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御茶屋御殿跡

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【名称】千葉御茶屋御殿跡(ちばおちゃやごてんあと)
【所在地】千葉市若葉区御殿町
【竣工】1614(慶長19)~15(元和1)年頃?
【撤去】1661~72年(寛文年間)頃?

 

2018年9月9日訪問


 

千葉市若葉区御殿町(ごてんちょう)にて。今いるのはココ(←クリック)、北東を向いている。

 

眼の前を横断している道はいわゆる東金御成街道(とうがねおなりかいどう)、船橋から東金を結ぶ街道で、元は徳川家康が東金に鷹狩に行く際の行路として慶長19年(1614年)から元和元年(1615年)頃に建設されたものである。実のところ

 

 

「御茶屋御殿跡入口」の碑。

 

 

この御茶屋御殿というのは、家康が休憩するために建てられた宿泊施設のである。さすがの神君家康公とはいえ、この頃は70代半ば。無理の聞かない御老体だっただろうから、一休みだけではなく一泊などしたのかもしれない。

 

 

碑の先にある案内板。せっかくなので、日本語部分を全文引用しよう。

 

御茶屋御殿跡[おちゃやごてんあと]

所在地   千葉市若葉区御殿町2549番他

 徳川家康が東金への鷹狩りのために休憩所として造営したものです。このような御殿は千葉市のほかに御成街道の起点である船橋に「船橋御殿」、お狩場である東金には「東金御殿」が設営されていましたが、寛文年間(1661~72)に取り払われて、その跡地も現在大きく改変されています。この御茶屋御殿もほぼ同じ頃取り払われたものと考えられますが、跡地はよく旧態を止めています。

 御殿跡は一辺約110mの方形で、周囲に幅約5mの薬研堀[やげんぼり]の空堀と高さ約2.5mの土塁をめぐらし、南北2ヶ所の出入口があって、その内側に枡形土塁[ますがたどるい]が構築されていました。内部の遺構については発掘調査により、主殿と思われる基壇部分のほか、長大な掘立柱建物跡[ほったてばしらたてものあと]群や井戸跡の他、17世紀中葉の陶器などの遺物も発見されています。

   平成9年3月

   千葉市教育委員会

 

 

案内板の説明で本日の物件についての概要はご理解いただけたと思うので、あとはサクサクと進めてしまおう(^-^; 案内板の周囲は駐車スペースにもなっている。見学にはとても便利なのだが、唯一難点なのが、ここの土質。車を乗り入れた瞬間、周囲が土埃に覆われた。粘土質の細かい砂で覆われている。雨上がりなど、ヌタヌタになりそうなのでご注意を。

 

 

さて、50メートルほど歩くと前方に建物が見えてきた。「もしや建物跡!?( ゚д゚)ハッ!」っと思ったら、、、

 

 

全然違った(^-^; って、建物は300年以上前に撤去されているし、、、(^-^; 実はこの時点では案内板の内容をよく読んでいなかったのだ(^-^;

 

 

更に20メートルほど進むと土塁や堀、土橋が現れた。今度こそ本番だ。

 

 

正面向かって左側の土塁と空堀。

 

 

こちらは向かって右側の姿。解説板によればこの堀は薬研堀とのこと。薬研とは時代劇でよく出てくる薬草などを擦って粉にする道具(Wikipediaの解説←クリック)

 

 

さて、土橋を渡って屋敷跡に、、、

 

 

って、雑草の生える空き地だった(^-^; ネットで検索すると雑草のない写真もあるので、時期によってはもうすこし良い状態のときもあるのかもしれない。井戸の跡などもあるようだし、、、(^-^;

 

 

今度は180度のパノラマ合成で。

 

 

ちょっと拍子抜けだったが、せっかくなので土塁に登って周囲を一周してみることにした。向かって右側の土塁に這い登ったところ。

 

 

南東の角。

 

 

北側の辺。

 

 

北側の辺から南側の土橋方面を望む。

 

 

東側はスクラップ業者の敷地と隣接している。

 

 

一周回って南側に戻ってきた。

 

     ※     ※     ※

 

さて、この御茶屋御殿跡だが、プチ城跡的な遺構が極めて良好な状態で残っているという印象。だが、意外なことに、ここが市指定史跡となったのは2004年(平成16年)とごく最近のこと。それ以前は航空写真を見る限り、畑だったように見える。正方形の土塁がよく残っていたものだとも思うが、指定以前から正方形はしっかりと存在していたので、指定に併せて工事をしたというようなものでもないようだ。

 

ところで、ここの地名=御殿町だが、当然この遺構に由来しているのだろう。ということで、由緒ある地名なのだと思ったのだが、調べてみたら大違いだった。角川日本地名大辞典によれば、

 

ごてんちょう 御殿町<千葉市>

[近代]昭和38年~現在の町名。もとは千葉市中田字上御殿前・宇津志野、古泉字ウツシノと中田字下御殿前・中田古泉入会地宇津志野の各一部。江戸期は秣場で、中央部を御成街道が横断し、御茶屋御殿が置かれていた。昭和39年の世帯数31・人口170。

引用:『角川日本地名大辞典12千葉県』p.377

 

とのこと。なんだよ、全然由緒ある地名じゃないじゃないかとズッコケてしまったぞ(^-^;

 

 

 

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