【名称】梅沢地下道
【所在地】中郡二宮町山西
【竣工】1887(M20)年頃?
2015年2月22日訪問
二宮町山西、現在地はココ(←クリック) 四時の方向を向いている。
川沿いに進む。ここを案内してしまったのは、doodoonngoo氏の竹馬の友であるM氏(当ブログ初登場)。この日は同氏のお宅にお邪魔して、中華のコースをご馳走になったり、ココに案内してもらったりと、接待していただいた。
この横を流れる川、ただの水路のように見えるが、梅沢川という。M氏によれば、いまでこそこのような姿だが、昔はコンクリで固められてもいなくて、ザリガニもいるような川だったという。
レンガアーチが見えてきた。
ここを一押ししてくれたのはdoodoonngoo氏。そして実はココをdoodoonngoo氏、そしてココの存在を同氏に教えてくれたのは、実はM氏ではなくてかすが氏だったとのこと。M氏にとっては、数十年来の馴染みのもので、逆にそれゆえにありふれたものと認識していたようだ(^-^;
「まったくオレに教えないなんてケシカラン」というdoodoonngoo氏に、「だってさぁ…」とボヤくM氏。ナイスなコンビだ。
北側より。
ところでココの名称だが、ネットで調べたところ、表題の梅沢地下道という名で地図に載っているらしい。だが、残念ながらアーチ本体の名称は不明。おそらく、梅沢橋梁といったところなのではないかと思うのだが…
アーチは豪華に五重。ところで、イギリス積とフランドル積が混ざっているようだけど?
梅沢川の上流方面。川はここで地下道の下を通って東海道線の南側に抜ける。
北側から内部を望む。
路盤がアーチの天井より随分と下にある。かすが氏の記事によれば、もともと川だけだけ(水路アーチ)だったのが、後年、歩道になったらしいとのこと。なるほど、梅沢川の整備をした際に川を掘り下げて、歩道に転用したとすれば、この現況は納得。
この蓋の下を梅沢川が流れている。
内部から北側を望む。写っているのはM氏、doodoongoo氏、まきき氏、ひろキティ氏。
内部は長手積。
レンガ部分は途中で終了。南の3分の1程はコンクリ製になっている。東海道線が増設された時に延長されたのだろう。
内部から見た南側の出口。
振り返り。
南側より。
南側の出口。
その先は小さな公園になっている。
その先の小さなお寺。地図には小澤寺として載っている。
公園の出口。
梅沢だから梅なのかな?
車道に出て振り返り。現在地はココ(←クリック)
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