昨日の記事にも書いたのだが、国土地理院が公表している三角点のデータに不可解な箇所を見つけた。詳細を忘れてしまう前に記録。
きっかけは、いすみ市大野にある三等三角点「鍛冶」のデータ。そこに記されている所在地(夷隅郡夷隅町大字大戸字長谷14番)は存在しない地番だ。夷隅町は現在ではいすみ市になっているが、大戸という大字は存在しない。大戸があるのは隣の大多喜町だ。
そこで、三角点が設置された明治33年に作成された旧版の点の記を見てみると、『千葉縣上総國夷隅郡総元村大字大戸字長谷』『原野一四番』と記載されていた。総元村は現在の大多喜町の一部で、大戸は、現在のいすみ鉄道東総元駅付近を中心とする概ね東西1.5km、南北0.5kmの地域である。つまり、明らかに場所が違うのだ。なぜこんな事が起こったのか?
しばらく考えて、まさかとは思うのだが、ひょっとして平成になって国土地理院が標石調査を行った際に、点の場所を取り違えてしまったのではないかと疑うにいたった。なら、本来の三等三角点「鍛冶」の場所はどこか?
この地図は国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」(https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html)の地図をもとに加工し制作したものです。
旧版点の記をを更に読むと、『順路』の項に『總野村ヨリ大多喜町ニ通ズル縣道ヲ二十町余リ●●●ハ久我原村ニ至ル 禿山ヲ五丁余リ登リ本点ニ達ス』とあった(●は判読不能)。「禿山」というのがどの山を指すのかさっぱり解らないのだが、久我原の近くで、大戸ということなら、該当する三角点はひとつ。三等三角点「大塚」だ。しかもこの点から800メートルほど東に鍛冶兼山という山もあるらしい。
この「大塚」だが、以前からおかしなことに気づいていた。現行の地形図によれば、この点がある山の名前は高塚山なのだ。そして、ここから直線距離で3キロほど離れたところに大塚山(三条大塚山)があるのだ。そして、その大塚山の山頂には三等三角点「杉森」が設置されている。
次は「大塚」の所在地だが、現在の点の記によれば、『大多喜町大戸穴長谷910番』の民有地である。小字はわからないが、大字は特に矛盾していない。しかし、やはり点が設置された明治33年の点の記を見てみると『千葉縣上總國夷隅郡西畑村大字田代字大塚』『野地一〇七八番』となっているではないか。田代は国道465号より数百メートル南に位置している。測量の精度などといった問題ではない、明らかに現在の点の記に記されているのとは場所が異なっている。もちろん移設したという記録はない。どういうこっちゃ!
となると、次には西畑村(現大多喜町)田代にある三角点を調べなければならないのだが、これが難しい。というより、現在の点の記情報によれば、田代には平成24年に設置された四等三角点「細作」しか三角点は存在しないことになっているのだ。当然これは関係ない。
だが、明治33年には田代に三等三角点「大塚」が存在してたことになっている。このあたりは、「鍛冶」や「大塚」とは違い、ある程度アバウトに、つまり隣接する地域に広げて考えてもよいのではないだろうか。
となると、候補は3つある。伊保田の三等三角点「伊保田」、弓木の三等三角点「弓木」、そして三条の三等三角点「杉森」だ。マピオンで見ると、「伊保田」は田代か粟又かもしれないし、「弓木」は面白に位置しているようにも見えるのだが、地形図を眺めていても、この両者が間違っていると考えるのは不自然に思える。となると、怪しいのは「杉森」である。なにより、先程も述べたように、杉森は三条大塚山の頂上に設置されているのだ。
実は「杉森」は既に訪問済みなのだが、こんな見晴らしのいい山頂がなんで「杉森」なんて名前なんだろう、という違和感もあった。まぁ、100年前は鬱蒼と杉が生い茂る山頂だったのかもしれないが(^-^;
また、所在地の表記は現在の点の記によれば『大多喜町三条791番1』で民有地、明治33年旧版では『夷隅郡西畑村大字弓木字大塚杉森』『野地七九一番』。地番はほぼ同じだが、所有車は御料局、つまり御料地だったということになっている。そして、旧版に記載の『順路』は『中野村ヨリ西畑村大塚ニ向ヒ十丁余リ進ミ山■[経字のつくりの旧字体]ヲ登ル事三四丁ニシテ本点ニ達ス』となっていて、これだけを読むと正しようにも思える。
さて、「鍛冶」から始まった取り違え疑惑だが、ここまできて困ってしまった。ここまでの仮説が正しかったとしても、では、本当の杉森はどこにあるのだ?と考えてみたところ、該当しそうなところが見当たらない。そして、「鍛冶」とされている点は本当はどこなのか?さっぱり見当がつかない(;´Д`)
とはいえ、少なくとも「鍛冶」と「大塚」の記録は明らかにおかしいので、国土地理院に問い合わせをしてみた。返事は来るかな?(^-^;
■まとめ・各点の所在地情報
□三等三角点「鍛冶」(いすみ市大野)
・現行点の記(H16):千葉県夷隅郡夷隅町大字大戸字長谷14番(宮内庁所有)
・旧版点の記(M33):千葉縣上総國夷隅郡総元村大字大戸字長谷 原野一四番(御料局所有)
※總野村ヨリ大多喜町ニ通ズル縣道ヲ二十町余リ●●●ハ久我原村ニ至ル 禿山ヲ五丁余リ登リ本点ニ達ス
現行版の地番は明らかに間違い。大多喜町大戸を指すと思われる。
□三等三角点「大塚」(大多喜町大戸、高塚山山頂)
・現行点の記(H7):千葉県夷隅郡大多喜町大戸穴長谷910番(民有地)
・旧版点の記(M33):千葉縣上總國夷隅郡西畑村大字田代字大塚 野地一〇七八番(御料局所有)
※大多喜町ヨリ中野村ニ向ヒ半里余リ進ム●ハ田代ニ達ス山■[経字のつくりの旧字体]ヲ●登スル事八丁余リニシテ本点ニ達ス
両者の地番が全く異なる場所を示している。
□三等三角点「杉森」(大多喜町三条、三条大塚山山頂)
・現行点の記(H7):千葉県夷隅郡大多喜町三条791番1(民有地)
・旧版点の記(M33):千葉縣上總國夷隅郡西畑村大字弓木字大塚杉森 野地七九一番(御料局所有)
※中野村ヨリ西畑村大塚ニ向ヒ十丁余リ進ミ山■[経字のつくりの旧字体]ヲ登ル事三四丁ニシテ本点ニ達ス
これはこれで正しいようにも思える
□三等三角点「伊保田」(大多喜町伊保田)
・現行点の記(H15):千葉県夷隅郡大多喜町伊保田字南営野古7721番(農水省所有)
・旧版点の記(M33):千葉縣上總國夷隅郡西畑村大字伊保田字南営野古 野地七七二一番(東京森区署?所有)
間違いなさそう
□三等三角点「弓木」
・現行点の記(H15):千葉県夷隅郡大多喜町大字弓木字随目478番(宮内庁所有)
・旧版点の記(M33):千葉縣上總國夷隅郡西畑村大字弓木字上随目 野地四七八番(御料局所有)
小字の表記が少し違うが、間違いなさそう