(隧道跡)
【名称】天神山隧道
【所在地】富津市海良
【竣工】1943(S18)年(「隧道データベース」より)
【延長】60m(同上)
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】昭和50年頃?
(跨道橋)
【名称】不明
【所在地】富津市海良
【竣工】1976(S51)
【橋長】約20m(目測)
【幅員】約1m(目測)
2014年4月12日訪問
富津市海良、国道127号にて。現在地はココ(←クリック) 一見するとなんの変哲もない跨道橋があるが、地図を見てもその前後に道はない。どうなっているんだ?
あったんさんにこのことを教えていただき、調査にやってきた。
下から見上げる。
北側には手すりも見える。地図にはないが、間違いなく道があるはずだ。
さっそく、あったんさんが野良仕事中の地元の方に声を掛けて、情報を仕入れてくれた。すると驚くべき事実が判明(ちょっとオーバー?w)
1枚目の跨道橋のある切り通し、もともとは隧道があったのだが、30年程前に開削されたのだという。そして、もともと隧道の上には国道の南側にある農地へ行く道があったのだが、隧道が開削された時にその代替としてあの跨道橋が設置されたとのこと。
しかし、今ではそこを耕す人がいなくなってしまい、めったに人が入らなくなってしまったという。途中の道も笹が生えていて行けるかどうか…と(^-^;
そして、アクセスルートを教えていただいた。ここでいいのかな?現在地はココ(←クリック) ちなみに、撮影地点の道は国道127号の旧道にあたる。
後日、あったんさんがわざわざ1975年の地図を探して送ってくださった。しっかり隧道が記されている。
ちなみに、この天神山隧道、隧道データベースによれば1943(昭和18)年の竣功となっている。ということは、大戦半ばにこの道が軍事国道として整備された際に建設されたもの。そして、その時に整備された他の隧道と同じような幅員6メートル弱ぐらいの蒲鉾形の断面をした隧道だったと想像されるのだが…
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
今度は今昔マップから。左は昭和19年修正・昭和22年5月30日発行の地形図、右は現在の国土地理院の地形図。
これには、同時期に竣功したはずの城山隧道は描かれているが、天神山隧道はまだ存在していないことになっている。終戦間際の混乱期とはいえ、少し不自然な気もするが、どういう事情があったのだろう?
まぁ、細かい事情はさておき、旧道から分岐する道を進むと、ほどなくして事前情報通り道が香ばしいことに… (^-^;
ん~、なんとか行けるか?1時間前、脚がつって地面に転がるほど痛い思いをしていたのだが、こういう場面になると、急に元気になった。ガシガシと藪を蹴散らして進むと…
見えてきた!
北側の袂に到着。
振り返ってみたところ。左がここまで来たルート。しかし右に状態のよさそうな道が…(^-^;
右の道、帰りはこちらの道をつかったのだが、畑の脇まで続いていた。ただ、本来の道はやはり藪漕ぎしてきた道なのだろう。
跨道橋の上は思っていたよりも綺麗。
跨道橋の上から東の千葉方面を望む。
西の館山方面。
南側へ。そういえば、猪が出るって言ってたなぁ(^-^;
南側身銘板があった。
「1976年3月/関東地方整備局/●●●●●(1965)/制作 ●●●●●●●●/●● SS41」
かなぁ?橋名は記されていないようだ。これ以上身を乗り出すと真っ逆さまに転落してしまいそう(^-^; 北側に塗装銘板もあったが、そちらにも橋名はなかった。
なんと、南側でアスファルトが復活。
振り返って、跨道橋を南側より。
とりあえず、行けるところまで行ってみよう…
地図には載っていないが見事な沢があった。
そしてすぐに視界が開けた。
ここが耕作地の跡だろうか。まるで隠田のようだ。でもこのアクセスでは農機具を入れるのも大変だし、耕作放棄地になるのも仕方ないのかなぁ(^-^;
さて、下まで戻ってきた。跨道橋を北西側より。
更に切り通し全体を望む。
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