【名称】鬼田第一隧道
【所在地】市原市菅野
【竣工】1890(M23)年(「隧道データベース」より)
【延長】35m(同上)
【幅員】3.8m(同上)
【高さ】4m(同上)
【名称】鬼田第二隧道
【所在地】市原市菅野
【竣工】1890(M23)年(「隧道データベース」より)
【延長】37m(同上)
【幅員】4m(同上)
【高さ】4m(同上)
2015年8月2日訪問
小湊鐵道の月崎駅から出発。ここは安心して車を停められるし、トイレも綺麗なのでありがたい。
※ ※ ※
ここでちょっとおまけ。
去年の11月、たまたまここに立ち寄ったところ、駅全体が盛大に電飾されていたのでビックリ ∑(゚д゚; )
ゴージャスなトイレもよりゴージャスに(^-^;
ホームも。
月崎駅で四両編成を初めて見たw
キティちゃんの左目が… (ノ△・。)
ということで、真夏にクリスマス気分を(^-^;
※ ※ ※
さて、クソ暑い中、チャリを漕ぎながら県道32号を久留里方面へ。現在地はココ(←クリック) 東を向いている。マルフクの看板が懐かしい。いや、まだあちこちに残っていたか(^-^;
で、この先に以前、素掘りの短い隧道が2本連続して存在していたのだ。
あ、またマルフク、しかも2枚。
その建物の反対側だが、やはりダブルマルフク。マルフクどんだけ(^-^;
おっと、隧道跡だった(^-^; この切り通しが隧道の跡。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
さて、いつものように今昔マップを。
左は昭和19年部修・昭和22年5月30日発行の地形図(1/50000「大多喜」)、右は現在の国土地理院発行の地形図。
2本の隧道があったはずなのだが、写真を見ても現地で眺めても、その2本がどこにあったのかいまいち判然としない。というか、中間だったはずの区間も含め現在では全部切り通しになっているのだ(^-^;
今度は航空写真を見てみよう。これは国土地理院が1971年10月28日に撮影したもの(MKT713X-C2B-7)を拡大修正したもの。
隧道があったのは明らかだが、やはり中間の明かり区間がどこだったのかさっぱり判らない(^-^;
次は、1975年1月3日に撮影したもの(CKT7414-C5B-29)を拡大修正。だが今度は開削されている。切り通しの前後に微妙に道が隠れている区間があるが、これはただの木の葉に隠されているだけだろう。現在の航空写真もそうだし。
とりあえず現在の切り通しの姿を見ていただこう。
隧道名は隧道データベースに基づいている。そしてその隧道Noから推測するに写真手前(東側・月崎方面)が鬼田第一隧道(1890年竣功、延長35m)、奥(西側・久留里方面)が鬼田第二隧道(1890年竣功、延長37m)だったと思われる。
なお、隧道名の鬼田は市原市菅野の小字、鬼田(オンダ)に由来すると思われる。(※参考:「角川日本地名大辞典12千葉県」p.1377)
判然とはしないが、それでも切り通しの中間付近は左の法面が若干低目。この辺りが明かり区間だったかな。まぁ、状況的にそうとしか考えられないのだが(^-^;
とまぁ、暑い中、カメラ片手にチャリを押して県道をジグザグ進行。でもこの道は結構交通量も多いので車が来ていないかは最新の注意を払わないと(^-^;
切り通しの西端近く。この辺りが第二隧道だったのかな?
切り通しの西にあったコレは井戸かな?
西側より。
※ ※ ※
最後に、この隧道跡については、まきき氏も以前レポートしている。いつもながらの社交家ぶりを発揮して地元の方の証言もゲットしているので、そちらも是非ご覧いただきたい。
参考サイト:
トンネルコレクション(まきき氏):旧内山隧道調査(仮称) 【4:あっけなく謎が解けた!】
双鬼さまのいとしい獲物 (アクアコミックス)
鬼目ナット Dタイプ M6×13mm ねじ込みタイプ