【名称】不明
【所在地】勝浦市赤羽根/夷隅郡大多喜町平沢
【竣工】不明
【延長】約70m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約5m(目測)
2014年12月28日訪問
前回(2011年5月9日)
大多喜町平沢、花生(はなお)カントリークラブの裏(東側)にある林道にて。現在地はココ(←クリック) 南に向かって進んできたが、我々の行く手を阻む倒木が出現した。
倒木を撤去しようと格闘するまきき氏。って、実はポーズだけなのだが(^-^;
目的地はすぐなので、ここから歩いて向かうことにする。
倒木の先は道の状態がむしろ改善したように見える。実は向こう側から順に整備をしてきたのか?と思ってしまいそうだが、それはあり得ない。
目的地に到着。
下を見ると山の仲間達の足跡が。あまりお会いしたくないけど(^-^;
ということで、これが目的の隧道。北側より。
どこに?と言われてしまいそうだが、確かに隧道なのだ(^-^; 坑口はもうほとんど埋まりかけているけど(^-^;
坑口の路盤に木製のプレートがあった。「終点 1.2」
林道の1.2キロ地点、終点という意味だろうか?
上に登ると坑口がわずかに開いているはずだ。
前に来たときより崩落が進んでいる?(^-^;
坑口は無事だった。いや、それどころか…
以前より広がってるぞ ∑(゚Д゚)
これは3年前に撮った坑口。かがみ込まないと入れそうにないし、ピューピュー風が吹き出してはいたものの、真っ暗で中の様子は不明。とてもじゃないが、恐ろしくて中に入らず撤退したのだ。
「よくこんなところに独りで入ったよねー」と言うおいらに、「ホント、こんな所に独りで入るなんて、イカレてるよね、●だの人さんって」とトボけるまきき氏、アンタだってイカレてるじゃないか(^-^;
洞内に足を踏み出すまきき氏。
おいらも洞内へ。内部はかなり広く、現役時代はトラックも充分通ることができたかと。
この隧道が廃止になったのは昭和の後半だろうか。今昔マップの昭和57年発行の地形図には隧道が描かれている。数年前にまきき氏が訪れたとき、たまたまお会いした猟師さんに聞くと30年程前には塞がれていたとのこと。
内部から見た北側坑口。
それにしても、すさまじい崩落ぶり。ヘルメットを忘れてしまったことをかなり後悔(^-^;
天井には冬眠中のコウモリさん達。
天井から落ちてきてパックリと割れた石。こんなのが落ちてきたら、おいらの頭もパックリ割れちゃうよ。ヘルメットを忘れてきたことを後悔( ;´Д`)
南側坑口も埋まりかかっている。
えっちらおっちら。
登って振り返り。
南側坑口。
南側はフェンスで封鎖されている。
まるで山道を下っているみたい(^-^; これだけ土砂があるってことは、やはり崩落でふさがったのではなく、埋め戻しされたんだろうなぁ。先に見える道は林道杉戸線。
少し降りてからもう一度、坑口を振り返り。
林道に出る前にもう一つバリケードがあった。
これがなんと、ナローゲージのものらしきレール ∑(゚Д゚)
千葉に林鉄はなかった、というのが定説だが、実はあったのではないか、という噂もチラホラ聞く。もっとも、人車軌道や軽便鉄道もあったし、工事の際に一時的に軌道を敷設することもあるので、廃レール即林鉄のものとは言えないしなぁ。
林道側から隧道方面を。もうここからは隧道は見えない。
杉戸林道。正面の道を進むと解放されているゲートがあるはずだが、道は荒れまくっていて、ここまで車で来るのは無理そう(^-^;
まきき氏も出てきた。ひとしきり付近をウロウロしてから戻ることに。
※ ※ ※
北側の坑口まで戻ってきた。
まきき氏も無事生還。
お疲れ様でした。
■参考サイト
トンネルコレクション(まきき氏):《野々塚隧道》(仮称) 【1:やっぱり隧道は存在した!】
【廃線・廃道】【歩いてみた】千葉県夷隅郡大多喜町 野々塚隧道(仮)(のだの人氏・ニコニコ動画)
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(仮称)野々塚隧道
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