【名称】久保沢人道橋(くぼさわじんどうきょう)
【所在地】相模原市緑区久保沢
【竣工】不明
2013年3月17日訪問
相模原市緑区久保沢。現在地は久保澤橋の数十メートル北。神奈川県道510号上を北に向いている。
久保澤橋の隣、というか斜め上にあった水路橋はなくなっていたが、こちらの水路橋は現存していた。ただし現役か否かは不明。
水路橋の下には小さな人道橋が。これが一応本日のタイトル物件。東側より。
東側左の銘板。「久保沢人道橋」
東側右の銘板。「谷津川」
って、おい!この150mほど下流、暗渠を通った先の久保澤橋の銘板には久保澤川ってかいてあったぞ!どういうことだ?ちなみに、「ウオッちず」では谷津川と表記されていた。
橋の上から南の下流方面を。写真ではモワモワになっていて全く見えないが、この先で川は暗渠になっている。
そして、これは北側の上流方面。
西側より。そして右の手すりの上には、、、
小さなお社があった。
お社の前から橋を見下ろす。
神様に軽く挨拶し、さて階段を降りようとしたら、、、
危ない危ない、手すりの尖った部分に危うく手のひらを突き刺すところだった(^-^; いや、これ、マジで危険だと思う(滝汗)
西側右の銘板。「くぼさわじんどうきょう」
西側左の銘板。「やつがわ」
西側の袂から水道橋を見上げる。
この写真を見返していて気づいた。あの東側、水路隧道のポータルがあったんじゃね?
久保澤橋のところの水路隧道(久保澤隧道)はとてもじゃないけど近づけなかったけど、あそこならなんとかなりそうだった。う~ん、後悔先に立たず。しかし、この時は別の思惑もあったのだ。
人道橋西側の袂から北を見ると歩道と法面の上部が交差している。あそこからひょいひょいと戻れば水路橋の上まで行けるんじゃないかと思ったのだ。
おっと、その前に振り返り。北側から見た久保沢人道橋。
さて、合流地点まできてみたが、この状況。ということで、あっさり水路隧道の探索は諦めた(^-^; この時点で、先程の東側からのアプローチはまったく頭になかった(^-^;
水路橋ファンの険酷隧さんに対抗して、、なんて思っていたのだが、まったく執念が足りなかったようだ。まだ、この日の探索は始まったばかりで、あまりハードな事をしたくなかったし(^-^;
気を取り直して、歩道をそのまま北に進む。すぐに歩道は終点に。そして県道に合流。
歩道の終点を北側より。
県道から。
そのまま県道を通って南に折り返す。対岸が先程通った歩道。法面がいかにも古道という風情。
そして水路橋と人道橋まで戻ってきた。要はグルリと一周してきたという訳。
さて、ここでもうひとつ気づいたことが。
中央少し下に暗渠が見えるが、その右に平場がある。「なんでも隧道跡や古道跡に見える病」に罹患しているおいらは、「古道かっ!?」と思った(^-^;
まぁ、普通に考えれば、護岸整備をした時の名残せんなのだが、満更根拠がないわけではない。
前回、久保澤橋の記事を書いた際に、「今昔マップを見るように」とアドバイスをいただいた。そう、相模原は今昔マップがフォローしているのだった。すばらしい!
で、その結果を現在の地図に書き込んでみるとこうなった。ひょっとしたら、いや、たぶん誤差があるとおもうのだが。
赤が直近に存在した旧道。これはほぼ間違いないはず。問題はその前の青のルート。地図からは現在、暗渠の北側坑口付近で川を渡っていたかのように見えるのだが。おいらの眼&地図の精度からして微妙。だが、それ以前にお社の前を通るルートがあったのではないか?
いや、根拠は、だいたい古道にそってそういう物が置かれるから、ってだけ(^-^; しかし、そうだとすれば、今でも残る県道対岸にある歩道の出自が自然に説明できる。
で、今昔マップで見ることのできる最古のマップ(1896~1909年)を見ると、、、
絶妙な位置で切れていた。いや、切れていないのかも。とにかく境界付近でよくわからないよ、、、(;´Д`)
あれは古道の跡なのかなぁ、それとも妄想なのかなぁ、、、
いつもながら締まらない結末で面目ない (;´д`)ゞ
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