【名称】第一鹿島川橋梁
【所在地】佐倉市高岡
【竣工】1897(M30)年頃?
2013年3月7日訪問
JR佐倉駅の近くの橋梁に来てみた。ちなみに、京成線の京成佐倉駅はここから1キロ以上離れているのでご注意のことを、と念のため(^-^;
ひょいっと川縁に降りてみると、橋脚が4本並んでいる。手前から3本目に注目。煉瓦製橋脚だ。なんだか、ちょっとバッチイ感じの水が溜まっているのだが、まぁ、大した量じゃないのでいいか、、、
対岸にももう一本。ちなみに手前は西側(佐倉駅側)になる。
総武本線の佐倉・成東間が開通したのが1897年なので、これもおそらくその時期に建設されたのだろう。
橋台はコンクリに、、、と思ったのだが、よくよく写真を見ると ( ゚д゚)ハッ!
煉瓦部分が残っているじゃないか。う~ん、相変わらずツメが甘いなぁ、、(;´д`)ゞ
おかしいなぁ、、、ちなみにこれは対岸(東側)の橋脚。橋台の近くまで行ったのだが、コンクリに固められているものだとばかり思っていた。う~ん。。。
気を取り直して、そのまま橋脚の周りを、、
グルリと、
一周。
橋脚はもちろん後年に架け替えられたのだろう。「第一鹿島川橋りょう」の記載が。でも、この名称、疑問なんだよなぁ、、、
さて、次は向こうの橋脚に。
そばにある名無し橋を渡っていこう。
橋の上から。
対岸にやってきた。先程、橋梁名が疑問だと書いたのは、これのせい。そう、ここって鹿島川じゃなくて高崎川なんだよね。鹿島川は佐倉駅の北西でこの川と合流している。まぁ、この川、鹿島川の支流だからなのかな?
ちなみに、これ、南側にある昭和57年竣功の橋脚なのだが、やはり「第一鹿島川橋りょう」と記されている。まぁ、本人がそういうのだから、名前はこれでいいんだろうなぁ、、、
そういえば、西側の橋脚もだが、オリジナルはもっと下までつづいていたんだろうなぁ。
東側の橋台。ひょっとして、この奥に煉瓦橋台が埋まっているとか??
こちらは落書き小僧の餌食にこそなっていないが、所々、煉瓦が剥がれている。
この橋を越えるために4×2=8本の橋脚があるわけだが、一番お年寄りだけが2つの路線を支えている。総武本線が開通した同年、成田鉄道(現・JR成田線)も佐倉駅に乗り入れているので、昔からここは2つの路線が並行して走っていたのだろう。
ただ、現在この橋脚が支えている2本の橋桁は成田線のもの。ってか、通過本数も総武本線よりはるかに多い。年寄りにばかりキツい仕事を押し付けて、まったくJR東日本はっ!www
そういえば、この煉瓦の剥がれって、まさか戦時中の空襲の跡とか?そりゃ考えすぎかな、、、まったく、想像の話ばかりで申し訳ない (^-^;
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JR総武本線・第一鹿島川橋梁
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