【名称】不明
【所在地】茂原市長尾
【建立】不明
2013年4月22日訪問
茂原市長尾、茂原市街と外房有料、そして数日後には開通する圏央道の茂原北ICを結ぶ道の脇にこんな小山がある。南側より。
以前、別の記事へのコメントでローラローラさんに教えてもらった謎の物件がこの上にあるらしい。
ちょっと角度を変えて、、
写真ではちょっと見づらいが、この時点で肉眼ではハッキリと見える。
アップしたのがこれ。
ポツネンと鳥居が建っているのだ。しかし、そこに至る道が見あたらないとのこと。
ここから行くのは、、、冒険家の世界だよなぁ(^-^;
北側から。
ん~、、、無理矢理登ることもできそうだけど、、、とりあえず、もう少し観察してみよう。
南側のあぜ道。田植えはもう終わっていた。
小山の東側に回り込むと平場が。このまま上まで続く小道でもあれば楽なんだけどなぁ。
ありゃ、あぜ道へのアクセスルートだったのか(+_+)
上を見上げる。
ん~、仕方ない、ここから行くか。。。まぁ、こっちからなら人目にもつきにくそうだし。
3分の1ほど登って振り返り。こういう所って、登る時は勢いで行けちゃうんだけど、帰りが怖いんだよな。。。(^-^;
上を見上げる。うん、コレなら余裕だ。帰りの事は、、、その時考えよっと (^-^;
そのままよじ登ると、左から登ってきた踏み跡に合流。あれ、やっぱりどこかから登るルートがあったんだ。
ヤッター、到着!
木製の鳥居が涼しい顔をして建っていた。
そして、鳥居の奥には、、、
空き地 (^-^;
神様はどこかにお引っ越しされたようだ。
空き地の南端には藤の花が満開。
振り返って見た鳥居。これ以上後ろに下がると下に転げ落ちてしまう(笑)
鳥居の下にあった鉄板。何か書かれていないかと思ってどかしてみたら、下に留守居の方々が、、、そのままそっと元にもどしておいた(^-^;
さて、戻ろう。先程見つけた踏み跡から降りる事にする。細いながらも立派な九十九折りの道になっていた。所々足場が危うくて怖かったけど(^-^;
最後だけ段になっていた。そっか、それで気づかなかったのか、、、青線が行き、赤線が帰りのルート。
※ ※ ※
さて、残された謎は神様はどこにお引っ越ししたのか。西側の垂直面は道路工事の際にバッサリ削られたと思って間違いないだろう。
ということで、過去の航空写真をチェックしてみた。
これが現在。
1975年。あれっ、道を隔てた西側に山の破片らしきものが出てきたぞ。道も現在より狭いように見える。ってことは、小山をぶち抜いて切り通しにしちゃったのか。
そして1965年。
( ゚д゚)ハッ! 小山が繋がってる!!! ここだけ道が消滅!?
じゃなくて、ひょっとして、ここ隧道だったの???それともタダの影?もうちょっと高解像度の写真ないのー?
普通、こんなところは避けて道を通すよね、、、でも、でも、でも、房総だし。「回り道するなんてメンドクセー、掘っちゃうべ!!」ってノリが普通の土地柄。そういう隧道も何ヶ所か見たことあるもんなぁ。そもそも、ここはあの(むやみやたらと隧道掘りまくりの)押日の近くだし(^-^;
もし、ここが隧道で現存していたら、そんな房総のノリを象徴する存在としてあがめ奉られたこと確実。上の神様は隧道の神様として全国の隧道マニアの守り神になっていたかも!?(←妄想)
ふぅっ、とりあえず、気を落ち着けて、最後に1947年の写真。これはさらに解像度が低い。
あれー、一転して道路が復活しているように見えなくもないし、、うーむ
結局、もったいぶってみたけど、よく解らないといういつものオチに(;´д`)ゞ 畑仕事でもしている爺ちゃん婆ちゃんがいたら取材できたのになー、あぁ、残念。え、いても人見知りだから声かけられないんじゃないかって?う、う、う、、、そういう時はまきき氏を派遣すればOKさ。
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取り残された鳥居(茂原市長尾)
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