【名称】不明
【所在地】君津市怒田
【竣工】不明
【延長】約40m(目測)
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約2m(目測)
2015年8月2日訪問
現在地はココ(←クリック) 真夏のクソ暑い中、チャリを押しながらここまで登ってきた。
30メートル程南の分岐を右に。福野の集落に向かう道を進む。せっかくここまで登ってきたのにもったいないなぁ(^-^; 道の右に石碑が…
「農村モデル事業」
その先には水路隧道の跡があった。
福野の集落まで降りてきた。目的地はここを右に曲がった先にあるのだが、その奥にちょっと味わいのある建物があった。ちょっと見ていこう。
学校?でもなぜか洗濯物が干してあるし。
「君津市立福野小学校」
帰宅後、調べてみると2001年に廃校になったようだ。地区の避難場所にも指定されているので、今でも地域の集会所のように利用されているのかもしれない。
さて、目的地に向かう。現在地はココ(←クリック) どこかの民家に入り込んでしまいそうな道だがここで大丈夫。
畑の横を過ぎると…
急に道が荒れてきた。
良い感じの道になってきた。大福山の方から戻ろうかと思っていたけど、こりゃ大変だなぁ。予定変更しよう(^-^;
ここは耕作放棄地かな?
ようやく坂を下りきったようだ。地形図によれば一気に100メートル以上標高を下げたようだ。
ここも水田だったようだが、耕作放棄地になっているようだ。道にも雑草が生えていて、ちょっと寂しいなぁ。
ターゲットが近づいてきた。
おや、タイヤの跡だ。案外通る人がいるのかな?
カーブを曲がると隧道の登場!
素晴らしい素堀隧道だ。苦労して来た甲斐があったなぁ~。
北側坑口。
坑口の手前に段差が。でも、車の主は強引に走り抜けたらしい(^-^;
北側坑口から内部を望む。
内部から見た北側坑口。
路盤はサラサラ。
地図にも西側に迂回する道があるが、ほんの少し迂回すればいいだけなのに隧道を掘ってしまうというのが房総ならでは。掘りやすそうな地質だからなぁ。
4分の3ほど進んでみて驚いた。とんでもない段差があるじゃないか。
段差は20センチ以上はあるだろうか。おいらの車じゃまず間違いなく引っかかってしまうはず。こんなところでスタックしたらシャレにならないよなぁ(^-^;
それにしても、見知らぬドライバー氏はここも難なく(?)クリアしたようだ。恐ろしや恐ろしや∑(゚д゚; )
まぁ、こんなところでも喜々として走り抜けそうな御仁に2人ほど心当たりがあるが… まぁ、誰とは言わないけど(・∀・)ニヤニヤ
内部から見た南側坑口。
南に抜けた。こちらの水田もみな今は耕されていないようだ。
南側坑口。
南側坑口から内部を望む。
少し離れると緑に隠れてしまいそうな坑口。
※ ※ ※
ところで、先ほどもちらりと触れたが地図にも載っている西側の迂回路。これがどうなっているのか気になったので言ってみることに。北側にもどって隧道の手前にある分岐を右に進んでみた。
途中から軽い藪漕ぎ状態に(^-^; やっと藪を脱出して現在地はココ(←クリック)
もうこれ以上進むことはできない。とほほ。ということで、再度隧道を抜けて南側に。
南側より。
この一帯、周囲が山に囲まれて周囲から隔絶されたような雰囲気。江戸時代の隠田ってこんな雰囲気だったのだろうか?しかし、残念なことに全ての水田が今では耕作放棄されている。ネットの地図で航空写真を見るとまだ耕作されているように見えるので、このようになってからまだあまり年月が経っていないようだ。
ところで、この近くに小櫃川の支流の御腹川が流れている。地図でその上流までずっとたどってみると…
産廃処理場 ∑(゚д゚; ) 数年前に首都圏最大級の最終処分場が稼働し始めたのだ。そして高レベル放射性廃棄物の最終処分場の有力な候補地になっているという話も…
ひょっとして… この処理場との絡みでこのエリアの水田の耕作がなされなくなったとか?あくまで憶測なのだが、だとすれば一気にこうなってしまった理由も納得できるような。。。
※ ※ ※
おまけ動画
今回は高画質で。
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福野礼一郎あれ以後全集〈1〉
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【竣工】不明
【延長】約40m(目測)
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約2m(目測)
2015年8月2日訪問
現在地はココ(←クリック) 真夏のクソ暑い中、チャリを押しながらここまで登ってきた。
30メートル程南の分岐を右に。福野の集落に向かう道を進む。せっかくここまで登ってきたのにもったいないなぁ(^-^; 道の右に石碑が…
「農村モデル事業」
その先には水路隧道の跡があった。
福野の集落まで降りてきた。目的地はここを右に曲がった先にあるのだが、その奥にちょっと味わいのある建物があった。ちょっと見ていこう。
学校?でもなぜか洗濯物が干してあるし。
「君津市立福野小学校」
帰宅後、調べてみると2001年に廃校になったようだ。地区の避難場所にも指定されているので、今でも地域の集会所のように利用されているのかもしれない。
さて、目的地に向かう。現在地はココ(←クリック) どこかの民家に入り込んでしまいそうな道だがここで大丈夫。
畑の横を過ぎると…
急に道が荒れてきた。
良い感じの道になってきた。大福山の方から戻ろうかと思っていたけど、こりゃ大変だなぁ。予定変更しよう(^-^;
ここは耕作放棄地かな?
ようやく坂を下りきったようだ。地形図によれば一気に100メートル以上標高を下げたようだ。
ここも水田だったようだが、耕作放棄地になっているようだ。道にも雑草が生えていて、ちょっと寂しいなぁ。
ターゲットが近づいてきた。
おや、タイヤの跡だ。案外通る人がいるのかな?
カーブを曲がると隧道の登場!
素晴らしい素堀隧道だ。苦労して来た甲斐があったなぁ~。
北側坑口。
坑口の手前に段差が。でも、車の主は強引に走り抜けたらしい(^-^;
北側坑口から内部を望む。
内部から見た北側坑口。
路盤はサラサラ。
地図にも西側に迂回する道があるが、ほんの少し迂回すればいいだけなのに隧道を掘ってしまうというのが房総ならでは。掘りやすそうな地質だからなぁ。
4分の3ほど進んでみて驚いた。とんでもない段差があるじゃないか。
段差は20センチ以上はあるだろうか。おいらの車じゃまず間違いなく引っかかってしまうはず。こんなところでスタックしたらシャレにならないよなぁ(^-^;
それにしても、見知らぬドライバー氏はここも難なく(?)クリアしたようだ。恐ろしや恐ろしや∑(゚д゚; )
まぁ、こんなところでも喜々として走り抜けそうな御仁に2人ほど心当たりがあるが… まぁ、誰とは言わないけど(・∀・)ニヤニヤ
内部から見た南側坑口。
南に抜けた。こちらの水田もみな今は耕されていないようだ。
南側坑口。
南側坑口から内部を望む。
少し離れると緑に隠れてしまいそうな坑口。
※ ※ ※
ところで、先ほどもちらりと触れたが地図にも載っている西側の迂回路。これがどうなっているのか気になったので言ってみることに。北側にもどって隧道の手前にある分岐を右に進んでみた。
途中から軽い藪漕ぎ状態に(^-^; やっと藪を脱出して現在地はココ(←クリック)
もうこれ以上進むことはできない。とほほ。ということで、再度隧道を抜けて南側に。
南側より。
この一帯、周囲が山に囲まれて周囲から隔絶されたような雰囲気。江戸時代の隠田ってこんな雰囲気だったのだろうか?しかし、残念なことに全ての水田が今では耕作放棄されている。ネットの地図で航空写真を見るとまだ耕作されているように見えるので、このようになってからまだあまり年月が経っていないようだ。
ところで、この近くに小櫃川の支流の御腹川が流れている。地図でその上流までずっとたどってみると…
産廃処理場 ∑(゚д゚; ) 数年前に首都圏最大級の最終処分場が稼働し始めたのだ。そして高レベル放射性廃棄物の最終処分場の有力な候補地になっているという話も…
ひょっとして… この処理場との絡みでこのエリアの水田の耕作がなされなくなったとか?あくまで憶測なのだが、だとすれば一気にこうなってしまった理由も納得できるような。。。
※ ※ ※
おまけ動画
今回は高画質で。
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