道を通るってのはハードル高いなぁ(^-^;
橋の上から南側を望む。
そして、北側を。
西側左の親柱。「もへいやつはし」
むはっ、そうきたか、ある意味そのままの読み方というか、、、
以前、団鬼六の本で書かれていた、彼が将棋の米長邦雄永世棋聖から連絡を受けたときのエピソードを思い出した。ちょうど不在だった鬼六先生の母上は、「米長」という文字を見て「べいちょう」さんだと思ったそうだ。これを鬼六先生はいかにも明治の人間らしいセンスだと思ったとか。この橋の名前も同じセンスを感じる。ちなみに昭和人のおいらは「しげひらたにはし」か「しげひらやつ」と読んでしまう。この橋、2代目とか3代目の由緒があるのかも。
ついでに将棋つながりでタイムリーネタを、、、
昨日(3/2)の将棋界で一番長い日=A級順位戦で羽生二冠が全勝で名人挑戦権を獲得。NHKのニュースで知った。しかし、羽生さんの名人挑戦より、おいらが気になったのが陥落の2人が誰かということだった。さっそく検索してみると、久保二冠と丸山元名人。こんな強豪2人が陥落なんて、A級恐るべし(;´Д`) そしてそこで全勝の羽生二冠も恐るべし(;´Д`)ハァハァ
さてと、話を戻して、西側右の親柱。「昭和六十一年三月竣工」
そして西側の全景。さて、これからレクリエーション施設らしからぬ驚異の世界が始まるよ(・∀・)ニヤニヤ
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茂平谷橋
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