【名称】不明
【所在地】長生郡長柄町鴇谷/長生郡長南町棚毛
【竣工】1918(T7)年?
【延長】約20m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約5m(目測)
2015年6月7日訪問
前回(2011年10月2日)
長柄町鴇谷(とうや)、現在地はココ(←クリック) 南を向いている。前に見えるのは、おなじみdoodoongoo氏。もちろん、まきき氏もいる。3人でこの先の隧道を目指す。
舗装は最後の民家のすぐ先で終了。
どこが道なのか判らない状態に(^-^;
少し道らしくなってきたが、今度は笹と倒木で進むのが困難に。結局チャリでの到達は諦めることに。
これは帰りに撮った写真だが、こんな笹のトンネルの中を這いつくばるように通過。4年前はもう少し楽だったのになぁ(^-^;
そして急に視界が開けた。隧道キター!!! 写真はパノラマ合成。
振り返るとコレ。もうどこから出て来たのかよくわからない(^-^;
しかし隧道が現れるとテンションが上がるねぇ(・∀・)ニヤニヤ 北側坑口。
doodoongoo氏もゴキゲン。よかったぁ、喜んでもらえて。
北側坑口から内部を望む。
内部から見た北側坑口。
それにしても、大断面の隧道だ。隧道だけなら4トントラックでも通る事ができそう。でも、刈り払いを徹底しても隧道前後の道は軽四が精一杯、なぜこのような道に不釣り合いな隧道を作ったのだろう?もしかして、隧道建設当初は道路の整備も予定されていたとか?
隧道の延長は20メートルほどだろうか。こちらは内部から見た南側坑口。
南側の坑口に石碑がある。
馬頭観音だ。弘化五年と記されている。西暦に直すと1847年から48年。日本はまだ鎖国中じゃないか。ヨーロッパではフランス2月革命、アメリカではゴールドラッシュが始まった頃。そう考えると随分昔のものだという気がしてくる。さすがにこんなに昔から隧道があったとは思えない。おそらく尾根越えの旧道にあったのをここに移したのだろう。
2枚上の写真でdoodoongoo氏が見ていたのはコレ。
「開通記念」と書かれているような違うような…(^-^; 隧道が開通した時に建てられたものだろうか?
記念碑の左下には「大正七」と記されている。大正7年=1918年。レナード・バーンスタインと同い年だ!こっちは馬頭観音と比べると、つい最近のもののように感じるなぁ。なにしろ、バーンスタインの生演奏には接することができたからなぁ。
南側坑口。
丸みを帯びたオニギリ型に近い断面が柔らかい雰囲気をかもしだしている。これなら「なんか出そう」なんてことを言う人はまずいないだろう。そうか、この大きな断面は通る人に恐怖感を抱かせないための心遣いか?
南側坑口から内部を望む。
延長も短いので、この隧道を通る事を怖がる人はまずいないだろう。
少し離れてもう一枚。
さて、もうひとつ片付けなければならない仕事がある。
坑口の右にある階段を上る。場所的に旧道はコレしかありえない。
まきき氏は例のごとく撮影に夢中。まぁ、ここなら放っておいても迷子になることはないからいいだろう( ̄ー ̄)ニヤリ
あれ、植林地?これで終了?
いやいや、まだ隧道の直上方向に向かう坂道があった。
少し上ると切り通しが現れた。
切り通しを過ぎると道は下り坂に。良い雰囲気の古道だ。
しかし、2~30メートルほど進んだところでこの有様に。掘り割り状の道があるのははっきりと判るのだが、どうにも前進不可能。道理で隧道までの道中で分岐に気付かなかったはずだ。いや、注意深く見れば判るのかもしれないが、完全に竹藪と一体化していたのだろう。
やむなく引き返すことに… だが、再び隧道の南側まで戻るのも面倒なので、途中で強引に斜面を降りる。
そして、隧道の北側に出て、再度笹のトンネルを潜り生還。
みなさん、おつかれさまでした~
にほんブログ村
古道・廃道 ブログランキングへ
仏画色紙 馬頭観音(ばとうかんのん)