【名称】木更津第二海軍航空廠 佐貫地下軍需工場
【所在地】千葉県富津市
【竣工】1945年?
2019年3月24日訪問
この後姿、弊ブログ初登場のyakumo氏。ソフトな語り口と物腰で生命誕生の神秘に関連した難解かつ深遠なジョークを得意とする、戦跡業界の哲人とでも言うべき御仁である。
普段、弊ブログでは戦跡はほとんど扱っていない(※)。なにしろ、このyakumo氏をはじめとする、戦跡調査ガチ勢の方々と一緒であるために、当方がショボいレポートをしたところで価値が低いからである。
この日は、内房某所の石組廃隧道や某秘境での焼鳥大会を楽しんだ後、時間が余ってしまったので、yakumo氏から特別に案内してもらった、いわば接待戦跡であったのだ。感謝感謝。
(※)記事を見た某Mセンパイなどから「こら、ボケがぁ。こりゃ陣地だろ!調査行くで!」とケツバットをくらわされ再訪してみるとやっぱり陣地だった的な事はあったが… (^-^;
さて、竹やぶをかき分け進んだ先に現れたコンクリートアーチ。
内部は水没している様子。
水没が深そうだったため、こちらからの侵入は断念。
だが、悲観することはない。向かい側にもうひとつ開口部があるのだ。
こちらも水没しているが、長靴で全く問題ないレベル。
ここは、広大な佐貫地下軍需工場の中でも、第一工場と通称されているところで、5本の並行に走る主坑道があり、それらを垂直もしくは斜めに交差する作業坑道で繋ぐ、上から見るとあみだくじ状の構造になっている。
作業坑道のひとつ。
縦に溝が掘られている。
有志がナンバリングしたらしい?とか?
主坑道のうちのひとつの南端。
外側より。
ダブトラが残っている。トラックの走った跡なのか、それとも軌道でもあったのか?
このような崩落を見ると頭が涼しくなるのは素掘の廃隧道と同じ(^-^;
土嚢で封鎖された坑口。
これは戦後に持ち込まれたものか?
「ドーナツどうぞ」とyakumo氏。
水の中に飛び石が。戦時中からあったのだろうか?
またもや閉塞地点。
この先は車道になっている。yakumo氏は初めて訪れた時、あの上の小さな隙間を掘って入り込んだのだとか(^-^;
知らなきゃ、観音掘だと思いそうだが、ここも崩落。。。(^ー^;
すると突然、水面になにやら機械らしき残骸が現れた ( ゚д゚)ハッ!
バイクだ Σ(゚д゚lll)
Twitterにアップしたところ、たちまち場所を言い当てた祐実総軍三等兵氏(※)や、バイクの車種を特定した方がいたのには驚いた(^-^;
(※)なお本稿の作成にあたって、同氏の戦争遺跡データベースを参考にさせていただいた。