【名称】面白第2号隧道
【所在地】夷隅郡大多喜町面白
【竣工】1909(M42)年(「隧道データベース」より)
【延長】23m(同上)
【幅員】3.5m(同上)
【高さ】4.5m(同上)
【撤去】平成初期(1990年以前)?
2015年8月9日訪問
大多喜町小沢又(こざわまた)と面白(おもじろ)の境界付近、千葉県道178号小田代勝浦線(こただいかつうらせん)にて。現在地はココ(←クリック)。西を向いている。かつて、この先に2本の隧道があった。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
それでは予習を。いつものように今昔マップから。左は昭和57年4月30日に発行された地形図(1/50000「大多喜」)、右は現在の地理院地図。赤丸の中に隧道の記号がある。
次は航空写真。これは1975年2月14日に国土地理院が撮影したもの(CKT7414-C10B-23)を拡大・加工したもの。
隧道データベースに面白第1号(38m)、面白第2号(23m)の記載があり、両者はこれらに該当するはずだ。県道の起点(大多喜町小田代)や航空写真から見た印象(延長)から北が第1号、南が第2号だと思われる。
続いて、1984年7月4日に撮影された航空写真(KT842X-C5B-1)。ここにもまだどちらの隧道も写っている。
ところが、1990年7月19に撮影されたもの(KT901X-C4-15)では両方とも消失して、真新しい(?)法面が写っている。ということで、両隧道ともに平成初期に(おそらく同時に)開削されたのだろう。
※ ※ ※
では、まず南の面白第2号隧道跡から。南側より。
念のために書いておくと、「面白」は「おもしろ」ではなくて「おもじろ」と読む。
向かって左(西側)の法面。
向かって右(東側)の法面。
北側より。
※ ※ ※
【名称】面白第1号隧道
【所在地】夷隅郡大多喜町面白
【竣工】1909(M42)年(「隧道データベース」より)
【延長】38m(同上)
【幅員】3.5m(同上)
【高さ】4.7m(同上)
【撤去】平成初期(1990年以前)?
2015年8月9日訪問
さて、次は北の第1号隧道だが、この風景を見てどこなのか途方に暮れてしまった。どこもアヤシイ。でも隧道はこれほど長くなかったはず。
事前に自宅で航空写真を眺めてはいたのだが、「行ってみれば解るべ」と思っていたのだが、よく解らない(^-^;
新旧の航空写真をジーッと見比べた結論としては、たぶんここが正解。ひとつ前の写真の奥にある巨大な法面の北半分が隧道跡だろう。西側の養老川方面は川まで丸ごとごそっと撤去してしまったようだ。
北側から振り返り。
そのすぐ北側に悩ましい切り通しがあるのだが、おそらくこれは北側坑口に繋がる堀割がそのまま残されたものではないかと思われる。
とは言いつつも、この切り通しまで隧道が延びていたようにも見えなくもないのだが(^-^;
切り通しの北側にあった小さな祠。
「道了尊」と書いてある。道祖神みたいなものかと思ったら、曹洞宗で信仰されている、実在の行者だとか天狗だとか…(^-^;
切り通しを北側より。
※ ※ ※
切り通しの先に地図にない分岐があった。
すごい勢いで下っていく。
その先を上から見ると強烈な九十九折。こりゃ、下まで行ったら戻るのが大変そうなので、次回に(^-^; この先の浄水場関連の施設があるのかもしれない。
にほんブログ村
地理 ブログランキングへ
眠れないほど面白い 「道路」の不思議