【名称】不明
【所在地】鴨川市四方木
【竣工】不明
【延長】約2m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約5m(目測)
2014年3月16日訪問
鴨川市四方木、千葉県道81号市原天津小湊線(いちはらあまつこみなとせん)、通称・清澄養老ラインにて。
現在地はココ(←クリック) 9時の方向を向いている。この先のカーブのところに、小櫃川に降りられる小路がある。
夏場はヤマビルが大量に出そうだなぁ。全力で走り抜けないと無事に川にたどり着けなさそう(^-^;
小櫃川までやってきた。上流方面を望む。左が県道からの降り口。
ここから下流方面に向かう。
ここが支流キンダン川との出合。
ボランティアが用意したのだろうか、しっかり標識もある。
切り通し風になっている出合を過ぎる。ここって、自然地形なのかな?
この先の右(左岸)を登った先に今では無人となった湯ヶ滝集落があるらしい。帰りにちょっと進んでみたのだが、藪がひどくて進めなかった。道を間違えたのかな?
温泉の取水施設。近くの白岩温泉さんのものらしい。
出合方面を振り返る。
先を進む。
3月中旬だというのに、まだ雪が残っていた。雪を見てうれしそうなまきき氏。食べちゃダメだよ~
更に上流に向かうと、倒木が大量に。今年の2月以降、山の中はこういうのが多いなぁ(^-^;
倒木をかき分けるようにして進むと・・・
見えた!!!
ここまで来たからにはガムシャラに登るしかない!
エッサ、ホイサ
もう少しだ。
到着!!! 東側坑口だ。
ところで、タイトルを見ている方はこれを見ておかしいと思われたのではないか。
さて、ここでざっくりと解説を。
水路隧道と言っても、見ての通り、現在ここには水は流れていない。それどころか川床よりはるかに高い所に隧道は位置している。
この隧道の正体は、房総に特有の川廻し、つまり蛇行する河川の途中に隧道を掘ってショートカットし、残された旧河床を農地に転用したもの、の名残ということだ。しかし、年月を経て隧道が崩れ、せっかく作った新しい流路が堰き止められてしまい、結局流れは元の流路にもどってしまったらしい。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
これは今昔マップで見たかつての地形図。左は1894~1915年のもので、右は明治初期から中期に作成された迅速測図。見ての通り、左には隧道が描かれているが、右にはない。ということで、建設時期は明治後半頃かと思われる。
上を見上げる。
おーい、まききさん、早くおいでよ。スゲーぞ!
東側坑口から内部を望む… というより、向こう側を望むの図。
西側坑口。
縦の線は地層?だとしたら、たしかにこれは崩れやすそうだ。
西側坑口から内部… じゃなくてw
上を見上げる。すっかり短くなってしまった(と思われる)天井。近い将来、弘文洞のように崩れてなくなってしまうのだろうか…
右側より。
左側より。
斜めの地層がくっきりと見える。
下を見ると穴が・・・どこにつながっているのかは解らなかった。
現在、そして水路隧道ができる前の流路。
こちらも進んでみようかとも思ったが、ちょっと無理だった(^-^;
それにしても、川廻しによって(一時的に)できた土地だが、何に使われていたのだろう。もっと下流や、一宮川の川廻しなどは、水田に転用されているが、このような谷間は稲作には不向きだったのでは… 有名なT秘境は牧場があったという話も聞いたことがあるけど、ここも牧場か植林地として使われていたのかなぁ。
水路隧道から上流方面。
西側より。
更に少し上流方面に進んでみたが、いい加減、足がも冷えてきたので引き返すことに。
きっと夏場にここに来たら最高だろうなぁ。途中でヤマビルに襲われそうな危険地帯があるけど… それとも、札郷トンネルの南側坑口からも小櫃川への降り口があるから、そこから行けば大丈夫かな?
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