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国土地理院、ここでもやらかしか?~二等三角点「杉戸」

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【点名】杉戸(すぎと)
【基準点コード】TR25240625201
【等級種別】二等三角点
【冠字選点番号】仁京6
【所在地】勝浦市大字中原字大平沢139番地の1
【選点】1899(M32)年4月16日
【設置】1989(H1)年1月25日(更新)
【緯度】北緯35度12分50.3626秒
【経度】東経140度16分55.6035秒
【標高】205.88m

【訪問日】2019年4月28日

 

 

勝浦市市野川、林道花立山線の起点にて。現在地はココ(←クリック)。この林道、以前は普通に開放されていたようだが、現在は通年ゲートで封鎖されている。

 

 

 

入口にある扁額。

 

 

訪問したのは今年(2019年=平成31年)の4月。一年以上前に終了したはずの工事の看板が残っていた(^-^; ちなみに、自分にとって平成最後の探索となったのがここだった。

 

 

ゲートの先はコンクリ舗装になっている。

 

 

入口から200メートルほどで最初の分岐が現れる。ここは右を行く。左のコンクリ舗装もこの先数メートルで途切れている。

 

 

右の道。

 

 

数十メートル歩いたところで、前方に四足動物が現れた。キョンだろうか?

 

 

謎の焼酎のペットボトル。中の液体には黒いものが沈んでいた(^-^; いったい何の仕掛けなのだろう?

 

 

ちょうど花立山トンネルの西側坑口の上辺り。もう少し木が刈り込まれたら見晴らしがよさそう。ここから脚を踏み外すと一気に数十メートルぐらい滑落しそうだ(^-^;

 

 

イノシシの罠。

 

 

地図にない分岐が登場。上の道はいかにも作業道という雰囲気なので迷わず直進。

 

 

入口にあったものと同様の扁額が現れた。入口が昭和58年度で、ここが平成5年度。ここまで延伸するのにおよそ10年かかったということだろうか?

 

 

白ペンキでマーキングされた木が現れた。

 

 

現在地はこの辺り(←クリック)。ここを登ればおそらく三角点のある山頂まで最短距離で行けそうだ。ここを登ることもちらっと考えたが、見るからに大変そうなのでやはりやめてもう少し先に進むことに。

 

 

右手に見える稜線が高度を下げて路盤と同じ高さになる。

 

 

現在地はココ(←クリック)。三角点のほぼ真南120メートルほどの場所。このまま正面の尾根を真っ直ぐ登っていく計画だ。

 

 

なお、前の写真の左前方に3つ目の扁額と新し目のイノシシの罠があった。扁額は平成6年度の記載。先程のものから1年しか経っていない。北斗建設さん、1年で頑張ったようだ。

 

 

では、尾根に突入。

 

 

はやり傾斜が穏やかで登りやすい。

 

 

数分でピークが見えてきた。

 

 

山頂は広場になっていた。標石を探してキョロキョロすると、、、

 

 

あった!

 

 

二等三角点「杉戸」

 

 

一応、軽く周囲の枯れ葉や枝をどかして掃除してみた。

 

 

以前、いすみ市の三等三角点「鍛冶」を取り上げた時、所在地情報がおかしなことになっていることに気がついた。実はここの点の記にも同様の事があった。

 

※参考

三等三角点「鍛冶」
https://ameblo.jp/papagenopapagena/entry-12482660877.html
備忘録
https://ameblo.jp/papagenopapagena/entry-12482924644.html
ゼロ回答だった
https://ameblo.jp/papagenopapagena/entry-12484136220.html

 

 

ここの所在地だが、マピオンによれば勝浦市杉戸であるように見える。しかし、点の記には「勝浦市大字中原字大平沢139番地の1」となっている。なにぶんにも山の中のことだし、マピオンの精度がどれほどのものなのかもわからない。だが、なにより国土地理院という国の機関がそうだと言っているので、通常ならそちらの方が信頼できると思うのが普通である。

 

しかし、あろうことか勝浦市に中原という場所は存在しない。ただし、中倉(ナカグラ)という地名は存在しする。先程のイノシシの罠や2つ目の扁額があった付近はおそらくその中倉になると思われる。そして中倉には「太平沢(タイヘイザワ)」という小字もある(『角川日本地名大辞典12千葉県』より)。ただし、大(たい)の字が大きいではなく太い、つまり太平洋の太平となっている。ということで、少々情けないとはいえ、単純な転記ミス、つまりここの正しい所在地は「勝浦市大字中倉字太平沢139番地の1」だったのではないかと思った。

 

 

だが、調べてみると、さらなる疑問点が出てきた。念のために明治32年に三角点が設置された時の点の記を確認したところ、その所在地は「千葉縣上総国総野村(ふさのむら)大字杉戸字本郷地目草生地千五百九十二番地」となっていた。マピオンの主張を裏付けるかのように杉戸の地名が出てきました。なお、本郷という小字も勝浦市杉戸に実在するようだ(前掲書より)。都市部ならいざしらず、昔からほとんど手が入っていないであろう、このような田舎の山の中で小字や地番の移動があったというのは不自然である。

 

 

この現象、先程の「鍛冶」や大多喜町の三等三角点「大塚」と合い通じるものを感じる。国土地理院、ここでもやらかしていないか?(^-^; ただ、問い合わせてみても、結局はまた前回と同様のゼロ回答しか戻ってこないだろう。実は、この近くのもうひとつの三角点にも所在地情報がマピオンの言い分と若干異なる点があることに気づいた。おそらくまだまだ出てくるだろう。もう少し調べてみて、再度状況を整理したいと思う。

 

 

さて、帰りは木についた白ペンキに従って戻ってみようと思った。おそらく先程の林道沿いの白ペンキの木のところに出るはず。

 

 

遠目にもわかりやすくマーキングされていて安心して進めた。最悪の場合でも戻ることは簡単だ。

 

 

急坂を下る。やはりここをよじ登るのは一苦労だっただろう。

 

 

思っていた通りの場所にでた。このまま上機嫌で帰り、平成最後の探索を終了したのだった。

 

     ※     ※     ※

 

動画レポート

 

 

 

 

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