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勝浦市部原~御宿町浜の古道

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【名称】不明
【所在地】勝浦市部原/夷隅郡御宿町浜
【竣工】不明(江戸時代?)
【訪問日】2019年6月2日

 

 

勝浦市部原。部原海岸にある部原パーキングにて。ここから、御宿方面にある山に眠る古道を目指す。

 

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

 

まずは予習。上の地図は今昔マップから。左が明治の迅速測図で、右が現在の地理院地図だ。これから向かう古道は右の地形図で青と紫、そしてその間を結ぶ破線道で構成されている。そして現在は基本的に全線廃道である。

 

迅速測図での描かれ方から、この道が当時、勝浦と御宿を結ぶメインストリートであったことはほぼ間違いないだろう。明治10年代という作成時期から、江戸時代から使われていた道である可能性高いのではないかと思う。有名な勝浦の朝市で取引された品々もここを通って運ばれていたのかもしれない。

 

ところが、ここでは掲載を省略したが、明治39年発行の地形図ではこの道は姿を消している。現在の地形図にも二重線で描かれている(けど廃道の)旧道に取って代わられたのだ。以来、歴代の地形図でこの道は完全に無視されることとなる。

 

なお、青の区間は既に踏破済みで、先日、「三等三角点部原と部原の廃古道」としてアップした記事の後半部分で紹介している。ただし、前回は山の上から降っりてきたが、今回は登りだ。

 

そして、中間の破線道は、青の区間とともに、4月から5月にかけて、gurinkoさんご夫妻や、maya46氏と歩いている。ということで、今回は紫の部分を攻略して、御宿までのルートの全貌を解明するのが目的である。

 

 

さて、古道への分岐点まで来た。先程の事情から、旧道落ち&地形図から抹殺されてから100年以上、以降、炭焼きなどの山仕事で人が入っていた痕跡はあるものの、昭和30年代には炭焼きが衰退したことを考えると、人が入らなくなってからも50年以上は経っていると思われる。ゆえに、分岐と言ってもまったくそれらしく見えない。

 

 

ここから入る(^-^;

 

 

突入直後は少々難儀するが、1分で最初の切り通しに到達する(写真はパノラマ合成)

 

 

その先は若干荒れ気味ではあるが、しっかり道の姿を残している。

 

 

2分後にふたつ目の切り通しが現れる。

 

 

規模的にこの道で最大の切り通しだ。そして、ここまでの区間の勾配が大きい。荷車などの使用を想定していない江戸道らしいところか?

 

 

その後も浅い掘割区間が続く。

 

 

古道ならではの美しさに大満足。

 

 

このような道にありがちな人工物のゴミが全く見られない。

 

 

ピークまで3分の2ほど高度を上げたところで最初の分岐が現れる。どっちから行ってもいいのだが、一応右を本線としたい。左はショートカットになるのだが、若干道が荒れ気味。

 

 

そのまま直進。

 

 

すぐに次の分岐が現れる。ここは左へ。なお、右に進むと、先日紹介した三角点に向かう尾根道に続いている。

 

 

さらに浅い掘割を進む。

 

 

ここが整備されたら、いい遊歩道になりそうなのだが、、、しかも、現道の国道128が路肩が極めて狭い、歩行者に優しくない道なので、なんとかしてもらいたいところだが、、、まぁ、叶わぬ望みというところだろう。

 

 

さて、この先に素晴らしい見どころがある。

 

 

断崖絶壁から下を見ると、、、なんと、旧道の浜隧道(通称)を上から見ることができるのだ。しかし、滑り落ちたら、死んじゃうので、あまり思い切って身を乗り出すことはできない(^-^;

 

 

さて、この先で3つ目の分岐が登場する。左に進むと、地理院地図にも一応破線道として「途中まで」描かれている七本方面に抜ける道。そして、右が本日の目的である御宿の海岸方面に抜ける道、のはずである。

 

 

隧道直上にある切り通し。

 

 

切り通しを過ぎ、100メートルほど進むと、いよいよ、先程の地図で紫色で記したゾーンにはいる。この先は、前にチラッと見た限りでも荒れていそうな雰囲気だった。新道(現在では旧道)ができてからはこの先は基本的には交通のためには全く無用の存在となったはずなので、ここまでの区間以上に訪れる人もすくなかったではないかと推測している。

 

 

こんな感じ、というか、これよりももっと酷いところを藪こぎ(^-^; とてもじゃないが、写真なんて撮っていられなかったので、この間の様子はYoutubeにアップした動画をご覧いただければ幸いである。

 

 

なんとか平穏なエリアに出た。

 

 

さらに進むと、平穏どころか、ご機嫌な美しい廃道が現れた。このような場所に出ると、ついつい周りをキョロキョロしたり、意味もなく一息ついてしまう。

 

 

ここまで、適宜GPSで現在位置を確認しながら進んできたのだが、いよいよ完抜が近づいてきたと思われるところで切り通しがが現れた。

 

 

軽自動車が余裕ですれ違えるぐらいの幅員がある。

 

 

切り通しの先は、これまたいい感じの幅員が確保されたおだやかな下り坂。この時、確信した。「これはパリダカの最終日のようなご褒美のウィニングランとなる区間だ」と。

 

 

通過した切り通し。凱旋門でも見る気分である(笑)

 

 

ところが、そうは問屋が下ろさないのがこの道。またしても道が荒れてきた(^-^;

 

 

この枝付きの杉の倒木。一見大したことがなさそうなのだが、手がかりに乏しかった。体重をかけるとズルッと滑って右の谷に滑り落ちそうになるのだ(^-^; 前方に穏やかな道が見えるのがもどかしかった(^-^;

 

 

とはいえ、枯れ葉だらけになりながら、なんとか倒木も突破。ここからが本当のウィニングランだった。

 

 

だが、ウィニングランはホントにパリダカ最終日並の短さ。すぐにプレハブの建物が見えてきた。

 

 

50分ぶりに見た現役の道。ここから先は現在の地形図にも描かれている。

 

 

現在地はココ(←クリック)

 

 

振り返り。左が歩いてきた古道。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ・その1

【訪問日】2019年4月28日

 

gurinkoさんご夫妻との探索。浜隧道坑口上の分岐を左の七本方面に向かったもの。

 

 

途中、イノシシの唸り声が聞こえてきたので焦る(^-^;

 

 

破線道が途切れた先にある切り通し。場所はこの辺り(←クリック)

 

 

切り通しの先は築堤になっている。

 

 

築堤の上にて。古い地形図では、この築堤部分が道の表記があり、北の七本地区の集落に繋がっている。

 

     ※     ※     ※

 

おまけ・その2

【訪問日】2019年5月26日

 

maya46氏との探索時のひとコマ。

 

 

海岸近くにある切り通し。場所はこの辺り(←クリック)。終戦直後の地形図までには記載されている。

 

 

「場所出すとオネエちゃんのバスツアーがやってきちゃうんじゃない?」「テレビも?」という会話に。その意味は・・・

 

 

このまま下の集落に出られるものと思ったのだが、最後の最後でトゲトゲの木に阻まれて引き返した(^-^;

 

     ※     ※     ※

 

おまけ動画。

 

 

なんと35分というロングバージョン!え、そんな長いの見てられるかって?(^-^;

 

 

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歴史道 vol.2 (週刊朝日ムック)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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