【名称】不明
【所在地】南房総市千倉町大貫/館山市古茂口
【竣工】不明(明治期?)
【延長】約200m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約4m(目測)
【廃止】大正末?
2016年10月29日訪問
先日紹介した大貫隧道の東側にて。注目していただきたいのは赤丸で囲まれた部分。ここにほとんど人に知られていないブツがあったとは!
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
今昔マップより。左は明治38年発行の地形図。
えっ、明治38年?∑(゚Д゚)
そう、有名な大貫隧道は前回の記事にも書いたように、1926(大正15)年の竣功。しかし、それよりも20年近く前の地形図にすでに隧道は描かれてる。ということは、つーまーりー( ̄ー ̄)ニヤリ
ということで、雨の中(予報では晴れるはずだったのだが…)やってきた面々。大挙して先ほどの赤丸エリアに向かう。
あった… ∑(゚Д゚)
実は以前、まきき氏から、なにげなく大貫隧道の上に行ってみたところ穴があった、という話を聞いていた(←って、なにげなく行くところかよ!)。その後、チャンスがなかったのだが、ようやくこの日に訪れることができた。
先頭はおなじみ、のだの人氏。なにしろ、下に降りる穴だからね。妙なガスとか溜まっていたらたまんねーから、人身御供になっていただこう(・∀・)ニヤニヤ
続いてmaya氏、まきき氏も。
あっさりと10メートルぐらいで閉塞しているかも、と思っていたのだが、意外なことに穴ははるか奥まで続いていた。
のだの人氏ははるか前方に。
この三角形の天井、こりゃ観音掘りじゃないか。ここで、半信半疑だったが、これが明治隧道であることを確信した。
天井がところどころ崩落しているが、これはいつのものだろうか?大貫隧道が関東大震災の復興事業として建設されたものだったので、関東大震災で崩れたものなのかもしれない。
幅員に比べて路盤が低いのは大貫隧道掘削時に出たズリを放り込んだのかもしれない。
振り返り。
コウモリさん達は冬眠に入りかけていたのだろうか、おとなしくぶら下がっていてくれた。
行き止まりが近づいてきた。のだの人氏の声が聞こえる。
「貫通してますー、でも通り抜けるのは無理ですーー」
戻ってきたのだの人氏。
彼はギリギリまで行ったようだが、おいらはここでいいや。腰にきそうだし(^-^;
でも、震災で被害を受けたとしても、これぐらいなら手直ししても問題なかったような?それとも大貫隧道建設は雇用創出のための公共事業だったのか?景気対策で土木工事をするってのは、ニューディール政策以前にも普通に行われていたのかしら?
※ ※ ※
実は西側の開口部の写真をのだの人氏に送ってもらったのだが、なぜかなくなってしまっていた(^-^; どうしても今すぐ見たいという方は、maya氏のブログをご覧のこと。
しーかーしー、まだまだ大発見があるのだな( ̄ー ̄)ニヤリ
※ ※ ※
最後に、東側に戻って大貫隧道方面を見ると小さな凹みが。
石像でも安置されていたのだろうか?だとしたら、それは今どこに?
TAEKO ONUKI meets AKIRA SENJU~Symphonic Concert 2016