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小原澤橋

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【名称】小原澤橋(こはらさわばし)
【所在地】夷隅郡大多喜町横山
【竣工】1960(S35)年3月
【橋長】約5m(目測)
【幅員】約3m(目測)

 

 

2017年3月12日訪問

 

 

大多喜町泉水(せんずい)、千葉県道172号大多喜里見線(おおたきさとみせん)にて。今いるのはココ(←クリック)。

 

 

法面がコンクリ施工されていないので地層が剥き出し。県道とはいえ、交通量も少ないのであまり熱心に整備されていないのか?ただ、この道は、明治の初めの地図にもしっかりと記されている道。そして、この近くにあった泉水隧道(開削済)は明治10年竣工で、もし現存していたら県内でも有数の古隧道だったはずのものだった。

 

 

少し進んでマクレガーCCの入口を過ぎた辺りだっただろうか。歩道に生えていた枯れ草を見て思い出した。これ、「ヤ●キ●の金髪頭みたいだぞ」と(^-^;

 

 

すると、●ン●ーの生首が並んでいるように見えてきた…。とっとと行こう(^-^;

 

 

さらに進んで、上原と横山の境界。今いるのはココ(←クリック)。あれっ、横山って国道297号と県道27号の交差点じゃないっけ?と思ったら、ここもそれと同じ横山だった。意外と広いんだな…

 

本題から逸れるのだが、googleマップを見て面白いことに気付いた。

 

大多喜町横山:https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92298-0206+%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E5%A4%B7%E9%9A%85%E9%83%A1%E5%A4%A7%E5%A4%9A%E5%96%9C%E7%94%BA%E6%A8%AA%E5%B1%B1/@35.2958172,140.2225166,14.25z/data=!4m5!3m4!1s0x6022b10af0533243:0x32a5ee260818a636!8m2!3d35.2945203!4d140.2435328?hl=ja

 

これを見ると、横山の東の地域にボツボツと小さな穴が開いている。なんじゃこりゃ?まさか飛び地?

 

大多喜町猿稲:https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92298-0212+%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E5%A4%B7%E9%9A%85%E9%83%A1%E5%A4%A7%E5%A4%9A%E5%96%9C%E7%94%BA%E7%8C%BF%E7%A8%B2/@35.292779,140.2407786,14.75z/data=!4m5!3m4!1s0x6022b167472c0b87:0xb26f6caeb56afcc1!8m2!3d35.2890906!4d140.2453635?hl=ja

 

飛び地は大多喜町猿稲のものだった。東金市と八街市の境界付近にもゴチャゴチャと小さな飛び地があるが、ここの飛び地はもっと小さい。なにしろ、千葉トヨタの建物の半分とかデイリーヤマザキの建物部分のみだったりとかなのだ(^-^;

 

 

ともかく、この路地を入る。この先は完全に横山。

 

 

目印は法面の上にちょこんと乗った石碑だ。

 

 

この道は最終的に伊藤集落で行き止まりとなるのだが、目的地はその手前にある。

 

 

こういう狭い道は対向車が気になって落ち着かないので、チャリが快適だ。

 

 

伊藤浄水場。

 

 

小さな橋が見えてきた。

 

 

南側より。

 

 

南側左の親柱。「小原澤橋」

 

 

南側右の親柱。「昭和三十五年三月竣功」

 

 

西側より。

 

 

橋の上から西の上流方面を望む。

 

 

東の下流方面。この川だが、「小原澤橋」というのだから、小原沢じゃないかとおもったのだが、このまま直接、平蔵川(養老川水系)に繋がっているので平蔵川ということになるのだろうが、上流部分は小原沢なのかもしれない。ま、まぁ、正直よくわからない(^-^;

 

なお、平蔵川だが、『角川日本地名大辞典12千葉県』によれば、

「上流には河川争奪の結果、夷隅川によって流路が切り取られたことを示す空谷(元の谷の横断面が新しい分水界の稜線として残ったもの)がみられる」(同書 p.753)

とのこと。

 

えーっと、微妙に意味がよくわからないのだが、要は夷隅川に水をぶんどられて、旧流路の名残が残っているということか?面白そうなのだが、どこのことなのかさっぱりわからない(^-^; 伊藤大山の南東側に夷隅川の支流があるので、それが平蔵川の上流から水をぶんどった流れなのかもしれない。まったくの憶測だが。

 

 

北側より。

 

 

北側左の親柱。「こはらさわばし」

 

 

北側右の親柱。「昭和三十五年三月竣功」

 

 

東側より。

 

 

北側の道の先にちょっと面白いものが…

 

 

ロープが張ってあったので、直接中には入らなかったのだが、対岸から見ると穴が、、、物置なのかな?

 

 

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(仮称)香木原線1号隧道

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【名称】不明
【所在地】君津市奥米
【竣工】不明
【延長】約40m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約4m(目測)

 

 

2016年8月21日訪問

 

 

君津市奥米(おくごめ)。今いるのはココ(←クリック)。三島湖方面から林道三間線を進んで来たが、ここから先は香木原線。三間線はここで終点、、、ではなく、右に分岐された道がそれに指定されている。

 

 

林道の標識。

 

 

香木原線1本目の隧道。名称は不明。タイトルはとりあえず三間線の隧道群と同様の規則で付けてみた。案外これで正解かもしれないと思ったりもしている(^-^; 西側坑口。

 

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

銘板があったので、隧道名が判明したかと思ったのだが、、、

 

 

改良工事の銘板だった。というか、隧道名ぐらい載せてもいいのに(^-^;

 

 

内部から見た西側坑口。

 

 

先ほどの銘板によれば、改修されてから既に30年以上経っている。それなりにくたびれてきた内壁。

 

 

東側へ抜ける。すでに次の隧道が見えている。

 

 

東側坑口。

 

 

東側坑口から内部を望む。

 

 

東側より。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。今回は余計なナレーションはなしで。

 

 

 

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小樺隧道

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【名称】小樺隧道(こかんばずいどう)
【所在地】南アルプス市芦安芦倉
【竣工】1963(S38)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】116m(同上)
【幅員】4.5m(同上)
【高さ】3.4m(同上)

 

 

2016年11月6日訪問

前回(2014年10月26日訪問)

 

 

南アルプス市芦安芦倉(あしやすあしくら)、南アルプスの広河原に来ている。今いるのはココ(←クリック)。広河原ゲートからこの後出てくる野呂川橋までの区間は、県営林道大樺沢線に指定されているようだ。

 

 

野呂川橋。

 

 

2年前に訪問した際のレポもあるので、足早に。

 

 

とりあえず北側左の親柱のみ。

 

 

橋の上から西の上流方面を望む。2年前に来たときは紅葉がピークになるところだったのだが、今回は少し遅すぎたようだ。いや、実は更に爛熟した紅葉ぶりを見られるのではないかと思っていたのだが、見事に目論見が外れてしまったのだ。。。( ;´Д`)

 

 

東の下流方面。前回は砂防ダムが工事中だったが、当然のごとく今回は完了していた。ってか、なぜズームした写真しか撮っていなかったんだろう?紅葉が終わっていてやる気なくしていたのか?(^-^;

 

 

前回気付かなかった銘板を発見。

 

 

「1962年/生な試験/林道(1955)一等橋/東京鉄構(?)株式会社/材質SS41,SM41」

 

そう、ここはまだ林道。そして橋を渡った先から県道37号南アルプス公園線になる。

 

 

ここから県道だ。ちなみに、ここは終点ではなく起点。

 

 

これから奈良田まで約20キロ(^-^; 奥に見えるのは大樺沢ダム。

 

 

野呂川橋の上から見えた砂防ダム。銘板が2枚見える。

 

 

ズームしてみた。堤高はそれほど高くないので、河川法上のダム(堤高15m以上)ではないと思うのだが、ダムを名乗っているようだ。どちらも芦安小学校の女の子の揮毫。

 

 

最初の切り通しを抜けると…

 

 

最初の橋、小樺橋が現れる。これも今回の記事ではスルー。

 

 

小樺橋を過ぎて次の切り通しを過ぎると…

 

 

今回のテーマ、小樺隧道が姿を現す。

 

 

南アルプス公園線、一本目の隧道。西側坑口。

 

前回はここでライトを持ってくるのを忘れていたことに気付き、チャラリ~鼻から牛乳状態になったのだった(^-^;

 

 

扁額も当時の県知事・天野久氏の揮毫によるものと気合いが入っている。

 

 

そして、この県道ならではの親切仕様、隧道や橋梁名を記したプレート。こいつはホントに助かった。なにしろ、南アルプス林道の方はこれがなかったために、ほとんどの隧道が名称不明なので(^-^;

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た西側坑口。

 

 

中間付近でアヤシイ光が。

 

 

明かり取り?の窓が開いている。

 

 

ここから出ると下に真っ逆さまに転落するんだろうなぁ(^-^;

 

 

数メートル隣にももうひとつあるのだが…

 

 

こちらは埋まりかかっている。

 

 

東側の道は狭くて待避スペースもほとんどない。

 

 

東側坑口。

 

 

東側坑口から内部を望む。

 

 

東側の扁額。

 

 

そして親切プレート。

 

 

物々しい山側の法面。

 

 

対岸の少し上方に一本の道が見える。南アルプス林道だ。

 

 

ズームすると、赤抜隧道の坑口が見える。

 

 

東側より。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画

 

 

 

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鼻から牛乳

 

 

 

 

京葉道路にて

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一昨日(5/4)の事。

 

そのパトカーの存在に気付いたのは東関道から京葉道路に入るために宮野木料金所への分岐に車線変更した時だった。バックミラーを見ると2~3台後ろを走るパトカーの姿が映っていた。

 

料金所を過ぎると、周囲の車はパトカーの存在を意識したのか全部左車線に。おいらはどうせ空いているのだからと右車線を走る。ほぼ法定速度で隣の車線の車と併走状態になるのが気になったが仕方ない。

 

すると、件のパトカーが猛スピードで迫ってくるのが見えた。「サイレン鳴らしていないけど緊急走行?」とといぶかしく思いながらも、左車線に入ってやり過ごすことにした。これは別にパトカーだっからという訳ではなく、猛スピードで後ろから迫ってくる車が見えた時にする普通の行動。とっとと先に行かせて、後ろから付いていけばいいのだ。

 

とーこーろーが!

 

せっかく前を空けてやったというのに、パトカーは急減速。って、まさかおいらのことを捕まえようとしていたの?「こらっ、おっさん!制限速度を3キロもオーバーしているやないか!こんな危険な運転しよって、とんでもない奴だ!」とかって言うつもりだったのか???えー、まさかね???

 

さて、京葉道路に入ってもしばらく、パトカーは、ほぼ制限速度でおいらの右斜め前(追越車線)を走っていた。ところが、武石ICに近づくと、パトカーは何の前触れもなく猛加速をはじめた∑(゚Д゚)

 

パトカーがそういうことならボクちん達も遠慮無く、、、という感じだろうか、それまで左車線に固まっていた車列がバラけ平均速度が少々上がる。パトカーははるか前方。●0キロ出しても差が広がる一方だったので、100キロは軽くオーバーしていただろう。

 

ところが、この後、パトカーが不思議な挙動をとり始める。

 

幕張PAが近づいてくると、同時にはるか前方を走っていたパトカーの姿が急に近づいてきた∑(゚Д゚) つまり、急に減速したということ。

 

さらに近づくと、追越車線を走っていたパトカーが走行車線の車の前に割り込むように車線変更。PAから合流してくる車もあるってのに、そこで車線変更するか?

 

ということで、再び左車線に長い車列ができたのだが、やがて再度この車列が崩れることになる。

 

 

今度は幕張IC付近。実は、パトカーの走りが余りにも酷いので、写真に撮っておこうと思ったのだ。もっとも、この写真だけでは運転の酷さの証拠には全くならないのだが(^-^;

 

 

パトカーに付いていこうとしたのか車線変更した前方の車。

 

この後、一瞬、確かまた一瞬モタモタしたのだっけかな?しかし、幕張ICの合流車線に達する頃には、先ほど以上の猛加速を再開。油断していたので、写真を撮る暇もなかった。ドライブレコーダーがあれば一部始終をYoutubeにでもアップロードできたのに残念。

 

     ※     ※     ※

 

わかりにくかったかもしれないが、要は自動車専用道で、急加速と減速、無意味な車線変更を繰り返すパトカーが走っていたということ。いったいどういう意図でそんな運転をしていたのだろう?いくつか仮説を立ててみた。

 

仮説1:クラウンの3リッターエンジンの加速を楽しみたかった?←加速感なんてすぐに慣れて飽きるだろ?

 

仮説2:周囲の車を挑発して、速度違反を誘発してパクる?←パンダパトカーの挑発にのる車なんていないわ!


仮説3:警察権力の誇示←人間ちいせーな!

 

ごくまれに、同じような気色悪い運転をする一般車を見ることがあるが、そういう場合は「頭オカシー奴がいるぞ、なるべく離れてよっ」と思うんだよね(^-^;

 

     ※     ※     ※

 

真面目な話、警察は民間人が持たない逮捕権や捜査権といった一般人が持っていない強力な権限を持っている。交通取り締まりに関してもしかり。それゆえに、警察官は一般人以上のモラルを求められるべきである。それが、こともあろうか、職務中にパトカーを運転して、したい放題だなんて、あってはならない。代紋をチラつかせて恐喝するヤクザ以下の存在だ。警察官の風上にも置けない。

 

2017年5月4日、午前9時50分頃に京葉道路上り線幕張IC付近を走行するパトカーを運転していた警察官よ、あんたの事だよ。

 

 

 

飯土井橋

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【名称】飯土井橋(いいどいはし)
【所在地】香取郡多古町多古
【竣工】1971(S46)年3月
【橋長】約40m(目測)
【幅員】約6m(目測)

 

 

2017年3月5日訪問

前回(2011年6月5日)

前々回(2011年2月5日)

 

 

香取郡多古町多古(たこ)、栗山川の右岸にて。今いるのはココ(←クリック)。上流方面に向かっている。前方に見えるのが県道74号の飯土井橋。

 

ところで、この一見なんの変哲もない飯土井橋だが、「栗山川に架かる橋では町内で最も古」いものだという。といっても、今の橋がという意味ではなく、ご先祖にあたる先々々々々代(何代前?)の橋がという意味だ。というのも、近くの日本寺に安永8(1779)年に架け替えをしたという記録が残っているからだそうな。

 

詳しくは日本観光振興協会のウェブサイト(http://www.nihon-kankou.or.jp/chiba/123471/detail/12347ad2152051880)を参照のこと。

 

 

では、そんな由緒ある橋をじっくりと観察。。。

 

ん、なんか組んであるぞ?もしかして架け替えか?

 

と思ったのだが…

 

 

架け替えるにしては、橋脚が小さすぎる。そっか、側道橋を作るのか!

 

 

西側より。

 

 

西側右の親柱。「飯土井橋」

 

 

西側左の親柱。「昭和四十六年三月完成」

 

「コンクリートの撤去」ってどういうことだろう???

 

 

西側の袂から。

 

 

橋の上から南の下流方面を望む。

 

 

北の上流方面。

 

 

建設中の橋脚。

 

 

今しか見られないので、せっかくだから角度を変えて。

 

 

東側より。

 

 

東側右の親柱。「いいどいはし」

 

 

東側左の親柱。「栗山川」

 

 

東側の接道。右の空間に歩道が造られるのだろうか?

 

 

予告看板が沢山(^-^;

 

 

少なくとも猛一本は橋脚を設置するはず。ということは、川を半分せき止めて… あれ?栗山川は、これから水量が増える時期だけど大丈夫のかな?それとも残りの工事は収穫後にとか?

 

 

とりあえず「コンクリート撤去」は終わっているはず。この日、帰りにガソリンスタンドで買った多古米が美味しかったので、様子見がてら買いにに行くのもいいかな。


 

北側より。

 

 

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菅野隧道

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【名称】菅野隧道(すげのずいどう)
【所在地】市原市菅野/君津市川谷
【竣工】1891(M24)年(「隧道データベース」より)/1974(S49)年3月
【延長】115m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】8.0m(同上)

【高さ】4.7m(同上)

 

 

2017年4月30日訪問

前回(2015年8月2日)

前々回(2011年12月4日)

 

 

市原市菅野(すげの)、千葉県道32号大多喜君津線(おおたききみつせん)にて。今いるのはココ(←クリック)。千葉県内、いや日本全国のいたるところにあるごく平凡な隧道である。そして、個人的には君津方面に行く際にほぼ必ず通るお馴染みの隧道でもある。


 

だが、この写真を撮る数分前、いつものように隧道にさしかかったオイラはこの隧道の姿(東側坑口)を見て、思わず「あっ」と声を上げてしまった。そして、一旦通り過ぎた隧道の仲を歩いてこちらに戻ってきたのだ。
 

 

オイラは何に驚いたのか。それはこの写真を見ていただければ解るだろう。5年ほど前の写真だ。

 

 

そう、なくなっているのだ…

 

 

この扁額が!!∑(゚Д゚)ガーン

 

 

ほら。扁額が嵌っていたスペースはポッカリと空洞に。

 

ところで、扁額だが、(後で勘違いだったと気付くのだが)ホーロー看板みたいなものじゃなかと思っていた。なんとなく中央部分が浮いているし。ということは、これが落っこちると、ガッシャーン、ペコって具合で、、、

 

ならば、、、

 

 

どこにある?

 

 

どこだ?

 

 

あった!!!(゚д゚)ハッ!!

 

予想とは違って、扁額は分厚いアクリル板のようなものでできていたようだ。そして、落下の衝撃で粉々に…( ;´Д`)

 

 

とりあえず破片を集めてみたけど、、、こりゃダメだ( ;´Д`)

 

 

東側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た東側坑口。

 

 

粉々になった扁額に、昭和49年3月と記されていたが、よくあることだが、それは改修時期だと思われる。隧道データベースによれば、この隧道が竣功したのは、1891(明治24)年。隧道データベースの記録によれば、昔のスペックは延長112m、幅員4.4m、高さ4mとのこと。改修時に少し掘り下げられているかもしれない。

 

 

この隧道は市原市と君津市の境界上にありもする。

 

 

西側へ。この先、道は蛇行しつつ下る。ドライバーはスピードの出し過ぎに注意のこと。

 

 

西側坑口。

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

西側の扁額も欠落している。これはオイラが始めて見た時点で既にそうだった。

 

 

西側より。

 

 

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林道山田線(北側、一号隧道手前まで)

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【名称】山田線(やまだせん)
【所在地】いすみ市山田
【開通】不明(明治以前?)
 

 

 

2017年5月7日訪問

 

 

いすみ市山田にて。今いるのはココ(←クリック)。南を向いている。この路地を右に入る。

 

 

50メートル程進んで、次の交差点に。ここも右へ。

 

 

緩やかな下り坂。

 

 

そして次の交差点。ここは左折。

 

 

夷隅川の支流、山田川に架かる小さな橋。

 

 

橋を渡ると道は二又に。

 

 

うっそうとした山の中に延びる道が今回の目的。

 

 

ココが林道山田線の起点になるようだ。

 

 

コンクリ舗装の坂道。オイラの体力では、この時点で既にチャリは押しである(^-^;

 

 

起点から100メートル程進んだところだっただろうか。今いるのはたぶんこの辺り(←クリック)。左の法面に何か見える。

 

 

穴だ∑(゚Д゚)

 

 

写真は手前の枝にピントが合ってしまったが、明らかに人口物。いわゆる二五穴のようだ。

 

この山田線、今でこそなんの変哲もないただの林道のように見えるが、明治にすでにあったかなり古い道だ。現在この道の西にある県道82号天津小湊夷隅線が開通するよりも前、この道は山田地区と荒木根、市野郷地区を結ぶ幹線道路だったようだ。

 

明治39年発行の地形図には既に、この先にある3本の隧道が描かれている。そして、更に古い迅速測図にも隧道区間は迂回するような線形の道が記されている(ひょっとしたら、現在の荒木根線か?)

 

 

この山田線、オイラも以前、南の東ダム方面からチャリで走ってみたことがある。3本の隧道を通り、その少し先で引き返したのだが、一体どうしてそんなところで引き返したのか覚えていなかった(^-^; ということで、よくわからないがリベンジしてみようと思ってやってきたのだ(^-^;

 

 

ここで舗装が途絶えた。今いるのはココ(←クリック)。ただ、舗装はこの後も断続的に復活したり消えたりする。

 

 

何やらほじくり返したようだ。

 

 

最初の舗装復活地点。この後はせっせと場所を記録するのは止めてしまった(^-^;

 

 

ところどころガードレールも残っている。適度な廃れ具合。見晴らしはあまり良好とは言えないが、楽しいハイキングだ。

 

 

雑草の生え方から少なくとも四輪車は滅多に入ってこないことが伺える。

 


長年踏み固められた路盤なのだろう。

 

 

しかし、こういうダブトラを見ると、やっぱり四輪車も未だに出入りしているのか?と思ってしまう。

 

 

道端に何か転がっている。まきき氏が喜びそうなガラクタかな?

 

 

この立て札は?

 

 

不法投棄への警告だった。ゴミと一緒に捨てられているなんて(^-^;

 

 

とりあえず立てておいた(^-^;

 

 

コンクリ舗装の坂道を下る。

 

 

少し景色がよくなってきたか?

 

 

あれっ?

 

 

道が、、、ない??

 

 

たんに舗装が途切れただけだったようだ(^-^;

 

 

しかし、ここから急に道が荒れ出す。

 

 

こりゃ、単車でも突破は厳しいのでは?

 

 

やがて道は消えてただの荒れ地になってしまった(^-^;

 

 

少し進むと、道の続きが現れた。

 

 

よかったよかった。

 

 

振り返ってみて思い出した。そうだ、4年前に引き返したのはココだ∑(゚Д゚) 道が消えていたので引き返したのだ。今なら、「とりあえずもう少し偵察してみるか」となるところだが、当時はまだオイラもおとなしかったのだ(^-^;

 

 

この坂を登った先に隧道があったはず。

 

 

それにしても、前回はこんなに道は荒れていなかった。いったい、どうしてこんなことになっているのだろう?

 

 

 

いよいよ隧道。そして道はますますグチャグチャに… (^-^;

 

 

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山田第一隧道

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【名称】山田第一隧道(やまだだいいちずいどう)
【所在地】いすみ市山田
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約4m(目測)
 

 

2017年5月7日訪問

前回(2013年1月20日)

 

 

いすみ市山田、林道山田線にて。昨日の記事の最後の写真を再掲。実はここに既に隧道がほんの少し写っている。写真では解りづらいが、肉眼ではこの時点ではっきり隧道の存在が見えている。

 

 

少し歩みを進めたところ。ここまでくれば写真でも隧道があることがよく解るだろう。ってか、やっぱり隧道の手前も大変なことになっている。

 

 

北側坑口。

 

 

ちなみに、4年前の姿。ほぼ同じような構図で撮っていたんだなぁ(^-^;

 

 

北側の扁額。

 

 

「山田第一隧道」

 

隧道名の下に竣功年月を記していることが多いが、ここは隧道名のみ。そして隧道の竣功時期だが、ネット上で調べた限りでは不明。ただ、昨日の記事にも書いたが、明治39年発行の地形図にすでにこの隧道の記載がある。また、迅速測図には記載がないので、明治20~30年代に竣功しているものと思われる。もちろん、現在の姿になったのはそれよりもずっと後のことだろうが。

 

 

北側坑口から内部を望む。少し前から気付いていたのだが、南側が大変な事になっている。。。

 

 

同じ位置からズームして露出を調節して 撮ってみたのがこれ。つまり、まぁ、こういうことになっているのだ(^-^;

 

 

路盤は(推定)5センチ程度の泥に覆われていた。坑口が塞がれて泥が溜まってしまったようだ。

 

靴がスポッといってしまったら撤退するしかないと思ったのだが、見かけより乾いて締まっていたので普通のスニーカーでも問題なく歩くことができた。

 

 

でも、先人は苦労したようだ(^-^;

 

 

内部から見た北側坑口。

 

 

モルタル吹きつけの内壁。

 

千葉の林道によくある縦長の断面。掘り下げと考えるのが自然なのだが、このスペックのものがしばしば見られるので、ひょっとしたら、これが林道にある隧道の仕様なのかもしれない、と思ったりもしているのだが、実際のところどうなんだろう?

 

 

さて、南側の坑口が近づいてきた。

 

 

内部から見た南側坑口。

 

 

改めて説明しよう。この日(2017年5月7日)、隧道の南側坑口は崩落で封鎖状態だった(^-^;

 

 

大変な事になっているけど、とりあえず、登ってみるしかない。

 

 

登ってみて前方(東ダム方面)に展開した景色。なんだこりゃ(^-^;

 

 

振り返って見た南側坑口。

 

 

南側の全景。写真はパノラマ合成で。

 

 

こちらも、4年前の姿を。

 

 

南側の扁額。「やまだだいいちずいどう」

 

 

坑口向かって左手がグシャッと崩落してきたようだ(^-^;

 

 

倒木の上を伝って前方を偵察。とりあえずこの崩落さえ突破すればなんとかなりそうだ。単身なら大したことないのだが、なにしろチャリ同伴だからなぁ(^-^;

 

 

とはいえ、このままもと来た道を戻りたくない。同じ道を引き返すというのもつまらないし、面倒だからだ。このまま進めば東ダムまですぐのはず。

 

 

しばらく悩んで結局チャリを担いで強引に突破。案ずるより産むが易しのごとく、なんとかなってしまった(^-^;

 

 

最後の倒木を通り、、、

 

 

振り返り。

 

この林道、復旧されるのかな?もう少しまえから好事家しか通っていないんじゃないかという雰囲気だったので、今後が非常に心配だ( ;´Д`)

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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山田照明 取付簡易型 薄型ライティングダクト レール可動型 TG-367

 

 

 


岬町童謡の里

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【名称】岬町童謡の里
【所在地】いすみ市岬町岩熊
【竣工】1991(H3)年

 

 

2017年4月16日訪問

 

 

いすみ市岬町岩熊にて。たまたま通りかかったところ、目に付いたので緊急停止。

 

 

なんだろ?石碑が3つもあるぞ。

 

 

「童謡の里」ってなんだ???

 

 

左右の石碑には音符も刻まれている。

 

 

「岬町童謡の里」

 

この碑は、昭和初期から中期にかけて活躍した民謡作曲家の海沼實にちなんで建立されたものとのこと。この場所にかつて海沼の妻の実家があったそうだ。

 

なお、岬町は2005年に大原町、夷隅町と合併して、いすみ市になっている。

 

 

「里の秋」 題名は知らなかったが、聞けば思い出す歌だ。

 

 

「蛙の笛」 こちらは知らなかった(^-^;

 

ところで、千葉県観光物産協会のここの紹介ページの解説文が酷い。まず、日本語がおかしい、そして肝心の海沼の名前が間違っている。千葉県観光物産協会、大丈夫か?

 

     ※     ※     ※

 

さて、実はおいらが注目して緊急停車したのは、この歌碑のためではない、その後ろにあるブツのためだ。

 

 

まず、これ。
 

 

中を覗いてみると、ただの部屋だった( ;´Д`)

 

 

つぎに、ふたつの凹み。

 

 

水路隧道か壕の跡か、、、封鎖されていてどうにもならないことは明らかなのだが、ついついチェックしてしまうのだ(^-^;

 

 

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里の秋

 

 

 

境部田橋

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【名称】境部田橋
【所在地】297-0122 千葉県長生郡長南町坂本
【竣工】2015(H27)年9月
【延長】約100m(目測)
【幅員】約7m(目測)

 

 

 

2017年5月21日訪問

 

 

長生郡長南町坂本、今いるのはココ(←クリック)、南を向いている。県道から未成橋らしきものが見えたのであわててこちらに曲がってきたのだ。橋の前後が寸断されていて上に登ることはできなさそうだ。

 

 

なかなか立派なはし。えっと、ここにあるってことは、、、あれか?

 

そう、冒頭のYahoo!地図を航空写真に切り替えていただくと、2017年5月現在、この橋の建設中の姿が映っている(橋脚のみ)。そして、ここから北西300メートルほどのところに、圏央道の茂原長南IC方面から延びてきている建設中の道が!そう、以前紹介した黄金橋(未供用)の道だ。つまり、この橋は現在建設中の、長南と一宮を結ぶ長南グリーンラインの橋梁ということになる。

 

 

橋歴板が見えた。こういう日に限って望遠レンズを持ってきていないんだよなぁ。いつも使わないから、この日は持ってくるのをやめたのだった(^-^;

 

 

それでも、写真を拡大してみると銘板の内容を読み取ることができた。

 

「堺部田橋/2015年9月/千葉県/道示(2001)B活荷重/使用鋼材:SMA490W、SMA400W/設計:株式会社千代田コンサルタント(佐藤栄一)/製作:株式会社:東京鐵骨橋梁(水島純一)/施工:株式会社東京鉄骨橋梁(升本和喜)」

 

担当者の名前入り橋歴板はあまり見かけない。記憶にあるものでは、八千代市の印旛放水路近くの水路に架かる阿宗2号橋ぐらいか?あともう1つか2つ、見かけたことがあるような気がしないでもないが、どこだったか思い出すことができない。

 

 

それにしても、この長南グリーンライン、一体、いつ開通するのだろう?竣功してから既に1年半。小金橋は3年以上経っているというのに。。。よくあることとはいえ、開通する頃には橋がポンコツになっているのではないかと要らぬ心配をしてしまう(^-^;

 

 

最初見たときは未成橋かと思ったが、橋台が完成し橋桁が載っかっている。ここまで築堤を築く予定なのだろう。

 

 

南側より。

 

 

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ゼンリン住宅地図 B4判 千葉県 長生郡長南町 発行年月201505 12427010E

 

 

 

奈良田トンネル

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【名称】奈良田トンネル(ならだとんねる)
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】1993(H)年11月
【延長】202m
【幅員】6.5m
【高さ】4.5m

 

 

2016年11月6日訪問

 

 

山梨県道37号南アルプス公園線にて。今いるのはココ(←クリック)。このトンネルは県道の一般開放されている区間では最も北(起点側)にあるものだ。北側坑口。

 

 

扁額の代わりに直接ポータルにトンネル名が刻み込まれている。「奈良田トンネル」

 

 

坑口の左にある銘板。「奈良田トンネル/1993年11月/山梨県/延長202m 巾6.5m/高4.5m/施工 (株)早野組 (株)杉山組共同企業体」

 

 

レリーフ。

 

 

鳥だということしかわからない(^-^;

 

 

北側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た北側坑口。

 

     ※     ※     ※

 

 

トンネルの延長は202メートル。今回は時間もなかったので、内部は車で通り抜けたのみ(^-^;

 

そう、これから1時間かけて下部温泉まで行かなければならないのだ。ホントは奈良田温泉の宿にも泊まってみたいのだが、1名だとちょうどいい宿がなくて…(^-^;

 

 

県道が整備される以前は、甲府方面から1日がかりでくるようなホントの秘境だったらしい。まぁ、いまでも決してアクセスがいいとは言えないのだが… 何年か前にも冬場に県道が通行止めになってしばらく孤立していたっけ。だが、数年前、南アルプス市の芦安芦倉から奈良田までトンネルを掘って新道を建設する計画が決まったようだ。

 

 

南側坑口。

 

 

これは鹿かな?そうそう、前回来たときは、真夜中に県道を鹿が走っていたっけ(^-^;

 

 

これは???

 

 

こちらもトンネル名、直接の刻み込み。

 

 

南側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た南側坑口。

 

 

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奈良田追分/馬見原追分

 

 

 

君津市久留里/浦田の隧道跡

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【名称】不明
【所在地】君津市久留里/浦田
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明

 

 

2017年5月28日訪問

 

 

千葉県君津市久留里(くるり)、今いるのはココ(←クリック)。南を向いている。この先の切り通しはかつて隧道だった。

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

 

いつものように今昔マップで新旧の地形図を比較してみる。左が1982年発行の、そして右が現在の地形図である。点滅している赤丸の中にあるのが本日のお題。

 

旧版地形図では3本の隧道が密集して存在しているが、いまでは1本(怒田第二隧道)しか生き残っていない。

 

残っている隧道が「第二」なら、消えた隧道のどちらかが「第一」のはず。ならば、市街地寄り(久留里方面)のこの隧道こそ「第一」にふさわしいように思われる。というか、そうに違いないと思っていた。しかし、この記事を書くにあたって、あらためてこの隧道(跡)の場所を確認してみると、、、

 

怒田じゃないし∑(゚Д゚)ガーン

 

隧道(跡)は君津市久留里と君津市浦田(うらた)の境界に位置していた。なお、南の隧道跡は浦田と怒田の境界上にある。ってことは、そっちが「第一」か?いまいち納得いかないけど、、、

 

 

次は、隧道生存時の航空写真。国土地理院が1975年1月6日に撮影したもの(CKT7414-C6A-32)だ。

 

 

さて、現在に戻ろう。隧道跡を北側より望む。

 

 

西側の法面。

 

 

東側の法面。

 

 

東側の法面は見上げる高さ。

 

 

なにか札のようなものが…

 

 

境界見出標。こういうのはあまり見覚えがないが、植林地の境界を示すものらしい。

 

 

西側の法面にも。

 

 

こちらは営林局の名が。

 

 

南側より。

 

     ※     ※     ※

 

 

最後に隧道の撤去時期について。

 

これは1981年7月7日に撮影された航空写真(KT814X-C4-16)。南の隧道とともに消失している。ということで、1974年から81年の間に撤去されたということまではなんとか絞り込むことができた。

 

 

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久留里型片刃厚鎌 180MM

 

 

 

作田川の無名橋たち

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【名称】不明
【所在地】山武市成東
【竣工】不明
【橋長】約4m(目測)
【幅員】約15m(目測)

 

2016年9月4日訪問

 

 

九十九里平野平野の中央部を流れる作田川。その中流部を上流に向かってまったりと進んでいる。去年の9月、まだ残暑厳しい時期のことだった。

 

 

橋が見えてきた。

 


地図にも載っている橋だが、仮設橋のような造り。ネットで公開されている山武市橋梁位置図 (PDFファ
イル)にも記載はない。行政が管理している橋ではないのかも?

 

 

橋の上から東の下流方面を望む。

 

 

西の上流方面。

 

 

南側より。

 

 

西側より。

 

     ※     ※     ※

 

【名称】不明
【所在地】山武市成東
【竣工】不明
【橋長】約4m(目測)
【幅員】約15m(目測)

 

2016年9月1日訪問

 

 

更に上流に向けて進む。

 

 

程なく次の橋が見えてくる。

 

 

今度の橋は白いガードレールが設置されている。

 

 

けど、またしても少し微妙な造り(^-^; そして、先ほどの橋と同じく山武市橋梁位置図 (PDFファ
イル)に記載されていない。

 

 

橋の上から東の上流方面を望む。

 

 

西の上流方面。この先が堰になっているのだが、少し変わった造りになっている。そちらの模様はいずれまた。

 

 

南側より。

 

 

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【特別純米酒】 駒泉 特別純米 有期栽培 作田 1800ml 【青森県】[盛田庄兵衛兵酒造]

 

 

 

米原隧道

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【名称】米原隧道(よねわらずいどう)
【所在地】市原市米原
【竣工】1979(S54)年7月
【延長】65.50m
【幅員】5.50m
【高さ】4.70m
 

 

2017年6月4日訪問

前回(2011年6月12日)

 

 

市原市米原(よねわら)にて。今いるのはココ(←クリック)。隧道の東側だ。

 

前回、この隧道を取り上げたとき、「大多喜街道(国道297号)の旧道にあるトンネル」と書いたが、じつはそれは大間違い。旧道どころか、昭和半ばになって始めて地図に登場した道だった(^-^;

 

 

東側坑口。

 

 

東側の扁額。「よねわらずいどう」

 

さて、前回から6年ほど経っているが、受ける印象は全く変わらず。交通量の割には立派だが、個性に欠ける極めて平凡なトンネル。。。(^-^; なにか、新しい発見でもないかと思ったら、、、

 

 

あった、ポータルが民家と一体化している。こんなのは初めて見た(笑)。新発見があってこそ、撮り直ししてみた甲斐があるというもの。けっして、時間が微妙にあまっちゃったけど、そのまま帰るのももったいなくてとりあえず寄ってみたって訳じゃないので(^-^;

 

 

東側坑口から内部を望む。

 

 

内部から見た東側坑口。

 

 

日没が近づき、西側坑口に日の光が差し込んでいる。

 

 

この後出てくる銘板に記されているが、隧道の延長は65.50メートル。

 

 

西側へ。この先、緩やかな直線の坂道になっている。

 

 

西側坑口。

 

 

西側の扁額。「米原隧道」

 

 

こちら側の坑口には向かって左側の内壁に銘板が埋め込まれている。

 

 

「米原隧道/1979年7月/延長 65m50/幅員 5m50/高さ 4m70/市原市」

 

市原市、前から読んでも市原市、後ろから読んでも市原市。あ、市川市もだ(^-^;

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

西側より。

 

     ※     ※     ※

 

 

さて、隧道ができる前はどうなっていたのだろうと思って、少し古い航空写真を見てみた。これは1975年1月3日に国土地理院が撮影したもの(CKT7414-C3-56)を修正したもの。隧道が竣功する4年ほど前のもののはずだが、前後に道があるように見える。ひょっとしたら、今昔マップの1/50000の地図には載っていない細い生活道路があったのかもしれない。そして、細い隧道もあったのかも、、、いずれ調査しなければ・・・

 

 

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姉・米原万里 思い出は食欲と共に

 

 

 

小田代の水路隧道(第五弾)

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【名称】不明
【所在地】夷隅郡大多喜町小田代
【竣工】不明
【延長】約30m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約7m(目測)

 

 

2016年12月25日訪問

 

 

大多喜町小田代(こただい)、千葉県道178号小田代勝浦線(こただいかつうらせん)にて。今いるのはココ(←クリック)。

 

養老渓谷やまびこセンター駐車場入り口の向かい側に川に降りる小路がある。

 

 

小路の先の行き止まり。

 

 

そこからを見るとボックスカルバートがある。

 

 

特筆するようなことのないボックスカルバート。上の県道の新道が建設された時に設置されたようだ。

 

 

西側坑口から内部を望む。

 

 

東側坑口。ここの取材はこんなもので充分だろう(^-^;

 

 

西側に戻ると、まきき氏が待ち構えていた。

 

「こらっ、おっさん、チンタラしとらんと、はよ来いや!」的な事を言ってる。えとー、より正確には「いいですねぇ、はいぃぃぃ。早く穴に入りたいです(*´д`*)ハァハァ」的な感じなのだが。

 

え、全然ニュアンス違うだろって?まぁ、それはネタってことで。本人もネタにされるのが嬉しいみたいだし(・∀・)ニヤニヤ

 

 

さて、本日お題の水路隧道、東側坑口(呑口)。

 

 

まきき氏でなくとも(*´д`*)ハァハァしちゃいそうな素敵な水路隧道だ。

 

 

なかを覗くと、向かって右側に二五穴サイズの穴が(゚д゚)ハッ!!

 

 

本坑と並行に伸びている。垂直に伸びるのは時々見かけるが、こういうのは初めて。というか、どういう意味があるのかもわからない(^-^;

 

 

振り返ると仁王立ちのまきき氏が。「そこ退けやぁ。この穴、ワシのもんやで!」的な事を言(いたかったと想像)。

 

 

ということで、横の穴はまきき氏に任せ本坑に戻る。

 

 

おや、光が。まきき氏だな(・∀・)ニヤニヤ

 

 

あ、いたいた。あんなところで、いつまでも何かゴソゴソしているのがまきき氏のいつものスタイル。何しているのかぁ(笑)

 

 

内部から見た東側坑口。

 

 

この先どこまで進めるのか?できれば通り抜けしたいのだが。。。

 

 

まきき氏が出てきた。坑口の大きさが解る一枚。

 

 

転ぶと大変なことになりそうなので、慎重に進む。。。

 

 

右前方を見るとまたしても横穴が(゚д゚)ハッ!!

 

 

西側坑口(吐口)まで来た。

 

 

これ以上は進めそうにない。

 

 

左を見ると、またまた横穴が∑(゚Д゚) この水路隧道どうなってるんだ?

 

     ※     ※     ※

 

 

西側坑口がどうなっているか調査すべく回り込む。

 

 

と言っても、車道から簡単に見ることができるのだが(^-^; 今いるのはココ(←クリック)

 

もっとも、見るのは簡単でも近づくのは少し大変そうだ。この斜面を直接降りてもいいのだが、人目が気になる。いや、人はそれほど気にしていないのかもしれないが、見られそうだと思うと気になるものだ。ということで、最短距離の接近は最後の手段に。。。

 

 

とりあえずもう少し下流側に行ってみようとしたら、不思議なものに気付いた。橋脚?場所は旧道沿いのココ(←クリック)。桟橋でもあったのだろうか?

 

 

そして穴。

 

 

穴があったら入れたい入りたいまきき氏。残念でした(^-^;

 

 

駐車場のお社の奥に降りられそうなルートがあった。

 

 

ということで、ちょっと失礼。

 

 

養老川(の支流)らしいナメ床。いつも歩き出してからヘルメットをかぶってくればよかったと思うのだ(^-^;

 

 

見えてきた。

 

 

西側坑口(吐口)。

 

 

この写真だけだと小さく見えるかもしれないが、実物はかなり大きい。

 

 

ちゃんと下を見ながら歩かないとズボッとやっちゃうんだよなぁ(^-^;

 

 

西側坑口から内部を望む。滝のすぐ上が先ほどの最終到達地点。

 

 

内部から(左側に)見えた穴にまきき氏が突入。ああいう小さくて泥だらけになりそうな穴は穴キ●ガ●の彼に全面的に任せることにしている。

 

 

通過完了。

 

 

ひと仕事終えて川の水をすするまきき氏。「うめーなぁ」←一応ただのネタなので(^-^;

 

そうそう、さっき、上流の穴を抜けたときに、我慢できなくてちょっとアレしちゃったので、今頃ちょうど流れてくるころかな?まぁ、黙っておこう。

 

     ※     ※     ※

 

 

そうそう、もうひとつの穴があったっけ。。。川岸をよじ登り藪を強引に進むと口を開いていた。

 

 

内部から見て右側に見えた穴の出口だ。
 

 

中を見るとコレ。二五穴より一回り小さいサイズ。うわー、ちょっと入りたくねーなぁ( ;´Д`) 奥からゴーゴーという音が聞こえてくるので、この先は間違いなく内部まで繋がっていると思うのだが。。。 狭い穴要員のまきき氏は県道に上がってしまって、「面倒だから、もういいやー」なんて言っている。ったく、使えねーおっさんだな ( ゚д゚)、ペッ

 

 

てか、おいらももう充分満足。こんな感じで記念撮影してもらえるというのなら、張り切りようがあるのだが(^-^;

 

 

ということで、さっき降りるのを躊躇した斜面を強引によじ登る。これにて、この日通算5本目の水路隧道の調査完了。乙でした。

 

 

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成田ニュータウンに残る遺構たち

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【名称】宝徳寺観音堂(ほうとくじかんのんどう)
【所在地】成田市玉造
【建立】1684(貞享元)年、2011年焼失
【再建】2013年頃?
 

2017年6月11日訪問

 

 

成田市玉造(たまつくり)、成田ニュータウンの北端にある外小代公園の駐車場から出発。

 

 

公園内には多数の古墳があるが、それは以前見たので今回はとりあえずスルー。だが、公園南側の交差点に見える空き地。あれも古墳(公津ヶ原29号墳)だ。

 

 

そして、その隣には公津ヶ原28号墳が。

 

 

案内板の小山が28号墳なのだろう。

 

 

住宅地の中をウロウロしていたら九十九折のスロープに出た。今いるのはココ(←クリック)。

 

 

下の車道に出て南に進む。

 

 

少し進むと左手に由緒ありげな建物が見えた。今いるのはココ(←クリック)。

 

 

宝徳寺観音堂。

 

 

南側に案内板があった。それによると、この観音堂は1684年に建立されたもとのこと。「一名六角堂と呼ばれ県内でも数例しかなく建築史上注目に値する建造物」だということなのだが、、、

 

 

おかしいんだよなぁ、、、

 

 

とても300年以上前の建物には見えないんだよなぁ。。。んー、まぁ、柱はちょっと古い材木っぽいけど、、、

 

ということで、帰宅後に調べてみると、なんと、この観音堂、2011年8月に火事(不審火)で全焼していたという事が判明( ;´Д`) 現在の建物はその後再建されたものらしい。

 

 

オリジナルの観音堂は茅葺き屋根で、釘を一本も使わない造りだったようだが、、、今じゃ釘なしでは無理なのね。てか、そんな腕を持った宮大工さんが雇えなかったのかな?(^-^;

 

 

由緒ありげな古木もあった。

 

 

木隠れ観音の由来

この古木に包まれた石佛は「木隠れ観音」と呼ばれ

「この観音様が隠れて見えなくなる時この土地は発展する」

言い伝えられて来ましたが当時は山林と畑に囲まれた

淋しい処で誰も無想だにしませんでした

然し今この言い伝えが現実のものとなり周辺が

市街化するを見るにつけ先人の残された言い伝えの

中に子孫への期待感と未来への願望を見る

思いがします。

刻々と移り行く人生の中で正しい信仰を持ち

先人・古老の教えを大切にしこの伝承を子孫に

伝えて行き度いと念じております。

                       宝徳寺 照文敬白

 

この木隠れ観音の説明文、どうやら言葉通りに理解していいらしい。つまい、この古木の中に観音像が埋まっているらしいのだ。昭和40年代頃までは木の根元に開いた穴から覗くと台座らしきものが見えたらしいが、今では全く見えなくなってしまったという。

 

 

いや、現地では、奥に見える社の事を言ってるのかと思ったのだ。木が茂ってパッと見ではわからなくなったら、という程度の意味かと(^-^;

 

 

でも、この祠の中にあるのは、、、

 

 

観音様じゃないよね(^-^;

 

 

ところで、この2つの社だが、お寺の境内からだと、古木の奥に位置するのだが、これが外の歩道から丸見え。なんだかちょっと格好悪いなぁ(^-^;

 

     ※     ※     ※

 

【名称】公津ヶ原21号墳・天王塚古墳
【所在地】成田市吾妻
【竣工】不明
【全長】63m
【高さ】4m

 

2017年6月11日訪問

 

 

さて、少し移動して、今いるのはココ(←クリック)。

 

 

またしても古墳だ。この21号墳は全長63mの前方後円墳。公津ヶ原古墳群の古墳の中でも最大規模のものだ。現在、古墳の上には八坂神社と浅間神社の祠がある。

 

 

西側の八坂神社。ここが前方部になるらしい。

 

 

そして、浅間神社のある後円部。写真はパノラマ合成。

 

 

前方部分の全景。

 

 

浅間神社の祠。

 

 

南側より。古墳全体が杉林の中にある。そこだけが開発以前の姿を残している。写真はパノラマ合成。

 

     ※     ※     ※

 

【名称】吾妻神社
【所在地】成田市吾妻
【創建】不明
 

 

2017年6月11日訪問

 

 

21号墳のすぐ隣に神社がある。

 

 

案内板を見ると日本武尊の名が。ありゃ、ここも日本武尊の東征伝説と関係あるのか(^-^; って、吾妻の地名もそれに由来しているのね。で、日本武尊が東京湾を渡るためにその身を犠牲にした弟橘姫の遺品をこの地に納めたのだとか。。。

 

 

大正から昭和にかけて、「縁日の時には、南側に伸びていた約五十メートル程の参道に、数十軒の出店が建ち並び大層賑わった」とのことだが、今ではその時の面影はまったくない。というか、「南側の参道」自体が跡形もなくなっているし(^-^;

 

 

拝殿裏手の本殿へ。

 

 

本殿の周囲は、この規模の神社にしては今時珍しく綺麗。住宅地の中なので、地域の人がまめに掃除しているのかもしれない。

 

それにしても、これだけ本殿の背後があけすけになっていると、ちょっと気恥ずかしい気持ちになってしまう。そもそも大抵の場合、神社は本殿の裏は壁や崖があったり、木が密生していたりして、こう広々と無防備な姿はしていないもの。

 

そう、まるで、隙のなく身だしなみを整えたお姉さんだが、後ろから見ると、実はうっかりスカートをパンツに巻き込んでしまっていた姿を見てしまった的なというかなんというか。しかも、ここにいると、民家の裏庭も丸見えになってしまうのだ。

 

ということで、なにも悪いことをしている訳ではないのだが、ここは足音を忍ばせ早めに退散(^-^;

 

     ※     ※     ※

 

 

調べてみると、他にも面白いものを見つけた。昔の航空写真である。まずは1965年9月30日に国土地理院が撮影したもの(MKT653X-C8-6)を拡大・加工したもの。成田ニュータウンはまだちゃっこうされておらず、今と全く様子が違う。そもそも、道さえ今と全く違うところを通っている。西側の谷津が今とあまり変わらないので、それを頼りになんとか場所が特定できたが、この部分だけ見せられてもどこなのかさっぱり解らなかったと思う。賑わっていたという吾妻神社の南側の参道も写っている。

 

 

次は1975年1月3日に撮影されたもの(CKT7413-C5B-28)。同じく拡大・加工してある。こいつはビックリ。10年前にあった水田は見事につぶされ、荒野になっている。そして、本日の記事で取り上げた遺構の箇所だけが切り取られたかのように残っている。ニュータウンの設計が最初からこれらだけは残した形で進める予定だったことがわかる。

 

それにしても、この開発ぶり。まるで「平成狸合戦ぽんぽこ」を見るようだ。いや、実際、タヌキを含む多くの山の仲間達が追い出されたのだろうなぁ(^-^;

 

 

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京成電鉄京成本線「公津の杜」キーホルダー 電車グッズ

 

 

 

養老川支流の水路隧道

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【名称】不明
【所在地】夷隅郡大多喜町面白
【竣工】不明
【延長】約30m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約3m(目測)

 

 

 

2017年5月21日訪問

 

 

大多喜町小田代(こただい)にある養老渓谷やまびこセンターの昼夜状から出発。

 

 

駐車場のすぐ脇にある水路隧道は見物客で賑わっていた。実は有名スポットだったのか?

 

 

隧道の先では家族連れが水遊びをしていた。

 

 

リュックを背負って長靴を履いて進むおいら、地元の人が山仕事に来た、とでも思われていたのかな?(^-^; とりあえずようやく人気のないところまで来て一安心(^-^;

 

 

養老川水系らしく滑床になった河床を注意しながら歩く。

 

 

今いるのはココ(←クリック)。写真で見ると大した事がなさそうだが、実際は水深があって突破不能。いきなり終了かよ( ;´Д`)と思ったのだが、右岸(向かって左)に這い上がってクリア。

 

 

再び平和な風景に。

 

 

山の仲間達も歩き回っているようだ(^-^; そうそう、やまびこセンターに鹿の頭蓋骨が売ってたっけ(^-^;

 

 

そんな事を思っていると現れたこの日の一発目。いきなりエグいのが来たぞ(^-^;

 

 

絶壁に穿たれた穴の姿はなかなかインパクトがある。おまけに、横にちっちゃな子分までいるし ∑(゚Д゚)

 

 

北側坑口(呑口)。

 

 

こりゃ通り抜けはムリポ( ;´Д`)

 

 

ザーーーーッと激しく水の流れる音が聞こえてくる。

 

 

流木が引っかかってるし(^-^;

 

 

ウェーダーかジャブジャブをマスターしたまきき氏なら突破できるんだけどなぁ。。。

 

     ※     ※     ※

 

 

じゃあ、隣のちっちゃいのに行ってみようか。。。

 

 

ってか、この小さい穴にはどういう意味があるの??? 下流にある水路隧道にもこんな感じの穴があったし、実はこの上流の水路隧道にもあった。しかし、今のところ、このテのサブ穴的なものはこの養老川の支流以外では見たことがない。川廻しの隧道は道路隧道以上に地域の個性が出るものだが、これにはどういう意味があるのだろう???

 

 

さて、ここで果敢に突入、と行きたいところだが。。。

 

普通の二五穴よりちょっと狭いよ( ;´Д`)

真っ暗で先が見えないよ( ;´Д`)

洞床はヌタヌタだよ( ;´Д`)

ちっちゃい虫がブンブン飛んでるよ( ;´Д`)

前方からザーーーッって盛大な音だけはしているよ( ;´Д`)

 

 

先人の足跡らしきものもあるのだが。。。

 

オイラには無理ぽ( ;´Д`)

 

なにしろ、まだこの日の一発目。Mきき氏とかNだの人とかのような穴キ●●イに半日ぐらい連れ回されて頭がラリってきていたら行ける、、かも、、しれないけど、、、

 

カンベンしてください( ;´Д`)

 

 

ちっちゃい穴の手前からの振り返り。

 

さて、ここでボクちんオウチに帰らせて、、、はまだ早い。

 

 

中を通れないなら迂回すればいいのさ。左岸によじ登る。写真はパノラマ合成。

 

 

迂回ルートは杉の植林地。

 

 

ここはなぜか杉が立ち枯れしていた。

 

     ※     ※     ※

 

 

若干の苦労はしたが、なんとか上流側へ出ることができた。

 

 

吐口側と違って、木に覆われていて全景を伺いにくい。

 

 

南側坑口(呑口)。

 

 

南側坑口から内部を望む。

 

 

あっ、あれは、横の穴に続いているのでは?

 

 

うん、サイズも同じだし、99パーセント間違いない。

 

 

洞床は細かい砂が堆積しているが締まっている。これならイケル気がするぞ(゚д゚)ハッ!!

 

 

とりあえず、本坑を行けるところまで。。。

 

 

足が滑らないように気をつけて。。。

 

 

ここが限界点。こりゃ、ウェーダー付けていても大変かなぁ??

 

 

内部から見た南側坑口。ここで、そのまま上流方面に向かった。えっ、ちっちゃい穴はどうしたのかって?

 

だって、通ったらまた吐口に出ちゃうわけだし、それを戻るのは。。。グズグズ( ;´Д`)

 

     ※     ※     ※

 

 

2時間後、、、

 

上流部の探索を終えて戻ってきた。地図を見れば判るのだが、本当なら、県道に出た方が帰りは楽なのだが、あえてここに戻ってきたのだ、やり残した仕事を片付けるために(←と勿体つけてみる)

 

ということで、このまま小さな穴に突入してみたのだが、その模様は下の動画で。ろくに向きも変えられないような狭い穴、キツかったわ( ;´Д`)

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

 

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養老孟司の旅する脳

 

 

 

 

小金人道橋

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【名称】小金人道橋(こがねじんどうはし)
【所在地】
【竣工】(H)
【橋長】
【幅員】
 

2016年11月20日訪問

 

 

長生郡長南町坂本(さかもと)、今いるのはココ(←クリック)。道路を跨いでいる橋は、現在建設中の長生グリーンラインの小金橋(未供用)。そしてその下に小さな橋が架かっているのに気がついた。

 

 

明らかに四輪車は通れない。人道サイズの橋だ。南側より。

 

 

別の角度から。

 

 

南側左の銘板。「こがねじんどうはし」

 

 

南側右の銘板。「平成26年1月完成」。小金橋と同じ年月に完成している。

 

 

最初、この位置関係だと、長生グリーンラインからこちらの道に降りるための道かと思った。しかし、それが主目的ではないことがこの後明らかになる。

 

 

北側より。

 

 

北側左の銘板。「小金人道橋」

 

 

北側右の銘板。「平成26年1月完成」

 

 

北側の道の先に手すりが見える。右手の丘の上に道が伸びているようだ。

 

 

この登坂は短いけどキツかった(^-^;

 

 

途中まで来てこの道の正体が解った。ブルーシートにも見覚えがある。小金橋の北側の法面に架かっていたものじゃないか。そっか、この道は上にある墓地に向かっていたのか(^-^;

 

 

案の定、道は墓地に。それにしても、墓石屋さんは墓石を担いでこの急坂を登るのかな?(^-^;

 

 

見晴らしはいいので、ここに入る人は大満足なのだろうけど(^-^;

 

 

あやうくお墓まで崩れるところだったんだなぁ。こりゃ、お墓の関係者は怒り心頭だろうなぁ。ちゃんと法面工事しなきゃいけないよなぁ( ;´Д`)

 

 

墓石とは別に石碑もあった。

 

 

神社が3社あったらしい。

 

     ※     ※     ※

 

 

小金橋の西側に、昔の墓地への入口が残ってた。どうやら黄金橋が設置されたことにより、この道が不通となり、代わりに小金人道橋が設置されたようだ。

 

 

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博多名物屋台 小金ちゃん とんこつラーメン (2食入)

 

 

 

両総用水10号サイフォン

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【名称】両総用水10号サイフォン
【所在地】東金市田中
【竣工】1960(H35)年頃

 

2017年4月2日訪問

 

 

東金市田中(たなか)、今いるのはココ(←クリック)。南西方向を向いている。この道は両総用水の管理用道路。そして左のコンクリが暗渠化された両総用水だ。

 

 

まず手前の建屋から。「51号空気弁」

 

 

裏側に回ると銘板があった。たしか前に通った時はなかったと記憶しているのだが?

 

関東農政局のウェブサイト(HP(http://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/ryoso/keii/02_5.html)によれば、高田茂氏揮毫の和耕ということだが、まぁ、右書きであることを除いては、書に無知なおいらでも普通にちゃんと読める。
 

 

「10号サイフォン 呑口」のプレートも。

 

暗渠化される前の姿も気になるところ。国土地理院が1974年に撮った航空写真を見ると吐口側に円筒形?の小さな物体?らしきものがあるが、呑口側には特別なものはなさそうだった。16号サイフォンのような感じだったのかな?

 

 

吐口側。

 

 

そして銘板だが、これは少しだけ崩してある。谷本氏揮毫の水伯とのこと。水伯とは水神のことらしい。

 

 

「10号サイフォン 吐口」のプレート。

 

 

奥の建屋はもちろん52号空気弁。

 

 

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倭寇―海の歴史 (講談社学術文庫)

 

 

 

佐室隧道、佐室歩道トンネル

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【名称】佐室隧道(さむろずいどう)
【所在地】いすみ市佐室
【竣工】1955(S30)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】72m(同上)
【幅員】5.9m(同上)
【高さ】4.5m(同上)

【名称】佐室歩道トンネル(さむろほどうとんねる)
【所在地】いすみ市佐室
【竣工】1975(S50)年3月
【延長】84m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】3.0m(同上)
【高さ】2.5m(同上)

 

2017年6月18日訪問

前回(2013年1月20日)

 

 

いすみ市佐室(さむろ)、国道465号佐室トンネルの西側にて。今いるのはココ(←クリック)。

 

右に見える2人は、最近Twitterのフォロワーが2000人を超えたというdoodoongoo氏と最近忙しすぎて気が狂いそうだというまきき氏。まきき氏が自作の壮大な物語をdoodoongoo氏に語り聞かせている。「ある農場に、気さくなおじいさんとおばさんが住んでいました。おじいさんは牧場で電車の運転を、おばあさんは牧場で乗馬をしていました。そこへある日、3人の勇者が訪れます…」だとか?

 

 

左の道は旧道。この先の旧隧道と歩行者用のトンネルは以前紹介したのだが、その時とは事情が違っている。ってか、この積んである土砂は何なのさ∑(゚Д゚)ガーン

 

 

ま、ま、まさか、、、と~ってもイヤな予感を抱えつつ、足早に旧隧道に向かう。

 

 

あーよかった、ちゃんと残っていたよ。

 

 

だが、この姿を見ることができるのもあとわずかかもしれない。というのも、以前はこの坑口、しっかりと柵で封鎖されていたはず。それが破れかけた網だけになっている。そして、隧道の手前には大量の土砂が…

 

ってことは、いずれはこの土砂が隧道の中に放り込まれる予定… としか考えられないぞ ( ;´Д`)トホホ…

 

西側坑口。

 

 

西側の扁額。右書きで「佐室隧道」。

 

 

とにかく入れる時に入っておかないと。呑気に話しているdoodoongoo氏とまきき氏は放り出して隧道集中!西側坑口から内部を望む。

 

 

天井は大量の補修跡が。

 

 

このストライプにはどういう意味が?同じようなものを小土呂隧道(封鎖済)で見たことがあるけど?

 

 

ひとつだけ開いていた側溝の蓋。

 

 

内部から見た西側坑口。

 

 

内部には多数の書き込みが。

 

 

反対側にも同じ書き込み。

 

 

中央付近は塗装の剥がれが酷い。

 

 

東側坑口が近づいてきた。

 

 

そうそう、西側も以前はこんな柵で封鎖されて入れる余地がなかったんだよなぁ。

 

 

東側はロックシェッドが設置されている。

 

 

振り返って、東側坑口から内部を望むの図。

 

 

さて、西側に戻り今度は隣の佐室歩道トンネルをチェックしないと。ってか、埋まってる?

 

 

雑草をかき分けてよじ登ると、あった。坑口残ってる!(゚д゚)ハッ!!

 

 

西側の扁額。「佐室歩道トンネル」

 

こちらも以前されていた封鎖が解除されている。ってか、もう土砂が放り込まれているし( ;´Д`)

 

 

場所を変えてもう一枚。

 

 

中に入ることもできそうだ。

 

 

入洞成功( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 

内部から見た西側坑口。

 

 

落書き。

 

 

東側へ。

 

 

内部から見た東側坑口。こちらのトンネルも東側は以前通り封鎖されたまま。

 

 

東側坑口から振り返り。

 

 

さて、これで西側からの調査は完了。

 

     ※     ※     ※

 

 

ということで、今度は東側に来てみた。今いるのはココ(←クリック)

 

 

旧道へのアクセス路がある。

 

 

ガードレールで封鎖の体裁をとっている。

 

 

東側より。ちなみに、正面の(旧)佐室隧道と(現)佐室トンネルの間に佐室歩道トンネルの坑口があるのだが、藪のせいで、ここからは全く見えない。以前は見えたのになぁ(^-^;

 

 

ロックシェッドの中へ。

 

 

東側坑口。これだけガッチリしたロックシェッドがある隧道は千葉では珍しい。

 

 

さて、次は歩道トンネルに。「その他の危険」の標識は今では現役の時とはちょっと違った意味で危険を警告しているような気もするなぁ(^-^;

 

 

朝一から藪に突入するのは気が進まないのだが、まぁ、それほど酷い藪という訳でもない。クモの巣もちょっとイヤだったけど(^-^;

 

 

東側坑口。

 

 

東側の扁額。「さむろほどうトンネル/昭和昭和50年3月竣功」
 

 

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