【名称】不明
【所在地】夷隅郡大多喜町大戸
【竣工】不明
【延長】約30m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約4m(目測)
2016年3月27日訪問
大多喜町大戸(おおと)、現在地はココ(←クリック) ネットの地図では隧道が2本あることになっているが、1本目は存在せず。というか、元々なかった可能性が極めて濃厚(地元の方が知らなかった&ありえない地形)。まぁ、元々ないらしいということは聞いていたので、あまり気にせず前進中(^-^;
ちなみに、この道、明治の地形図にもほぼ同じルートが描かれている古道。ただ、車道サイズの幅員があるので、途中で拡幅されているのかもしれない。
しかし、もうすぐ隧道というところでガレだした(^-^; 隧道までのルートではここが一番歩きにくかったかな?
道が山に吸い込まれるように延びている。いよいよ隧道の登場だ。
はい、隧道のお出まし。そして無事に貫通していることも確認できた。
東側坑口。想像していたよりも断面が大きい。やはり車両を通すことを想定した大きさなのだろうか。
東側坑口から内部を望む。
内部から見た東側坑口。四輪車の轍がはっきりと残っている。
ものすごい急勾配のように見えるが、それは地層が傾いていからで錯覚。とはいえ、ものすごくはないが、西側に向かって上り勾配になっているのは事実だ。
ちょっと崩れやすそうな地質だ。
西側の坑口付近は崩落して若干道床が高くなっているようだ。
ダブルトラックがいつの間にかシングルトラックになっているし(^-^;
ここで振り返るとなかなか素敵な様子を見ることができた。
最近のものと思われるバイクの轍が。ここを突破したのね(^-^;
西側は広々とした景色が広がっていた。地図の記載以上に急に左に曲がっている。
西側坑口。
西側坑口から内部を望む。
精一杯離れて撮ってみた一枚。これ以上後ろに下がると道から転がり落ちてしまうし、横だと立木が邪魔で坑口が写らない(^-^;
※ ※ ※
ネットの地図では隧道から200メートルほど進んだところで道が途切れるように描かれている。しかし、途中で会った椎茸の手入れをしていたご婦人が「湯倉まで続いている」と聞いていたので、行けるところまで行ってみることに。
で、その前にもうひとつ調査を。地図を最大に拡大すると、西側坑口から右に分岐し、カーブしながら隧道の上に向かう道がある。これはひょっとして旧道か?ということで、隧道を出て右に数メートル進んだところがこれ。えーと、道と言えば道のように見えなくもないけど… (^-^;
写真では解りにくいが、たしかに地図にあるように右にカーブして尾根に向かっている。
でも、作業道のようにも見えるし。う~ん、よくわからない(^-^; しかも、今度は写真の見た目より実際の方がキツイ登り坂(^-^;
あまり寄り道している時間もないので、前の写真のところで引き返すことに。ちなみに、隧道を抜けると、丁度この写真の中央付近に飛び出すことになる。
※ ※ ※
おまけ動画。東側から入り西側に抜けるまで。
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