【名称】不明
【所在地】大網白里市
【竣工】不明
【撤去時期】1990年代末頃?
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
2014年7月20日訪問
大網白里のみどりが丘団地近くにある溜め池(こがのぜき)。このほとりに車を停めて出発。
ところで、見ての通り新しいチャリを買ってしまった。この日はその試運転。
しかし、届いてから気付いたのだが、おいらのように、少し走っては止まって写真を撮り、ウロウロして、また出発、というスタイルではロードバイクは全く不向き。先日盗まれたミニベロこそ用途にピッタリなのだが、、、(^-^; まぁ、盗まれたものとは違うタイプ&軽量&ドロップハンドル&安価という条件で探したら、これになったのだ。ついでに、知人の腐女子に「弱虫ペダル」という漫画(アニメ)を教えられて、見ていたら洗脳されてついロードバイクが欲しくなってしまったという面もある(^-^;
ちなみに、試運転までこのチャリにはかなり苦労させられた。
とりあえず自転車の形にするまでは30分ぐらいでできたのだが、その後、問題が続出。いままで通販で買ったチャリは部品を取り付けるだけで普通に乗れたのだが、こいつはそうはいかなかった。あちこち調整が必要でチャリど素人のおいらはかなり苦労させられた。それと、これは明らかに欠陥だと思うのだが、リムテープの装着がめちゃくちゃで空気を入れたらいきなりパンクΣ(゚д゚l|) 最初は訳がわからず、都合4回のパンク修理を。23Cのタイヤを脱着するのは無茶苦茶大変だった(;´Д`) 本気でもう1台別のチャリを買おうかと思ったっけ、、、(^-^;
とまぁ、そんなそんな具合で、届いてからこの日まで10日程かかってしまった(^-^; まだまだ調整が必要な気がするが、おかげで随分チャリに詳しく(当社比w)なった気がするのは収穫ではあった。ちょっとばかり不安が残るけど、とりあえず出発!
そして、新しいチャリと一緒にやってきた最初の取材スポット。現在地はみどりが丘入口交差点(←クリック)
写真は6時の方向のもの。前方に見える切通し部分にかつて隧道があったのだ。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
左は1972~1982年の地形図、右は現在の国土地理院の地図だ。なお、戦前の地形図にもこの道形は描かれているのだが、肝心の隧道の箇所に「宮谷」と記されていて隧道の有無は確認できなかった。
さて、交差点を渡って切通しに向かう。右の法面に注目。
現道から5~6メートル程上に平場らしきものが見える。旧道の跡だろうか?
ひょっとしたら現道が開削される前に、一旦、旧道上の隧道が開削された時期があったのかもしれない。というのは、近くにある日立航空機・大網工場(地下工場)跡の入口に立つ案内板(2000年8月設置)の地図には隧道のあった箇所に堀割が記されているからだ。地形図や航空写真から推察するに、あの平場の辺りに隧道があったと思われる。
これが地下工場跡の前にある地図。ただ、ここで次の疑問が。隧道の開削時期だ。
地形図右上の記載によればこれは1992年とのこと。それに従えば、20年前にはすでに隧道は姿を消していたという事になる。ところが、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを見ると、もう少し後まで隧道があったかのように見える。
まず、1983年撮影のCKT832-C11-10(←クリック)。これを見ると、確かに隧道があるようだ。おそらく50メートル、ひょっとしたら100メートル近くはありそうに見える。幅員は前後の道からして軽四サイズだろうか。ほぼ間違いなく素掘隧道だろう。
ところが、これ以降の写真は撮影高度が高くなってハッキリしなくなる。ただ、92年以降も付近の状況があまり変わったようには見えないのだ。
隧道があるように見える一番最後の写真が1996年2月3日撮影のCKT952X-C9-13(←クリック) 北側のみどりが丘団地は造成がだいぶ進んでいるが、隧道のある尾根の南側は全く手つかず。
そして、2001年10月3日撮影のCKT20011X-C7-10(←クリック) みどりが丘団地の造成が完了し、現道も開通している。この時点では明らかに隧道は姿を消している。
ということで、実際に隧道が撤去されたのは90年代末頃ではないかと思う。
切通しを過ぎて南側より。
さて、南の宮谷交差点の近くまでやってきた。ここから左(西)に分岐している細い道が旧道だ。この先にかつて宮谷県(=みやざくけん。1869~71年に存在した県)の県庁が設置されていた本国寺がある。つまりこのショボイ道がかつては県庁所在地のメインストリート・官庁街だったという訳(笑)
本国寺の正面。ここでメインストリートはさらに幅員を狭める。
さらに100メートルほど進むと・・・
行き止まり(^-^;
新道ができて、道としての機能は完全に終了したので当然ではあるのだが。
実は以前、まきき氏とこの先に潜り込んだことがあるのだが、一応もう一度行ってみようか。
いきなりクモの巣が顔にヒット(^-^;
「ク~モの攻撃攻撃避け~ると~、動かないサソリが襲ってくる、サ~ソリの~次は毒グモだ~、浩は素手で払い落とす♪」
なんて歌があったけど、幸いなことにおいらは浩じゃないので、サソリにも毒グモにも襲われることがなかった。
道の脇の盛り上がりは現役だったころの名残だろうか?
そしてまもなく、フェンスの封鎖に到着。乗り越えられなくもないのだが、そこまでして前進しても得るものは少なそう。以前来た時も、まきき氏と「冬になったら再訪ですな!」などと話していたのだが、結局そのまま(^-^; 期せずして入りたくない時期に再訪する事になってしまった。もちろん早々に撤退。これで充分に満足だ(^-^;
この後、ダートや廃道に突っ込み、ディレイラーに草を絡ませるなど、初日から普通ではない使い方をされたおいらの新車だが、とりあえず無事に帰還。車の積み込みもなんとかなったし、次はもう少し遠出してみよう。
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宮谷理香 シューベルト: ピアノソナタ 変ホ長調 / シューマン: クライスレリアーナ
【所在地】大網白里市
【竣工】不明
【撤去時期】1990年代末頃?
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
2014年7月20日訪問
大網白里のみどりが丘団地近くにある溜め池(こがのぜき)。このほとりに車を停めて出発。
ところで、見ての通り新しいチャリを買ってしまった。この日はその試運転。
しかし、届いてから気付いたのだが、おいらのように、少し走っては止まって写真を撮り、ウロウロして、また出発、というスタイルではロードバイクは全く不向き。先日盗まれたミニベロこそ用途にピッタリなのだが、、、(^-^; まぁ、盗まれたものとは違うタイプ&軽量&ドロップハンドル&安価という条件で探したら、これになったのだ。ついでに、知人の腐女子に「弱虫ペダル」という漫画(アニメ)を教えられて、見ていたら洗脳されてついロードバイクが欲しくなってしまったという面もある(^-^;
ちなみに、試運転までこのチャリにはかなり苦労させられた。
とりあえず自転車の形にするまでは30分ぐらいでできたのだが、その後、問題が続出。いままで通販で買ったチャリは部品を取り付けるだけで普通に乗れたのだが、こいつはそうはいかなかった。あちこち調整が必要でチャリど素人のおいらはかなり苦労させられた。それと、これは明らかに欠陥だと思うのだが、リムテープの装着がめちゃくちゃで空気を入れたらいきなりパンクΣ(゚д゚l|) 最初は訳がわからず、都合4回のパンク修理を。23Cのタイヤを脱着するのは無茶苦茶大変だった(;´Д`) 本気でもう1台別のチャリを買おうかと思ったっけ、、、(^-^;
とまぁ、そんなそんな具合で、届いてからこの日まで10日程かかってしまった(^-^; まだまだ調整が必要な気がするが、おかげで随分チャリに詳しく(当社比w)なった気がするのは収穫ではあった。ちょっとばかり不安が残るけど、とりあえず出発!
そして、新しいチャリと一緒にやってきた最初の取材スポット。現在地はみどりが丘入口交差点(←クリック)
写真は6時の方向のもの。前方に見える切通し部分にかつて隧道があったのだ。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
左は1972~1982年の地形図、右は現在の国土地理院の地図だ。なお、戦前の地形図にもこの道形は描かれているのだが、肝心の隧道の箇所に「宮谷」と記されていて隧道の有無は確認できなかった。
さて、交差点を渡って切通しに向かう。右の法面に注目。
現道から5~6メートル程上に平場らしきものが見える。旧道の跡だろうか?
ひょっとしたら現道が開削される前に、一旦、旧道上の隧道が開削された時期があったのかもしれない。というのは、近くにある日立航空機・大網工場(地下工場)跡の入口に立つ案内板(2000年8月設置)の地図には隧道のあった箇所に堀割が記されているからだ。地形図や航空写真から推察するに、あの平場の辺りに隧道があったと思われる。
これが地下工場跡の前にある地図。ただ、ここで次の疑問が。隧道の開削時期だ。
地形図右上の記載によればこれは1992年とのこと。それに従えば、20年前にはすでに隧道は姿を消していたという事になる。ところが、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを見ると、もう少し後まで隧道があったかのように見える。
まず、1983年撮影のCKT832-C11-10(←クリック)。これを見ると、確かに隧道があるようだ。おそらく50メートル、ひょっとしたら100メートル近くはありそうに見える。幅員は前後の道からして軽四サイズだろうか。ほぼ間違いなく素掘隧道だろう。
ところが、これ以降の写真は撮影高度が高くなってハッキリしなくなる。ただ、92年以降も付近の状況があまり変わったようには見えないのだ。
隧道があるように見える一番最後の写真が1996年2月3日撮影のCKT952X-C9-13(←クリック) 北側のみどりが丘団地は造成がだいぶ進んでいるが、隧道のある尾根の南側は全く手つかず。
そして、2001年10月3日撮影のCKT20011X-C7-10(←クリック) みどりが丘団地の造成が完了し、現道も開通している。この時点では明らかに隧道は姿を消している。
ということで、実際に隧道が撤去されたのは90年代末頃ではないかと思う。
切通しを過ぎて南側より。
さて、南の宮谷交差点の近くまでやってきた。ここから左(西)に分岐している細い道が旧道だ。この先にかつて宮谷県(=みやざくけん。1869~71年に存在した県)の県庁が設置されていた本国寺がある。つまりこのショボイ道がかつては県庁所在地のメインストリート・官庁街だったという訳(笑)
本国寺の正面。ここでメインストリートはさらに幅員を狭める。
さらに100メートルほど進むと・・・
行き止まり(^-^;
新道ができて、道としての機能は完全に終了したので当然ではあるのだが。
実は以前、まきき氏とこの先に潜り込んだことがあるのだが、一応もう一度行ってみようか。
いきなりクモの巣が顔にヒット(^-^;
「ク~モの攻撃攻撃避け~ると~、動かないサソリが襲ってくる、サ~ソリの~次は毒グモだ~、浩は素手で払い落とす♪」
なんて歌があったけど、幸いなことにおいらは浩じゃないので、サソリにも毒グモにも襲われることがなかった。
道の脇の盛り上がりは現役だったころの名残だろうか?
そしてまもなく、フェンスの封鎖に到着。乗り越えられなくもないのだが、そこまでして前進しても得るものは少なそう。以前来た時も、まきき氏と「冬になったら再訪ですな!」などと話していたのだが、結局そのまま(^-^; 期せずして入りたくない時期に再訪する事になってしまった。もちろん早々に撤退。これで充分に満足だ(^-^;
この後、ダートや廃道に突っ込み、ディレイラーに草を絡ませるなど、初日から普通ではない使い方をされたおいらの新車だが、とりあえず無事に帰還。車の積み込みもなんとかなったし、次はもう少し遠出してみよう。
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宮谷理香 シューベルト: ピアノソナタ 変ホ長調 / シューマン: クライスレリアーナ