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怒田の水路隧道

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【名称】不明
【所在地】君津市怒田
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約1m(目測)
【高さ】約3m(目測)

 

【名称】不明
【所在地】君津市怒田
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約0.8m(目測)
【高さ】約3m(目測)

 

2017年5月28日訪問

 

 

君津市怒田(ぬだ)。林道怒田福野線の起点にて。今いるのはココ(←クリック)。これからいつものように御腹川へ向かう。ただこの林道、来る度に崩落箇所が増えているので、この先がどうなっているのか心配だ…

 

 

意外なことに崩落箇所は綺麗に片付けられていた。ここまで道の状態はほぼ無問題。もう少しで最初の目的地というところまで来た。今いるのはココ(←クリック)。

 

なんでこんなところで車を降りてウロウロしているのかというと…

 

 

視界の右の方に飛び込んできてしまったのだ、穴っぽい雰囲気の景色が。いや、そんなことないよね?そもそも川ないし。おかしいな、ボク、Mきき氏Nだの人みたいな穴キ●●イじゃないのに、変な幻覚見えてきてるのかなぁ。でも、見えちゃったからには一応確認しておかないと… ( ;´Д`)

 

 

ってか、ちょっ ∑(゚Д゚)

 

 

気のせいじゃなかったよっ(゚д゚)ハッ!!

 

 

左の水路隧道。ってか、これを掘る、というか隧道にする必要あったの?いや、房総ではその突っ込みをしているとキリがない(^-^;

 

 

右の隧道。こいつは暗いぞ(^-^;

 

 

一応パノラマ合成した全景も。

 

 

さて、それではまず左の隧道から。西側坑口。水は流れていないがこちらが呑口になるはず。

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

それにしても、どうしてこんなところに水路隧道があるんだろう?と不思議に思ったのだが、怒田橋のところで御腹川に合流する水路があったことを思い出した。まさかあの水路の上流にこんなものがあるとは思いもしなかった。

 

 

少し掘り下げたか、水に削られて洞床がさがったのだろうか?
 

 

内部から見た呑口。

 

 

このパイプは何のために?(^-^;

 

 

吐口側にも

 

 

壁面の出っ張り、素掘の道路隧道でも時々見かけるやつだ。

 

 

木は人為的に架けられたもののように見える。でも、なぜ???

 

 

そして、何気なく上をみあげたら、こりゃまたたまげた。なんか左右に穴があいてるぞ ∑(゚Д゚)

 

 

左の穴。この後、外に繋がっていないか調べてみたが、埋まってしまったのか穴は開いていなかった。

 

 

右の穴。縦の筋は水が流れていた痕跡か?

 

 

この先、150メートル程で御腹川に合流する。この先にももう1箇所、暗渠があるのだが、とてもじゃないが人が入れないサイズ。上流の方の構造物の方が規模が大きいってどういうことよ(^-^;

 

 

東側坑口(吐口)。

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

川の上から見た東側坑口。

 

     ※     ※     ※

 

 

さて、次は右の隧道。

 

 

東側坑口(吐口)

 

 

東側坑口から内部を望む。内部が真っ暗なのは、カーブしているからのようだ。

 

 

おそるおそる進むと、少し広くなっていた。水に削られて広がったのかな?

 

 

振り返って、内部から見た東側坑口。

 

 

なんでU字溝が落ちているんだろ?さっきもあったなぁ(^-^;

 

 

カーブの先に呑口が見えた。でも、う~~ん、行けないこともないけど、無理しなくていいか。

 

 

ということで、西側坑口(呑口)は回り込んで上から。こちら側には下に降りる適当な場所がなかった。でもまぁ、とりあえずこれぐらいで満足。

 

 

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怒りの席田―板付飛行場物語 (1974年)

 

 

 


久留里城の「林道」

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【名称】不明
【所在地】君津市久留里市場/久留里
【竣工】不明
【延長】約800m
【幅員】約0.6m
 

2017年7月2日訪問

 

 

君津市久留里市場(くるりいちば)、久留里城の駐車場にて。今いるのはココ(←クリック)。正面の階段道、久留里城の天守閣方面に行くことができるようだ。せっかくなのでこの道を行ってみようと思うのだが、それよりも、、、

 

 

「林道」だそうだ。う~ん、なんだか林道のイメージと違うのだが、、、???

 

 

林間歩道の略だったのか(゚д゚)ハッ!! 言い分はよく解った、でも微妙に納得いかないぞ(^-^;

 

 

「林道問題」を解決するのにしばしの時間を費やしてしまったが、いつまで考えていてもあまり意味がない。ということで、階段を上りきったところ。

 

 

しばらく歩くと再び階段。まぁ、そういうものだな。

 

 

今度は立派な階段が出てきたぞ。ちなみに、これはこの「林道」で最大の構造物。

 

 

シカとイノシシだけではなく、ヤマビルの警告もつけた方がいいかも(^-^;

 

 

こういうプチ切り通しがあると気分が盛り上がる。

 

 

たまに整備された山道を歩くと、快適だ。

 

 

ちなみに、スニーカーにかけたヤマビルファイターのおかげか、この日、久留里城界隈ではヤマビルに襲撃されることはなかった。

 

 

なんだか、おなじような写真ばかりで、、、(^-^;

 

 

途中、このような道標が何ヶ所かあった。

 

 

山の中腹は植林地の景色。

 

 

明るいところに出た。

 

 

「とっていいのは写真だけ 残していいのは足跡だけ」 ごもっとも。ちなみに、この周囲は城山国有林と言うらしい。

 

 

そろそろ天守閣、というところで古い遺構に出くわした。

 

 

これ、堀切じゃね?

 

 

反対方向。

 

 

階段の上から。

 

 

その先にももうひとつ堀切があった。

 

 

そこから少し歩くと建物が見えてきた。

 

 

なんだろう、と思ったら、トイレだった(^-^; ここで「林道」は終了。

 

 

振り返り。

 

 

観光地らしくなってきたぞ。

 

 

「林道」終点の平場は天神曲輪と呼ばれる場所とのこと。

 

 

「曲輪とは」 なるほど、、、

 

 

そのまま天守方面へ。左に見えるのは、男井戸(おいど)・女井戸(めいど)。里見氏が支配していた頃からのものらしい。

 

 

こういう階段って、歩幅が合わなくて苦手だ(^-^;

 

 

天守に到着。昭和に作られたいわゆる模擬天守。元々あった天守閣の資料がなくて想像で設計されたようだ。現在は展望台として活躍中(^-^;

 

 

天守の隣にある土塁状のものが天守台跡。江戸時代はこちらに天守があった。もともとあまり大きな建物ではなかったようだ。

 

 

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山田第二隧道

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【名称】山田第二隧道(やまだだいにずいどう)
【所在地】いすみ市山田
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約4m(目測)

 

2017年5月7日訪問

前回(2013年1月20日)

 

 

いすみ市山田(やまだ)、林道山田線にて。今いるのはココ(←クリック)、坑口手前で台崩落が起きていた山田第一隧道の南側だ。チェーンソーで切った倒木がある。ここまでは頑張ってやってくる人もちょくちょくいるのだろう。

 

 

大丈夫とは思うのだが、これでこの先前進不可能だったりしたら、せっかく越えた第一隧道の崩落をもう一度戻らなければならない。そいつはとっとイヤだなぁ (^-^;

 

 

以前も書いたが、今でこそこんなに荒れ果てて、途中崩落していても放置されているが、この道の起源はかなり古い。明治39年発行の地形図には既に3本の隧道が記されている。それどころか、隧道こそないものの、明治初めに製作された迅速測図にもこの道は描かれている。つまり、途中に明治末には放棄された旧道区間もあるはずということ。機会があったらそちらも調査したいのだが、旧道の痕跡には全く気付かなかったなぁ( ;´Д`)

 

 

このカーブの先にあるはず、、、

 

 

山田第二隧道の登場。

 

 

北側坑口。よかった、今度は問題なさそうだ(^-^;

 

 

北側の扁額。「山田第二隧道」

 

 

北側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た北側坑口。

 

 

内壁に「検」の書き込みと3つの穴が。

 

 

どうやら抜き取り検査をしたらしい。ってか、鉄筋にぶち当たっているようだけど、それでよかったの?(^-^;

 

 

目測で3~4メートル程度ありそうな高さだが、内壁の中央付近に水平に走る段があるのに気付いた。コンクリ巻立て工事の際にできた継ぎ目だろうか?それとも、まさか掘り下げた跡か?

 

先ほども書いた通り、明治末にはこの隧道はあったはず。だが、当然ながら当時から今と同じ姿であったとは考えがたい。おそらく今でも房総各地に残っている断面の小さい素掘隧道が竣功当初の姿だっただろう。しかし、林道の隧道は『道路トンネル大観』にも『平成16年度道路施設現況調査』にも記載がない。どこで資料を探せばいいのだろう??

 

 

水平な段は反対側にもある。

 

 

さっきとは別のサンプル切り出しの穴(?)。他にも何ヶ所かあった。

 

 

中にはこんな感じで出水していたり(^-^; 逆に水抜き穴になってよかったのかな?(^-^;

 

 

南側へ。

 

 

南側の接道。ここまでくれば、次の隧道もすぐだし、一応別ルートもある(はず?)。ということで、一安心か?

 

 

南側坑口。

 

 

南側の扁額。「やまだだいにずいどう」

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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山神社(君津市坂畑)

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【名称】山神社
【所在地】君津市坂畑
【創建】不明

 

2017年7月9日訪問

 

 

君津市坂畑(さかはた)、今いるのはココ(←クリック)。今まで何度かここを通ったが、今回はふとこの神社が気になった。

 

 

気になった第一のポイントが階段下にある立派な石灯籠。

 

 

台座には中村當と。中村さんが寄進したのかな?

 

 

石灯籠の奥に続く道が、、、

 

 

このまま進んでいけば、山肌にポッカリと口を開いた地下壕があったりして、、、

 

 

なんてことは、なさそうだな。引き返そっと(^-^;

 

 

ただ、見上げると、小さな祠があった。

 

 

では改めて神社を拝見させていただこう。

 

 

神社といえば、直立する杉がつきものだが、ここの杉はまた格別に立派だ。

 

 

鳥居の奥に賽銭箱。

 

 

階段を上り始めたが、

 

 

これがまた意外とキツかった。

 

 

登る階段がキツいと、これまたありがたみが増すんだよなぁ(^-^; もう少しだ( ;´Д`)ハァハァ

 

 

拝殿に到着。

 

 

よく頑張った(^-^;

 

 

なんか奥に見えるぞ(゚д゚)ハッ!! と思ったら、

 

 

本殿に繋がる通路ねのドア(←なんて呼べばいいんだろ?)が開け放たれていた。

 

 

手水舎はこんなもんか(^-^;

 

 

本殿に回り込む。

 

 

拝殿もそうだが、本殿も屋根に草が生えたりしていて少なからず手入れ不足な印象、、、( ;´Д`)

 

 

だが、この細工とか、素人目に見てもなかなかのものなのでは?

 

 

本殿正面の扉の細工も立派。

 

 

ひょっとして、由緒ある神社なのかもしれない。

 

明治初期に作られた迅速測図を見ると、久留里から清澄方面を結ぶ道、つまり現在の国道465号の旧道、というか旧々道がこの神社(なぜか名称は東神社となっている)のすぐ北側を通っていたことがわかる。幹線道路沿いで、広く信仰を集めた神社だったのかも?

 

 

拝殿の瓦もグチャグチャに、、、( ;´Д`)

 

 

本殿裏に置かれていた祠。

 

 

ちゃんと直さないと、近い将来、本物の廃墟になってしまいそうだ。このまま朽ちさせるのは惜しい。

 

 

どこかでこれとよく似た細工を見たなぁ。

 

 

拝殿方面を。

 

 

しゃちほこ?(^-^;

 

 

こちらの瓦は一応健在。

 

 

「水富士嶽浅間大神」と記された石碑。富士講のものなのかな?

 

 

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甚兵衛円筒分水工など

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【名称】甚兵衛円筒分水工
【所在地】成田市船形
【竣工】不明
 

2017年6月11日訪問

 

 

成田市船形(ふなかた)、成田ニュータウンからピューッとチャリで坂道を下ってきたところ。今いるのはココ(←クリック)。谷津の奥に水田が広がる典型的な下総台地の田園風景。

 

 

なかなか絵になる木だ。

 

 

そして根元には小さな祠がひとつ。

 

 

谷津を抜けて、、、

 

 

山の反対側へ。今いるのはココ(←クリック)。東を向いている。この交差点を右に。

 

 

この先も谷津の奥まで水田が広がっている。こちらの道は看板の通り行き止まりのようだが。

 

 

前の写真から100メートル程進んだところ。ありゃ、どうしようかな、、、

 

 

あまり無茶なことはしていないのだが、ワープ(^-^;

 

 

階段の上にある分水口はネットで覆われていた。

 

このブログを見る方なら、円筒分水がどういうものなのか、解っていらっしゃる方が多いと思うのだが、念のために簡単に説明しておくと、、、

 

農業用水をそれぞれの地域に公平に分配するための施設で、円筒状の構造物の中心に水を湧き出させ、外周部から溢れる水を、それぞれの割合で分ける仕組みになっているものだ。呼び方は円筒分水でも円筒分水工でもどちらでもいいようだが、ここではGoogleマップの表記に従った。

 

 

ネットがかけられたのはここ数年のことのようだ。

 

 

太陽光パネル!?∑(゚Д゚)

 

 

これなら停電しても安心だ。でも、少し日当たり悪そうなところだけど(^-^;

 

 

別の角度から。

 

     ※     ※     ※

 

【名称】日本版金城武樹(通称?)
【所在地】成田市北須賀

 

2017年6月11日訪問

 

 

先ほどの交差点に戻ってきた。一応確認しておくと、今いるのはココ(←クリック)で、北を向いている。

 

 

そのまま交差点を突っ切り400メートル程来たところ。水路脇に立派な木が生えている。

 

 

史跡のマークとともに、「日本版金城武樹」とGoogleマップに記されていた。

 

んんん?にほんばんキンジョウブジュ???(゚Д゚)ハァ? 「金」とか「城」とか「武」とか、なんだか強そうなモノの名前みたいだけど、なんだろ???と思ったのだが、「金」「城」「武」は俳優の金城武のことだったらしい。そして、彼が出演したCMに登場した木と似たイメージだからそう呼ばれるようになったという事のようだ(^-^;

 

 

この木、以前通りかかった事があり、いずれ水路の暗渠群と一緒に記事にしようかと思っていたのだが、HDクラッシュしたときに一緒に写真が飛んでしまったのだった(^-^; ということで、当ブログらしく、暗渠とのツーショットも(^-^;

 

 

立派な自然物があると、それ自体をあがめるという日本人ならではの習慣なのか、木の下には石碑が。それと、、、お塔婆!?

 

 

反対側には祠も。

 

 

周りがアスファルトの道路やら電柱やらガードレールやらでなかなかいい構図がない。おそらくこの位置から撮るのがベストに近いと思うのだが、おいらが訪れた時間帯はちょうど見事に逆光になっていた( ;´Д`) プロはここで納得できるまで待つところなのだろうが、おいらはとっとと次へ(^-^;

 

 

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寺谷トンネル

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【名称】寺谷トンネル(てらやつとんねる)
【所在地】南房総市和田町中三原
【竣工】不明、1979(S54)年8月改修
【延長】104.00m
【幅員】5.50m
【高さ】4.50m

 

2017年7月16日訪問

前回(2015年4月19日)

 

 

南房総市和田町中三原(なかみはら)、千葉県道296号和田丸山館山線(わだまるやまたてやません)にて。今いるのはココ(←クリック)。まきき氏と、この先にある隧道たちを見にきてみた。

 

 

石碑があった、、、

 

 

「清紀念燈」 どうやら上半分が欠けているらしい。「清」って、渥美清か?って、ちゃうちゃう(^-^;

 

ググってみたら、こことは違うものだが、「奉献征清紀念之燈」なるものがヒットした。コレダ!たぶん。日清戦争の戦勝記念碑じゃないかな?

 

 

この先に県道の寺谷トンネルがある。

 

 

東側より。

 

 

ロックシェッドと兼用のつもりだろうか、山肌から少し飛び出した坑口が特徴的だ。

 

 

坑口左側にある扁額。「寺谷トンネル」

 

 

坑口右側の歴板。「寺谷トンネル/1979年8月/延長104.00m/幅員5.50m/高さ4.50m/千葉県」

 

この1979年というのは、改修時期のようだ。

 

 

2年前に来たときにもぶら下がっていた、道供養の草鞋がまだ残っていた。

 

 

東側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た東側坑口。

 

 

隧道の延長は104メートル。

 

 

西側へ。

 

 

振り返って、西側坑口から内部を望む。

 

 

西側坑口。

 

 

西側の扁額。「てらやつトンネル」。片方が漢字、もう片方が平仮名表記というのは、千葉の県道のトンネルにしばしば見られるスタイルだ。

 

 

西側の歴板。

 

 

こちら側もワサワサと木に覆われている。

 

 

そして、このトンネルにはある秘密が隠されているのだ( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 

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日清・日露戦争をどう見るか 近代日本と朝鮮半島・中国 (NHK出版新書)

 

 

 

旧寺谷隧道

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【名称】不明
【所在地】南房総市和田町中三原
【竣工】不明(明治初期?)
【延長】約15m(目測)
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約2m(目測)

 

2017年7月16日訪問

 

 

南房総市和田町中三原(なかみはら)、千葉県道296号和田丸山館山線(わだまるやまたてやません)にて。今いるのはココ(←クリック)。昨日紹介した寺谷トンネルの東側である。

 

実は先日、拙ブログに南房総在住の雲助2号さまという方から、重大情報がもたらされたのだ。せっかくの素晴らしい情報なので、勝手ながら引用させていただくことに。


寺谷トンネルですが、旧隧道が存在します。
アプローチ方法は、トンネル東側坑門から150m和田寄りの南側(海側)の落石注意の標識の所から、法面の吹き付けと一体となった路盤があります。
0.5車線の道で坑門上を横断すると、縦横2m、延長15mほどの四角い素彫隧道があります。
東側アプローチが直角なので、軽自動車でも通行出来なかったと思われます。
地元の知り合いに聞くと、現寺谷トンネルは、素彫隧道を拡幅したとのことなので、現役期間は短かったと思われます。

 

な、な、なんだって、旧隧道!?∑(゚Д゚) こいつは、すぐにでも調査しなけりゃ!!

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

 

実は、今さら言うのもなんなのだが、この隧道の旧隧道の可能性は、以前からおいらも考えていた。これは明治末に発行された地形図と現在の地理院地図。両者を見比べると、西側の道の線形が微妙に違う。とはいえ、どちらに描かれた隧道も尾根の真下を水平に通っているので、誤差の可能性の方が高そうなので、機会があったら調査すればいいや、ぐらいに思っていた。

 

ところが、そんなところに思わぬ情報。図らずもおいらの見立てが正しかったのか!? と思ったのだが、それ自体はやはりただの妄想だったようだ(^-^; というのも、雲助2号さんの説明による東側の接道の様子と明治末の地形図の様子が違うからだ。

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)


そこで、今度は迅速測図を見てみたのだが、仰天した。現トンネルとほぼ同じ位置に、短い隧道のマークがあるではないか!そして、東側の接道は大きく南側から回り込んでいる。雲助2号さんの説明の通りの線形ではないか!∑(゚Д゚) つまり、これが旧隧道、そして明治末の地形図にある隧道は改修される前の(現)寺谷トンネルであると考えるべきだろう。

 

迅速測図に載っているということは、この隧道は遅くとも明治十年代半ばには完成していたということになる。ということは、この隧道、500本以上あると言われる房総の隧道の中でも最も古いもののひとつだろう。そして、明治末には今の隧道に切り替わっているので、廃止されて既に100年程度経過しているということか?い、い、一体、今はどういう姿になっているのだろう、、、すごいことになってきたぞ(゚д゚; )ゴクリ

 

 

とまぁ、そんな経緯があってここにやってきたのだ。

 

なお、途中、まきき氏の自宅の近くを通るので、念のために声を掛けてみると、、、

 

「はぁ!? こらっ、おっさん! ワシは毎日仕事で忙しくてもう1ヶ月も穴にご無沙汰なんじゃ! 欲求不満の溜まりまくりなんじゃ! え、どうしても一緒に来て欲しいって? 仕方ないなぁ、そんなに頼まれたら付き合ってやってもいいで! ほら、はよワシの車に乗れや、行くで!!」的なお返事(脳内翻訳済)が。

 

まきき氏もやはり、雲助2号さんのコメントを見てウズウズしていたらしい(^-^;

 

 

さて、情報によれば、「和田寄りの南側(海側)の落石注意の標識の所から、法面の吹き付けと一体となった路盤が」あるとのこと。うん、ここで間違いない。ってか、刈り払いされてるし(゚д゚)ハッ!!

 

 

まるで、我々の訪問を予期して準備されていたかのような好展開。「えー、なになに、もしかして、『アイツ、そろそろ見に来る頃かな?しょーがねー、いっちょ刈り払いでもしといてやっか』って事で準備しておいてくれたんじゃね?いやー、ありがとうございます、ゴチになります!」なんて会話をしながら、まきき氏と歩みを進める。まきき氏と一緒に出かけると、妄想モードに入ることが多いののはどういうことだろう?(^-^;

 

 

登り始めた地点は、ホントに路盤なのか半信半疑な雰囲気だったのだが、この辺りまで来ると完全に道の様子に。

 

 

道はそのまま山林の中に伸びている。

 

 

杭だ!(゚д゚)ハッ!!

 

 

山林に入るとビックリ。見事な道があるではないか。

 

 

植林地によくある作業道よりも広めの道。素晴らしい古道だ(*´д`*)ハァハァ

 

 

稜線が見えてきた。

 

 

崩落したのだろうか、ここが道中で一番道幅が狭くなっていた場所。とはいえ、特に危うさを感じることはなかった。

 

 

そして、最後の登り坂の先に見えてきた!(゚д゚)ハッ!!

 

 

おおっ!!!あったぞ!思わず声を上げてしまった。

 

 

東側坑口。


廃止されてから約一世紀経っているとは思えない程の良好な隧道。実のところ、この隧道の話を聞いて、想像したのは、藪をかき分けた奥にある閉塞しかかった小さな穴ぼこの姿だった。あまりにもアブナイ雰囲気だったら、まきき氏だけを蹴飛ばして放り込めばいいや、と思っていたのだが、予想は良い意味で裏切られた。こいつはスゲー。

 

 

それにしても土被り少なっ。ここまで頑張って山を登ってきたのだから、切り通しでも良さそうなのに、、、 隧道趣味業界でよく言われる「房州人の掘らなくてもいい所でもつい掘っちゃう癖」の萌芽がここにも見られるのか? と冗談めかしてみたが、この隧道の上に、先ほどの迅速測図にも描かれている南北に走る稜線上の道が残っている。その道を残すために、あえてここは隧道にしたのかもしれない。

 

 

東側坑口、向かって右側にある凹み。お地蔵さんか馬頭観音(南房総だから牛頭観音か?)、もしくは石碑などが置かれていたスペースだろうか。

 

 

左側にもやはり何かを安置していたであろうと思われる凹みが。この隧道の前後にある隧道、切り通し、隧道開削跡の切り通しには地蔵や牛頭観音、馬頭観音の碑が置かれていた。ここにも同じような風習があったのではないだろうか。ただ、(現)寺谷トンネルには石碑類が一切残っていないのが気になるが、、、

 

 

東側坑口から内部を望む。ほぼ四角の断面。房総の古い素掘隧道は五角形の観音掘が定番なので、少し意外な感じがした。ここでまた妄想モードに突入、、、

 

百数十年前の会話

 

「おい、マキ作、あそこの峠に穴掘るっぺか?」

 

「おっ、パパ兵衛、隧道ってやつだっぺ。掘るっぺ」

 

「ところで、隧道って掘ったことあるっぺか?」

 

「いや、ねえっぺ。だが、二五穴のでっけーもんじゃねえっぺか?」

 

「そだな、じゃあ二五穴の要領でいくっぺか」

 

という案配で断面が四角になったのではと、、、 えーと、これも、あくまで妄想だ(^-^;

 

 

内部から見た東側坑口。

 

 

この凹みは何のために?

 

 

ここなど、路傍にある牛頭観音がぴったり納まりそうだ。

 

 

穴の中にいる小さな黒いモノは、、、、(^-^;

 

 

西側へ。

 

 

西側の道は若干荒れ気味。

 

 

振り返って、西側坑口から内部を望む。

 

 

西側坑口。

 

 

こちら側も、崩落してきた土砂が積もっているものの、往時の姿をよく残していると思われる。

 

 

この隧道、幹線道路としては相当昔にお役ご免になったが、その後もそれなりに訪れる人がいたようだ。この後、たまたま近くの年配の方に話を伺ったら、その方も幼い頃にここを遊び場にしていたとのこと。地元の方々にはお馴染みの場所のようだ。

 

 

さて、西側の道は勾配が急。早い時期に廃止になったのは、こちら側の道のせいもあったかもしれない。

 

 

そして、藪で行き止まりに。無理すれば進めないこともないが、そこまでする気にもなれずに、ここで引き返すことに。写真では解りにくいが、左上に県道が見える。隧道は現トンネルのほぼ真上に位置しているが、西側の道は若干南西方向に向かっているようだ。

 

 

どや、わしの言った通りだろ!と得意げなまきき氏。しまった、出たがり屋さんのまきき氏の写真、あまり撮っていなかったよ。ごめんね。

 

そして、雲助2号さん、貴重な情報、ありがとうございました。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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第七十一番 弥谷寺

 

 

 

 

御腹川の水路隧道(仮称・6号隧道)

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【名称】不明
【所在地】君津市怒田
【竣工】不明
【延長】約5m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約5m(目測)

 

2017年5月28日訪問

前回(2015年8月2日)

 

 

君津市怒田(ぬだ)、林道怒田福野線の終点付近にて。今いるのはココ(←クリック)。ちょっと納得がいかないのだが、標識に従えばこの林道、怒田福野線と名乗っていながら、福野の集落ではなくココが終点となるらしい。ここから集落までも一応道は繋がっているのだけど、、、

 

 

それはともあれ、右に目を移すと、以前にも紹介した水路隧道がある。

 

 

だが、今回はクルリと回れ右して下流方面に向かう。

 

 

100メートル程歩いてきた。今いるのはココ(←クリック)。この写真の左にも以前紹介した水路隧道がある。ここに来る前に、林道の途中で全く予想外の水路隧道を見つけてしまって時間も押し気味だったので、こちらも軽く様子だけ見てスルーのつもりだったのだが、、、

 

 

湧き水が溜められている水槽。この右奥が水路隧道への降り口になっている。

 

 

れれっ、どうしたんだ!?∑(゚д゚; )

 

 

水路隧道の吐口側。大崩落が起きて大変なことになっていた アワワヽ(´Д`;≡;´Д`)ノアワワ

 

 

しかし、この形では崩落も仕方ないのかもしれない。ひょっとしたら、昔は今よりはるかに長かったのかも。そして、何度かこのような崩落を繰り返して、今のような短い水路隧道になってしまったのかもしれない。

 

そのうち、もっと薄くなって、キンダン川の水路隧道のようになり、最後には弘文洞のように崩落してなくなってしまうのかなぁ?(^-^;

 

 

あのあたりが崩れたのかな?

 

 

吐口側から望む。

 

 

これだけ崩れていても水が流れるのには特に問題なし。いや、大雨の時はそんなことないのかな?

 

 

隧道を通り抜けることができなかったので、呑口(南側)は上流側から回り込んでみることにした。

 

 

呑口側はここまでが限界。これ以上進むと、河床の砂に長靴がどんどん沈んで転びそうだった。崩落のせいで隧道上流側の水位が以前より若干高くなっているようだ。

 


 

再び吐口側より。さて、次はいよいよ未訪問の水路隧道を目指す。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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さよなら 海腹川背 ちらり - PS Vita

 

 

 


田淵の水路隧道と滝

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【名称】不明
【所在地】市原市田淵
【竣功】不明

 

2017年7月30日訪問

前回(2012年7月15日)

 

 

最近、巷でチバニャン?なるものが流行っている、という情報を耳にした。チバニャン?なんだそりゃ?新しい千葉県のゆるキャラかぁ?でも、千葉にはもうすでにオフィシャルなチーバ君と民間によるふなっしーという二大キャラクターがあるではないか。そこに今さら新キャラを追加しなくても、、、 あ!わかったぞ!2020年東京オリンピックに向け、新たなキャラクターを投入、チーバ君、ふなっしー、チバニャンのトロイカ体制で盛り上げ、外国人観光客をゴソッといただこうという作戦か?やるな、森●健●!!!←まったく解っていない

 

ということで、チバニャンが見られるという所にやってきた。って、ここ、田淵会館じゃないか。何度かここに駐車してチャリで出かけたっけ。Hey、ブッチー!久しぶりで~す←勝手に愛称つけるなよ

 

ってか、いつの間にこんな看板立ったんだ?

 

 

それにしても、以前はこんなに車並んだりしていなかったんだけど、、、すっかり有名スポットになったの?∑(゚д゚)

 

 

で、えっと、なんだっけ?

 

まつやまぎゃくじきょくきのちそうとかざんげんさい、、、??? o( _ _ )o...zzzzzZZ

 

 

「チバニン(チビアン)」への階段ね、、、ふむふむ、、、

 

よし、完全に理解した!!!つまり、チバニャンは77万年に1人のアイドルなんだな!!!←まだ解っていない

 

 

現地に行くには長靴がひつようらしい、ということで取り出した長靴だが、前回使用してそのままだったので泥だらけ(^-^;

 

 

ということで、チバニャンチバニアンに向けて出発。

 

 

この道、5年前にも歩いたことがある。ただ、その時は長靴がなくて川へは入らず引き返したのだった。その代わりにイイモノを見つけた。いずれ再訪しようと思いながら、はや5年(^-^;

 

 

ここの坂はかなり急。

 

 

ここで車道は一応行き止まり。

 

 

その先を進むと、、、

 

 

この下になんと水路隧道がある。というか、実は一番の目的はここだったのだ。当て馬扱いしてゴメンよ、チバニアン。

 

 

その奥にも、

 

 

もう一本ある。

 

 

とりあえず順を通って川べりに降りる。

 

 

以前とは降り口が変わったような気がする?

 

 

養老川の川べりに出た。

 

 

少し下流の方に最初の水路隧道の吐口があるはずだ。

 

 

このモジャモジャの奥にありそう。

 

 

あった!

 

 

一本目の水路隧道の吐口。

 

 

延長はごく短かい。

 

 

だが、この穴、、、ポットホールというやつだろうか、相当深そうだ。うっかい落ちると胸まで水没&機器も水没でしゃれにならない。無理せずにここで撤退。

 

 

ということで、来た道を戻って呑口側に回り込んだ。

 

 

こちらの河床も不思議な形に浸食されている。

 

 

振り返ると、2本目の水路隧道が待っている。

 

 

2本目の水路隧道の吐口。

 

 

ここは隧道の手前に穴。これもよくあるパターンだ。

 

 

中を覗くと、これまた短い。ってか、もう一本あるんじゃね?(゚д゚)ハッ!!

 

 

こちらも前進するのが難しそうだったので、一旦対岸の耕作放棄地っぽいところによじ登った。

 

 

あったよ、、、写真では解りにくいが、3本目の吐口。ただ、ここからはちょっと降りられそうにない。

 

 

出口があれば入口もあるさ。ということで、さらに奥に進むと、、、

 

 

ええっ、滝があるぞ!?(゚д゚)ハッ!!

 

 

房総にしてはまぁまぁの高さの滝なのでは?

 

しかし、滝好きの方のサイトでもここは見かけた記憶がない。

 

 

ひょっとしたら、ここに水を引く過程で半ば人工的に形成されたものなのかもしれない。

 

 

滝壺。

 

 

滝壺から見上げる。

 

ええっと、滝を撮る時は、三脚に固定してシャッタースピードを落とすのがポイントなんだっけ?でも、三脚、車の中なんだよな、坂道を戻るのも面倒だし、、、(^-^;

 

 

振り返ると、3本目の水路隧道がある。

 

 

3本目の呑口。

 

 

中は真っ暗、、、

 

 

だが、数歩進むと吐口からの明かりが見えた。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

滝を中心に。今回は文字通りのおまけレベルだけど(^-^;

 

 

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怒田の水路隧道

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【名称】不明
【所在地】君津市怒田
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約1m(目測)
【高さ】約3m(目測)

 

【名称】不明
【所在地】君津市怒田
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約0.8m(目測)
【高さ】約3m(目測)

 

2017年5月28日訪問

 

 

君津市怒田(ぬだ)。林道怒田福野線の起点にて。今いるのはココ(←クリック)。これからいつものように御腹川へ向かう。ただこの林道、来る度に崩落箇所が増えているので、この先がどうなっているのか心配だ…

 

 

意外なことに崩落箇所は綺麗に片付けられていた。ここまで道の状態はほぼ無問題。もう少しで最初の目的地というところまで来た。今いるのはココ(←クリック)。

 

なんでこんなところで車を降りてウロウロしているのかというと…

 

 

視界の右の方に飛び込んできてしまったのだ、穴っぽい雰囲気の景色が。いや、そんなことないよね?そもそも川ないし。おかしいな、ボク、Mきき氏Nだの人みたいな穴キ●●イじゃないのに、変な幻覚見えてきてるのかなぁ。でも、見えちゃったからには一応確認しておかないと… ( ;´Д`)

 

 

ってか、ちょっ ∑(゚Д゚)

 

 

気のせいじゃなかったよっ(゚д゚)ハッ!!

 

 

左の水路隧道。ってか、これを掘る、というか隧道にする必要あったの?いや、房総ではその突っ込みをしているとキリがない(^-^;

 

 

右の隧道。こいつは暗いぞ(^-^;

 

 

一応パノラマ合成した全景も。

 

 

さて、それではまず左の隧道から。西側坑口。水は流れていないがこちらが呑口になるはず。

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

それにしても、どうしてこんなところに水路隧道があるんだろう?と不思議に思ったのだが、怒田橋のところで御腹川に合流する水路があったことを思い出した。まさかあの水路の上流にこんなものがあるとは思いもしなかった。

 

 

少し掘り下げたか、水に削られて洞床がさがったのだろうか?
 

 

内部から見た呑口。

 

 

このパイプは何のために?(^-^;

 

 

吐口側にも

 

 

壁面の出っ張り、素掘の道路隧道でも時々見かけるやつだ。

 

 

木は人為的に架けられたもののように見える。でも、なぜ???

 

 

そして、何気なく上をみあげたら、こりゃまたたまげた。なんか左右に穴があいてるぞ ∑(゚Д゚)

 

 

左の穴。この後、外に繋がっていないか調べてみたが、埋まってしまったのか穴は開いていなかった。

 

 

右の穴。縦の筋は水が流れていた痕跡か?

 

 

この先、150メートル程で御腹川に合流する。この先にももう1箇所、暗渠があるのだが、とてもじゃないが人が入れないサイズ。上流の方の構造物の方が規模が大きいってどういうことよ(^-^;

 

 

東側坑口(吐口)。

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

川の上から見た東側坑口。

 

     ※     ※     ※

 

 

さて、次は右の隧道。

 

 

東側坑口(吐口)

 

 

東側坑口から内部を望む。内部が真っ暗なのは、カーブしているからのようだ。

 

 

おそるおそる進むと、少し広くなっていた。水に削られて広がったのかな?

 

 

振り返って、内部から見た東側坑口。

 

 

なんでU字溝が落ちているんだろ?さっきもあったなぁ(^-^;

 

 

カーブの先に呑口が見えた。でも、う~~ん、行けないこともないけど、無理しなくていいか。

 

 

ということで、西側坑口(呑口)は回り込んで上から。こちら側には下に降りる適当な場所がなかった。でもまぁ、とりあえずこれぐらいで満足。

 

 

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久留里城の「林道」

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【名称】不明
【所在地】君津市久留里市場/久留里
【竣工】不明
【延長】約800m
【幅員】約0.6m
 

2017年7月2日訪問

 

 

君津市久留里市場(くるりいちば)、久留里城の駐車場にて。今いるのはココ(←クリック)。正面の階段道、久留里城の天守閣方面に行くことができるようだ。せっかくなのでこの道を行ってみようと思うのだが、それよりも、、、

 

 

「林道」だそうだ。う~ん、なんだか林道のイメージと違うのだが、、、???

 

 

林間歩道の略だったのか(゚д゚)ハッ!! 言い分はよく解った、でも微妙に納得いかないぞ(^-^;

 

 

「林道問題」を解決するのにしばしの時間を費やしてしまったが、いつまで考えていてもあまり意味がない。ということで、階段を上りきったところ。

 

 

しばらく歩くと再び階段。まぁ、そういうものだな。

 

 

今度は立派な階段が出てきたぞ。ちなみに、これはこの「林道」で最大の構造物。

 

 

シカとイノシシだけではなく、ヤマビルの警告もつけた方がいいかも(^-^;

 

 

こういうプチ切り通しがあると気分が盛り上がる。

 

 

たまに整備された山道を歩くと、快適だ。

 

 

ちなみに、スニーカーにかけたヤマビルファイターのおかげか、この日、久留里城界隈ではヤマビルに襲撃されることはなかった。

 

 

なんだか、おなじような写真ばかりで、、、(^-^;

 

 

途中、このような道標が何ヶ所かあった。

 

 

山の中腹は植林地の景色。

 

 

明るいところに出た。

 

 

「とっていいのは写真だけ 残していいのは足跡だけ」 ごもっとも。ちなみに、この周囲は城山国有林と言うらしい。

 

 

そろそろ天守閣、というところで古い遺構に出くわした。

 

 

これ、堀切じゃね?

 

 

反対方向。

 

 

階段の上から。

 

 

その先にももうひとつ堀切があった。

 

 

そこから少し歩くと建物が見えてきた。

 

 

なんだろう、と思ったら、トイレだった(^-^; ここで「林道」は終了。

 

 

振り返り。

 

 

観光地らしくなってきたぞ。

 

 

「林道」終点の平場は天神曲輪と呼ばれる場所とのこと。

 

 

「曲輪とは」 なるほど、、、

 

 

そのまま天守方面へ。左に見えるのは、男井戸(おいど)・女井戸(めいど)。里見氏が支配していた頃からのものらしい。

 

 

こういう階段って、歩幅が合わなくて苦手だ(^-^;

 

 

天守に到着。昭和に作られたいわゆる模擬天守。元々あった天守閣の資料がなくて想像で設計されたようだ。現在は展望台として活躍中(^-^;

 

 

天守の隣にある土塁状のものが天守台跡。江戸時代はこちらに天守があった。もともとあまり大きな建物ではなかったようだ。

 

 

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山田第二隧道

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【名称】山田第二隧道(やまだだいにずいどう)
【所在地】いすみ市山田
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約4m(目測)

 

2017年5月7日訪問

前回(2013年1月20日)

 

 

いすみ市山田(やまだ)、林道山田線にて。今いるのはココ(←クリック)、坑口手前で大崩落が起きていた山田第一隧道の南側だ。チェーンソーで切った倒木がある。ここまでは頑張ってやってくる人もちょくちょくいるのだろう。


 

大丈夫とは思うのだが、これでこの先前進不可能だったりしたら、せっかく越えた第一隧道の崩落をもう一度戻らなければならない。そいつはとっとイヤだなぁ (^-^;

 

 

以前も書いたが、今でこそこんなに荒れ果てて、途中崩落していても放置されているが、この道の起源はかなり古い。明治39年発行の地形図には既に3本の隧道が記されている。それどころか、隧道こそないものの、明治初めに製作された迅速測図にもこの道は描かれている。つまり、途中に明治末には放棄された旧道区間もあるはずということ。機会があったらそちらも調査したいのだが、旧道の痕跡には全く気付かなかったなぁ( ;´Д`)

 

 

このカーブの先にあるはず、、、

 

 

山田第二隧道の登場。

 

 

北側坑口。よかった、今度は問題なさそうだ(^-^;

 

 

北側の扁額。「山田第二隧道」

 

 

北側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た北側坑口。

 

 

内壁に「検」の書き込みと3つの穴が。

 

 

どうやら抜き取り検査をしたらしい。ってか、鉄筋にぶち当たっているようだけど、それでよかったの?(^-^;

 

 

目測で3~4メートル程度ありそうな高さだが、内壁の中央付近に水平に走る段があるのに気付いた。コンクリ巻立て工事の際にできた継ぎ目だろうか?それとも、まさか掘り下げた跡か?

 

先ほども書いた通り、明治末にはこの隧道はあったはず。だが、当然ながら当時から今と同じ姿であったとは考えがたい。おそらく今でも房総各地に残っている断面の小さい素掘隧道が竣功当初の姿だっただろう。しかし、林道の隧道は『道路トンネル大観』にも『平成16年度道路施設現況調査』にも記載がない。どこで資料を探せばいいのだろう??

 

 

水平な段は反対側にもある。

 

 

さっきとは別のサンプル切り出しの穴(?)。他にも何ヶ所かあった。

 

 

中にはこんな感じで出水していたり(^-^; 逆に水抜き穴になってよかったのかな?(^-^;

 

 

南側へ。

 

 

南側の接道。ここまでくれば、次の隧道もすぐだし、一応別ルートもある(はず?)。ということで、一安心か?

 

 

南側坑口。

 

 

南側の扁額。「やまだだいにずいどう」

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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山神社(君津市坂畑)

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【名称】山神社
【所在地】君津市坂畑
【創建】不明

 

2017年7月9日訪問

 

 

君津市坂畑(さかはた)、今いるのはココ(←クリック)。今まで何度かここを通ったが、今回はふとこの神社が気になった。

 

 

気になった第一のポイントが階段下にある立派な石灯籠。

 

 

台座には中村當と。中村さんが寄進したのかな?

 

 

石灯籠の奥に続く道が、、、

 

 

このまま進んでいけば、山肌にポッカリと口を開いた地下壕があったりして、、、

 

 

なんてことは、なさそうだな。引き返そっと(^-^;

 

 

ただ、見上げると、小さな祠があった。

 

 

では改めて神社を拝見させていただこう。

 

 

神社といえば、直立する杉がつきものだが、ここの杉はまた格別に立派だ。

 

 

鳥居の奥に賽銭箱。

 

 

階段を上り始めたが、

 

 

これがまた意外とキツかった。

 

 

登る階段がキツいと、これまたありがたみが増すんだよなぁ(^-^; もう少しだ( ;´Д`)ハァハァ

 

 

拝殿に到着。

 

 

よく頑張った(^-^;

 

 

なんか奥に見えるぞ(゚д゚)ハッ!! と思ったら、

 

 

本殿に繋がる通路ねのドア(←なんて呼べばいいんだろ?)が開け放たれていた。

 

 

手水舎はこんなもんか(^-^;

 

 

本殿に回り込む。

 

 

拝殿もそうだが、本殿も屋根に草が生えたりしていて少なからず手入れ不足な印象、、、( ;´Д`)

 

 

だが、この細工とか、素人目に見てもなかなかのものなのでは?

 

 

本殿正面の扉の細工も立派。

 

 

ひょっとして、由緒ある神社なのかもしれない。

 

明治初期に作られた迅速測図を見ると、久留里から清澄方面を結ぶ道、つまり現在の国道465号の旧道、というか旧々道がこの神社(なぜか名称は東神社となっている)のすぐ北側を通っていたことがわかる。幹線道路沿いで、広く信仰を集めた神社だったのかも?

 

 

拝殿の瓦もグチャグチャに、、、( ;´Д`)

 

 

本殿裏に置かれていた祠。

 

 

ちゃんと直さないと、近い将来、本物の廃墟になってしまいそうだ。このまま朽ちさせるのは惜しい。

 

 

どこかでこれとよく似た細工を見たなぁ。

 

 

拝殿方面を。

 

 

しゃちほこ?(^-^;

 

 

こちらの瓦は一応健在。

 

 

「水富士嶽浅間大神」と記された石碑。富士講のものなのかな?

 

 

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後藤純男 『秋の談山神社 多武峰』 彩美版・シルクスクリーン併用 複製画

 

 

 

甚兵衛円筒分水工など

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【名称】甚兵衛円筒分水工
【所在地】成田市船形
【竣工】不明
 

2017年6月11日訪問

 

 

成田市船形(ふなかた)、成田ニュータウンからピューッとチャリで坂道を下ってきたところ。今いるのはココ(←クリック)。谷津の奥に水田が広がる典型的な下総台地の田園風景。

 

 

なかなか絵になる木だ。

 

 

そして根元には小さな祠がひとつ。

 

 

谷津を抜けて、、、

 

 

山の反対側へ。今いるのはココ(←クリック)。東を向いている。この交差点を右に。

 

 

この先も谷津の奥まで水田が広がっている。こちらの道は看板の通り行き止まりのようだが。

 

 

前の写真から100メートル程進んだところ。ありゃ、どうしようかな、、、

 

 

あまり無茶なことはしていないのだが、ワープ(^-^;

 

 

階段の上にあるのは円筒分水。安全対策のためか、残念ながら全体がネットで覆われていた。

 

このブログを見る方なら、円筒分水がどういうものなのか、解っていらっしゃる方が多いと思うのだが、念のために簡単に説明しておくと、、、

 

農業用水をそれぞれの地域に公平に分配するための施設で、円筒状の構造物の中心に水を湧き出させ、外周部から溢れる水を、それぞれの割合で分ける仕組みになっているものだ。呼び方は円筒分水でも円筒分水工でもどちらでもいいようだが、ここではGoogleマップの表記に従った。

 

 

ネットがかけられたのはここ数年のことのようだ。

 

 

太陽光パネル!?∑(゚Д゚)

 

 

これなら停電しても安心だ。でも、少し日当たり悪そうなところだけど(^-^;

 

 

別の角度から。

 

     ※     ※     ※

 

【名称】日本版金城武樹(通称?)
【所在地】成田市北須賀

 

2017年6月11日訪問

 

 

先ほどの交差点に戻ってきた。一応確認しておくと、今いるのはココ(←クリック)で、北を向いている。

 

 

そのまま交差点を突っ切り400メートル程来たところ。水路脇に立派な木が生えている。

 

 

史跡のマークとともに、「日本版金城武樹」とGoogleマップに記されていた。

 

んんん?にほんばんキンジョウブジュ???(゚Д゚)ハァ? 「金」とか「城」とか「武」とか、なんだか強そうなモノの名前みたいだけど、なんだろ???と思ったのだが、「金」「城」「武」は俳優の金城武のことだったらしい。そして、彼が出演したCMに登場した木と似たイメージだからそう呼ばれるようになったという事のようだ(^-^;

 

 

この木、以前通りかかった事があり、いずれ水路の暗渠群と一緒に記事にしようかと思っていたのだが、HDクラッシュしたときに一緒に写真が飛んでしまったのだった(^-^; ということで、当ブログらしく、暗渠とのツーショットも(^-^;

 

 

立派な自然物があると、それ自体をあがめるという日本人ならではの習慣なのか、木の下には石碑が。それと、、、お塔婆!?

 

 

反対側には祠も。

 

 

周りがアスファルトの道路やら電柱やらガードレールやらでなかなかいい構図がない。おそらくこの位置から撮るのがベストに近いと思うのだが、おいらが訪れた時間帯はちょうど見事に逆光になっていた( ;´Д`) プロはここで納得できるまで待つところなのだろうが、おいらはとっとと次へ(^-^;

 

 

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寺谷トンネル

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【名称】寺谷トンネル(てらやつとんねる)
【所在地】南房総市和田町中三原
【竣工】不明、1979(S54)年8月改修
【延長】104.00m
【幅員】5.50m
【高さ】4.50m

 

2017年7月16日訪問

前回(2015年4月19日)

 

 

南房総市和田町中三原(なかみはら)、千葉県道296号和田丸山館山線(わだまるやまたてやません)にて。今いるのはココ(←クリック)。まきき氏と、この先にある隧道たちを見にきてみた。

 

 

石碑があった、、、

 

 

「清紀念燈」 どうやら上半分が欠けているらしい。「清」って、渥美清か?って、ちゃうちゃう(^-^;

 

ググってみたら、こことは違うものだが、「奉献征清紀念之燈」なるものがヒットした。コレダ!たぶん。日清戦争の戦勝記念碑じゃないかな?

 

 

この先に県道の寺谷トンネルがある。

 

 

東側より。

 

 

ロックシェッドと兼用のつもりだろうか、山肌から少し飛び出した坑口が特徴的だ。

 

 

坑口左側にある扁額。「寺谷トンネル」

 

 

坑口右側の歴板。「寺谷トンネル/1979年8月/延長104.00m/幅員5.50m/高さ4.50m/千葉県」

 

この1979年というのは、改修時期のようだ。

 

 

2年前に来たときにもぶら下がっていた、道供養の草鞋がまだ残っていた。

 

 

東側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た東側坑口。

 

 

隧道の延長は104メートル。

 

 

西側へ。

 

 

振り返って、西側坑口から内部を望む。

 

 

西側坑口。

 

 

西側の扁額。「てらやつトンネル」。片方が漢字、もう片方が平仮名表記というのは、千葉の県道のトンネルにしばしば見られるスタイルだ。

 

 

西側の歴板。

 

 

こちら側もワサワサと木に覆われている。

 

 

そして、このトンネルにはある秘密が隠されているのだ( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 

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旧寺谷隧道

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【名称】不明
【所在地】南房総市和田町中三原
【竣工】不明(明治初期?)
【延長】約15m(目測)
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約2m(目測)

 

2017年7月16日訪問

 

 

南房総市和田町中三原(なかみはら)、千葉県道296号和田丸山館山線(わだまるやまたてやません)にて。今いるのはココ(←クリック)。昨日紹介した寺谷トンネルの東側である。

 

実は先日、拙ブログに南房総在住の雲助2号さまという方から、重大情報がもたらされたのだ。せっかくの素晴らしい情報なので、勝手ながら引用させていただくことに。


寺谷トンネルですが、旧隧道が存在します。
アプローチ方法は、トンネル東側坑門から150m和田寄りの南側(海側)の落石注意の標識の所から、法面の吹き付けと一体となった路盤があります。
0.5車線の道で坑門上を横断すると、縦横2m、延長15mほどの四角い素彫隧道があります。
東側アプローチが直角なので、軽自動車でも通行出来なかったと思われます。
地元の知り合いに聞くと、現寺谷トンネルは、素彫隧道を拡幅したとのことなので、現役期間は短かったと思われます。

 

な、な、なんだって、旧隧道!?∑(゚Д゚) こいつは、すぐにでも調査しなけりゃ!!

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

 

実は、今さら言うのもなんなのだが、この隧道の旧隧道の可能性は、以前からおいらも考えていた。これは明治末に発行された地形図と現在の地理院地図。両者を見比べると、西側の道の線形が微妙に違う。とはいえ、どちらに描かれた隧道も尾根の真下を水平に通っているので、誤差の可能性の方が高そうなので、機会があったら調査すればいいや、ぐらいに思っていた。

 

ところが、そんなところに思わぬ情報。図らずもおいらの見立てが正しかったのか!? と思ったのだが、それ自体はやはりただの妄想だったようだ(^-^; というのも、雲助2号さんの説明による東側の接道の様子と明治末の地形図の様子が違うからだ。

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)


そこで、今度は迅速測図を見てみたのだが、仰天した。現トンネルとほぼ同じ位置に、短い隧道のマークがあるではないか!そして、東側の接道は大きく南側から回り込んでいる。雲助2号さんの説明の通りの線形ではないか!∑(゚Д゚) つまり、これが旧隧道、そして明治末の地形図にある隧道は改修される前の(現)寺谷トンネルであると考えるべきだろう。

 

迅速測図に載っているということは、この隧道は遅くとも明治十年代半ばには完成していたということになる。ということは、この隧道、500本以上あると言われる房総の隧道の中でも最も古いもののひとつだろう。そして、明治末には今の隧道に切り替わっているので、廃止されて既に100年程度経過しているということか?い、い、一体、今はどういう姿になっているのだろう、、、すごいことになってきたぞ(゚д゚; )ゴクリ

 

 

とまぁ、そんな経緯があってここにやってきたのだ。

 

なお、途中、まきき氏の自宅の近くを通るので、念のために声を掛けてみると、、、

 

「はぁ!? こらっ、おっさん! ワシは毎日仕事で忙しくてもう1ヶ月も穴にご無沙汰なんじゃ! 欲求不満の溜まりまくりなんじゃ! え、どうしても一緒に来て欲しいって? 仕方ないなぁ、そんなに頼まれたら付き合ってやってもいいで! ほら、はよワシの車に乗れや、行くで!!」的なお返事(脳内翻訳済)が。

 

まきき氏もやはり、雲助2号さんのコメントを見てウズウズしていたらしい(^-^;

 

 

さて、情報によれば、「和田寄りの南側(海側)の落石注意の標識の所から、法面の吹き付けと一体となった路盤が」あるとのこと。うん、ここで間違いない。ってか、刈り払いされてるし(゚д゚)ハッ!!

 

 

まるで、我々の訪問を予期して準備されていたかのような好展開。「えー、なになに、もしかして、『アイツ、そろそろ見に来る頃かな?しょーがねー、いっちょ刈り払いでもしといてやっか』って事で準備しておいてくれたんじゃね?いやー、ありがとうございます、ゴチになります!」なんて会話をしながら、まきき氏と歩みを進める。まきき氏と一緒に出かけると、妄想モードに入ることが多いののはどういうことだろう?(^-^;

 

 

登り始めた地点は、ホントに路盤なのか半信半疑な雰囲気だったのだが、この辺りまで来ると完全に道の様子に。

 

 

道はそのまま山林の中に伸びている。

 

 

杭だ!(゚д゚)ハッ!!

 

 

山林に入るとビックリ。見事な道があるではないか。

 

 

植林地によくある作業道よりも広めの道。素晴らしい古道だ(*´д`*)ハァハァ

 

 

稜線が見えてきた。

 

 

崩落したのだろうか、ここが道中で一番道幅が狭くなっていた場所。とはいえ、特に危うさを感じることはなかった。

 

 

そして、最後の登り坂の先に見えてきた!(゚д゚)ハッ!!

 

 

おおっ!!!あったぞ!思わず声を上げてしまった。

 

 

東側坑口。


廃止されてから約一世紀経っているとは思えない程の良好な隧道。実のところ、この隧道の話を聞いて、想像したのは、藪をかき分けた奥にある閉塞しかかった小さな穴ぼこの姿だった。あまりにもアブナイ雰囲気だったら、まきき氏だけを蹴飛ばして放り込めばいいや、と思っていたのだが、予想は良い意味で裏切られた。こいつはスゲー。

 

 

それにしても土被り少なっ。ここまで頑張って山を登ってきたのだから、切り通しでも良さそうなのに、、、 隧道趣味業界でよく言われる「房州人の掘らなくてもいい所でもつい掘っちゃう癖」の萌芽がここにも見られるのか? と冗談めかしてみたが、この隧道の上に、先ほどの迅速測図にも描かれている南北に走る稜線上の道が残っている。その道を残すために、あえてここは隧道にしたのかもしれない。

 

 

東側坑口、向かって右側にある凹み。お地蔵さんか馬頭観音(南房総だから牛頭観音か?)、もしくは石碑などが置かれていたスペースだろうか。

 

 

左側にもやはり何かを安置していたであろうと思われる凹みが。この隧道の前後にある隧道、切り通し、隧道開削跡の切り通しには地蔵や牛頭観音、馬頭観音の碑が置かれていた。ここにも同じような風習があったのではないだろうか。ただ、(現)寺谷トンネルには石碑類が一切残っていないのが気になるが、、、

 

 

東側坑口から内部を望む。ほぼ四角の断面。房総の古い素掘隧道は五角形の観音掘が定番なので、少し意外な感じがした。ここでまた妄想モードに突入、、、

 

百数十年前の会話

 

「おい、マキ作、あそこの峠に穴掘るっぺか?」

 

「おっ、パパ兵衛、隧道ってやつだっぺ。掘るっぺ」

 

「ところで、隧道って掘ったことあるっぺか?」

 

「いや、ねえっぺ。だが、二五穴のでっけーもんじゃねえっぺか?」

 

「そだな、じゃあ二五穴の要領でいくっぺか」

 

という案配で断面が四角になったのではと、、、 えーと、これも、あくまで妄想だ(^-^;

 

 

内部から見た東側坑口。

 

 

この凹みは何のために?

 

 

ここなど、路傍にある牛頭観音がぴったり納まりそうだ。

 

 

穴の中にいる小さな黒いモノは、、、、(^-^;

 

 

西側へ。

 

 

西側の道は若干荒れ気味。

 

 

振り返って、西側坑口から内部を望む。

 

 

西側坑口。

 

 

こちら側も、崩落してきた土砂が積もっているものの、往時の姿をよく残していると思われる。

 

 

この隧道、幹線道路としては相当昔にお役ご免になったが、その後もそれなりに訪れる人がいたようだ。この後、たまたま近くの年配の方に話を伺ったら、その方も幼い頃にここを遊び場にしていたとのこと。地元の方々にはお馴染みの場所のようだ。

 

 

さて、西側の道は勾配が急。早い時期に廃止になったのは、こちら側の道のせいもあったかもしれない。

 

 

そして、藪で行き止まりに。無理すれば進めないこともないが、そこまでする気にもなれずに、ここで引き返すことに。写真では解りにくいが、左上に県道が見える。隧道は現トンネルのほぼ真上に位置しているが、西側の道は若干南西方向に向かっているようだ。

 

 

どや、わしの言った通りだろ!と得意げなまきき氏。しまった、出たがり屋さんのまきき氏の写真、あまり撮っていなかったよ。ごめんね。

 

そして、雲助2号さん、貴重な情報、ありがとうございました。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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第七十一番 弥谷寺

 

 

 

 

御腹川の水路隧道(仮称・6号隧道)

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【名称】不明
【所在地】君津市怒田
【竣工】不明
【延長】約5m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約5m(目測)

 

2017年5月28日訪問

前回(2015年8月2日)

 

 

君津市怒田(ぬだ)、林道怒田福野線の終点付近にて。今いるのはココ(←クリック)。ちょっと納得がいかないのだが、標識に従えばこの林道、怒田福野線と名乗っていながら、福野の集落ではなくココが終点となるらしい。ここから集落までも一応道は繋がっているのだけど、、、

 

 

それはともあれ、右に目を移すと、以前にも紹介した水路隧道がある。

 

 

だが、今回はクルリと回れ右して下流方面に向かう。

 

 

100メートル程歩いてきた。今いるのはココ(←クリック)。この写真の左にも以前紹介した水路隧道がある。ここに来る前に、林道の途中で全く予想外の水路隧道を見つけてしまって時間も押し気味だったので、こちらも軽く様子だけ見てスルーのつもりだったのだが、、、

 

 

湧き水が溜められている水槽。この右奥が水路隧道への降り口になっている。

 

 

れれっ、どうしたんだ!?∑(゚д゚; )

 

 

水路隧道の吐口側。大崩落が起きて大変なことになっていた アワワヽ(´Д`;≡;´Д`)ノアワワ

 

 

しかし、この形では崩落も仕方ないのかもしれない。ひょっとしたら、昔は今よりはるかに長かったのかも。そして、何度かこのような崩落を繰り返して、今のような短い水路隧道になってしまったのかもしれない。

 

そのうち、もっと薄くなって、キンダン川の水路隧道のようになり、最後には弘文洞のように崩落してなくなってしまうのかなぁ?(^-^;

 

 

あのあたりが崩れたのかな?

 

 

吐口側から望む。

 

 

これだけ崩れていても水が流れるのには特に問題なし。いや、大雨の時はそんなことないのかな?

 

 

隧道を通り抜けることができなかったので、呑口(南側)は上流側から回り込んでみることにした。

 

 

呑口側はここまでが限界。これ以上進むと、河床の砂に長靴がどんどん沈んで転びそうだった。崩落のせいで隧道上流側の水位が以前より若干高くなっているようだ。

 


 

再び吐口側より。さて、次はいよいよ未訪問の水路隧道を目指す。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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さよなら 海腹川背 ちらり - PS Vita

 

 

 

田淵の水路隧道と滝

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【名称】不明
【所在地】市原市田淵
【竣功】不明

 

2017年7月30日訪問

前回(2012年7月15日)

 

 

最近、巷でチバニャン?なるものが流行っている、という情報を耳にした。チバニャン?なんだそりゃ?新しい千葉県のゆるキャラかぁ?でも、千葉にはもうすでにオフィシャルなチーバ君と民間によるふなっしーという二大キャラクターがあるではないか。そこに今さら新キャラを追加しなくても、、、 あ!わかったぞ!2020年東京オリンピックに向け、新たなキャラクターを投入、チーバ君、ふなっしー、チバニャンのトロイカ体制で盛り上げ、外国人観光客をゴソッといただこうという作戦か?やるな、森●健●!!!←まったく解っていない

 

ということで、チバニャンが見られるという所にやってきた。って、ここ、田淵会館じゃないか。何度かここに駐車してチャリで出かけたっけ。Hey、ブッチー!久しぶりで~す←勝手に愛称つけるなよ

 

ってか、いつの間にこんな看板立ったんだ?

 

 

それにしても、以前はこんなに車並んだりしていなかったんだけど、、、すっかり有名スポットになったの?∑(゚д゚)

 

 

で、えっと、なんだっけ?

 

まつやまぎゃくじきょくきのちそうとかざんげんさい、、、??? o( _ _ )o...zzzzzZZ

 

 

「チバニン(チビアン)」への階段ね、、、ふむふむ、、、

 

よし、完全に理解した!!!つまり、チバニャンは77万年に1人のアイドルなんだな!!!←まだ解っていない

 

 

現地に行くには長靴がひつようらしい、ということで取り出した長靴だが、前回使用してそのままだったので泥だらけ(^-^;

 

 

ということで、チバニャンチバニアンに向けて出発。

 

 

この道、5年前にも歩いたことがある。ただ、その時は長靴がなくて川へは入らず引き返したのだった。その代わりにイイモノを見つけた。いずれ再訪しようと思いながら、はや5年(^-^;

 

 

ここの坂はかなり急。

 

 

ここで車道は一応行き止まり。

 

 

その先を進むと、、、

 

 

この下になんと水路隧道がある。というか、実は一番の目的はここだったのだ。当て馬扱いしてゴメンよ、チバニアン。

 

 

その奥にも、

 

 

もう一本ある。

 

 

とりあえず順を通って川べりに降りる。

 

 

以前とは降り口が変わったような気がする?

 

 

養老川の川べりに出た。

 

 

少し下流の方に最初の水路隧道の吐口があるはずだ。

 

 

このモジャモジャの奥にありそう。

 

 

あった!

 

 

一本目の水路隧道の吐口。

 

 

延長はごく短かい。

 

 

だが、この穴、、、ポットホールというやつだろうか、相当深そうだ。うっかい落ちると胸まで水没&機器も水没でしゃれにならない。無理せずにここで撤退。

 

 

ということで、来た道を戻って呑口側に回り込んだ。

 

 

こちらの河床も不思議な形に浸食されている。

 

 

振り返ると、2本目の水路隧道が待っている。

 

 

2本目の水路隧道の吐口。

 

 

ここは隧道の手前に穴。これもよくあるパターンだ。

 

 

中を覗くと、これまた短い。ってか、もう一本あるんじゃね?(゚д゚)ハッ!!

 

 

こちらも前進するのが難しそうだったので、一旦対岸の耕作放棄地っぽいところによじ登った。

 

 

あったよ、、、写真では解りにくいが、3本目の吐口。ただ、ここからはちょっと降りられそうにない。

 

 

出口があれば入口もあるさ。ということで、さらに奥に進むと、、、

 

 

ええっ、滝があるぞ!?(゚д゚)ハッ!!

 

 

房総にしてはまぁまぁの高さの滝なのでは?

 

しかし、滝好きの方のサイトでもここは見かけた記憶がない。

 

 

ひょっとしたら、ここに水を引く過程で半ば人工的に形成されたものなのかもしれない。

 

 

滝壺。

 

 

滝壺から見上げる。

 

ええっと、滝を撮る時は、三脚に固定してシャッタースピードを落とすのがポイントなんだっけ?でも、三脚、車の中なんだよな、坂道を戻るのも面倒だし、、、(^-^;

 

 

振り返ると、3本目の水路隧道がある。

 

 

3本目の呑口。

 

 

中は真っ暗、、、

 

 

だが、数歩進むと吐口からの明かりが見えた。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

滝を中心に。今回は文字通りのおまけレベルだけど(^-^;

 

 

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瀧口神社、硯橋

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【名称】瀧口神社
【所在地】千葉県いすみ市下布施
【創建】不明

 

2017年8月27日訪問

 

 

いすみ市下布施(しもぶせ)にて。いい感じにひなびた鳥居があったので、ちょっと見ていくことに。

 

 

この、訪れる人も少ない、って雰囲気がいいね。ところで社殿は?(^-^;

 

 

石段を登ると左奥に見えてきた。

 

 

細い参道あり(^-^;

 

 

ところで、この社殿だが、細工もよくできていて立派なのだが、

 

 

あまり神社っぽく見えないのは気のせい?いや、神社建築にもまったく疎いので、ひょっとしたらこれも普通なのかもしれないけど、、、(^-^; 貼ってあるお札もお寺さんのもの風だし(^-^;

 

ただ、ここだけでなく、この地域の神社はみなこのような造りだったので、地域特性なのかも。

 

 

扉に隙間があったので、ちょっと覗かせていただく。

 

 

あれが本殿?

 

ググってみたところ、同じいすみ市内・大原駅近くの深堀に同名の著名な神社があることがわかった。ここはその分社なのかもしれない。いや、たぶんそうだ。

 

 

裏には本殿になる建物はない。

 

 

あれっ、鳥居と石碑だ。

 

 

こっちは浅間神社か、、、(^-^;

 

 

裏側より。先ほど隙間から覗いたよりも奥行きがあるようだ。

 

     ※     ※     ※

 

【名称】硯橋(すずりばし)
【所在地】いすみ市下布施
【竣工】1971(S46)年度
【橋長】約3m(目測)
【幅員】約6m(目測)

 

2017年8月27日訪問

 

 

さて、瀧口神社の隣にある硯区公会堂に車を停めさせてもらって、ちょっと散策に出かけることに。

 

 

公会堂前の道を西に進むと、いきなり橋の登場。いや、これぐらいの橋は普段はさすがにスルーするところなのだが、ここは親柱に銘板があったので取材していくことに。

 

 

東側左の親柱。「硯橋」

 

地区の名前を冠した橋だった。硯の地名は、そのままの小字はないようだが、硯台(スズリダイ)、北硯硲(キタスズリハザマ)、硯谷(スズリヤツ)、南硯硲(ミナミスズリハザマ)などがある。また、近くの長福寺の三号も硯山。さらに、以前紹介したかつて近くにあった隧道(現在は開削済み)の名前も硯隧道だった。

 

 

東側左の親柱。「高塚川」 夷隅川水系落合川に注ぐ支流、というかただの水路だが、ちゃんと名前が付いていたのは意外だった。

 

 

橋の上から南の上流方面を望む。

 

 

北の下流方面。

 

 

西側より。

 

 

西側左の親柱。「すゞりばし」

 

 

西側右の親柱。「昭和四六年度竣功」

 

普通、こういうのって、月までは記していると思うけど、微妙に誤魔化した?いや、突っ込みじゃなくて、そんなこともあるよね~と言いたいだけ。でも住所の番地じゃないのだから、「四十六」じゃなくて「四六」はいまいちでは?でもまぁ、そんなこともあるか(^-^;

 

 

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呉竹 硯 本石 青藍硯 HA5-45 4.5平

 

 

 

 

(仮称)香木原線2号隧道

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【名称】不明
【所在地】君津市奥米
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約4m(目測)

 

2016年8月21日訪問

 

 

君津市奥米(おくごめ)、林道香木原線にて。今いるのはココ(←クリック)、もっとも起点側にある(仮称)香木原線1号隧道の中だ。隧道を抜けた先に次の隧道が待ち構えている。

 

 

西側より。

 

 

隧道全体が入る正面からの構図を確保することができなかった(^-^;

 

 

隧道手前の路盤はボコボコになっていた(^-^;

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た西側坑口。

 

 

延長20メートル程の短い隧道。

 

 

東側へ。

 

 

東側坑口。

 

 

少し離れると、すぐにポータルは緑に覆われてしまう。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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