【名称】おんぎよう橋
【所在地】夷隅郡大多喜町紙敷
【竣工】1962(S37)年7月
2013年6月23日訪問
上総中野駅を出発して、沢向トンネル、柏ノ木隧道の2本を抜けてきた。ここは町道なのだろうか?それとも林道なのだろうか?
林を抜けると集落に出くわした。
振り返り。
下り坂を調子よく走っていると前方に橋が出現。
チャリの後輪を滑らせながら緊急停止。南側より。
南側右の親柱。橋の名前が記されていたハズだが、残念ながら読み取れず。
南側左の親柱。「紙敷川」 これも最初の文字が削れているが、紙敷川で間違いなし。
ただ、紙敷川の本流はもっと東のような気もするのだけど、、、ま、まぁ、気にするのは止めておこう(^-^;
まぁ、普通の橋だが、それなりに年を重ねていると自ずと風格が出てくるもの。
東側からも。
橋の上から西側を望む。
橋の上から東側を望む。
北側より。
北側右の親柱。「おんぎようはし」
どういう漢字が当てられているのだろう?(^-^;
たぶん「よ」は小文字(捨て仮名)だろうと推測して、とりあえず検索したところ、3つの言葉が見つかった。
(1)遠行(えんこう、えんぎょう、おんぎょう)…①遠くへ行くこと。遠出。遠征。②死ぬこと。遠逝(えんせい)。長逝(ちょうせい)。
(2)隠形…呪術を用い、自分の姿を隠して見えなくすること
(3)御行…物貰いの一つ。行者のような姿をして、摺り絵をまき散らしながら小銭をもらい歩いた。
意味的に一番しっくりくるのが(1)かしら?ただ遠行の読みの中で「おんぎょう」は一番マイナーなものらしい。(2)はカッコイイけど、意味的にちょっと変だよなぁ。そして(3)だが、「昔々、この近くに…」なんて由来があったりしてもおかあしくないような気がするが、あまりカッコイイ名前じゃないなぁ。だって、要は乞食坊主って意味でしょ?(^-^;
そして、なにより問題なのは、南側右の親柱にわずかに残る文字の断片がどれとも合致しないように見えるということ。ちなみにウォッちずで見ても周囲の字にこれと似たものは見られなかった。地名由来でもないらしい。。。もう考えるのヤメタ (;´Д`)
ということで、これ以上気にすることは止めておこう。それにしても、こんなことを気にしていて、記事に起こすのに随分時間をかけてしまった(^-^;
北側左の親柱。「昭和37年7月竣功」
さて、一息ついてさらに北に向かう。この先、いかにも左の道が本線の様に見える。以前、車で通った時もまんまと騙されて(?)左に進んでUターンしたっけ。しかし、もう騙されないぞ。直進あるのみ!
20メートルほど進むと右側の法面にポッカリと水路隧道が口を開けていた ( ゚д゚)ハッ!
北側から道の脇の側溝を流れてきた水は、ここで水路隧道に飲み込まれる仕組みになっているようだ。この先、十中八九間違いなく紙敷川につながっているのだろう。でも、なぜにわざわざこんな水路隧道が?(^-^; 地形の大幅な改変?房総名物の二五穴だが、目立つところにあるものは、いったいどういう必然性があって掘削されたものなのか想像がつかないものばかり。先人がそれだけ、長期かつ継続的に耕作地に改良を加えてきたという証でもあるのかな?
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