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三島橋

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【名称】三島橋(みしまはし)
【所在地】長生郡睦沢町佐貫
【竣工】1982(S57)年3月
【橋長】約20m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年5月3日訪問

三島橋

睦沢町佐貫、現在地はココ(←クリック) 8時の方向を向いている。

この切り通し、もしかして隧道を開削した跡じゃないかと思ったりしたのだが…

三島橋

切り通しを西に抜けて振り返り。

残念ながらこの切り通しは隧道跡ではなかったようだ。右の細い道が旧道で昭和末頃に切り通しになったようだ。

三島橋

西に進むともうひとつ切り通しが。こちらも最初から切り通しだったようだ(^-^; ということで、ここを左に曲がる。

三島橋

少し進むと本日のお題の三島橋が登場。といっても、全く普通の橋だけど(^-^;

三島橋

上は国土地理院が公開している1975年の航空写真(CKT7413-C45C-17)を加工したもの。前述の切り通しとこの先の橋の旧橋(?)の位置関係、そして川の変遷が解って面白い。

三島橋

橋を北側より。

三島橋

北側左の銘板。「三島橋」

三島橋

北側右の銘板。「長楽寺川」

三島橋

橋の上から東の下流方面を望む。

三島橋

西の上流方面。

三島橋

南側より。

三島橋

南側左の銘板。「みしまはし」

三島橋

南側右の銘板。「昭和57年3月竣工」

三島橋

西側より。



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「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)



坂畑の廃旧道

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【名称】不明
【所在地】君津市坂畑



2015年2月1日訪問

坂畑の廃旧道

JR久留里線の終着駅、上総亀山駅の駐車場。ここから張り切って出発する。相棒はおなじみのまきき氏。この日はいつになく特別に張り切っていたのだが、ぶっちゃけて言うと、その期待は見事に裏切られた。本日は壮大な徒労の記録である…

坂畑の廃旧道

久留里線の文字通り終端部分。えっとー、何ていうのだろう。

坂畑の廃旧道

さて、チャリで走ること数分で藤林隧道の西側に到着。

「ホテル亀山城」の看板が目に付く。ホテル亀山城さんには大変失礼だが、最初にこれを見たとき、こりゃラブホだな、と思ってしまった。でも、実際はれっきとした立派な観光旅館。右の旧道の先にある。

坂畑の廃旧道

せっかくなので、隧道経由ではなく旧道経由で東に向かうことに。

坂畑の廃旧道

ここがホテル亀山城さん。見晴らしがよさそうだ。

坂畑の廃旧道

少し進むと防空壕跡らしき穴を発見。穴があったら何でも入りたいまきき氏、当然のごとく張り切ってプチ探索。おいらは… まぁ、いいや(^-^;

     ※     ※     ※

坂畑の廃旧道

さて、しばらく進んで、現在地はココ(←クリック) 交差点の少し南側から北を向いている。

坂畑の廃旧道
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

さて、そろそろこの日の探索目的について説明しよう。

いつものように今昔マップから。左は昭和19年修正・昭和22年5月30日発行の地形図、右は現在の国土地理院の地形図。

赤丸内に隧道の記号が記されているのがわかるだろう。ここは君津市坂畑から怒田にかけて、素掘り隧道が12本連続する(そして他にも周囲に何本もあるしの)房総でも有数の素掘り隧道密集地帯。隧道マニアだけでなく、オフロードバイクのライダーさん達にとっても、おなじみの道。

その1本目の隧道がここなわけなのだが、ふたつの地形図を見ると明らかな違いがある。そう、標高点の右から左に隧道の位置が変化しているのだ!

これを見つけた時の興奮といったらもうwww これだけ明白な違いがあれば、「旧隧道」の存在間違いなし。廃隧道一本ゴチになります!と二人そろって(・∀・)(・∀・)ニヤニヤしながらやってきたのだった。

坂畑の廃旧道

さて、旧版地形図によれば、旧道は先の交差点より少し東側にあるはず。ということで、交差点を東に進んできた。現在地はココ(←クリック) 北を向いている。この先に「旧隧道」があるはずなのだが、いかにも私有地の雰囲気(この先に民家もある) 少し周囲をウロウロしたが、どこからアクセスしたらいいものやら見当も付かないので、結局南からのアプローチはとりあえず断念。

坂畑の廃旧道

とりあえず林道に戻る。北側からからアプローチすればいいや、とあっさり方針を切り替えた。

坂畑の廃旧道

植林地に入る。

坂畑の廃旧道

そして、12連発最初の隧道、かつ、本日のターゲットの「旧隧道」があると思われる、(仮称)横尾1隧道の南側坑口に到着。

いつもなら、「ちょっと待ってて、すぐ終わるから」と言いつつ、軽く20分は撮影しまくるまきき氏だが、この日ばかりはここもあっさりスルー(笑)

坂畑の廃旧道

そして、次に控える(仮称)横尾2隧道。さて、旧道とはこの辺りで合流するように思えるのだが、痕跡がない。仕方ないので隧道の手前から適当にアタリを付けて、とりあえず谷底に降りてみようということに。

坂畑の廃旧道

でも、全然旧道の痕跡がないんだよなぁ(^-^; 自信たっぷりでやってきたのだが、ここで始めて不安感を覚える(^-^;

この日はたまたま猟師さんが集まっていた。人見知り社交家のまきき氏がすかさず猟師のおっちゃんに声を掛けて取材するも、「廃トンネル~?知らないなぁ」とのつれない返事( ;´Д`)

坂畑の廃旧道

で、まぁ、ズザーッっと数十メートル谷底に降りてきたところ。

この写真、使うの2回目(笑) 前回は「思い出の廃車@千葉県君津市(←パクリタイトル注意)」として。

そう、結局巨大なゴミの不法投棄現場に紛れ込んでしまったのだ( ;´Д`) いや、ゴミ捨て場になっているからといって、隧道がないとは言い切れないのだが、もしこの沢状の地形の奥に隧道があったとしたら、、、それこそ数百メートルの長大隧道が埋まっているということになる。う~ん、ちょっと考えがたいよなぁ…

ということで、前回の記事にも書いた通り、這々の体で撤退。

     ※     ※     ※

坂畑の廃旧道

ふたりそろってプチ滑落し、ゴミの中を這いずり回り、結局、(仮称)横尾1隧道の南側まで戻ってきた。

坂畑の廃旧道

ここで、最後のアタック。現道の東にある山に突入だ。ぶっちゃけ、汚穢にまみれて、今更オケラで帰るわけにはいかない、という引くに引けない心理状況だったのかもしれない。インパール作戦かよ( ;´Д`)

坂畑の廃旧道

とまぁ、悲愴な覚悟で突っ込んでみたのだが、意外なことに掘り割りを発見。そのまま進むことに。

しかーし、この道の雰囲気… そのまま尾根越えする道の雰囲気なんだよなぁ…

坂畑の廃旧道

やっぱり尾根に出てしまった…

坂畑の廃旧道

君津市の杭。

坂畑の廃旧道

この先に我々の心を乱した地形図に載る標高点があった。

後で見返してみると殆ど写真を撮っていなかった。意識はしていなかったが、もうすっかり諦めモードだったのか(^-^;

一応文章で補足しておくと、この掘り割りだが、旧版地形図に描かれていた標高点東側にある道とほぼ同じルートに合流している。そして、尾根を越えて、(仮称)横尾1隧道の北側にでるようだった。「ようだった」というのは、尾根を越えた先に、途中に倒木と路盤が決壊しかかっていたので進むのを断念したから。もちろん隧道のありそうな雰囲気はゼロで無理する気になれなかったのだ。

いつもなら、「もうちょっと行ってみません?」というまきき氏もめずらしくお帰りモード。ゴミの山を徘徊した事でふたりとも無意識に心が折れていたようだ(^-^;

【結論というか推測】

さて、この旧版地形図に描かれた隧道記号だが、ほぼ間違いなく誤植だろう。元々、尾根越えの旧道(隧道なし)があり、後年、それが新道(隧道あり)に切り替わったが、手抜きされて、旧版の道の途中に隧道の記号だけ追加されたのではないかと。

以前、御宿町にある西琳寺第二隧道の旧道で同じような状況に遭遇したことがある(ただしそちらは二世代の隧道があったが)

さらに最近、いすみ市でもこのようなパターンじゃないかという道があった。地図を鵜呑みにしてはいけないのはこの業界の常識。腹を立てるよりも、むしろ謎解き感覚でこんなミスをもっと捜したくなってきた(笑)

でも、ぬくぬくと家でPCに向かっていると、ひょっとしたらひょっとして、見逃しがあったり… などと再び妄想したりするのであった(^-^;

     ※     ※     ※

帰り道に、まきき氏がボソッと一言。

「あ~、ここもD主任とMがやらかしちゃったんだなぁ…」

そうだ、おそらくここも「D主任と部下のMがやらかした件」略してDMYだ。まぁ、これは妄想に由来する内輪話なのだが(^-^;


<<重要>> ここからはフィクションで実在の人物・団体とは一切関係ない。

昭和1×年、二人の国●地●院職員が亀山村の村道を歩いていた。彼らは来る新版地形図の発刊に備えた調査をしていた。明治に刊行された地形図は既に現状と異なる箇所が散見されるようになっていたのだ。この違いを修正するための現地調査が彼らの仕事だった。

朝からまる一日、精力的に仕事をこなし、もう日没間近。二人は数年前に竣功したばかりの隧道を調査してこの日の仕事を切り上げるつもりだった。

地形図の通り、右カーブの先に真新しい隧道があった。尾根越えの旧道の下に新たな隧道が穿たれたのだろう。しかし、新人職員Mが異変に気づいた。

「D主任、確かに右に曲がると隧道がありますが、以前の図面と角度が違っていませんか?ひょっとして道がつけかえられたのではないでしょうか?」

それが事実なら周囲を測量し直す必用がある。にもかかわらず時間はもうあまり残っていない。だが、ベテランのDは臨機応変という言葉を知る男だった。

「Mちゃん、気にすることないよ。たしかに曲がった先に隧道はある。今の地形図に新たに隧道の記号を付け加えれば新しい地形図が完成するよ。おつかれさん、さぁ、戻ろう」

だが、完全主義者のMは納得しなかった。「いや、この道の角度を修正して完璧な地形図を作りましょうよ。わたくしめの開発した『まえわ五十二號』を使えば朝までには測量も完了します。『まえわ五十三號カンテラ』を使えば夜間の作業も可能です。そして国家へ貢献しましょう」

「大丈夫、我々はもう既に充分にお国に貢献しているよ。オーケーっ、問題なしっ」

「しゅ、しゅ、主任、しかし…」

Dは臨機応変であるだけではなく、当時としては珍しいリベラルな思想の持ち主だった。

「そんなことより、Mちゃん、私は家族との時間を大切にしたいんだ。明日は家族を連れて恒例の活動写真を見て食事に行く日なんだ。この日のために10年ぶりに外出着も仕立てたんだよ。私がここまでやってこれたのも、大事な家族があってのこと。その大事な家族との時間を君は奪おうというのかい?」

穏やかだが確固とした意志を秘めたDの口調にMは返す言葉もなかった。さらにDは言葉を続ける。

「社会集団の最小単位は家族だよ。家族を大切にしてこそ、より大きい集団であるお国に間接的に貢献できるとボクちんは思っているんだよ。まぁ、ボクちんはお国よりも家族の方が百万倍大事なんだけどね ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」

自信に満ちたDの言葉を受けたMは、うつむきながらも何とか必死で反論の言葉を探した。しかしさらにとどめの言葉が。

「そんな事より、Mちゃん、外房の魚介は旨いよ。ボクちんはこれから貸し切りの船で家にもどるけど、Mちゃんのためにとっておきの宿を予約しておいたから、今夜は伊勢海老でも食いながら一杯やってよ。鮑も頼んでおいたし菊●も好きなだけ呑んでいいから。そうやってお国から頂いた給金を各地での消費に回し、地域経済を潤わせる。地方が栄えれば中央も栄える。繁栄によって生まれた金は税金として再び国家に流れて新たな投資に用いられる。こうやって経済を循環させることこそ今ボクちん達にできる、お国への貢献ってものだと思うな」

伊勢海老と鮑と菊●の誘惑を前に、Mの完全主義はあっさり白旗を掲げた。リベラリストでありながらも、繊細で面倒見のよいDの部下に対するフォローは完璧であった。

「そ、そ、そうですね、主任の仰る通りです。今夜は全力でお国のために貢献したいと思います」

「じゃあそろそろ戻ろうか」

「はぃぃぃ。戻ります。いや、戻らせてくださいっ」

そして、足取りも軽く二人は街に戻っていった。

数ヶ月後、新版の地形図は無事発刊され、Dの言った通り全く問題は生じなかった。

これが「D主任と部下のMがやからした件」略してDMYの一部始終である。

※念のため繰り返して言うと、この話はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。



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江戸と東京の坂―決定版!古地図“今昔”散策


深浦隧道

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【名称】深浦隧道(ふかうらずいどう)
【所在地】横須賀市浦郷町/追浜東町
【竣工】1972(S47)年3月
【延長】106m
【幅員】5.8m
【高さ】約5m(目測)



2014年10月19日撮影

深浦隧道

横須賀市追浜東町、現在地はココ(←クリック) 東を向いている。ベイサイドブルーのR34 GT-Rがカッコイイが、目的地はその先の隧道。

深浦隧道

西側より。

深浦隧道

ありふれたコンクリポータルの隧道。後で紹介するが、銘板によれば1972(昭和47)年の竣功ということになっているが、実はもともとは明治44年に建設されたという(横須賀集客促進実行委員会『横須賀トンネルマップ』より) 見かけより遙かに古い隧道のようだ。

西側坑口。

深浦隧道

西側の扁額。「深浦隧道」

深浦隧道

西側坑口から内部を望む。

深浦隧道

内部から見た西側坑口。

深浦隧道

隧道内部はコルゲート補強されている。たびたび書いているが、この無機的な雰囲気は結構お気に入り(笑)

深浦隧道

東側に抜ける。

深浦隧道

東側の坑口で振り返り。

深浦隧道

坑口付近の巻き立て部分に銘板があった。

深浦隧道

「深浦隧道/昭和47年3月/延長106m 幅5.8m/横須賀市/施工 日建工業K.K」

深浦隧道

東側坑口。

深浦隧道

東側の扁額。「深浦隧道」

深浦隧道

東側より。



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プロへの道


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九十九里鉄道の橋梁跡

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【名称】不明
【所在地】東金市家徳
【竣工】1926(T15)年頃?
【延長】約2m(目測)
【幅員】約0.8m(目測)



2015年5月31日訪問

九十九里鉄道の橋梁跡

JR東金線の東金駅。半世紀以上前、ここから九十九里町の片貝まで8.6キロの軽便鉄道(軌間762mm)が営業していた。

ここから片貝まで廃線後をユルーク辿ってみる。

九十九里鉄道の橋梁跡

駅の階段の上から成東方面を見ると、駐輪場の先に線路と平行した空き地がある。そこが廃線跡のようだ。駐輪場もそうだったのかな?

九十九里鉄道の橋梁跡

空き地まで来てみた。

九十九里鉄道の橋梁跡

この空き地、現在売り出し中。

この先路線は駐車場や予備校の部分を通り、JA付近でほぼ90度向きを変えて片貝方面に向かっていたはずだが、しばらく痕跡はない。

九十九里鉄道の橋梁跡

少し移動して、国道126号を渡り、現在地はココ(←クリック) 南東を向いている。ここが廃線跡のはずなのだが、現在では水路になっている。1975年の航空写真を見ると水路の部分が築堤になっているように見える。

九十九里鉄道の橋梁跡

旧線をきっちりトレースしようという気はないので、適当に水路付近をウロウロ。たしかこの先は以前通った時に民家の裏庭にぶち当たったのでパス。

九十九里鉄道の橋梁跡

舗装されている箇所もある。

九十九里鉄道の橋梁跡

やがて水路は真亀川に合流するのだが、一旦県道にでて回り込む。県道の中橋。真亀川は下流から護岸整備が進んでいるので、この橋も近いうちに架け替えられるのかもしれない。

九十九里鉄道の橋梁跡

中橋を渡り、再び廃線跡に向かう。

九十九里鉄道の橋梁跡

あの築堤が廃線跡。

九十九里鉄道の橋梁跡

左に視線を動かすとこの廃線跡の最大と言うべき遺構がある。赤矢印のところ。

一応本日のお題だ。

九十九里鉄道の橋梁跡

まずは北側から。そう、小さな橋台だ。

九十九里鉄道の橋梁跡

今度は川岸から。築堤の隣に道があった。

九十九里鉄道の橋梁跡

さて、期待しながら近づく…

白い模様が、と思ったら落書きだし( ;´Д`)

九十九里鉄道の橋梁跡

東金側にも( ;´Д`)

九十九里鉄道の橋梁跡

気を取り直して築堤に登ってみる。築堤の手前がぬかるんでいそうなので慎重に… リトルジャブジャブは勘弁してもらいたいからね(^-^;

東金側から片貝方面を。

九十九里鉄道の橋梁跡

今度は片貝方面から東金方面を。

九十九里鉄道の橋梁跡

橋台を後にして、さらに片貝方面に進む。この辺りから廃線跡は関東天然瓦斯開発の所有地になっている箇所が多い。

それにしても、廃線跡沿いに建っている家が随分と多いのだが、どういう事情なのだろう?位置指定道路にでもなっているのかな?

九十九里鉄道の橋梁跡

この先も社有地ということだが、立入禁止ということではないらしい。民家への出入り口やゴミ集積所があった。

九十九里鉄道の橋梁跡

まぁ、これぐらいならチャリで進んでもいいかな。

九十九里鉄道の橋梁跡

ここは水路を挟んだ舗装路を進む。

九十九里鉄道の橋梁跡

再びダート。このあたりから九十九里町に入る。

九十九里鉄道の橋梁跡

その先に現れた暗渠。これもひょっとして九十九里鉄道の遺構かな?

九十九里鉄道の橋梁跡

別の位置からもう一枚。

九十九里鉄道の橋梁跡

この先は水路だが、橋梁はないので迂回する。

九十九里鉄道の橋梁跡

水路の先から廃線跡は遊歩道になっている。   

九十九里鉄道の橋梁跡

遊歩道は若干手入れが放置気味。九十九里町は財政状況が厳しいという話なので仕方ないか(^-^;

九十九里鉄道の橋梁跡

キッチリ旧線跡をトレースしようとは思っていないので、こっちの方が楽(^-^;

九十九里鉄道の橋梁跡

やがて遊歩道も終了。いかにも鉄道跡という風ななめらかなカーブ。

九十九里鉄道の橋梁跡

現在地は九十九里町片貝でココ(←クリック) 東を向いている。もうすぐ終点だ。

九十九里鉄道の橋梁跡

県道を渡る。

正面の赤い屋根の建物があるのが廃線跡だろう。

九十九里鉄道の橋梁跡

そしてその先はバスターミナル。ここが終点・上総片貝駅跡。

九十九里鉄道の橋梁跡

なお、ここは現在、九十九里鉄道の片貝駅バス停留所となっている。




九十九里鉄道―潮騒の浜へゆくキドー (RM LIBRARY (37))

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雨池隧道

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【名称】雨池隧道(あまいけずいどう)
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】1958(S33)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】250m(同上)
【幅員】4.6m(同上)
【高さ】3.6m(同上)



2014年10月26日訪問

雨池隧道

山梨県道37号南アルプス公園線にて。

(広河原方面から来て)野猿橋を渡るとすぐに隧道が現れる。

雨池隧道

マイカー規制区間の起点、開運隧道まであと3キロ。なんとか生還できそうだ。

雨池隧道

北側坑口。内部は暗闇で反対側の坑口を伺うこともできない。

そう、ここも照明がないだけでなく内部で大きくカーブしている隧道だ。

雨池隧道

隧道の名前は雨池隧道(あまいけずいどう)

雨池隧道

北側の扁額。「雨池隧道」 よこに小さく「山梨県知事 天野久」の揮毫。高度成長期に造られた山梨県内の隧道でよく見かける名前だ。同氏は1951年から67年の4期16年に渡って山梨県知事を務めた人物。

雨池隧道

北側坑口から内部を望む。

雨池隧道

内部から見た北側坑口。

雨池隧道

カーブ区間。水が溜まっているが、靴を濡らさないようにしなきゃ…

雨池隧道

無事カーブを過ぎて振り返り。反射板はカーブを警告するためのものだろうか。

雨池隧道

一瞬ほぼ暗闇につつまれたが、すぐに反対側の坑口が見えた。といってもはるか彼方だが。

雨池隧道

フラッシュを用いて撮影。

フラッシュ撮影は白く飛んでしまうような感じになってあまり好きではないのだが、この日はライトを忘れてしまったので仕方がない(^-^; もう少し早く気づいてフラッシュ撮影をバリバリすればよかった…

雨池隧道

暗闇を楽しみながら南側へ。

雨池隧道

内部から見た南側坑口。

雨池隧道

坑口で振り返り。反射板が見える。

雨池隧道

南側坑口。

雨池隧道

南側の扁額。「雨池隧道」 天野氏の揮毫もある。

雨池隧道

隧道名のプレートもある。

雨池隧道

先を急ごう。

雨池隧道

振り返ってもう一枚。



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長野県 南佐久郡小海町北八ヶ岳 雨池のポストカード葉書はがきハガキ Photo by絶景.com



南日當橋

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【名称】南日當橋(みなみひなたはし)
【所在地】長生郡白子町南日当
【竣工】1969(S44)年3月
【延長】約20m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年5月24日訪問
前回(2014年6月1日)

南日當橋

南白亀川に架かる宮後橋の西側の袂にて。ここから上流方面に向かいたいのだけど…

南日當橋

通行止… なんの工事だろう?でも重機の音も聞こえないから…

南日當橋

行っちゃえ(^-^;

南日當橋

橋が見えてきた。去年も訪れた南日當橋だが、異変が… ∑(゚д゚)

南日當橋

川の流れが半分堰き止められている。それに、あんなに短い橋だったっけ?

南日當橋

橋はスパッと西半分がなくなっていた。つまり解体作業中だった ∑(゚д゚)

南日當橋

老朽化と地震対策のために掛け替えになったようだ。

※参考:南日当橋橋梁整備工事に伴う通行止め(白子町)

南日當橋

切断された管の中を覗いてみると、サビサビ(^-^;

南日當橋

ウロウロ…

南日當橋

橋の上に。

南日當橋

橋の上から南の下流方面を望む。

南日當橋

北の上流方面。

南日當橋

東側より。

南日當橋

東側右の親柱。「南日當橋」 造り直されたらしい親柱だが、もうご用済み…

南日當橋

南側左の親柱。「なばきがわ」

南日當橋

袂から。

南日當橋

南側より。

南日當橋

さて、西の端までもどってきた。西側の橋台はどうなっているのだろう? 

     ※     ※     ※

南日當橋

西側に戻り、橋台のあった場所に。橋台は既に完全に撤去されている。

南日當橋

ちゃんと新橋が架けられるのかな?

南日當橋

工期は来年3月末までの予定。

南日當橋

北側より。



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鶴舞第二隧道(?)跡

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【名称】(推定)鶴舞第二隧道
【所在地】市原市田尾
【竣工】不明
【延長】50m程度?
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】昭和末(1982年~86年頃)



2015年4月26日訪問

鶴舞第二隧道(?)跡

千葉県道171号加茂長南線(かもちょうなんせん)にて。現在地はココ(←クリック) 鶴舞第一隧道の南で6時の方向を向いている。

この先にかつて隧道があった。

鶴舞第二隧道(?)跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

いつものように今昔マップから。左は昭和55年編、昭和56年7月30日発行の地形図。右が現在の国土地理院の地形図。明治の地形図にもこの隧道は描かれている。

鶴舞第二隧道(?)跡

こちらは国土地理院による航空写真(CKT7413-C43A-50)を拡大加工したもの。鶴舞第一隧道とともに南側のポータルが写っている。同時に撮られたCKT7413-C43A-49は写真の端の方になるが、よりポータルがはっきりと写っている。

隧道の姿は1982年12月2日撮影のKT826X-C6-4までは姿を認める事ができるが、1986年5月17日撮影のKT862X-C18A-20では姿を消している。

なお、隧道名だが、資料的な確証はないのだが、鶴舞第一隧道のすぐ隣なので鶴舞第二隧道でほぼ間違いないかと。なお、隧道データベースではこの隧道も鶴舞第一隧道も無名となっている。平成16年度道路施設現況調査(国土交通省)に記載の鶴舞第一隧道の建設年次は1969年。この時に大規模な改修を受けて命名されたのかもしれない。おそらくこの消失隧道も同時期に整備されたではなかろうか。

鶴舞第二隧道(?)跡

隧道跡の法面。右側(西側)は完全に平地にならされて、旭ダイヤモンド工業という会社の工場の敷地になっている。もしかして、工場の中にはダイヤがザクザク?あまりウロウロしていると強盗と勘違いされるか?なんて思ったら、ついついキョドってしまった(^-^;

鶴舞第二隧道(?)跡

南側より。

鶴舞第二隧道(?)跡

ところで、右のスペースがちょっと気になる…

(´-`).。oO(ビョーキだな)

鶴舞第二隧道(?)跡

ビョーキだから仕方ない、ちょっと草藪を進むと… (゚д゚)ハッ!!

ま、ま、まさかの旧隧道!? でも小さすぎる、ってことは明治の地形図に書かれていたのと開削されたのは別の隧道? ってことは現・鶴舞第一隧道も旧隧道があったり? おい、もう一度戻って藪漕ぎ?

なんて思いが、0.5秒ぐらいの間に頭を駆け巡ったが…

鶴舞第二隧道(?)跡

なんだ…

ホッとしたようなガッカリしたような… (^-^;

鶴舞第二隧道(?)跡

すぐ隣にももうひとつ埋まりかかった穴が…

鶴舞第二隧道(?)跡

さらにその隣にももうひとつ…

鶴舞第二隧道(?)跡

3本の穴をひとつの構図に納めてみたが、わかるだろうか?(^-^; それはともかく、人騒がせだなぁ(^-^;

(´-`).。oO(勝手に動揺してただけだろ)




折鶴舞う (八丁堀剣客同心)

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共榮トンネル/向山トンネルなど

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【名称】共榮橋
【所在地】夷隅郡大多喜町小田代/葛藤
【竣工】不明
【橋長】約30m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2014年2月23日訪問

共榮トンネル/向山トンネルなど

大多喜町小田代。現在地はココ(←クリック)

雪は去年の大雪の時のもの。

共榮トンネル/向山トンネルなど

ガードレールを赤く塗っただけでも随分とおしゃれに見えるのが不思議(笑)

共榮トンネル/向山トンネルなど

西側右の親柱。扁額は失われている。

共榮トンネル/向山トンネルなど

左の親柱も。

共榮トンネル/向山トンネルなど

橋の上から南の上流方面を望む。

共榮トンネル/向山トンネルなど

北の下流方面。

共榮トンネル/向山トンネルなど

東側より。

共榮トンネル/向山トンネルなど

東側右の親柱。「共榮橋」

共榮トンネル/向山トンネルなど

カモさんが泳いでいた。

共榮トンネル/向山トンネルなど

東側左の親柱。「養老川」

     ※     ※     ※

【名称】共榮トンネル/向山トンネル(きょうえいとんねる/むかいやまとんねる)
【所在地】夷隅郡大多喜町葛藤
【竣工】1970(S45)年3月
【延長】23m(共榮T)/92m(向山T)(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】4.3m(同上)
【高さ】3.4m(共榮T)/3.6m(向山T)(同上)



2014年2月23日訪問
前回(2010年4月19日)

共榮トンネル/向山トンネルなど

続いて隧道へ。西側坑口。

ここも千葉にある数多いトンネルの中でも極めて有名かつ特異なもののひとつ。

共榮トンネル/向山トンネルなど

西側の扁額。「共榮トンネル/昭和45年3月竣功」 この扁額の記載を覚えていていただきたい。

共榮トンネル/向山トンネルなど

西側坑口から内部を望む。この時点でかなり変わったトンネルだということが判るだろう(^-^;

共榮トンネル/向山トンネルなど

内部から見た西側坑口。

共榮トンネル/向山トンネルなど

巻き立て区間の先は吹きつけになっている。そして天井が異様に高い。

共榮トンネル/向山トンネルなど

その上、トンネルの中心付近のサミットが随分高

なぜこんなに天井が高いのか。ここで振り返ってみると…

共榮トンネル/向山トンネルなど

ジャーン。

隧道の上に大きな穴が開いている。

共榮トンネル/向山トンネルなど

この開口部だが、明かり取りとか崩落で開いてしまったものではない。実はかつての西側坑口である。かなり急な方勾配の隧道だったようだ。

共榮トンネル/向山トンネルなど

東側の巻き立て区間。

共榮トンネル/向山トンネルなど

内部から見た東側坑口。

共榮トンネル/向山トンネルなど

東側坑口。

共榮トンネル/向山トンネルなど

東側の扁額。「向山トンネル/昭和45年3月竣功」

なんと西側(共榮トンネル)と名前が違う。どうやらここから先ほどの上に開いている穴(旧西側坑口)までが向山トンネルで、掘削し直された西側部分が共榮トンネルということらしい。

平成16年度道路施設現況調査では、共榮と向山が別々のトンネルとされていて、延長はそれぞれ23メートルと92メートルということになっている。途中で分岐しているトンネルに別々の名前が付いている例はごく希に見かけるが(といっても、「新」が付くぐらいだが)、このような例は極めて珍しいのではないだろうか?(^-^;

共榮トンネル/向山トンネルなど

東側坑口から内部を望む。

共榮トンネル/向山トンネルなど

少し離れてもう一枚。




春日部共栄中学校 28年度用―声教の中学過去問シリーズ (3年間スーパー過去問414)

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沖ノ島橋

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【名称】沖ノ島橋(おきのしまばし)
【所在地】茂原市本納
【竣工】不明(2012年頃?)
【延長】約5m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年1月25日訪問

沖ノ島橋

一宮川水系阿久川の支流、準用河川・西谷川の右岸にて。現在地はココ(←クリック) 第2沖ノ島橋を後にして、南の下流方面に向かっている。

沖ノ島橋

次の橋は水門を併設している。

沖ノ島橋

北側の扁額。

沖ノ島橋

ちょっと見にくいので反対側から。「おきのしまばし」

沖ノ島橋

西側より。

沖ノ島橋

橋の上から北の上流方面を望む。

沖ノ島橋

南の下流方面。

沖ノ島橋

東側より。

沖ノ島橋

さて、水門だが…

沖ノ島橋

銘板。

「渋谷3号地下水止めゲート/形式 ステンレス製スライドゲート/純径間×扉高 3.50m×0.95m/制作年月 平成24年2月/制作 日工マシナリー株式会社」

沖ノ島橋

南側より。

沖ノ島橋

南側の扁額。「沖ノ島橋」



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太宰府・宝満・沖ノ島―古代祭祀線と式内社配置の謎

音羽橋

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【名称】音羽橋(おとわばし)
【所在地】いすみ市岬町中滝/桑田
【竣工】1969(S44)年12月
【橋長】約50m(目測)
【幅員】約5m(目測)



2015年5月10日訪問

音羽橋

いすみ市岬町中滝、現在地はココ(←クリック) 西を向いている。

音羽橋

交差点を過ぎると先に夷隅川を跨ぐトラス橋が見える。

音羽橋

路傍に片手袋が落ちていた。

片手袋を見つけたら、触れずにそっと写真を撮るのがその筋の人の流儀らしい。

音羽橋

ところで、さっきから橋の手前に白黒の車が停まっている。パトカーだ。

おそらく先ほどの交差点で一時停止違反をする車がいないか虎視眈々と狙っているのだろう。しかし、随分迷惑なところに停めているものだ。市道だと思うのだが、それなりに交通量のある道。パトカーのせいで橋の上で対向車を待つ車もいた。明らかにボトルネックになってるし… おいらにもう少し勇気が有れば、「迷惑駐車(エンジンかけて停まっているから停車か?)してるんじゃねーよ」と言いたいところだが、暴力装置の警察に喧嘩を売る度胸がなくて、チラチラと横目で見ることしかできなかった。ふがいない…

おそらく、交差点で一時停止が不十分が車がいたら、猛スピードで急発進・追跡して捕まえるのだろう。そして「危険ですからね~」などと言いながらキップを切るのだろう。

一時停止を徹底させたいのなら、交差点に警察官が一人立っていれば済むこと。もちろん、そんな事をすれば、罰金を集めることはできないのだろうが…

しかし、このような囮捜査まがいの取り締まりをしていて、後ろめたいという気にならないのだろうか?これで交通安全に寄与していると堂々と言えるのかしら?恥ずかしいことしているって思わないの?と眠たそうな顔をして助手席に座っている警察官を見て思った。

そろそろ、姑息な手段で罰金を集めるというビジネスモデルから脱却して、コンプライアンスを意識するように方針転換したらどうかと思うのだが… あー、違法捜査やってる訳じゃないからいいのかな?(苦笑)

親族に警察官がいる知人が何人かいるが、話を聞くと、ひとりひとりの警察官はみな正義感の強い真面目な人らしい。なのに、組織として警察を見ると、必要ではあるが、その権力をかさにきた嫌らしい体質に嫌悪感を抱かざるをえないのはどういうことだろう。

音羽橋

隣の水管橋を撮っていたりと、橋の袂をウロウロしていたら、パトカーは走り去っていった。どこか次のポイントに向かったのだろうか… (-_-;

ということで、ようやく伸び伸びとは、橋を東側より。

音羽橋

場所を変えてもう一枚。

音羽橋

隣の水管橋。

音羽橋

東側左の親柱。「夷隅川」

音羽橋

東側右の親柱。

音羽橋

「音羽橋」

音羽橋

親柱の手前のところを乗り越えて、橋の袂から撮った水管橋。

音羽橋

それから橋を。

音羽橋

橋の上から北の下流方面を望む。

音羽橋

南の上流方面。

音羽橋

西側より。

音羽橋

西側左の親柱。「おとわばし」

音羽橋

西側右の親柱。

音羽橋

「竣功 昭和44年12月」

音羽橋

西側より。



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女教師倶楽部 音羽レオン 美巨乳教師の誘惑授業



doodoongoo氏、久々の来房

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道路系古参ブログ・隧道道を主催するdoodoongoo氏。最近、探索にお誘いしても、「忙しくて~」ということで、断られ続き。風の噂によれば、映画を見に行ったり、会食したり、楽器の練習したり、その合間に仕事があったりと、リア充な日々を送っているらしいのだが、ようやく我々(まきき氏&おいら)のために時間を作ってくれた。

doodoongoo氏、久々の来房

スルスルと近づいてくるアルト。

doodoongoo氏、久々の来房

doodoongoo氏の新しい愛車だ。ナンバーはもちろん、いつもの●●●(非公開)

doodoongoo氏、久々の来房

さっそく、エンジンルームを見せてくれとせがむまきき氏。

「(テリオスキッドの)ターボ、これに付けてよ(・∀・)」(doodoongoo氏)

「いやぁ、それはちょっと勘弁してくださいよぉ( ;´Д`)」(まきき氏)

詳細はカットするが、ふたりのマッタリとしたやりとり、なんとも面白い。

でも、とりあえず出発しましょうよ…(^-^;

     ※     ※     ※

doodoongoo氏、久々の来房

木製土橋を見たり…

doodoongoo氏、久々の来房

昭和初期のボックスカルバートを見たり…

doodoongoo氏、久々の来房

もちろん、隧道も。

     ※     ※     ※

doodoongoo氏、久々の来房

道草で立ち寄った長福寿寺

まきき氏が興味を示している結愛(ゆめ)ちゃん。縁結び・恋愛成就・夫婦円満に御利益があるそうだ。

(´-`).。oO(それならdoodoongoo氏にお参りすればいいと思う)

doodoongoo氏、久々の来房

さて、次の目的地に行こう!と思ったら、境内でバーベキューをしていた方に声をかけられた。なんとイノシシ肉だという。

豚肉のようだけど、ちょっと違う野趣あふれる味。思わぬところで、ご馳走にありついて3人で(・∀・)(・∀・)(・∀・)ニヤニヤ

ごちそうさまでした!

     ※     ※     ※

お腹いっぱいになって再出発。

doodoongoo氏、久々の来房

「幸せな気持ち」のdoodoongoo氏。

doodoongoo氏、久々の来房

そして、本日のメインイベント!おそらくネットで未発表の隧道。藪こぎの末、あきらめかけたところで発見!

doodoongoo氏、久々の来房

いやぁ、ホントに来たかいあったね(・∀・)ニヤニヤ

詳細レポートはいずれ近いうちに。まきき氏の動画もあるよ(・∀・)ニヤニヤ

     ※     ※     ※

doodoongoo氏、久々の来房

予定ではこの後車で移動することになっていたのだが、微妙に時間が足りなくなってしまったので、そのまま近場で脚を伸ばして(仮称)鴇谷隧道へ。

またまた幸せな気持ちのdoodoongoo氏。

久しぶりに3人揃っての探索で楽しい一日だった。ありがとうございました。

     ※     ※     ※

doodoongoo氏、久々の来房

doodoongoo氏にいただいたお土産。

doodoongoo氏、久々の来房

子供の頃から大好きだったお菓子だそうだ。お勧めするだけあって、フワフワホロホロ甘くて美味しいよ!

doodoongoo氏、久々の来房

由紀さおり(゚д゚)ハッ!!

苦手なカラオケに誘われる時、歌詞が少ない夜明けのスキャットにはよくお世話になる(^-^;

る~る~るるる~♪

     ※     ※     ※

doodoongoo氏、久々の来房

長福寿寺でご馳走になった時にいただいたイベントパンフレット。紅花(べにばな)フェスティバル。6月12日(金)から23日(火)まで。バーベキューはないけど、イベント盛りだくさん。

ちなみに、まきき氏、上柳昌彦アナに絶賛された笑顔を見込まれてか、「宣伝してね」とドサッと大量のパンフレットを渡されていた。ぶっちゃけ、この場合、10人中6人ぐらいは、どこかでその束をポイし、3人は途方に暮れて部屋の隅にしまい込むところだろう。

しかし、律儀なまきき氏は、翌日からせっせと知人や道の駅などに頼みに回ったようだ。そして、その道すがら、ひょっこりおいらの家にも来て、担当分を(数枚)置いていったけど… (^-^;

まきき氏のためにも、紅花フェスティバルをよろしく!!

2015紅花フェスティバル(長福寿寺Webサイト)




夜明けのスキャット(紙ジャケット仕様)


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温石川の橋

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【名称】笠名橋(かさなはし)
【所在地】南房総市西原
【竣工】1980(S55)年3月
【延長】約20m(目測)
【幅員】約6m(目測)



2015年4月19日訪問

温石川の橋

南房総市西原、千葉県道296号和田丸山館山線(わだまるやまたてやません)にて。2級河川・温石川に架かる橋。西側より。

温石川の橋

西側左の銘板。「かさなはし」

温石川の橋

西側右の銘板。「昭和55年3月竣工」

温石川の橋

橋の上から北の上流方面を望む。

温石川の橋

南の下流方面。

温石川の橋

東側より。

温石川の橋

東側左の銘板。「笠名橋」

温石川の橋

東側右の銘板。「温石川」

     ※     ※     ※

【名称】温石川(おんじゃくばし)
【所在地】南房総市西原
【竣工】1978(S53)年11月
【延長】約20m(目測)
【幅員】約6m(目測)



2015年4月19日訪問

温石川の橋

さて、ちょっと寄り道。東側の道を矢印方向へ右折。

温石川の橋

もうひとつ橋が。

温石川の橋

北側より。

温石川の橋

袂から。これも普通の桁橋。

温石川の橋

北側左の親柱。「おんじゃくばし」

川の名前を冠した橋だった。

温石川の橋

北側右の親柱。「昭和五十三年十一月完成」

温石川の橋

橋の上から西の上流方面を望む。

温石川の橋

東の下流方面。

温石川の橋

南側より。

温石川の橋

南側左の親柱。「温石橋」

温石川の橋

南側右の親柱。「温石川」

温石川の橋

橋の南に銘板のついた法面が。

温石川の橋

「平成5年度/補助県単治山事業/丸山町西原(字)笠名地内/工種名 ブロック積工・伏工/施行主体 丸山町役場/施工者 小澤建設(株)」

先ほどの笠名橋の笠名は小字だったんだ。

温石川の橋

それから石碑。軍人の顕彰碑のようだった。




今昔物語集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典<ビギナーズ・クラシックス 日本の古典> (角川ソフィア文庫)

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滝谷トンネル

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【名称】滝谷トンネル(たきやつとんねる)
【所在地】市原市平蔵
【竣工】2005(H17)年3月(改修)
【延長】42.7m
【幅員】3.8m
【高さ】4.3m



2013年8月13日訪問

滝谷トンネル

市原市平蔵、現在地はココ(←クリック) 南西を向いている。

滝谷トンネル

カーブを曲がり登り坂にさしかかるとトンネルが見えてくる。

滝谷トンネル

3メートルの高さ制限があるが、幅員の方が気になる。

滝谷トンネル

東側坑口。

滝谷トンネル

扁額はないが内壁に銘板があった。

滝谷トンネル

「滝谷トンネル/2005年3月/管理者 市原市役所/巾3.8m 高さ4.8m/高さ42.7m/施工者(株)佐久間工務店」

さて、ご覧の通り、銘板によればこのトンネルは2005年3月と記されているが、これは恐らく改修時期。今昔マップの昭和55年編集、昭和56年7月30日発行の地形図にすでにこのトンネルは記されている。航空写真を見ると1961年のもの(MKT617-C26-36)には間違いなく写っている。1947年のもの(USA-M636-A-No2-311)にも写っているように見えるのだが、同年に発行された地形図(今昔マップ)には道が描かれていない。

滝谷トンネル

東側坑口から内部を望む。

改修されれる前は小さな素掘り隧道だったのだろうか?

滝谷トンネル

内部から見た東側坑口。

滝谷トンネル

そして西側坑口へ。

滝谷トンネル

西側坑口。

滝谷トンネル

西側坑口から内部を望む。

滝谷トンネル

西側の道はスカッと気持ちの良い直線の下り坂。

滝谷トンネル

西側より。



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中尾澤橋

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【名称】中尾澤橋(なかおざははし)
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】不明(1958年頃?)
【延長】約30m(目測)
【幅員】約4.5m(目測)



2014年10月26日訪問

中尾澤橋

山梨県道37号南アルプス公園線にて。雨池隧道を過ぎ奈良田方面へ。

中尾澤橋

平行弦トラス橋が見えてきた。たしかこのタイプは小樺橋あるき沢橋に続いて3本目。

中尾澤橋

北側より。

中尾澤橋

北側左の親柱はなかった。失われてしまったのか、もとからなかったのか… トラスに銘板があった跡らしきものもあるが…

中尾澤橋

北側右の親柱。「なかおざははし」

中尾澤橋

動画も撮りたいところだが、時間はなかったので、とっとと渡る(^-^;

中尾澤橋

橋の上から東の早川方面を望む。

中尾澤橋

西の山側。

中尾澤橋

南側より。こちらも川側の親柱はない。

中尾澤橋

南側左の親柱。「中尾澤橋」

中尾澤橋

少し離れて、もう一枚南側より。



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カミさんの食卓




郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡

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【名称】不明
【所在地】長生郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】1977年~82年頃?



2015年5月3日訪問

郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡

睦沢町佐貫、現在地はココ(←クリック) 北を向いている。この先の切り通しはかつて隧道だった。

郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

左は昭和52年修正・昭和52年12月28日発行の地形図。右は現在の国土地理院の地形図。

郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡

国土地理院が1975年1月6日に撮影した航空写真(CKT7413-C44B-39)を拡大加工したもの。

隧道は1977年5月(KT772Y-C9-13)までは写っているが、1982年12月(KT826X-C6-8)には切り通しになっている。

郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡

さて、隧道跡の切り通しへ。

郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡

西側の法面。

郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡

東側の法面。

郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡

この上路アーチ橋はゴルフ場利用者専用なので取材不可能(^-^;

郡睦沢町佐貫/長南町地引の隧道跡

北側より。



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この史実を知る事で成功確率が高まる 讃岐うどんの近代史 激動の50年 (さぬき麺機株式会社)



JR成田線旧線・中台トンネル

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【名称】中台トンネル
【所在地】印旛郡酒々井町下台
【竣工】1897(M30)年頃
【延長】約100m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約5m(目測)



2011年10月10日訪問

JR成田線・中台トンネル

ママチャリを立ち漕ぎで全力疾走している御仁。おなじみdoodoonngoo氏である。本日は4年近くお蔵入りしていた物件を。

JR成田線・中台トンネル

ここから入る。

JR成田線・中台トンネル

現在地はココ(←クリック)

さて、この日の目的地だが、タイトルの通りJR成田線の旧隧道。1968年に総武本線・成田線の千葉駅から成田駅までが電化された際に現在の隧道に切り替えられたようだ。その際に廃止になった旧隧道を目指す。

この付近では総武本線・物井~佐倉間は有名だが、この隧道の事はネットでもあまり取り上げられていない。探索時、ネットで見つけた唯一の資料がコチラ(←クリック) てか、どういういきさつだったのか忘れたが、こちらのサイトでこの隧道の事を知ったのだ。数日前に単独で下見に来てはみたものの、藪で撤退。遠方からお二人を呼び寄せておきながら、無事にたどり着けるのかちょっと心配だった(^-^;

JR成田線・中台トンネル

とりあえず、高圧鉄塔から下に降りる。まきき氏が若く見えるのは気のせいか?(笑)

JR成田線・中台トンネル

そして北に向かうも笹藪でどうにも進めない。またしてもあえなく撤退( ;´Д`)

JR成田線・中台トンネル

3人で作戦会議。今度はちょっと東側から回り込んでみよう。正面に見える丘状のところに登って笹藪をショートカットする作戦。

JR成田線・中台トンネル

で、またしてもガサゴソすると… あったよー!!!(゚д゚)ハッ!!

JR成田線・中台トンネル

レンガ造りの見事なポータル!

JR成田線・中台トンネル

ピラスターなどの特別な装飾はないシンプルなポータル。

JR成田線・中台トンネル

doodoonngoo氏に記念写真を撮ってもらった。

カメラを返しながら「おみやげあるからね~」と( ̄ー ̄)ニヤリとするdoodoongoo氏。なんだろうと思って帰宅してからファイルを確認すると…

JR成田線・中台トンネル

∑(゚д゚; )ガーン

あまりの刺激の強さに、全画面モザイク入りでw しかし、モニタから3メートルぐらい離れて目を細めるとdoodoongoo氏の嬉しそうな顔が見えてくるはずだ(・∀・)ニヤニヤ って、エロ本かよ(^-^;

JR成田線・中台トンネル

いつもの台詞。南側坑口から内部を望む。

JR成田線・中台トンネル

おいらも後に続く。

JR成田線・中台トンネル

内部から見た南側坑口。

JR成田線・中台トンネル

よし、前進!

JR成田線・中台トンネル

残念ながら途中で埋め戻されているらしい。

JR成田線・中台トンネル

待避坑。進行方向右にあるものだが、通り過ぎて振り返りで撮影したもの。

JR成田線・中台トンネル

振り返り。

JR成田線・中台トンネル

隧道の中央付近から埋め戻し区間。

JR成田線・中台トンネル

上はどうなっているのだろう。もちろん登って確認。

JR成田線・中台トンネル

振り返り。

JR成田線・中台トンネル

おやっ、貫通しているぞ。
JR成田線・中台トンネル

でもこれ以上進むのは無理だよなぁ…(^-^;

と普通の人なら思うだろう。しかし、doodoongoo氏は違った。

JR成田線・中台トンネル

匍匐前進でなんとか北側の坑口に抜けようとする。

「何メートルぐらいあるのかな?まききちゃん、ライト!照らして!」

ヘルメットを天井にぶつけながらもがくdoodoongoo氏。ネタではなく本気だ!∑(゚д゚; ) これが隧道道というやつなのか!

JR成田線・中台トンネル

この日のベストショット(・∀・)ニヤニヤ

JR成田線・中台トンネル

しばし奮闘したdoodoongoo氏だが、結局前進は断念。それでも隧道を楽しみ尽くして満足。さて戻ろう。

JR成田線・中台トンネル

おつかれさまでした~

JR成田線・中台トンネル

なお、北側坑口はこの先。現在地はココ(←クリック)

さすがに現役施設には侵入できないなぁ(^-^;



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中台関係と日本―東アジアの火薬庫



中央三号橋

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【名称】中央三号橋(ちゅうおうさんごうはし)
【所在地】香取市下小堀
【竣工】1963(S38)年2月
【橋長】約5m(目測)
【幅員】約2m(目測)



2014年5月4日訪問

中央三号橋

水田地帯にて。現在地は中央二号橋の北。

中央三号橋

北に進むと次の橋が現れる。

中央三号橋

南側より。

中央三号橋

南側右の親柱。「中央三号橋」

中央三号橋

南側左の親柱。「昭和三十八年二月竣功」

中央三号橋

東側より。

中央三号橋

橋の上から東を望む。

中央三号橋

それから西。

中央三号橋

北側を。

中央三号橋

北側より。

中央三号橋

北側右の親柱。「ちゅうおうさんごうはし」

中央三号橋

北側左の親柱。「昭和三十八年二月竣功」

中央三号橋

北側の袂より。



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TOMIX Nゲージ 92336 E233系通勤電車 (中央線・3両T編成) 基本セット



戸吹トンネル

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【名称】戸吹トンネル
【所在地】八王子市戸吹町/あきる野市牛沼
【竣工】2003(H15)年4月29日(供用開始)
【延長】約600m(目測)
【幅員】約6m×2(目測)
【高さ】約4m(目測)



2014年1月19日、20日訪問

戸吹トンネル

東京都道46号八王子あきる野線(はちおうじあきるのせん)・新滝山街道のトンネル。西側より。

戸吹トンネル

上下線が独立した造り。東側坑口。

戸吹トンネル

内部へ。

戸吹トンネル

緩やかに右カーブ。断面がアーチになった。

戸吹トンネル

そして北側坑口へ。

戸吹トンネル

内部から見た北側坑口。

     ※     ※     ※

翌日(キートン山田風に)

戸吹トンネル

奥多摩を散策し、小菅村に泊まった帰り。今度は北側より。

戸吹トンネル

北側坑口。

戸吹トンネル

内部へ。

戸吹トンネル

カーブして…

戸吹トンネル

断面が長方形になり…

戸吹トンネル

東側へ…

戸吹トンネル

抜ける。




美濃伊賀黄瀬戸吹渦型小付【美濃焼】

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