【名称】照坂隧道(てるさかずいどう)
【所在地】南巨摩郡身延町芝草/瀬戸
【竣工】1934(S9)年、1953(S28)年改修?(「隧道データベース」「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】220m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】4.5m(同上)
【高さ】3.1m(同上)
【名称】照坂トンネル(てるさかとんねる)
【所在地】南巨摩郡身延町芝草/瀬戸
【竣工】2008(H20)年7月
【延長】230m
【幅員】5.5(6.5)m
【高さ】4.5m
2014年10月27日訪問
身延町芝草(しばくさ)、山梨県道404号古関割子線(ふるせきわりこせん)にて。現在地はココ(←クリック) 正面に見えるのは2008年に竣工した照坂トンネル。そして左に不自然なスロープが…
そう、これは旧隧道(照坂隧道)の坑口を埋めた跡。
スロープの上の方にわずかにポータルの隅が見えている。とりあえず近づいてみよう。
照坂隧道の西側坑口で現在確認できるのはこれだけ(^-^; この照坂隧道が建設されたのは1934(昭和9)年。建設当時の延長は192メートル(「隧道データベース」より)だったが、後に西側が延長されて最終的には220メートルになったらしい。ここはその延長された部分の先端なのだろう。旧隧道の現役時代の写真はネットでもいくつか見ることができるが、この西側坑口は隧道趣味的にはあまり興味をひくようなものではなかったようだ(^-^;
なお、「平成16年度道路施設現況調査」では建設年次が昭和28(1953)年となっているが、それは改修された年なのだろう。ただ、30メートルの延長がその時になされたものなのかは不明。
ポータルから見下ろす。
※ ※ ※
さて、では続いて現トンネルへ。西側坑口。
扁額は撮り忘れた(^-^; そしてポータル左にある歴板。
「照坂トンネル/2008年7月/山梨県/延長230m 幅5.5m(6.5m)/高4.5m/施工 三枝組・松井組工友・旭工業JV」
「幅5.5m(6.5m)」ってなんだ?と思ったのだが、この疑問は後で解けることとなる。それから、右上の道路案内だが、これを見るとまるでトンネルの先は左カーブした道しかないように思えてしまうが、実際は直進の道もある。ってか、それどころか直進の道の方が県道404号で、その先で国道300号に至るのだ(^-^;
西側坑口から内部を望む。
内部から見た西側坑口。
トンネルは内部で緩やかにカーブしている。
何か天井にぶら下がっているぞ?
「交差点あり」
東側坑口に近づいてきた。ここで先ほど歴板に記されていた「幅5.5m(6.5m)」が解けた。東側坑口は左折のために若干広くなっていたのだ。
東側坑口から振り返り。
トンネル内に左折レーンがあるなどして断面が広くなっているトンネルがあるが、このトンネルは必要なところだけ幅員を広げるという節約工法のようだ(^-^;
東側坑口。
東側の扁額。「照坂トンネル」
歴板。内容は西側と同じ。
※ ※ ※
さて、(旧)照坂隧道だが、東側坑口は封鎖されてはいるものの残っていた。しかし、新トンネルが幅を利かせていて申し訳なさそうにしているように見えてしまう。「コラッ、おっさん、邪魔なんじゃ、グリグリグリ…」って感じ(^-^;
(旧)照坂隧道・東側坑口。封鎖された奥には新トンネルを掘削したときに出た残土が詰められているのかな?もうこの坑口を通ることは永久にできない。
扁額。「照坂隧道」
そして左には「昭和九年六月 山梨縣知事関屋??」の揮毫。写真ではよく見えなかったが、この揮毫の主は関屋延之助氏(1888-1975)。戦前の内務官僚で、山梨、熊本、新潟、兵庫の官選知事を歴任し、戦後は弁護士となった人物。
もうひとつ記念品が残されていた。
「照坂隧道工事記念碑」
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