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Channel: 道にあるちょっと古いもの
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坂下橋

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【名称】坂下橋(さかしたはし)
【所在地】君津市坂畑/折木沢
【竣工】1979(S54)年11月
【橋長】約50m(目測)
【幅員】約7m(目測)



2015年2月1日訪問

坂下橋

君津市坂畑、現在地はココ(←クリック) 2時の法学を向いている。 この先右の細い道が旧道だという。

坂下橋

半信半疑だったのだが、今昔マップで戦前の地形図を見ると、たしかにそうであったように見える。しかし、これじゃ自動車は無理だよなぁ。

坂下橋

保育園の北側を迂回する現在の車道。遠回りになるが、勾配を緩和する目的もあるということか。

坂下橋

短い旧道区間を抜けて振り返り。

     ※     ※     ※

坂下橋

さて、車道に復帰するとすぐに一本の橋がお出迎え。まぁ、特に特徴のある橋ではないのだが…(^-^; 北側より。

坂下橋

北側左の親柱。「坂下橋」

坂畑地区の小字に坂下というものがあったので、ほぼ間違いなくそれに由来しているのだろう。

※参考:「角川日本地名大辞典12千葉県」p.1396

坂下橋

北側右の親柱。「亀山湖」 地図を見ると、確かにここは亀山湖の端の方だ。

坂下橋

橋の上から西側を望む。

坂下橋

次は東側を。わけわからん写真だ( ;´Д`)

坂下橋

南側より。

ところで、我々が橋の上でウロウロしていると、独りの年配の男性が通りかかった。すかさず、挨拶して話を聞きはじめる「自称人見知り」のまきき氏。ここで、興味深い話をふたつ伺った。

その1:近くの藤林隧道を建設したときに掘り出した土を、この付近まで軌道を敷設して運んでいた。

その2:戦争末期、橋のすぐ南側の斜面に、軍が壕を掘ってた。敵が上陸してきたら、上から石を落とす計画だった。

坂下橋

南側左の親柱。「さかしたはし」

坂下橋

南側右の親柱。「昭和54年11月竣工」

     ※     ※     ※

坂下橋

さて、石を落とすための穴はここらしいが…

坂下橋

・・・・・ (^-^;

坂下橋

橋との位置関係。




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坂下


矢ノ根歩道トンネル

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【名称】矢ノ根歩道トンネル(やのねほどうとんねる)
【所在地】夷隅郡御宿町岩和田
【竣工】1992(H4)年9月
【延長】58m
【幅員】2.5m
【高さ】2.5m



2014年7月27日訪問

矢ノ根歩道トンネル

御宿町岩和田、国道128号の矢ノ根隧道には歩行者用のトンネルも併設されている。

矢ノ根歩道トンネル

北側坑口。

矢ノ根歩道トンネル

北側の扁額。「やのねほどうトンネル」

矢ノ根歩道トンネル

北側坑口から内部を望む。

矢ノ根歩道トンネル

内部から見た北側坑口。

矢ノ根歩道トンネル

暗くはないが、明るくもない。こういう雰囲気がトンネルの嫌われるところなのかなぁ…

しかし、これがないと、とてもじゃないが歩行者やチャリは128号を通ることができない。これができる前は、ビクビクしながら隧道を通るか、西の旧道を使っていたのではないだろうか。

矢ノ根歩道トンネル

南側へ。

矢ノ根歩道トンネル

南側坑口。

矢ノ根歩道トンネル

「矢ノ根歩道トンネル」と記された扁額は撮り忘れたようだ(^-^;

坑口横の銘板。「矢ノ根歩道トンネル/1992年9月完成/延長58m/幅員2.5m/高さ2.5m/千葉県」

矢ノ根歩道トンネル

南側より。




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あのねのね


新堀橋

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【名称】新堀橋(しんぼりはし)
【所在地】北区堀船
【竣工】1960(S35)年3月
【橋長】約20m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2013年6月2日訪問

新堀橋

石神井川の最も河口側に架かる橋。隣の豊石橋の上から。側道橋が併設されている。

新堀橋

南側より。

ほぼ北側のアパート住人のための専用の橋となっているのだろう。車両が交互通行するにはちょっと狭い橋だが、一方通行にはできないのだろう(より幅員のありそうに見える隣の豊石橋は一方通行)

新堀橋

南側右の親柱。「新堀橋」

新堀橋

南側左の親柱。「昭和三十五年三月完成」

新堀橋

歩道橋の上から西の上流方面を望む。正面に見えるのが、1枚目の写真を撮った豊石橋

新堀橋

東の下流方面。隅田川に合流している。

新堀橋

北側より。

新堀橋

北側右の親柱。「しんぼりはし」

新堀橋

北側左の親柱。「昭和三十五年三月完成」

新堀橋

側道橋の銘板。

「1972年8月/東京都建造/歩道橋指針(1965)/制作 川田工業株式会社/●● SS41」

側道橋も意外と古い。通勤・通学の時間帯は結構通る人も多いのだろう。




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オーナーズホース第7弾/OH07-H078 スピードシンボリ R


鶴舞第一隧道

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【名称】鶴舞第一隧道(つるまいだいいちずいどう)
【所在地】市原市鶴舞/田尾(たび)
【竣工】1969(S44)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】48m(同上)
【幅員】7.0m(同上)
【高さ】4.2m(同上)



2015年4月26日訪問
前回(2011年8月15日)

鶴舞第一隧道

市原市鶴舞にある笠森鶴舞自然公園の駐車場。ここから出発。

鶴舞第一隧道

早速チャリを組み立てて県道171号へ。現在地はココ(←クリック) 南の方向を向いている。正面に小さなトンネルが見えるが、とてもじゃないが、車が対面通行できるような大きさには見えない。

鶴舞第一隧道

そりゃそうだ、実はこうなっているから。最初に見えたのは歩行者用のトンネル。

鶴舞第一隧道

北側の扁額。「鶴舞第一隧道」

鶴舞第一隧道

北側坑口から内部を望む。

これがこの隧道の名物、高い天井だ。平成16年度道路施設現況調査によれば、隧道が建設されたのは1969年ということになっているが、明治の地形図にも今の位置に隧道が記されている。1969年かそれ以前かは判らないが、過去に大規模な掘り下げ工事が行われたのは間違いないだろう。

鶴舞第一隧道

内部から見た北側坑口。

鶴舞第一隧道

掘り下げと同時に拡幅もされたのかな?

鶴舞第一隧道

さて、再び北側に戻って、歩行者用のトンネルに。

鶴舞第一隧道

北側の扁額。「つるまいほどうトンネル」

鶴舞第一隧道

車道のトンネルは扁額しかないが、こちらには諸元を記したプレートもある。

鶴舞第一隧道

チャリを押しながら中へ。

鶴舞第一隧道

内部から見た歩道トンネルの北側坑口。

鶴舞第一隧道

歩道トンネルの南側坑口。

鶴舞第一隧道

南側の扁額。「鶴舞歩道トンネル」

鶴舞第一隧道

こちらにもプレートがあるが、北側に比べて劣化が進んでいる。

鶴舞第一隧道

さて、今度は南側坑口だ。

鶴舞第一隧道

南側の扁額。「鶴舞第一隧道」

鶴舞第一隧道

南側坑口から内部を望む。

鶴舞第一隧道

内部から見た南側坑口。

鶴舞第一隧道

石の祠。

そういえば、ここが心霊トンネルだと書いてあるサイトがあったなぁ… おいら、そんなのは全く信じていないし、むしろそういう話を聞くとウンザリしてしまう方だ( ;´Д`)

鶴舞第一隧道

3.6メートルの高さ制限。せっかくあれだけ天井が高いのだから、気前よくもっと高いポータルにしてもよかったのに。でも、これだけ高ければ充分なのかな?

鶴舞第一隧道

石碑があった。

鶴舞第一隧道

「あいおい坂」

ここから国道297号との合流地点までなだらかな坂が続いている。

鶴舞第一隧道

ところで、南の路傍に入り込めそうな場所があった。かつてはこの南にもう一本隧道があった。開削済みだとは思うのだが、実はこの奥にまさかの旧隧道があったりして?(笑)

鶴舞第一隧道

こんな悩ましい地形や…

鶴舞第一隧道

なんか積んであるように見えるものがあったけど… やっぱり、ないよね… お尻に何だかよくわからないイモムシがくっついただけだった(^-^;

帰宅後、1975年の航空写真(CKT7414-C25-16)を見てみたが、やっぱり現在と同じルートに南側の隧道がはっきりと写っていた。そして、おいらが入った藪の箇所も綺麗な平地のように写っている。

ってか、前回記事にした時に頂いたコメントを見返すと、クイック・ニック氏(現・クイック氏)もココの藪に入ってたのね(^ー^;

ただ、それでも気になるのは旧道の存在。この隧道の北側の道は、明治前半の迅速測図にも現在と同じような道形で描かれている。しかも隧道はなし。ひょっとしたら隧道の上に古道が残っているのかもしれない。とはいえ、今となってはどうやってアクセスしたらよいものか… あ、案外、日枝神社の裏の方から行けるのかな?




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折鶴舞う (八丁堀剣客同心)


河童橋

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【名称】河童橋(かっぱはし)
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】1958(S33)年10月
【延長】約20m(目測)
【幅員】約4.5m(目測)



2014年10月26日訪問

河童橋

山梨県道37号南アルプス公園線にて。現在地は確かこの辺り(←クリック)

河童橋

早川の下流方面を望む。

河童橋

現地では気付かなかったのだが、写真を見返していて気付いた。山肌に水平に走る筋が見える。地形図を見てもあんな所にはなにもなさそうなのだが…

河童橋

思いっきり写真を拡大してみると…

∑(゚д゚;)ハッ!! 軌道か?

思い当たることがひとつある。最近、整備が決まった早川・芦安連絡道路。ここから5キロ程東の南アルプス市芦安地区から、この道の南数百メートル付近を結ぶ道路の建設計画がある。途中、3~4キロの長大トンネルもあるかなり大規模な計画だ。ひょっとしたら、その道路建設の調査もしくは物資輸送のために敷設された軌道なのではないだろうか?

さらに、かつて早川の左岸には林鉄が敷設されていた。その跡を利用しているのかもしれない。とまぁ、いろいろと想像が広がる。再訪が更に楽しみになってきたぞー (・∀・)ニヤニヤ

河童橋

少し進むと道ばたにモノラックが停まっていた。

河童橋

これは林業作業用のものかな?

河童橋

さらに歩くと、本日のお題の橋が登場。

河童橋

立派なガーダー橋。

河童橋

北側より。

河童橋

橋の名前は河童橋。沢の名前から採られたようだ。

河童橋

北側左の親柱。「かつぱはし」

河童橋

北側右の親柱。「河童橋」

河童橋

袂に滝の名を記した看板が立っていた。

河童橋

そこから見事な滝を見ることができる。

河童橋

同じ場所から橋を。

河童橋

橋の上から西、沢野上流方面を望んだところだが、なにも見えない(^-^; 滝見スポットは北側の袂のみのようだ。

河童橋

東の早川方面を見てもこんな感じ。あまり景色を楽しむことができる橋ではないようだ(^-^;

河童橋

南側より。

河童橋

南側右の親柱。「河童橋」

河童橋

「昭和三十三年十月完工」 もうすぐ完成してから60年になろうという橋だ。

河童橋

南側左の親柱。「かつぱはし」

河童橋

少し離れて、もう一枚、南側より。




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河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)


林道増間線の隧道跡

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【名称】不明
【所在地】南房総市増間
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明



2015年4月26日訪問

林道増間線の隧道跡

南房総市増間にある増間林道にて。現在地はこの辺り(←クリック) 南を向いている。

この先にかつて隧道があった。

林道増間線の隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

左は昭和56年修正・昭和56年12月28日発行の地形図。右は現在の国土地理院発行の地形図。

さらに、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで隧道の姿を見ることもできる(CKT7414-C25-16) これには先日紹介した(仮称)増間1号隧道も写っている。

林道増間線の隧道跡

地図に有る通りの場所に切り通しが現れた。ここで間違いなさそうだ。

北側より。

林道増間線の隧道跡

切り通しの中に。

随分小さい隧道だったのだろう。1本目((仮称)増間1号隧道)はコンクリのポータルを持っていたが、ここはどうだったのだろう?
林道増間線の隧道跡

左(東側)の法面。

林道増間線の隧道跡

右(西側)の法面。

林道増間線の隧道跡

南側より。




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英国一家、ますます日本を食べる 亜紀書房翻訳ノンフィクション


(仮称)上千田隧道

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【名称】不明
【所在地】長生郡長南町千田
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約50m(目測)



2014年4月6日訪問
前回(2011年8月28日)

(仮称)上千田隧道

長南町長南、現在地はココ(←クリック) 11時の方向を向いている。

正面の三途橋の先にあるのは長福寿寺。三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山本実成院という日本一長い山号をもつ寺とのこと。

(仮称)上千田隧道

山門。

(仮称)上千田隧道

798(延暦17)年、最澄によって創建された寺で、房総における天台宗の大本山だった。

(仮称)上千田隧道

本堂。なぜか巨大な象の石像がふたつ、狛犬のように置かれている(^-^;

(仮称)上千田隧道

右は吉ゾウくん。

(仮称)上千田隧道

吉ゾウ君とは…

願いを叶えてくれる「幸せを呼ぶゾウ」で、室町時代にルーツがあるらしい(^-^;

(仮称)上千田隧道

左は結愛(ゆめ)ちゃん。

(仮称)上千田隧道

吉ゾウくんのお嫁さんとのこと(^-^;

     ※     ※     ※

(仮称)上千田隧道

寺の裏に。現在地はココ(←クリック) 浦橋を渡る。

(仮称)上千田隧道

橋を渡ると道路脇に水路隧道があった。

(仮称)上千田隧道

道路側は吐口だ。

(仮称)上千田隧道

せっかくなので、裏にも回ってみた。

(仮称)上千田隧道

呑口。

     ※     ※     ※

(仮称)上千田隧道

再び先に進むことに。道は急に狭くなる。現在地はココ(←クリック)

(仮称)上千田隧道

その先に素掘の隧道がある。

(仮称)上千田隧道

天井の高い隧道。掘り下げされたのだろうか?

(仮称)上千田隧道

南側坑口。

(仮称)上千田隧道

南側坑口から内部を望む。トンネルの中に街灯の電信柱が立っている。こんな隧道、他で見たことないぞ(^-^;

(仮称)上千田隧道

内部から見た南側坑口。

(仮称)上千田隧道

内部には防空壕の跡と思われる横穴がある。

(仮称)上千田隧道

現在ではコンクリで塞がれている。

(仮称)上千田隧道

道にはガス管が埋設されているようだ。

(仮称)上千田隧道

その先にはもうひとつ、防空壕跡がある。

(仮称)上千田隧道

北側坑口。

(仮称)上千田隧道

北側坑口から内部を望む。

(仮称)上千田隧道

内部から見た北側坑口。

(仮称)上千田隧道

北側より。

(仮称)上千田隧道

少し離れてもう一枚。

(仮称)上千田隧道

のどかな田園風景。




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ナハ


ほほえみ橋

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【名称】ほほえみ橋(ほほえみはし)
【所在地】茂原市下永吉
【竣工】2006(H18)年3月
【延長】50.7m
【幅員】3.5m



2014年8月13日訪問

ほほえみ橋

一宮川の左岸を下流方面に向かっている。現在地はココ(←クリック)

ほほえみ橋

美しいローゼ橋が現れた。一宮川にこのタイプの橋はココだけかもしれない。

ほほえみ橋

九十九里名物(?) 天然ガスの管。

ほほえみ橋

東側より。

ほほえみ橋

脇には橋について記した案内板もある。

ほほえみ橋

さて、渡ってみよう。

ほほえみ橋

東側左の親柱。「ほほえみはし」

ほほえみ橋

東側右の親柱。「平成十八年三月竣工」

ほほえみ橋

橋の上から北の上流方面を望む。

ほほえみ橋

南の下流方面。

ほほえみ橋

西側より。

ほほえみ橋

西側左の親柱。「ほほえみ橋」

ほほえみ橋

西側右の親柱。「二級河川 一宮川」

ほほえみ橋

袂から。

ほほえみ橋

西側は車道との段差が大きいためスロープが設けられている。
しかし、こんなにターンするところが多いと車いすの方も大変じゃないのかな?もうすこし直線を長くとることはできなかったのかなぁ?

ほほえみ橋

南側より




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明治 ほほえみ 800g


南橋

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【名称】南橋(みなみはし)
【所在地】香取市下小堀
【竣工】1963(S38)年2月
【延長】約5m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2014年5月4日訪問

南橋

小見川の水田地帯にて。

南橋

東大橋の南にある橋。

南橋

北側より。

南橋

ここも小さくて可愛らしい橋だ。

南橋

北側右の親柱。「みなみはし」

南橋

北側左の親柱。「昭和三十八年二月竣工」

南橋

橋の上から東側を望む。

南橋

西を望む。

南橋

南側より。

南橋

南側右の親柱。「南橋」

南橋

南側左の親柱。「昭和三十八年二月竣工」

南橋

西側より。




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南から来た用心棒 HDリマスター版 [Blu-ray]

増間トンネル

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【名称】増間トンネル(ますまとんねる)
【所在地】南房総市増間
【竣工】1983(S58)年3月
【延長】約100m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約4m(目測)



2015年4月19日訪問

増間トンネル

千葉県道258号富山丸山線(とみやままるやません)にて。現在地はココ(←クリック) 東を向いている。

路傍になにやら案内板らしきものがあるのに気がついた。

増間トンネル

「増間温泉跡」

聞いたことがないのだが、跡というから聞いたことが無くても仕方ないか(^-^;

「房陽郡郷考によると増間郷に三杉と言う温泉があり皮膚病に特効があり多い日には百五十人も近隣の郷村から押し寄せたとある。吉野勇助先生のお話によると大正十二年の関東大地震の時に湯王権現を祭る湯元に大きな爆発音がして白煙を噴き上げたが以後水が出なくなり僅かに湯元を潤す程の水量で温泉には水が来なくなり自然に閉鎖されたと言う。
昭和四年十一月吉日 増間区」

昭和4年の看板とは思えないが、同じ内容もものが以前からあったのだろう。それにしても、関東大震災の時に爆発って…(汗)

増間トンネル

ちょっと奥に入るとコンクリートブロック製の建屋があった。あそこかな?

増間トンネル

「真杉鉱泉」と記してある。増間温泉なのか三杉なのか、はたまた真杉なのか・・・(^-^; 名前はともかくここがかつての温泉跡なのだろう。

増間トンネル

蛇口を捻ると水が出てきた。増間温泉健在なり。

しかし、これじゃたしかに湯治場としては足りないよなぁ(^-^;

増間トンネル

増間温泉跡から100メートルほど東に進んだところ。ここを右に曲がる。

増間トンネル

「工事中につき全面通行止」ということだが、とりあえずちょっとだけ様子を… ← 定番の言い訳 (^-^;

増間トンネル

ここから林道山名線となるらしい。

増間トンネル

少し進むと… なんだか様子が変だぞ ∑(゚д゚)

増間トンネル

なんじゃこりゃ!?∑(゚Д゚||)ガーン

20メートル程に渡って、路盤がボコッと陥没しているように見える。

増間トンネル

昨日今日にこうなったようには見えないが、かといって10年単位の古さにも見えない。東日本大震災の時にでもこうなったのだろうか?先ほどの増間温泉が関東大震災で爆発、というエピソードを思い出した。この付近、活断層でもあるの!?

なお、2014年5月に撮影されたGoogleのストリートビューでは既に通行止になっている。その一方で、国土地理院のサイトにある2012年の航空写真(CKT20121-C11-24)では、特に道に異変はないようにも見える。う~ん(~_~)

ネットを探したが、この件についての記述を見つけることができなかった。こんなに目立つ場所にあるのに、誰も触れていないというのも不思議。いや、よく探せば誰かが触れているのかもしれないが…

増間トンネル

3メートルほどの段差をよじ登って来た方向を振り返る。アスファルト上はそれほどでもないが、周囲は雑草が生い茂っていて、元々の地形を想像することができない(汗)

増間トンネル

しばらく呆然としてしまったが、手がかりゼロなので、どうしようもない。気を取り直して前進することに。目的地はこの先なのだ。

三芳村の簡易バリケードの先を進むことに。ところで、手前のものもそうだったのだが、三芳村は平成の町村合併で2006年3月20日に廃止になったはず。とりあえず残っていたから持ってきたのだろうか。なんだかやる気なさそうだなぁ(^-^;

増間トンネル

しばらく進むと目的のトンネルが現れた。思っていたより立派なトンネルだ。

増間トンネル

北側坑口。

増間トンネル

北側の扁額。「ますまトンネル」

増間トンネル

坑口脇の排水路。

増間トンネル

北側坑口から内部を望む。

増間トンネル

内部から見た北側坑口。

増間トンネル

トンネルの内部は若干のクラックこそあるものの良好。このまま使われずに放置されているのがちょっと勿体ない(^-^;

増間トンネル

南側まできた。内部から見た南側坑口。

増間トンネル

トンネルを抜けた先。人の入ってきている気配がない。

増間トンネル

南側坑口。

増間トンネル

南側の扁額。「増間トンネル/昭和58年3月竣工」

このトンネルは房総によくある拡幅されたものではないようだ。1975年の航空写真を見てもまだ林道は建設されていないようだ。せっかく整備したが、林業が衰退してあまり活躍できなかった可愛そうな林道とトンネルなのだろうか…

増間トンネル

南側坑口から内部を望む。

増間トンネル

少し離れて南側より。

     ※     ※     ※

おまけ動画。






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ますます毎日やらかしてます。アスペルガーで、漫画家で

嶋下橋

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【名称】嶋下橋(しましたばし)
【所在地】茂原市本納
【竣工】不明(2012年頃?)
【延長】約5m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年1月25日訪問

嶋下橋

阿久川(一宮川水系)の支流、準用河川・西谷川の左岸にて。現在地はココ(←クリック) 第二万谷下橋を跡にして、南の下流方面に向かっている。

嶋下橋

工事関係のものらしいが詳細はわからない(^-^;

嶋下橋

この放置された板きれも工事関係のものらしい。「14号-15号橋りょう間」と書かれていた。

嶋下橋

さて、本日のお題の橋だが、見ての通りの普通の小さな橋(^-^;

嶋下橋

北側より。

唯一特徴的と言えるのは橋桁に扁額が設置されていることか。このパターンは、この西谷川、東金の幸田川、それからここから下流でこの川と交差している両総用水で見かけたことがあるぐらいだ。

嶋下橋

その北側の扁額。「しましたばし」

嶋下橋

路盤にヒビが・・・

嶋下橋

東側より。

嶋下橋

橋の上から北の上流方面を望む。

嶋下橋

南の下流方面。

嶋下橋

西側より。

嶋下橋

南側より。

嶋下橋

南側の扁額。「嶋下橋」





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悪霊島(下) (角川文庫)




河童隧道

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【名称】河童隧道(かっぱずいどう)
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】1958(S33)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】16m(同上)
【幅員】4.5m(同上)
【高さ】3.7m(同上)



2014年10月26日訪問

河童隧道

山梨県道37号南アルプス公園線の隧道。南側より。(直角カーブの隧道で正確に北・南と言い切ることができないのだが、便宜的に広河原方面を北、奈良田方面を南とする)

河童隧道

オマエ、隧道じゃなくて洞門じゃないか!って激しい突っ込みがきそうだが、区分上は立派な隧道のようだ。「平成16年度道路施設現況調査」にもここが記載されている。

河童隧道

北側坑口。

河童隧道

はい、本人もちゃんと自分は隧道だと主張している(笑)

河童隧道

北側坑口から内部を望む。

河童隧道

内部から見た北側坑口。

河童隧道

内部には2箇所の明かり取りの窓。

そうそう、行きのバスでここを通った時、(隧道か洞門かは気にしていなかったが)直角カーブにびっくりしたっけ。

河童隧道

あっという間に南側坑口に。

なお、この南アルプス公園線シリーズの動画はここの隧道で終了。というのも、この時、時刻は14時半。マイカー規制区間の終了まであと6キロ。そこからさらに駐車場まで歩き、予約している下部温泉の宿まで行くことを考えると、どうにも時間が足りない。こんな事なら、寝袋を担いで北沢峠から途中野宿して2日掛かりでじっくり道を舐め回すというプランでもよかったかもしれないなぁ(笑)

河童隧道

南側坑口。

河童隧道

こちらにも「河童隧道」のプレート。

ちなみに、この名前はこの隧道の少し北にあるカッパ沢から採られたものと思われる。

河童隧道

少し離れてもう一枚北側より。

河童隧道

さて、前進再開。先は短いようで長い。

     ※     ※     ※

おまけ動画





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カッパも やっぱり キュウリでしょ? (講談社の創作絵本)

下傍示橋など

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【名称】下傍示橋(さげほうじはし)
【所在地】大網白里市下ヶ傍示/九十根
【竣工】不明、1986(S61)年2月(側道橋)
【延長】約30m(目測)
【幅員】約6m(目測)



2014年6月1日訪問

下傍示橋など

南白亀川左岸にある下ケ傍示揚排水機場。場所はココ(←クリック) 左岸の道がこの先で途切れてしまっているので、一旦川岸を離れる。

下傍示橋など

神社だ。場所はココ(←クリック)

下傍示橋など

昔はこういう所にかならず子供が遊んでいたものだが、最近そういう姿を見ることが全くといっていいほどなくなっている。少子化プラス外で遊ぶ機会が少なくなったということだろうか。それでも、どこかに探検に行ったなんて小学生の話を聞くこともあるので、外で遊ぶ子供が絶滅したわけではないと思うのだが…

下傍示橋など

白幡神社というらしい。

下傍示橋など

拝殿の前に狛犬が一対。

下傍示橋など

左の狛犬。

下傍示橋など

右の狛犬。

     ※     ※     ※

下傍示橋など

開けたところに出た。南白亀川方面を向いている。

下傍示橋など

水管橋が見えた。場所はココ(←クリック)

下傍示橋など

鳥がびっしり(^-^;

下傍示橋など

橋脚のところまでやってきた。

下傍示橋など

鳥の種類が全然わからないおいら(^-^; おーい、キミたちは何ていうんだい?

下傍示橋など

水管橋の名前も判明。ってか、南白亀川水管橋って、そのまんまだし(^-^;

     ※     ※     ※

下傍示橋など

県道に出た。これが本日のお題の橋。東側より。

下傍示橋など

東側右の親柱。「下傍示橋」

下傍示橋など

県道でそれなりに交通量もある。そのためだろう、隣に歩行者用の側道橋も設置されている。

下傍示橋など

東側左の親柱。「南白亀川」

下傍示橋など

側道橋を東側より。

下傍示橋など

袂から地図にない入り口らしきものが、、、でも藪が元気すぎて入れない(^-^;

下傍示橋など

側道橋東側右の親柱。「さげほうじそくどうきょう」

下傍示橋など

側道橋東側左の親柱。「昭和六十一年二月完成」

下傍示橋など

側道橋で西側に渡る。

下傍示橋など

側道橋の上から南の下流方面を望む。

アーチは水道管だろうか?先ほどの袂の入り口はそこへのアクセスルートだったのかも。

下傍示橋など

側道橋を西側より。

下傍示橋など

側道橋西側右の親柱。「下傍示側道橋」

下傍示橋など

側道橋西側左の親柱。「二級河川南白亀川」

下傍示橋など

西側より。

下傍示橋など

西側左の親柱。「下傍示橋」

下傍示橋など

西側右の親柱。「さげほうじはし」

下傍示橋など

橋の上から北の上流方面を望む。

下傍示橋など

北側より。




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コンクリート標準示方書 維持管理編〈2013年制定〉


いすみ市須賀谷の隧道跡

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【名称】不明
【所在地】いすみ市須賀谷/長生郡睦沢町大上
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】昭和末期~平成期?



2014年9月28日訪問

いすみ市須賀谷の隧道跡

いすみ市須賀谷。現在地はココ(←クリック) 11時の方向を向いている。この先にかつて隧道があった。

いすみ市須賀谷の隧道跡

(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

いつものように今昔マップから。左は昭和56年修正・昭和57年4月30日発行の地形図、右は現在の国土地理院の地形図。平成になってからの地形図には隧道のマークは記されていない。なお、南にある隧道跡も以前紹介済み。

いすみ市須賀谷の隧道跡

切り通しに。

いすみ市須賀谷の隧道跡

ここの法面も随分と高い。

いすみ市須賀谷の隧道跡

隧道跡がちょうどいすみ市と睦沢町の行政界になっている。

いすみ市須賀谷の隧道跡

西側より。




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須賀玄道 『朝顔に鶺鴒』 複製画色紙



(仮称)長楽寺隧道

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【名称】不明
【所在地】長生郡睦沢町長楽寺/長南町芝原
【竣工】不明
【延長】100m以上?
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約2m(目測)



2015年5月3日訪問

(仮称)長楽寺隧道

長生郡睦沢町長楽寺にて。のどかな田園風景。田植えは殆ど完了していた。

(仮称)長楽寺隧道

目的地はこの先。

実はいかにも私有地風の場所で黙って入るのは躊躇してしまいそうだったのだが、たまたま畑仕事をしていた年配の男性がいた。さりげなく、持参したプリントアウトの地図を眺めるふりをし、思い切って声を掛けてみた。

「すいませ~ん、ちょっと教えていただきたいのですが、この辺りにトンネルありませんか?」

すると、

「あ~、隧道。この奥にあるよ。よく見つけたねぇ」とのこと。ビンゴだ。心の中でガッツポーズ。

それにしても、親切な方でよかったぁ(^-^;

その方のお話によると、今は水没してしまっているが、昔は通学用に用いられていたとのこと。その方も子供時代、隧道を通って、4キロ先の学校まで通っていたそうだ。

(仮称)長楽寺隧道

許可を頂き、奥に。

ちなみに、今回はブログ上の地図の位置は実際とは違っている。先ほども書いたが、いかにも私有地という場所なので、一応、自主規制。

(仮称)長楽寺隧道

この先の左カーブ、いかにもな地形だ。写真では解りにくいが、このあたりも既に道はかなりぬかるんでいる。はやる心を抑えて、足の踏み場を選びながら慎重に・・・

(仮称)長楽寺隧道

あった!

(仮称)長楽寺隧道

五角形の素掘りはよく見かけるが、五角形のコンクリポータルはあまり見た覚えがないかも。

(仮称)長楽寺隧道

内部は素掘り。

(仮称)長楽寺隧道

話に聞いた通り水没している。坑口の下半分を埋められているので水が溜まったようだ。

(仮称)長楽寺隧道

水位は2~30センチぐらいだろうか。長靴で行けるかどうか微妙なところ。場合によっては車に長靴を取りに戻ろうかとも思っていたのだが、こりゃちょっと厳しいかも。

(仮称)長楽寺隧道

奥は真っ暗。

先ほどの男性の話によれば、隧道は途中でカーブしているそうだ。中間部分は真っ暗で手探りで進まなければならなかったそうだ。

(仮称)長楽寺隧道

奥の方は水没していないようだ。方勾配なのか崩落しているのか?

機会があったらMKK氏にスーパージャブジャブしてもらおう。グズグズ言っても後ろからドンすれば… (・∀・)ニヤニヤ

(仮称)長楽寺隧道

さて戻ろう。

グシャッ。。。∑(゚д゚; )ガーン

(仮称)長楽寺隧道

ううっ、、、リトルジャブジャブしちゃったよ( ;´Д`)

     ※     ※     ※

(仮称)長楽寺隧道

さて、当然反対側の坑口も気になる。たぶんこの奥。

こちらも民家の奥風なのでちょっとはばかられたのだが、見回しても人の気配がなかった。でも、ちょっとだけお邪魔することに。

(仮称)長楽寺隧道

やはり山の中に延びる道がある。

(仮称)長楽寺隧道

写真では解りにくいが、真っ直ぐ山に向かう掘り割り状の地形があった。この先に坑口があるとみて間違いないだろう。でもあまりゴソゴソするわけにもいかないし… というわけで、ここで引き返した。なんか中途半端なレポートになって申し訳ないが速報ということで(^-^;




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滝谷橋など

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【名称】滝谷橋(たきやつばし)
【所在地】市原市平蔵
【竣工】1978(S53)年3月
【橋長】約15m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2013年8月13日訪問

滝谷橋など

養老川の支流・平蔵川に架かる橋。

滝谷橋など

西側より。

滝谷橋など

西側左の銘板。「滝谷橋」

滝谷橋など

西側右の銘板。「平蔵川」

滝谷橋など

橋の上から南の上流方面を望む(写真はパノラマ合成)

滝谷橋など

地図にある南の支流というか水路、全然存在に気付かなかったのだが、どうやら暗渠になっているようだ。

滝谷橋など

北の下流方面。

滝谷橋など

東側より。

滝谷橋など

東側左の銘板。「たきやつばし」

滝谷橋など

東側右の銘板。「昭和53年3月しゅん工」 竣の字をあえて平仮名で表記するところがレアか?(^-^;

滝谷橋など

北側より。

     ※     ※     ※

【名称】不明
【所在地】市原市平蔵
【竣工】不明
【橋長】約15m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2013年8月13日訪問

滝谷橋など

ついでに、もう一本下流川の橋も。南側より。

滝谷橋など

西側より。

隣の市原南ホテルはゴルフに便利と評判。それにしても千葉ってなんでこんなにゴルフ場だらけなんだろ(^-^; ゴルフ場のおかげで何本の隧道が犠牲になったことか…

滝谷橋など

橋の上から南の上流方面を望む。

滝谷橋など

北の下流方面。




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トニー滝谷


中央二号橋

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【名称】中央二号橋(ちゅうおうにごうはし)
【所在地】香取市下小堀
【竣工】1963(S38)年2月
【橋長】約5m(目測)
【幅員】約2m(目測)



2014年5月4日訪問

中央二号橋

小見川の田園&橋梁地帯にて。

中央二号橋

次の橋。

中央二号橋

南側より。

中央二号橋

南側右の親柱。「中央二号橋」

中央二号橋

南側左の親柱。「昭和三十八年二月竣工」

中央二号橋

橋の上から東側を望む。

中央二号橋

ズームすると隣の南橋が見える。

中央二号橋

西を望む。

中央二号橋

あちらは西橋。いずれ記事になる予定。

中央二号橋

北側より。

中央二号橋

北側右の親柱。「ちゅうおうにごうはし」

中央二号橋

北側左の親柱は造り直されたものらしい。残念ながら銘板はなし。下に落ちている破片はオリジナルの親柱の破片かな?

中央二号橋

この橋の橋桁は周囲の他の橋と比べて薄め。

中央二号橋

東側より。

中央二号橋

少し離れてもう一枚北側より。




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ルワンダ中央銀行総裁日記 [増補版] (中公新書)



久保隧道など

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【名称】潮入橋(しおいりばし)
【所在地】南房総市富浦町豊岡
【竣工】1975(S50)年3月
【延長】約5m(目測)
【幅員】約8m(目測)



2015年4月20日訪問

久保隧道など

南房総市富浦町豊岡、国道128号にて。現在地はココ(←クリック) ほぼ北を向いている。

正面の橋、車で通れば存在に気付かないような地味な橋だ。南側より。

久保隧道など

南側左の銘板。「潮入橋」

久保隧道など

南側右の銘板。「昭和50年3月完成」

久保隧道など

橋の上から東の上流方面を望む。

ここから北側200メートル程、川は暗渠になっている。

久保隧道など

西の下流方面を望む。

久保隧道など

北側より。

久保隧道など

北側左の銘板。「しおいりばし」

久保隧道など

北側右の銘板。「潮入川」

     ※     ※     ※

【名称】久保隧道(くぼずいどう)
【所在地】南房総市富浦町豊岡
【竣工】1943(S18)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】25m(同上)
【幅員】6.0m(同上)
【高さ】5.0m(同上)



2015年4月20日訪問
前回(2011年12月5日)

久保隧道など

さて、歩いて北に向かう。

久保隧道など

「久保トンネル・坂下トンネルの改良工事を行っています」

改良といっても隧道が改良される訳じゃないんだよな… ボソッ

久保隧道など

片側交互通行の予告。前日未明、北側から来るまで通ったのだが、暗くて様子がよくわからなかったんだよなぁ…

久保隧道など

さて、見えてきた久保隧道、というか…

久保隧道など

久保隧道の跡。もう隧道本体の撤去は完了しているようだ。

隧道が撤去される予定になっているという話は数年前から聞いていたが、建物が密集しているところでホントに開削工事なんてできるのだろうか?と思っていた。でも、やっぱりやられてしまったか… 無くなる前に来よう来ようと思っていたのだが手遅れになってしまった。トホホ…

ちなみに、現在ここを歩いて通過することはできない。警備のおっちゃんに止められて「どこへ行くんだ」と訊かれてしまった。職質かよ(^-^; 通過するなら車を呼ぶから、と言われたのだが、さすがにそれは遠慮(^-^; 後で気づいたのだが、海沿いの道から回り込めば向こう側に出られたのに… 後で気づく事が多いなぁ(^-^;

     ※     ※     ※

おまけ、というかついでに、先ほど潮入橋から下流側に見えた無名橋も。

久保隧道など

南側より。

久保隧道など

橋の上から東の上流方面を望む。潮入橋とその先の暗渠が見える。

久保隧道など

西の下流方面を。

久保隧道など

北側より。



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久保&菅井の振り飛車研究 (マイナビ将棋BOOKS)


泰平橋

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【名称】泰平橋()
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】1958(S33)年10月
【橋長】約20m(目測)
【幅員】約4.5m(目測)



2014年10月26日訪問

泰平橋

山梨県道37号南アルプス公園線にて。

泰平橋

マイカー規制区間の起点である開運隧道まであと5キロ。

泰平橋

お題の橋が見えてきた。

泰平橋

北側より。

泰平橋

北側右の親柱。「泰平橋」 こりゃ縁起の良い名前だ。

泰平橋

北側左の親柱。「たいへいはし」

泰平橋

橋の上から西の山側を望む。写真はパノラマ合成。しかし、メルカトル図法のように上部を引き延ばしている。

泰平橋

なので、構図はちょっと狭苦しいけど、もう一枚。枯れ沢の様子をこれで参考にしていただきたい。

泰平橋

東の早川方面。これもパノラマ合成だが、まぁ、これは補足しなくてもいいかな(^-^;

泰平橋

下には砂防ダムが見えた。

泰平橋

ところで、周囲の植生が少し変わってきたようだ。ヒョロッと伸びている木はカラマツかな?(←ホントはよく判っていない) 植林されたものだろうか?

泰平橋

南側より。

泰平橋

南側右の親柱。「泰平橋」

泰平橋

「昭和三十三年十月完工」

泰平橋

南側左の親柱。「たいへいはし」

結局、「泰平」というのはこの枯れ沢の名前なのか、それとも何か別の由来があるのか、謎のまま(^-^;

泰平橋

ここにもモノラックがあった。

泰平橋

少し離れてもう一枚、南側より。



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中国軍事工業の近代化―太平天国の乱から日清戦争まで



大戸隧道

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【名称】大戸隧道(おおとずいどう)
【所在地】君津市広岡
【竣工】1975(S50)年3月
【延長】
【幅員】
【高さ】



2015年3月15日訪問
前回(2012年3月18日)

大戸隧道

君津市広岡、国道410号にて。現在地はココ(←クリック) 目的地はこの先の交差点を右に曲がった先なのだが、その前に左の法面に開いた穴がちょっと気になるので…

大戸隧道

一応覗いてみたものの、半分埋まっているので素性は不明。防空壕跡なのか水路隧道跡なのか… 10秒でプチ探索終了(^-^;

大戸隧道
大戸隧道

さて、交差点を曲がると、ここから君津市道広岡加名盛線。そしてさっそく隧道がお出迎えしてくれる。

大戸隧道

北側坑口。

若干カーブしているということ以外は目立った特徴のない隧道だが、こんなちょっとくたびれた感じでひっそりたたずんでいる姿って結構好きだったりする(^-^;

大戸隧道

北側の扁額。「大戸隧道/昭和50年3月竣功」

大戸隧道

北側坑口から内部を望む。

大戸隧道

内部から見た北側坑口。

大戸隧道

内部も普通にコンクリで巻き立ててある。

大戸隧道

南側へ。

大戸隧道

天井には補修跡。

大戸隧道

南側坑口。

なんか… ポータルにもクラック入ってるし(^-^;

大戸隧道

南側の扁額。「昭和50年3月竣功」

大戸隧道

南側坑口から内部を望む。

大戸隧道

下を見ると、

大戸隧道

仕切弁。

     ※     ※     ※

大戸隧道

隧道を後にし、南に移動してきた。現在地はココ(←クリック)

大戸隧道

「市道広丘加名盛線改良事業のため道陸神及び耕地記念碑を移転する」

これのお陰で路線名が判明。

大戸隧道

耕地記念碑だが、戦前の古いもの。耕地整理のようなことをしたのかな?

大戸隧道

道陸神ってなんだろと思ったら道祖神のことなのね。

     ※     ※     ※

おまけ動画






大戸屋 にっぽんの定食レシピ ヒットムック料理シリーズ


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