【名称】赤人塚
【所在地】東金市田中
【竣工】不明
2017年4月2日訪問
東金市田中、今いるのはココ(←クリック) 記念碑らしきものが見えたのでちょっと寄り道してみた。
よくある土地改良工事の記念碑だった(^-^; 揮毫は故沼田武元知事。この種の記念碑の揮毫でもっとも頻繁に見る名前だ(^-^;
ついでにお寺さんも見ていこうか…
お題目の刻まれた塔。調べてみたら、題目塔というらしい。そのまんまの名前だったんだ(^-^;
天明元年は1781年。
お寺の名前は法光寺。案内板を見ると由緒あるお寺さんのようだ。
門。
扁額。
本堂。なお、この本堂の近くに面白いものがあったのだが、興味のある方は直接見に行っていただきたい。
隣り合った神社。鹿渡(かのと)神社というらしい。
鳥居の先にちょっと面白いものがあった。
石灯籠の先にあるのは、あれは、狛犬だよね?
しかし、狛犬っぽくない。これを見た知人は「普通の犬が狛犬になっているのってめずらしくね?」と言っていたが…
毛を刈り取ったばかりの羊にも見える… あ、もしかして、こいつは毛を刈り取られたばかりの狛犬なのか?(゚д゚)ハッ!!
※ ※ ※
法光寺を後にし、今いるのはココ(←クリック)。この先に本日のお題のものがある。
50メートル程進むと見えてきた。
冒頭に続きまたしても石碑だが、こちらはもうすこし由緒あるものだ。
赤人塚。地図で見つけてなんだろうと思って来てみた。そもそも塚じゃなくて田んぼしかないし(^-^;
刻まれているのは、万葉の歌人・山部赤人の歌。「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」
あれっ、おいらの記憶にあるのとちょっと違うぞ?「田子の浦にうち出でてみれば白妙の…」じゃなかったっけ? というのも、この石碑に刻まれているのは万葉集に収録されている歌。一方、「白妙の…」は百人一首のものだった。どういういきさつなのか、少し変更されたようだ。
しかし、田子の浦の歌の石碑がなんでこんなところに? 実は山辺赤人は上総国山辺郡の出身だったという伝説があるらしい。山部≒山辺つながりで、江戸時代の頃に言われ始めたという。限りなくガセネタに近い伝説のようだ(^-^; そして、以前は実際にここに円墳があって、山部赤人の墓といわれていたとのこと。
石碑の裏はなにもなし。
あるブログで、江戸時代に国学が浸透し、万葉集などを学んだ地元民が「ヤマベっていうんだからウチの出身にちがいないっぺよ」と言い出して、塚と伝説を作ったのではないか、という説が述べられていたが、そうだ、そうに違いないと思わず膝を打ってしまった。