【名称】稲子沢橋(いなごさわはし)
【所在地】富津市志駒
【竣工】1985(S60)年1月
【延長】約30m(目測)
【幅員】約3m(目測)
2017年8月6日訪問
富津市志駒(しこま)、志駒自由市場の駐車場にて。ってか、自由市場ってもうやめちゃったのかな?(^-^; でも「志駒不動様の水」は相変わらず盛況。この日はここから出発。
下郷橋の北側にて。ここから左に分岐している道が旧道。
路傍にある県道改修の記念碑。新道と旧道はここから500メートル程先で再び合流する。なお、Yahoo地図では旧道は県道色(黄色)に塗られていないが、真新しいヘキサがあったので、今でも県道にしていされているようだ。
そのまま旧道に入る。現道は自動車にとっては快適な道なのだが、自転車には若干ハードな道。鴨川方面からこちらに向かうと少々坂がキツイのだ(^-^; その一方で旧道は自転車でも楽ちんな緩やかな勾配。
実は、1年前、ここから先、志駒線の一番奥の隧道まで行って、動画まで撮影したのだが、その直後にパソコンのハードディスクがクラッシュ( ;´Д`) ということで、今回はその撮り直しに来ている(^-^;
旧道に入って100メートル程進むと川底に向かう分岐がある。
自転車は置いてとりあえず分岐を進んでみる。
この先の橋の全景を撮りたいと思ったのだが、、、
道は途中でガードレールで封鎖されている。竹や木が繁茂して強引に進むのも困難。ということで引き返す。( ;´Д`) その後、この道の素性が解るのだが、それは後で。
そういえば、去年も同じように撤退したのだった(^-^;
ということで橋へ。東側より。
東側左の親柱。「稲子沢橋」。稲子沢(イナゴザワ)は志駒の小字(『角川日本地名大辞典12千葉県』p.1420)。地理院地図にもその名は記されている。志駒川の左岸、ちょうどこの橋の先が稲子沢のようだ。
東側右の親柱。「志駒川」 志駒川は湊川の支流だ。
幅員3メートル程の橋。
橋の上から北の下流方面を望む。
南の上流方面。
見下ろしたところ。
西側より。
西側左の親柱。「いなごさわはし」 橋の名前からは「さ」の濁点が取り除かれている。
西側右の親柱。「昭和60年1月竣功」
ところでこの橋、ぶっちゃけ、現在ではあまり存在する意味がない(^-^; なんでこんな所にわざわざ橋を架けたんだろうと思った。だが、考えてみたら、県道の新道ができる以前はこの橋が左岸に向かう唯一の道だったはず。この橋を渡って稲子沢に向かっていたのだろう。それゆえの、橋名「稲子沢橋」。納得だ。
ということで、過去の航空写真を確認してみた。これは1990年7月19日に国土地理院が撮影したもの(KT901X-C5-7)を加工したもの。思った通り、志駒川左岸の稲子沢集落に向かう唯一のアクセスルートになっているようだ。少なくとも、他に道があったとしても、自動車は無理そうだ。
ところで、橋は1985年竣功と親柱に記されていた。ということは、その前は?と思ってもう少し古い航空写真も見てみた。これは1975年1月23日に同じく国土地理院撮影のもの(CKT7414-C14-15)を加工したもの。これを見て軽く驚いた。5枚目の写真の分岐道の先に橋らしきものが写っているではないか(゚д゚)ハッ!! あの道、河床に降りるための道だと思っていたのだが、実は今はなき旧橋に続く道、つまり旧道だったのだ。行き止まりのガードレールの先に橋台があったのだろうか?それとも、もっと水面近くまで降りて、洗い越しのような道にでもなっていたのだろうか?
ところで、橋とは別の構造物らしきものも写っているのだが、あれは何かな?
こういう時に、人に話しかけるのが大好き(自称人見知り)なまきき氏がいると助かるんだよなぁ(^-^;