【点名】三保ノ松
【基準点コード】TR35340034001
【所在地】長生郡一宮町一宮
【設置】非公表
【緯度】非公表
【経度】非公表
【標高】2.3m
2018年1月21日訪問
一宮町一宮、一宮海岸広場の駐車場にて。この日はここから出発。
そして、この日は新車のシェイクダウンでもあった( ̄ー ̄)ニヤリ
ストップアンドゴーの探索スタイルにはミニベロの方が楽だと思っていたのだが、とうとう買ってしまった(^-^; 3年前に成田でパクられたミニベロも乗りやすく、パクられた時はかなりショックだった(パクられた時点で販売終了のため再入手不能だった)。今回はそれに比べると部品も奢られていて少々お高かったが奮発してしまった。といってもQ氏の愛車に比べたら安いもののはずだがw
県道を南下してファミリーマートのある交差点を右折。
このまま真っ直ぐ進めば上総一ノ宮駅である。
が、最初の目的地はそこまでいかない。
目標地点到着。今いるのはココ(←クリック)。ほぼ真西を向いている。ここに三等三角点があるはずなのだが。。。
確かに標石はあるのだが。。。
キミ、絶対三角点じゃないよな(;´Д`)
GPSで確認しても間違いない。てか、周囲の地形から間違い様がないのだが。。。
やっぱり境界杭だよね(^ー^;
西側より。
確かに事前に基準点成果等閲覧サービス(https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html)で「1974年以降観測されていない」「成果の公表を停止しているため、座標値等は閲覧できません。」という記載を確認していたので何か異常はありそうだとはおもってたのだが(^-^;
ちなみに、帰宅してから再度確認すると「現況状態 亡失」としっかり記載されているではないか(^ー^;
まぁ、とにかく、予習不足だったおいらも、さすがにしばらく現地をウロウロしていると何となく事情が解ってきた。この歩道、あとから作られたんじゃね?と。
これは国土地理院が1975年1月6日に撮影した航空写真(CKT7413-C43B-19)を加工したもの。はやり歩道はない。おそらく三角点は歩道を設置する際に亡失したのだろう。工事を受け負った土建屋さん、やらかしちゃったな(^-^;
念のため、歩道と車道の間の花壇になっている分離帯もかき分けてみたが、やはり標石の存在は確認できなかった。
※ ※ ※
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
ということで調査終了のはずだったのだが、この記事を書く段になって更に気づいたことがあった。
左は明治39年に発行された地形図だが、なんと三角点の場所が違っているではないか( ゚д゚)ハッ! 当時の三角点は現在(とされている)地点から北東に100メートル程離れた地点にあったようだ。その場所は、この記事の4枚目の写真の右に広がる松林の先である。当時の地形図を見ると等高線とは言えない点線で囲まれた南北に細長く伸びたエリアに針葉樹林の記号。おそらく今と同様に海岸線と並行な低い築堤状の地形が広がっていたのだろう。
これを見ると、三保ノ松という点名も納得がいく。当時の三角点は松林の中にあったのだろう。
あ、いや、納得しちゃいかんぞ。三保ノ松って名前っ!!! 三保ノ松とくれば、普通は、というか思い当たる人の99.99パーセントは静岡の三保の松原を思い出すのではないだろうか。今年の新年最初のブラタモリでも三保の松原がとりあげられていた、羽衣の松伝説で有名な三保の松原だ。確かに三保ノ松という小字が一宮町一宮には存在するらしい(『角川日本地名大辞典12千葉県』 p.1483)ので、ここがそれに該当するのだろう。仕方ない、せめてオイラだけでも、「三保の松原ぁ?あぁ、知ってる知ってる、九十九里浜南端の一宮町一宮の地名だっぺ?そうそう、近くに風船爆弾の発射基地跡があることで有名だっぺ。はぁ?そんなことも知らないの?羽衣?そんなの知らねーな。袖ヶ浦の弟橘媛の伝説の事だっぺ」とでも言ってやろうかな(^-^;
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
ちなみに、三角点の推移だが、終戦はまだ明治と同じ場所にあったようだ。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
そして昭和52年発行の地形図ではしれっと場所が変わっている。一体なにがあったのだろう。そして旧三角点は今はどうなっているのか。。。でもフェンスで囲まれているんだよなぁ。。。(^-^;
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