【名称】不明
【所在地】市原市奥野
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】不明
2015年4月26日訪問
市原市奥野、現在地はココ(←クリック) 北を向いている。この先にかつて隧道があった。
「こらっ、おっさん!過去じゃないで、今もあるやろ、ドアホが」とM氏に怒る声が聞こえてきそうだ。そう、この先に奥野第一隧道という素掘隧道がある。ちなみに、その先にも隧道跡があるのだが、今回取り上げるのは奥野第一隧道の手前だ。この道を通った事のある人は、怪訝に思うかもしれない。隧道などあったと思えるような地形ではないからだ。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
論より証拠で、いつもの今昔マップを見てみよう。左は終戦直後に発行された地形図。右は現在の国土地理院の地形図。赤丸で囲った部分、奥野第一隧道の南に隧道の記号ははっきりと記されている。なお、現在の地形図に奥野第一隧道の北の隧道も記されているが、これは先ほども書いたように既に開削済み。なお、今昔マップで提供されている地形図の中でこの隧道が記されているのはこれだけだ。
もうそろそろのはずだが、
古地形図に載っている隧道擬定地にやってきた。擬定地を南側より望む。
う~ん、やっぱり隧道があったとは思えない(^-^;
念のため、右手の土手に登って奥を見てみたが、こんな具合。地図の誤植なのかなぁ?それとも、相当大がかりな工事をして山を削ってしまったのか?
擬定地を北側より。
なお、航空写真を見ても、この付近の様子はさっぱり判らなかった。
擬定地から300メートル程北にある切り通し。南側より。ここなら隧道があったとしても不思議ではないかもしれない。ただ、この先のカーブの先に奥野第一隧道がある。先ほどの古地形図の記載とは少し場所が違っているのが気になるところ。しかし、昔の地形図はかなりアバウトなところがあるので、ひょっとしたらココが隧道跡なのかもしれない。
北側より。
※ ※ ※
【名称】奥野第一隧道(おくのだいいちずいどう)
【所在地】市原市奥野
【竣工】1965(S30)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】37m(同上)
【幅員】4,3m(同上)
【高さ】3.0m(同上)
2015年4月26日訪問
前回(2011年8月15日)
さて、続いて奥野第一隧道へ。
南側坑口。
正面から。
南側坑口から内部を望む。
照明も完備。この道は意外と交通量が多い。
内部から見た南側坑口。
この隧道も行政の調査が入っているようだ。数年前にはなかった書き込みがあちこちに。役所の人達、そんなにウキウキとはしゃがなくてもいいのに(笑)
隧道の延長は「平成16年度道路施設現況調査」によれば37メートル。その値は間違いなさそうだ。ただし、建設年次が昭和30年となっているが、それ以前からあったことはほぼ間違いなし。
内部から見た北側坑口。
隧道の北は下り坂になっている。この坂、登ると結構ツライ(^-^;
振り返って北側坑口から内部を望む。
北側坑口。
少し離れてもう一枚。
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おくのほそ道―現代語訳/曽良随行日記付き (角川ソフィア文庫)
現代語訳なんてあったんだ ∑(゚д゚)
【所在地】市原市奥野
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】不明
2015年4月26日訪問
市原市奥野、現在地はココ(←クリック) 北を向いている。この先にかつて隧道があった。
「こらっ、おっさん!過去じゃないで、今もあるやろ、ドアホが」とM氏に怒る声が聞こえてきそうだ。そう、この先に奥野第一隧道という素掘隧道がある。ちなみに、その先にも隧道跡があるのだが、今回取り上げるのは奥野第一隧道の手前だ。この道を通った事のある人は、怪訝に思うかもしれない。隧道などあったと思えるような地形ではないからだ。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
論より証拠で、いつもの今昔マップを見てみよう。左は終戦直後に発行された地形図。右は現在の国土地理院の地形図。赤丸で囲った部分、奥野第一隧道の南に隧道の記号ははっきりと記されている。なお、現在の地形図に奥野第一隧道の北の隧道も記されているが、これは先ほども書いたように既に開削済み。なお、今昔マップで提供されている地形図の中でこの隧道が記されているのはこれだけだ。
もうそろそろのはずだが、
古地形図に載っている隧道擬定地にやってきた。擬定地を南側より望む。
う~ん、やっぱり隧道があったとは思えない(^-^;
念のため、右手の土手に登って奥を見てみたが、こんな具合。地図の誤植なのかなぁ?それとも、相当大がかりな工事をして山を削ってしまったのか?
擬定地を北側より。
なお、航空写真を見ても、この付近の様子はさっぱり判らなかった。
擬定地から300メートル程北にある切り通し。南側より。ここなら隧道があったとしても不思議ではないかもしれない。ただ、この先のカーブの先に奥野第一隧道がある。先ほどの古地形図の記載とは少し場所が違っているのが気になるところ。しかし、昔の地形図はかなりアバウトなところがあるので、ひょっとしたらココが隧道跡なのかもしれない。
北側より。
※ ※ ※
【名称】奥野第一隧道(おくのだいいちずいどう)
【所在地】市原市奥野
【竣工】1965(S30)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】37m(同上)
【幅員】4,3m(同上)
【高さ】3.0m(同上)
2015年4月26日訪問
前回(2011年8月15日)
さて、続いて奥野第一隧道へ。
南側坑口。
正面から。
南側坑口から内部を望む。
照明も完備。この道は意外と交通量が多い。
内部から見た南側坑口。
この隧道も行政の調査が入っているようだ。数年前にはなかった書き込みがあちこちに。役所の人達、そんなにウキウキとはしゃがなくてもいいのに(笑)
隧道の延長は「平成16年度道路施設現況調査」によれば37メートル。その値は間違いなさそうだ。ただし、建設年次が昭和30年となっているが、それ以前からあったことはほぼ間違いなし。
内部から見た北側坑口。
隧道の北は下り坂になっている。この坂、登ると結構ツライ(^-^;
振り返って北側坑口から内部を望む。
北側坑口。
少し離れてもう一枚。
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おくのほそ道―現代語訳/曽良随行日記付き (角川ソフィア文庫)
現代語訳なんてあったんだ ∑(゚д゚)