【名称】豊田橋(とよだはし)
【所在地】茂原市腰当
【竣工】1987(S62)年3月
2011年7月31日訪問
今回は写真映りもいまいちだし、あまり見所もないのだが、備忘録代わりに、、、
現在地は、豊田小学校近くの獅子孔橋から阿久川にそって東に進み国道128号にぶつかろうという辺り。写真は阿久川の上流方面になる。
そして国道128号の橋梁。まぁ、こういう橋は普通はスルーするところなのだが、、、
銘板が目に付いたので、とりあえずチェック(^-^;
「豊田橋/1986年3月/千葉県/道示(1978)一等橋/定着方式;フレシネー工法/施工:ピーシー橋梁株式会社」
えーと、ソ連のエライ人か?って、そりゃブレジネフ書記長だΣ(ノ∀`)振れ死ね-フレシネー工法ってどういうものなんだろう?ググったら建設会社のHPが出てきたが文系のおいらには全く意味不明(;´Д`) とりあえずフレシネーさんが発明した工法であるらしいことだけは理解できたが、、、
南側より。ピンぼけ写真はいかんよな、、、(;´Д`)
南側左の銘板。「豊田橋」
この銘板の真下辺りに先ほどの銘板が据えられている。
で、いつもなら、次は右の銘板にいくところだが、四車線の国道をホイホイと渡るわけにもいかないので、今回はいつもと順番を変えて、、、
北側右の銘板。「昭和62年3月完成」
んんん、さっきの銘板は昭和63年だったぞ。そういえば、完成と竣工はどう違うのだろう?
北側より。
北側左の銘板。「とよだはし」
橋の上から東側を望む。
南側右の銘板。「阿久川」
そういえば、ここは豊田川じゃなくて阿久川なんだ、、、
なだか変だなぁ、と思ったのだが、豊田というのは現在では地名としては残っていないようだが、1952年までこの付近は長生郡豊田村だった。川の名前が村の名前になり、かつての村の名前が橋の名前になった、、のかな?(^-^;
ということで、最初に述べた備忘録代わりのこの記事のポイント。
1.豊田橋は豊田川ではなく阿久川に架かっている。
2.豊田橋には完成時期の記述が矛盾する2つの銘板がある。
3.フレシネー工法はフレシネーさんが発明した
【所在地】茂原市腰当
【竣工】1987(S62)年3月
2011年7月31日訪問
今回は写真映りもいまいちだし、あまり見所もないのだが、備忘録代わりに、、、
現在地は、豊田小学校近くの獅子孔橋から阿久川にそって東に進み国道128号にぶつかろうという辺り。写真は阿久川の上流方面になる。
そして国道128号の橋梁。まぁ、こういう橋は普通はスルーするところなのだが、、、
銘板が目に付いたので、とりあえずチェック(^-^;
「豊田橋/1986年3月/千葉県/道示(1978)一等橋/定着方式;フレシネー工法/施工:ピーシー橋梁株式会社」
えーと、ソ連のエライ人か?って、そりゃブレジネフ書記長だΣ(ノ∀`)
南側より。ピンぼけ写真はいかんよな、、、(;´Д`)
南側左の銘板。「豊田橋」
この銘板の真下辺りに先ほどの銘板が据えられている。
で、いつもなら、次は右の銘板にいくところだが、四車線の国道をホイホイと渡るわけにもいかないので、今回はいつもと順番を変えて、、、
北側右の銘板。「昭和62年3月完成」
んんん、さっきの銘板は昭和63年だったぞ。そういえば、完成と竣工はどう違うのだろう?
北側より。
北側左の銘板。「とよだはし」
橋の上から東側を望む。
南側右の銘板。「阿久川」
そういえば、ここは豊田川じゃなくて阿久川なんだ、、、
なだか変だなぁ、と思ったのだが、豊田というのは現在では地名としては残っていないようだが、1952年までこの付近は長生郡豊田村だった。川の名前が村の名前になり、かつての村の名前が橋の名前になった、、のかな?(^-^;
ということで、最初に述べた備忘録代わりのこの記事のポイント。
1.豊田橋は豊田川ではなく阿久川に架かっている。
2.豊田橋には完成時期の記述が矛盾する2つの銘板がある。
3.フレシネー工法はフレシネーさんが発明した