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君津市久留里/浦田の隧道跡

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【名称】不明
【所在地】君津市久留里/浦田
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明

 

 

2017年5月28日訪問

 

 

千葉県君津市久留里(くるり)、今いるのはココ(←クリック)。南を向いている。この先の切り通しはかつて隧道だった。

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

 

いつものように今昔マップで新旧の地形図を比較してみる。左が1982年発行の、そして右が現在の地形図である。点滅している赤丸の中にあるのが本日のお題。

 

旧版地形図では3本の隧道が密集して存在しているが、いまでは1本(怒田第二隧道)しか生き残っていない。

 

残っている隧道が「第二」なら、消えた隧道のどちらかが「第一」のはず。ならば、市街地寄り(久留里方面)のこの隧道こそ「第一」にふさわしいように思われる。というか、そうに違いないと思っていた。しかし、この記事を書くにあたって、あらためてこの隧道(跡)の場所を確認してみると、、、

 

怒田じゃないし∑(゚Д゚)ガーン

 

隧道(跡)は君津市久留里と君津市浦田(うらた)の境界に位置していた。なお、南の隧道跡は浦田と怒田の境界上にある。ってことは、そっちが「第一」か?いまいち納得いかないけど、、、

 

 

次は、隧道生存時の航空写真。国土地理院が1975年1月6日に撮影したもの(CKT7414-C6A-32)だ。

 

 

さて、現在に戻ろう。隧道跡を北側より望む。

 

 

西側の法面。

 

 

東側の法面。

 

 

東側の法面は見上げる高さ。

 

 

なにか札のようなものが…

 

 

境界見出標。こういうのはあまり見覚えがないが、植林地の境界を示すものらしい。

 

 

西側の法面にも。

 

 

こちらは営林局の名が。

 

 

南側より。

 

     ※     ※     ※

 

 

最後に隧道の撤去時期について。

 

これは1981年7月7日に撮影された航空写真(KT814X-C4-16)。南の隧道とともに消失している。ということで、1974年から81年の間に撤去されたということまではなんとか絞り込むことができた。

 

 

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