【名称】検見川送信所(けみがわそうしんじょ)
【所在地】千葉市花見川区検見川町
【竣工】1926(T15)年
2011年12月11日訪問
地蜂花見川区検見川町、閑静な住宅街だが、この周囲は大規模な工事中。そして、その真ん中にたたずむ古びた建物が逓信省、日本電信電話公社の検見川送信所。南東方向より。
1926年の竣功。設計したのは日本のモダニズム建築の先駆者、吉田鉄郎(1894~1956) モダニズム建築の傑作、東京中央郵便局を手がけたのも彼だ。
東側から北側に回り込む。
この場所、一度は中学校の建設用地となり、この建物も解体されるはずだった。しかし、少子化と保存運動が起こった結果、建物は保存されることとなった。
とはいえ、本格的な保存処置などはされていない。また、数年前に悪戯で内部に進入する者がいたためか、現在では窓が厳重に封鎖されている。
西側から建物に近づく。
この建物、資料によっては真珠湾攻撃の開始を指令する暗号電文「ニイタカヤマノボレ」を打電した送信所ということになっている。ただし、別の資料によれば、船橋送信所だったとするものもある(長崎の針尾送信所というものもあるが、これは明らかに誤りらしい) 事実はさておき、戦前、戦中、戦後を通して重要な役割を果たした施設であることには変わりはない。
正面玄関の先に立っていたモニュメントらしきもの?
そこから再び建物を。
シンプルだが、あらゆる角を丸く滑らかに処理している。その徹底が、独特の柔らかな雰囲気を醸し出している。建物は放置状態なのに、廃墟にありがちな陰惨な雰囲気がしないのは、このデザインのおかげでもあるのかもしれない。
本館西側には給水塔らしきものが。
これも徹底的に角を丸くしている。素材的には古びてしまっていても、デザイン的には古びた感じがまったくしない。
西側から。左の建物に半分隠れた木が、先ほどの正面玄関前に立つ木。
窓も多く、随分開放的な雰囲気の建物だったのかもしれない。
あれっ?でも極秘な暗号電文を打電するような施設だよね?(^-^;
今度は西側に回り込んでみる。
建物の周囲は定期的に手入れをされているのだろうか。
北側。つまり建物の真裏。
再び正面玄関前に。所々コンクリが剥離している。せっかく保存することになったのだから、はやく補修すればいいのに、、、
3階、それとも2階の高窓?の部分をアップすると、なんだか顔に見えてきた。「オレ、何も言うことないよ~」という表情に見える、、、
せっかくだから玄関にも行ってみよう。
手すりまで見事に丸く。
ここが廃止されたのは1979年。再びここに普通の扉が設置される日はいつになるのだろう?
南西方向から。
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検見川送信所
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