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三間線2号隧道跡

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【名称】三間線2号隧道
【所在地】君津市奥米
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明

【撤去】不明(1984年以前?)

 

 

2016年8月21日訪問


 

君津市奥米(おくごめ)、今いるのはココ(←クリック)。ここから道は唐突に林道三間(さんま)線になる。

 

 

三間隧道(林道三間線1号隧道)を過ぎて最初の分岐。今いるのはココ(←クリック) やる気のない通行止めのバリケード(^-^;

 

 

右の道は林道渕ヶ沢奥米線。

 

 

さらに30メートルほど進むと築堤と切り通しが現れる。この切り通しがかつて隧道だった。

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

 

ということで、新旧地形図の比較を。左は昭和57年発行の地形図、右が現在のそれだ。赤丸の中の隧道記号がこの開削された隧道。

 

隧道名は北に現存する1号隧道、南東にある4号隧道の銘板から2号隧道であることは明らか。

 

 

さて、次は航空写真で確認を。これは国土地理院が1975年1月23日に撮影したもの(CKT7414-C15A-29)を拡大・修正したもの。現在のモジャモジャした周囲の状況から、航空写真を見ても判らないだろうと思ったのだが、意外なことに坑口がはっきりと写っている。影のようなものも写っているので間違いないよね?

 

 

さて、現代に戻って、隧道跡の切り通しを望む。西側より。

 

 

 

隧道跡手前(西側)の築堤上から北側を望む。

 

 

そして南側。

 

この南北の姿、河床のように見える。しかし、築堤の下に暗渠のある様子はない(たぶん)。現在の三間川はここから50メートルほど先の地点で水路隧道になっている。ここはひょっとしたら旧流路なのかも?でも、河床跡がなににも転用されていないようだけど、川廻しの意味があるのだろうか?(^-^;

 

 

向かって左(北側)の法面。

 

 

そして右側(南側)の法面。知らなければ隧道があったようには見えない(^-^;

 

 

東側より。

 

 

切り通しの東側。写真には写っていないが、ガードレールの右奥に河床に降りられる階段がある。その先に水路隧道があるらしいのだが、とりあえず、この日はスルー。

 

 

もう一度、少し離れて東側より。

 

 

最後に隧道の撤去時期だが、例のごとく航空写真から判断するしかない。これは1984年8月7日に国土地理院が撮影した航空写真(KT842X-C7-14)を拡大・修正したもの。これを見ると、どうやら隧道は開削されているようだ。ということで、昭和末には隧道は開削されてしまっていたものと思われる。

 

 

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