【名称】不明
【所在地】夷隅郡大多喜町押沼
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】1982~84年頃?
2016年3月27日訪問
大多喜町押沼(おしぬま)、現在地はココ(←クリック) 正面に見えるのはいすみ鉄道いすみ線(旧JR木原線)の戸越踏切。
踏切を渡ると大原方面から電車、、じゃなかった機関車がやってきた。
上総中野方面に去っていく機関車を見送ると、、、おやっ(゚д゚)ハッ!!
水の流れる音が聞こえる。どうやら水路橋のようだ。曲げられた橋脚の上に橋桁が載っかっている。ええと、こういう形式を何というのだろう?ラーメン橋ともちょっと違うようだし。
水はこのパイプを通って地下の暗渠に流されているようだ。上に登ってみたかったが、少しやっかいそうだったし、日暮れ間近で次回にということで(^-^;
※ ※ ※
完全に暗くなる前に見に行きたいところがあったので、水路橋を後にする。
目的地は右の道の先。
ここから林道笛倉線になる。
路傍にふたつの石碑が。
右は馬頭観音だが、左は不明(^-^;
さて、ここから本題。この先に以前隧道があったらしい。ということで、その跡を見に来たのだ。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
まずは今昔マップから旧版地形図を。左は1982(昭和57)年発行、右は現在の地形図だ。赤丸の中に小さな隧道の記号がある。実は、あまりにも小さいので「ホントかよ?」と半信半疑ではあったのだが(^-^;
次は国土地理院が1975年2月14日に撮影した航空写真(CKT7414-C10B-31)を拡大加工したもの。
西側に堀割がはっきりと写っている。地図の誤記ではなさそうだ。そして開削時期だが、1982年12月10日のもの(KT826X-C11-6)でもまだ隧道は残っているように見える。
これが1984年7月4日のもの(KT842X-C5B-4)になると、現在の航空写真以上にくっきりと切り通しの姿が見られる。ということで、開削時期は1982年から84年の間ごろではないかと推測した。
さて、現在の写真に戻ろう。この先を曲がったところのはず。
カーブの先に現れた切り通し。ここが隧道跡だ。東側より。
切り通しの中へ進む。
向かって右(北側)の法面。
続いて左(南側)の法面。
西側より。
少し離れてもう一枚。
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