【名称】不明
【所在地】南房総市千倉町大貫/館山市古茂口
【竣工】不明
【延長】約30m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約4m(目測)
2016年10月29日訪問
南房総市千倉町大貫、今いるのはココ(←クリック)。先日紹介した(仮称)旧大貫隧道・東側坑口のすぐ横である。この2メートルちょっとの段差をよじ登った先に本日のお題がある。
※ただし、この写真を撮ったのは戻る時だったので、写真は降下シーンである(^-^;
登ったところから振り返ったのがこれ。これはホントに行きに撮ったものなので、まきき氏がまだ下にいる。こらっ、おっさん!ちんたらせんと、はよ登ってこいや!!
のぼった先は道になっていた。てっきり民家の裏に出てしまったらどうしようと思ったのだが、それは杞憂だった。
とはいえ、この道を通る人などいるはずないので、なんとなくコソコソと…(^-^;
先に行ったmaya氏とのだの人氏の姿はもう見えない。
どうやら、ここは(仮称)旧大貫隧道ができる以前の道、つまり現道の切り通しの道に対しては旧々々道にあたるもののように思われる。
切り通しを過ぎると、いかにもアレが現れそうな地形に…
キター、まさかの隧道登場!!!∑(゚Д゚)
すばらしい素掘隧道だ。
東側坑口。
「ワシについてこいやー」とmaya氏。
東側坑口から内部を望む。
地層の浮かぶ内壁も見事。そうそう、この下にある大貫隧道の地層も見事だっけ。
内部から見た東側坑口。
入洞するとすぐに右手の少し高い位置に横穴が。
よくあるパターンの防空壕代わりの横穴ではないかと思うのだが、なぜか洞床よりもずいぶんと高い位置に。足場がないので、中に入ることはできなかった。
さらにふたつの横穴が。
内部で繋がっていた。
延長は30メートル程だろうか。大貫隧道、(仮称)旧大貫隧道に比べると随分と短い。
途中に断層があった。隧道ができたあとにできたもののように見える。関東大震災の時にでもできたのだろうか?
西側坑口へ。
隧道の西側の道もすっかり緑に還っていた。
そりゃそうだろう、だってこの道の先は、、、
大貫隧道の西側堀割の真上に続いているのだから(^-^; 大正15年に大貫隧道が竣功してから、この隧道は完全に道としての機能を失ったのだろう。
西側坑口。
最終到達地点を大貫隧道の西側より見上げる。
※ ※ ※
それにしても、この隧道の存在は意外だった。まず、明治中期に作成された迅速測図にはこの隧道は記載されていない。少なくとも明治末には(仮称)旧大貫隧道が存在していたであろうことをを考えると、この隧道はあまりにも短命だったということになる。ひょっとして、ここって、旧々々道ではなくて、、、あれだったりして?う~ん。