【名称】不明
【所在地】市原市戸面
【竣工】不明
【延長】700m程度
【幅員】平均1m
2018年1月28日訪問
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
ある日、Googleマップを見ていると見慣れぬ名前のダムが記載されているのに気がついた。五郎津ダムというそのダム、史跡のマークがついているもののクリックしても情報はほぼ皆無。1件だけ口コミがあったものの★が5つつけられているだけで特にコメントはなかった。って、これじゃ口コミじゃないじゃないか(^-^; しかも、地理院地図にはなぜか記載がない。一体どういうこっちゃ?
ネットで検索するとおぼろげながらもう少し具体的な情報が手に入った。それらをまとめると…
・大正14年(1925年)竣功の灌漑目的のアースダムである
・数年前(いつ?)の台風で被害を受け放棄された
・台風で決壊した
・台風被害で水が供給されなくなり、下流にあった2軒の家も転出した・峡谷を70m下ったところにある
・林道戸面蔵玉線の途中からアクセスする道がある
・しかし途中の道は寸断されていて到達困難
・夏場はヤマビル天国
・頑張って到達できた人もいる
・知る人ぞ知るバス釣りのポイント
・スレ知らずのバスがうようよいる
ここ数年以内に訪問した人も少数いるようで、写真もアップされているのだが、ダムらしい写真ではない。バス釣りに関する話は某巨大掲示板で2009年頃に盛り上がっていたネタだが、煽りの匂いがプンプンする(^-^; そもそも決壊したのならバスもなにも、、、 決壊の話はガセネタ? それともバスの話が釣りだけに釣りか? とにかく、パソコンの前にしゃがんでウジウジしていても仕方がない。ヤマビルの心配の少ない時期のうちに現地調査だぁぁぁ!
とまぁ、そういう経緯でやってきた。今いるのは林道戸面蔵玉線のココ(←クリック)。養老渓谷方面を背に、蔵玉方面を向いている。
正面に見える石碑も五郎津ダム関連のものらしい。
石碑には大正時代にダム(溜池)と導水路が建設されたことなどが記されている。ここの南にある耕地にダムの水が引かれていたのだろう。
石碑の近くに穴を発見!
内部はすぐに行き止まり。そして、この日の相棒、のだの人氏。ブラタモリの偉いセンセイ張りに穴の中でさり気なく探索していたフリをしての登場(←ウソ)。
実は、久しぶりに大物の予感のする物件、しかもハードな道中が予想される地。なんとか到達したいが、一人で行ったら途中で心が折れるかもしれない、いや、たぶん折れるだろう。ということで、探索を決めたと同時に、相棒探しもはじめた。とりあえず、おなじみまきき氏に声をかけたところ、「はいぃぃぃ、面白そうですね、ぜひご一緒させてくださいぃぃ~」との返事が。次に声をかけたのがこの鉄人のだの人氏だった。
ところが、探索の前々日ぐらいに、まきき氏がまさかのドタキャン。あのおっさん、なんだかゴニョゴニョ言い訳していたが、実は寒さに心が折れたんじゃね?(^-^;
以前、山の中の戦跡探しをしている折に、Mayaセンパイに教えを授けられたことがある。「おっさん、耳の穴かっぽじってよく聞いとくんやで! 有能なハンターってもんはな、有能な猟犬を使いこなす者のことなんやで。まず猟犬を山に放ち、やつらが獲物を見つけるのを待つ。そして追い立てられた獲物を仕留めればOKや。戦跡探しも同じなんやで。有能な猟犬を3匹ぐらい山に放って、ヤツらが獲物を見つけたら、ゆっくり登って行けばいいんや」
その時、Mayaセンパイが指さした「有能な猟犬」の中の一匹、、、いや一人がのだの人氏だった。彼さえいれば、本日の探索の成功もほぼ確実。おいらは付いていくだけでOK。ちゃんと仕事するんやで、おっさん!(・∀・)ニヤニヤ
それにしても、「穴なら何でも入りたいです(ポリポリ)」と公言する穴キチ穴バカである彼に、この日の穴の神は微笑みっぱなしの大奮発。またしても穴が。。。こんな調子でなかなか前進しなかった(^-^; まぁ、ここは炭焼窯の跡のようだったが、、、
しばらく進むとさらに巨大な穴が登場。コイツは一風変わっていた。
炭焼窯にしては大きすぎる。隧道としては少々小ぶりだが、通れないこともない。だが、抜けた先がどこにもつながっていないという謎穴だった。。。
※ ※ ※
途中の旧道跡への入り口をキョロキョロ覗いたりしながら、ようやくダムへのアクセスルートにたどり着いた。ここまで既に出発から1時間近く経過(^-^; だが、これもチャリでのゆっくりした散策の特権か。今いるのは戸面蔵玉線の最も養老渓谷寄の隧道の東側坑口前。地図ではココ(←クリック)。でも、こんなところに分岐なんてあったっけ?
少しウロウロしていると、隧道の横に登っていく道があるのに気づいた ( ゚д゚)ハッ!
写真では少し解りにくいかもしれないが、現地では作業道クラスの道の存在がはっきりと解る。確かに地理院地図もこの方向に道が描かれている。降りることばかり考えていたのだが、最初は上りかぁ(^-^;
少し進むとよりはっきりとした道となる。
石仏や
馬頭観音もある。これらを見て道の素性に気づいた。ここは隧道が建設される前に使われていた旧道だ。なるほどね。ということは、この先にダムへの降り口があるはず。見逃さないように注意しなければ、、、
と思ったのだが、見落としようのないはっきりとした分岐が出現。右というか直進というか上に伸びる道が本線。そして左の降りていく道が五郎津ダムへのルートだ。
分岐前の本線も含めいい感じの古道。案外このまま川まで降りられるんじゃね?なんて思っていたら、、、
そうは問屋がおろさず、路盤の流出現場に遭遇。噂は事実だった。
とりあえずズザーッと適当に斜面を降りる。
10メートル程で道が復活。ただ、ここから少し倒木が目立つようになってきた。
またもや穴だ。これも炭焼窯だろう。
そして、民家の登場、、、
って、こりゃ、完全に廃墟だなぁ。それと、これは住居じゃなくて農機具置き場では?人が住んでいた家(の跡)は結局どこにあるのか判らなかった。
廃墟を後にして、さらに前進。
いよいよ川(夕木川の支流=養老川の二次支流)が見えてきた。
治水関連の遺構らしきものも登場。
水路橋だ。
中はドロで満タン(^-^;
接続する水路隧道への入り口も狭い。さすがのだの人氏も入ることは考えないようだった(^-^;
沢を越えて
少し先で河床に降り立つ。旧道に入ってからココまで30分程だろうか。寄り道&撮影などしなければ20分もかからないだろう。ここまで極めて順調!
低山しかない房総だが、意外と険しい景色もある。
更に立派な水路橋も登場。
昭和11年竣功とのこと。人名が多数記されているが出資した人達だろうか?
現在地はココ(←クリック)。ダムは右の支流の先にあるはずだ(写真はパノラマ合成)。
合流点から2~30メートル程進むと、、、
( ゚д゚)ハッ!!!
(つづく)