【点名】横山(よこやま)
【基準点コード】TR25240714601
【等級種別】二等三角点
【冠字選点番号】仁京第5号
【所在地】夷隅郡大多喜町紙敷字獄之下942番地
【選点】1974(S49)年7月29日(再設)
【設置】1974(S49)年8月1日(再設)
【緯度】北緯35度17分09.4615秒
【経度】東経140度12分12.5788秒
【標高】245.85m
【訪問日】2018年11月11日
大多喜町紙敷(かみしき)、千葉県道172号大多喜里見線(おおたきさとみせん)にて。現在地はココ(←クリック)。このチェーンゲートの先が伊藤大山(いとうおやま)だ。
ゲートは不法投棄対策のもの。ということで、遠慮せずに入らせていただく。
この先の伊藤大山、それなりに有名だが特に眺望にも恵まれないようで、あまり訪れる人もいないようだ。
ただ、この先に放送施設があるので車は入れるようになっている。
ありふれた千葉の山の風景。
建物が見えてきた。
この建物はなんだっけ?忘れてしまった(^-^;
その先に千葉テレビの中継所がある。
ところで、中継所の手前にあるタワーだが、これって、アマチュア無線のアンテナのように見えるのだけど?
タワーの上のアンテナから延びた同軸ケーブルはこのトラックの荷台に吸い込まれえいるようだ。熱心はアマチュア無線家が運用しているのだろうか?それにしても、テレビ局の中継所の目の前で電波障害の心配はないのだろうか?
中継所。
建屋を囲むフェンスの前にひっそりと三角点の標石が設置されていた。
二等三角点「横山」。
二等三角点だから古いものかと思ったのだが、そうでもないらしい。点の記によれば、設置されたのは1974(昭和49)年ということになっている。
しかし、今昔マップを見ると、明治の地形図にも三角点の記号が記載されている。国土地理院、またやらかしたか?と一瞬思ったのだが、流石に今回はそれは濡れ衣だったようだ。
昭和49年の点の記を確認してみたところ、備考欄に「再設」となっていた。亡失した基準点で、再度設置すると「再設」とされるらしい。
ということで、最初に設置された時の点の記も確認してみる。それによれば、点が選定されたのは1899(明治32)年4月16日、設置場所は「千葉縣夷隅郡上瀑村(※註)大字横山字荏畑俗称大山二千四百三十四番ノ三 地目:神地」となっている。現在の所在地は紙敷だが、若干場所が移動したのだろう。この付近、ちょうど紙敷と横山の境界なので、大字が変わっても特にに不自然ではない。
ということで、最初に現在の点の記を見た時に、「横山なのに紙敷かよ!」と思った軽い疑問も氷解した。
※註:上瀑村(かみたきむら)は現在の大多喜町の一部で。1889年に横山村、小土呂村、下大多喜村が合併して成立した。
なお、些細なことだが、昭和49年の点の記の所在地は「夷隅郡大多喜町紙敷字獄之下942番地の2」となっている。「の2」が消えたのは平成元年から(^-^;
ところで、旧点の記にある横山の住所だが、地目が「神地」となっていた。現在の地形図には載っていないが、付近に神社でもあったのだろうか?迅速測図を見ると、今とだいぶ様子が違うようだ。もう少し頑張って山の中を探してみようかな。