【名称】()
【所在地】
【竣工】(H)
【延長】
【幅員】
【高さ】
2018年2月18日訪問
この日は九十九里町役場の駐車場から出発。
とりあえず、役場の表側に回り込んできた。
出発する時、スマホのGPSロガーのアプリを起動したところ、面白そうなものの存在に気づいたのだ。正面の松の木の下に注目。
三角点の標石、、、ではない(^-^;
写真では下の2文字ぐらいしか読み取れないが、道路元標(片貝町道路元標)だ。なぜにこんなところに、とも思うのだが(^-^; 元々ここにあったのか、それとも移設されたものなのかは不明。
裏側からも一枚。
※ ※ ※
役場を後にしてしばらく進むと変わったものを見かけた。池に橋が架かってるぞ。時々こういうのを見かけるけど、昔は社の周囲全体が池だったりしたのだろうか?
今昔マップで昔の地形図も見てみたのだがわからなかった。ただ、迅速測図にはここから南東約200メートルの場所に現存しない三角点のマークを見つけただけだった(^-^;
とにもかくにも、今のところ池は防火水槽として役に立っているようだ。
そしてここの由来。
津波で亡くなった人の慰霊碑だということはわかったのだが、溺鬼という名前がわからなかった。帰宅後調べてみると、溺れた人の幽霊のこととのこと。ここで供養されているのはこの案内板にもさらりと書いてあるが、元禄地震(げんろくじしん)による津波の犠牲者。同地震は元禄16年11月23日(1703年12月31日)、野島崎付近を震源としたM7.9~8.2と推定される大地震で、相模灘沿いや房総半島南部に甚大は被害をもたらした。
地震から100年以上も経ってから供養塔が建てられたため、「津波や海難の災害がいかに漁民を悩ましたかが窺える」と記しているのだろうが、元禄の地震についてもう少し詳しく説明しないと意味が伝わらないと思うな(^-^;
とりあえず橋があるので渡ってみる。
そして、お地蔵さんにご挨拶。
こちらが供養塔。
供養塔の向かい側には廃ガソリンスタンドが(^-^;