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茶屋場隧道跡

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【名称】茶屋場隧道
【所在地】夷隅郡大多喜町小田代/伊保田
【竣工】1935(S10)年(「隧道データベース」より)
【延長】81m(同上)
【幅員】5m(同上)
【高さ】4.5m(同上)
【撤去】1982~84年頃



2015年6月14日訪問

茶屋場隧道跡

大多喜町にある小湊鉄道・いすみ鉄道の上総中野駅。ここの駐車場から出発。

茶屋場隧道跡

さて、駅を出発し、国道465号を西に。現在地はココ(←クリック) 10時の方角を向いている。この先で国道は左折するのだが、その少し手前に交差点をショートカットする道がある。

茶屋場隧道跡

右が国道。すぐ先の茶色の看板が立っている交差点で左折すればよい。そして左がそのショートカットの道。確か車で2回程通った事がある。一度は好奇心で、そしてもう一度は前に黒煙を出しながら時速20キロぐらいで走っていた軽トラをパスすすために(^-^;

ってか、またパトカーが獲物を狙っている。この先に小湊鐵道の踏切があるのだが、養老渓谷方面から来るとカーブを曲がった先でいきなり踏切に出くわす感じになる。観光地なので知らずに突っ込んでしまう車も多いのだろう(←身に覚えのある男) こういうポイントはよく知っているんだなぁ(-_-; ちなみに、この時間(15時33分)、小湊鐵道の養老渓谷-上総中野間は2時間ほど列車が通らない時間帯の真っ最中なのだけど… ま、そんなの関係ないってことなんだろうけど…

     ※     ※     ※

茶屋場隧道跡

養老渓谷方面に少し進むと法面に半分埋まった祠があった。車で走っている時には気付かなかったなぁ。現在地はココ(←クリック)

茶屋場隧道跡

庚申様と馬頭観音が祭られているようだ。

茶屋場隧道跡

隙間から覗いて撮影した庚申塔。見ざる、聞かざる、言わざるもいるしw

茶屋場隧道跡

そして、馬頭観世音。

     ※     ※     ※

茶屋場隧道跡

さらに進むと真新しい落石よけのネットがあった。現在地はココ(←クリック)

あるに越したことはないのだろうが、ちょっと大げさなように見えなくもない。それから、どうやら上に道があるようだ。旧道にしては細すぎるけど、作業道なのかはたまた古道なのか…と思いながら見ていると…

茶屋場隧道跡

仏像が並んでる!?(゚д゚)ハッ!!

茶屋場隧道跡

そして国道沿いには石碑が祭られた祠?らしき建物も。

茶屋場隧道跡

念願成就祈願塔!?

茶屋場隧道跡

石碑と左右に仏像が一体ずつ。

茶屋場隧道跡

「■大乗妙典 日本 廻国 大願成就塔」?

茶屋場隧道跡

右側面。「一心大徳 安政六禾 蔵 十月廿八日 安房國清澄山 ■■」

禾と千が縦に組み合わさって、「年」の異字体になるらしいということを以前コメント欄で教えていただいたが、これも「年」の意味だろうか?いずれにせよ、安政六までは確かなので、幕末に造られたもののようだ。

茶屋場隧道跡

左側面。「豊後國速見郡 ■(木偏に手?)築領中村産 行者一心坊」

茶屋場隧道跡

ぶっちゃけよく解らない(^-^; 祠を後にして振り返るの図。法面の上にある道と関係がありそうだが、そこへのまともなアクセスルートは見つからなかった。写真は省略するが、東側の藪から無理矢理よじ登れそうな雰囲気ではあったのだが、この時期に藪に入るのは自殺行為(ヤマビル天国に突撃)なのでもちろん無理はせず。

     ※     ※     ※

茶屋場隧道跡

さて、ようやく本日のお題に近づいてきた。お題の隧道跡はこの右カーブの先にある。さて、では予習を。

茶屋場隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

左は昭和55年修正、昭和57年4月30日発行の地形図。右は現在の国土地理院発行の地形図。見ての通り旧版地形図にしっかりと隧道の記号が記されている。

隧道データベースを調べたところ、どうやらこれは隧道No.580の茶屋場隧道(車道幅員5m、限界高4.5m、竣工年度1935年)のようだ。

茶屋場隧道跡

次は航空写真でチェック。これは国土地理院が1975年1月6日に撮影した航空写真(CKT7414-C9B-7)を拡大加工したもの。ポータルまでは確認できないが、確かに隧道は存在するようだ。そして驚いたのは隧道から南西の現在植林稚となっているフラットな一帯が当時は山だったということ。山が丸ごとなくなってしまったようだ。

なお、隧道の開削時期だが、1982年12月10日の航空写真(KT826X-C10-1)では不明瞭ながらまだ隧道が残っているように見える。そして1984年5月9日撮影の航空写真(KT842X-C4A-19)では明らかに消失しているので、この間だと思われる。

ところが、話はこれだけでは終わらない。

茶屋場隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

こちらは昭和19年部修・昭和22年5月30日発行の地形図。現在と道の線形が違う!旧道か?ただし注意しなければならないのは、茶屋場隧道が昭和10年に竣工しているということ。現に1946(S21)年の航空写真には隧道の姿が映っている。もっともこの手の地図の誤記をいちいち突っ込んでも仕方ないのだが(^-^; これも最近話題の(?)DMYか?w(註)

※註:DMYとは… 説明しよう(-ω-)∩ コレは「D主任と部下のMがやらかした件」の略。と言っても、ぶっちゃけ、おいらが妄想した架空の物語なので、真剣に知る必要のないテクニカルターム。詳細は「坂畑の廃旧道」の巻を参照のこと。なお、まきき氏はコレが「ダメなヤツ」の略だという新解釈を提唱している。

さて、与太話は置いておくとして… (^-^;

茶屋場隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

さらに時期を遡って、今度は明治36年測図・明治39年6月30日発行の地形図を。右は現在の航空写真。先ほどの1975年の航空写真と見比べると、山が丸ごと無くなっているのがよく判る。

そして地形図だが、なんと、こちらには2本の隧道が描かれている(゚д゚)ハッ!!

これらから、いつもながらちょっと乱暴に推測してみると…

昭和10年に茶屋場隧道が建設される以前は現道より南に道があり、途中に2本の隧道があった。しかし、昭和10年に現在のルートに茶屋場隧道を擁する現道が開通。そして昭和末期に隧道は開削された、という変遷があったのでは。

それから、旧道にあったと思われる2本の隧道… これが非常に微妙なところなのだが、航空写真の変遷を見る限り、平成の初期にザクッっと削られてしまったのではないかと。いずれは再調査しようとは思うのだけど…

茶屋場隧道跡

とまぁ、憶測を並べてみても仕方がないので、まずは旧道方面に向かってみよう。とは言っても、それらしい痕跡がないので、これが旧道と言える自信は全くないのだけど。まぁ、そんなにズレてはいないとは思うのだが(^-^;

茶屋場隧道跡

さて、旧道(?)に入った途端、思いがけないものに遭遇。石碑だ。もしかして、隧道についての記載があったり?

茶屋場隧道跡

「接待記念碑」

………どゆこと?????(^-^;

接待というと、官官接待とかノーパンしゃぶしゃぶとかを連想してしまうのは昭和世代の性か(^-^;

さて、隧道についての記載があるのかと期待して、必死に文字を追ってはみたものの、これがえらく読みにくい。一行が2メートルもあって旧漢字混じり、おまけに苔むして見にくかったりして、飛ばし読みもままならない( ;´Д`)

無茶苦茶雑な理解だが… 「ここ昔から大変な道だったが、道行く行者を接待した。それを記念してこの碑を造った」的な事が書いてあったような気がしたのだが、正直なところわざわざ記念碑を建てるような事にも思えなくて、またしても思考停止してしまった(^-^; おいらとんでもない読み違いをしているのではないか、と思いながらも心が折れてそれ以上の解読作業は放棄(^-^;

     ※     ※     ※

という相変わらずの体たらくぶりだったのだが、帰宅後に興味深い話を見つけた。

BOSO LEGEND様(http://www.boso-legend.com)の「八人塚ものがたり」(←クリック)。

そこに、この地区に伝わる物語とそれに伴う最近まで残っていた習慣が記されている。詳しくはそちらを見ていただければよいのだが、これまた、ごくおおざっぱに要約すると…

「江戸時代、この付近で入会地を巡る争いがあり、その理不尽な裁定に不満を持った土地の若者が裁定者の役人を谷に放り投げた。しかし、それが発覚し若者は処刑に。若者達はそのことを呪いながら処刑され、その後、村では災いが頻発。その災いを鎮めるために、村の住民は彼らを供養し、さらにはこの地を通る旅人を茶で接待する習慣ができた」と。

この(夏場に)通行人を接待するという習慣は昭和40年頃まで残り、その接待の場(茶屋)がこの付近だったようだ。

この話を読んで、先ほどの仏像の並ぶ古道(?)、念願成就祈願塔、接待記念碑の存在がスッと納得できたような気がした。それと変わった隧道名の由来も判明。これまで、養老渓谷方面に向かう一通過点として、ほとんど意識せずに通っていた道にそんな歴史があったとは。

茶屋場隧道跡

さて、この旧道っぽい道だが、

茶屋場隧道跡

どうさらその先にあるココへのアクセス路のようだ。ところで、これは何?(^-^;

茶屋場隧道跡

そして道は少し先の広場で行き止まり。その先には植林稚が広がっているが、ヤマビルが怖いので立ち入る気にはなれない。旧隧道の探索は冬になってからだなぁ…

茶屋場隧道跡

現道方面。茶屋場隧道があったと思われる箇所にコンクリで固められた大きな法面が見える。

     ※     ※     ※

茶屋場隧道跡

さて、現道に戻って前進再開。

茶屋場隧道跡

茶屋場隧道があったと思われる場所。東側より。

茶屋場隧道跡

法面を見上げる。

茶屋場隧道跡

旧道があったと思われる南西方面。ここが以前は山だったとは… 山は東京湾かどこかの埋め立て地にでもなってしまったのだろうか。埋め立てのために房総の山がいくつも消えたようだが、その反面、残土が山に運び込まれている今日この頃。この趣味を始めてから、そういうイヤな光景が目に付くようになってきた…

茶屋場隧道跡

西側より。



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山椒茶屋 インコはじめました。




ユーシン公園橋

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【名称】ユーシン公園橋
【所在地】足柄上郡山北町玄倉
【竣工】1979(H54)年2月
【延長】53.00m
【幅員】1.50m



2013年12月8日訪問

ユーシン公園橋

山北町玄倉、玄倉林道の奥にあるユーシンロッジ。この日、ここに来る途中ですれ違った人と離す事があったが、前の晩にここに泊まったとのこと。寒かったそうだ(^-^; なお、神奈川県のウェブサイトによれば現在避難部屋を除いて閉鎖中のようだ。

ユーシン公園橋

ロッジの奥に橋がある。

ユーシン公園橋

丹沢湖に注ぐ酒匂川水系玄倉川の支流・ユーシン沢に架かる橋だ。

ユーシン公園橋

歩行者用だが、なかなか立派な中路アーチ。

3年前にdoodoonngoo氏とクイック氏を車に乗せてくれた工事のおっちゃんが直しに来たのはこの橋だったのか、それとももっと沢の上流に架かっている橋か。

ユーシン公園橋

橋桁に銘板が設置されていた。

「1979年2月/神奈川県/形式 2鉸アーチ橋(歩道橋)/L=53.00M W=1.50M/鋼材SMA41(耐侯性)/施行(株)駒井鐵工所」

ユーシン公園橋

東側より。

ユーシン公園橋

文字が消えかかっているが、橋に付いての解説も。

「ユーシン公園橋について/この橋の形式は、パイプアーチ中路橋(橋面がアーチの中間を通っている)といいます。使われている鋼材は、耐候性鋼材で、表面のさびが、普通鋼材の塗装の■の役割をし、地鉄の腐食を防止する性質の鋼材です。/神奈川県」

(゚д゚)ハッ!!

時々、無塗装でびっしりと錆びているのだがかといってボロボロというわけではない橋があるが、この耐候性鋼材ってやつだったのか。恥ずかしながら知らなかったよ(^-^;

ユーシン公園橋

東側左の銘板。「ユーシン公園橋」

ユーシン公園橋

東側右の銘板。「ユーシン沢」

ユーシン公園橋

橋の中央へ。

ユーシン公園橋

橋の上から南の下流方面を望む(写真はパノラマ合成)

ユーシン公園橋

北の上流方面(写真はパノラマ合成)

ユーシン公園橋

延長が50メートルあると、これぐらい丈夫そうなアーチでないとだめなのかな?

ユーシン公園橋

西側へ。

ユーシン公園橋

「安全登山四原則」

枝道って面白そうに見えちゃうんだよなぁ(^-^;

ユーシン公園橋

振り返り。

ユーシン公園橋

西側左の銘板。「ユーシン公園橋」

ユーシン公園橋

西側右の銘板。「ユーシン沢」

ユーシン公園橋

西側より。

ユーシン公園橋

場所を変えてもう一枚。

ユーシン公園橋

今度は下から。



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高宕一号隧道

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【名称】高宕一号隧道(たかごいちごうずいどう)
【所在地】君津市平田
【竣工】不明
【延長】約60m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約4m(目測)



2014年3月9日訪問

高宕一号隧道

林道高宕線にて。三島湖方面の怒田沢から出発し、ここまできた。ここまで8本の隧道を通ってきた。そして9本目の隧道。

高宕一号隧道

この林道で唯一コンクリのポータルを持つ隧道。

高宕一号隧道

振り返るとカーブを予告する標識。だが車は通行止め。

高宕一号隧道

東側坑口。

高宕一号隧道

東側の扁額。「たかごいちごうずいどう」

高宕一号隧道

東側坑口から内部を望む。

高宕一号隧道

内部から見た東側坑口。

高宕一号隧道

隧道内部はコンクリ舗装。

高宕一号隧道

西側坑口。

高宕一号隧道

高宕線の標識。

高宕一号隧道

そして、ここが起点だ。

高宕一号隧道

西側の扁額。「高宕一号隧道」

高宕一号隧道

西側坑口から内部を望む。

高宕一号隧道

ところで、先ほども述べたように、この隧道だけコンクリポータルを持ち、内部も完全に巻き立てられているのだが、これがオリジナルというのは不自然だろう。恐らくここも昔は他の隧道と動揺に素掘りだったのではないか。延長もあるので素掘りだった頃に見てみたかったなぁ。

高宕一号隧道

隧道の西に高宕山方面への遊歩道入口がある。

高宕一号隧道

忘れ物が置かれていた。ちゃんと持ち主の手に戻ったのかな。

高宕一号隧道

西側より。

     ※     ※     ※

おまけ動画





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滝見橋

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【名称】滝見橋(たきみはし)
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】不明(1958年頃?)
【延長】約30m(目測)
【幅員】約4.5m(目測)



2014年10月26日訪問

滝見橋

山梨県道37号南アルプス公園線にて。

現在地はココ(←クリック) 中尾澤橋のを過ぎるとすぐに次の橋が現れた。

滝見橋

中尾澤橋は下路トラスだったが、こちらは上路トラスだ。

滝見橋

北側より。

滝見橋

北側左の親柱。「滝見橋」

滝見橋

北側右の親柱。「たきみはし」

滝が見える橋、ここまで何ヶ所も会ったけど、敢えて「滝見」というからにはさぞかし立派な滝が見られるのか?

滝見橋

ということで、橋の上から西の山側にある滝を。

うん、確かに落差の大きい見事な滝。

滝見橋

二段になっている。

滝見橋

そして滝壺。

滝見橋

こごみ滝という名前。確かに立派だけど、水量はいまいちか?(^-^; ひょっとしたら雨上がりの時は全然違うのかもしれないけど。

滝見橋

西の早川方面。

滝見橋

延長は30メートルぐらいだろうか。滝を見せるために上路トラスを採用したのかな?

滝見橋

南側より。こちらは左右とも親柱がない。

滝見橋

でも、親柱があった跡らしきものはあるんだけど…

滝見橋

ちょっと下を伺ってみたが、落ちてなさそう。枯れ葉に隠れているのかもしれないけど、時間もないので先に進もう。

滝見橋

袂から。



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(仮称)小谷田隧道

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【名称】不明
【所在地】市原市古敷谷
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約3m(目測)



2014年11月9日訪問

(仮称)小谷田隧道

市原市古敷谷、現在地はココ(←クリック) 南を向いている。目的地はカーブミラーの横にある分岐道の先。

(仮称)小谷田隧道

一応舗装はされているが…

(仮称)小谷田隧道

少し進んで現在地はココ(←クリック)。この分岐をさらに左に進む。

(仮称)小谷田隧道

植林地の中へ。

(仮称)小谷田隧道

随分と山奥に入ってきたような雰囲気だが、実はそれほどでもない。あ、でも、以前知人をこの近くに連れてきたときに、「コンビニ行きたいー」と言われたっけ。でも、普通のコンビニはこの近所にはないんだよなぁ(^-^;

(仮称)小谷田隧道

さて、さらに進んで現在地はココ(←クリック) 地図では道が途切れているが、実際はまだ先に続いている。この写真に写っている場所のほぼ真下に目当ての隧道があるはず。

(仮称)小谷田隧道

ということで、少し戻って適当にアタリをつけて谷底に向かう。

実はこの降下地点、以前ここを訪問した、のだの人さんの動画を参考にさせていただいている。先人の業績は有効活用させていただかなきゃね(^-^;

(仮称)小谷田隧道

プチ滑落してズボンを泥だらけにしながらも、なんとか谷底に到着。笹藪になっているが、掘り割り状の地形、明らかな道の痕跡じゃないか (゚д゚)ハッ!!

(仮称)小谷田隧道

そして反対側には… ∑(゚д゚; )

(仮称)小谷田隧道

あったよあったよ。いつもながら一番ワクワクする瞬間。そして、後で見返すと写真が少ない瞬間でもある(^-^;

北側より。

(仮称)小谷田隧道

ちゃんと坑口が開いているか… ドキドキ

(仮称)小谷田隧道

やったー、まだ坑口が開いていた!のださんが通り抜けたことは解っていたけど、その後崩落が進んでいるのではないかと心配だったので嬉しい。

(仮称)小谷田隧道

坑口から来た方を振り返る。

(仮称)小谷田隧道

さて、降りてみようか。

降りるシーンは下の動画で。

(仮称)小谷田隧道

コケることもなく無事に隧道内部へ。もっとも、既にズボンは泥にまみれ、靴もドロまみれになっていたので、今更コケるのを恐れる必要もなかったのだが(^-^;

(仮称)小谷田隧道

内部は激しく崩落。三角形の断面のてっぺんがさらにとんがっている(^-^;

(仮称)小谷田隧道

ヘルメットを持ってきていなかったので、ビクつきながら横を通る(^-^;

(仮称)小谷田隧道

無事に戻れるのかな?(^-^; 独りだとこういう時にちょっと心細くなる(^-^; でもまぁ、なんとかなるだろう。

(仮称)小谷田隧道

ということで、南側坑口へ進む。

(仮称)小谷田隧道

南側坑口に立つ。

驚いたことに隧道内と南側の路盤は2~3メートルの段差がある。小佐貫第二隧道の東側坑口もこうなっていた。現役時代どうなっていたのだろう?

(仮称)小谷田隧道

今度はパノラマ合成した写真を。中央がボヤけているのは元の写真がピンボケだったから。面目ない(^-^;

(仮称)小谷田隧道

南側坑口。北側坑口の開口部がわずかに見える。

(仮称)小谷田隧道

南側の路盤から見上げる。

(仮称)小谷田隧道

少し離れてもう一枚。

(仮称)小谷田隧道

こちらはパノラマ合成したもの。広々とした掘り割り。

     ※     ※     ※

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四反町橋

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【名称】四反町橋(したんまちばし)
【所在地】茂原市渋谷
【竣工】不明(2012年頃?)
【延長】約5m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年1月25日訪問

四反町橋

一宮川水系阿久川の支流、準用河川・西谷川の右岸にて。現在地はココ(←クリック) 沖ノ島橋を後にして、南の下流方面に向かっている。

四反町橋

家を出たのが遅くてもう日没が近い。

四反町橋

そして次の橋。北側より。

四反町橋

北側の銘板。「したんまちばし」

四反町橋

西側より。

四反町橋

橋の上から北の上流方面を望む。沖ノ島橋が見える。

四反町橋

南の下流方面。

四反町橋

東にあるのは火の見櫓かな?

四反町橋

東側より。

四反町橋

南側より。

四反町橋

南側の銘板。「四反町橋」



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九十九里橋

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【名称】九十九里橋(くじゅうくりばし)
【所在地】山武郡九十九里町作田/小関
【竣工】1975(S50)年6月
【延長】約80m(目測)
【幅員】約8m(目測)



2014年8月3日訪問

九十九里橋

九十九里町小関、千葉県道30号飯岡一宮線(いいおかいちのみやせん)にて。現在地はココ(←クリック) 正面に見えるお題の九十九里橋は作田川の最も下流に架かる橋だ。左に見えるのは以前取り上げたさくら橋

九十九里橋

さくら橋の上から。

九十九里橋

南側左の親柱。「くじゅうくりばし」

九十九里橋

南側右の親柱。草に覆われていて扁額が見えない(^-^;

九十九里橋

「昭和五十年六月竣功」

九十九里橋

橋の上から東の下流方面を望む。

九十九里橋

西の上流方面。

九十九里橋

北側より。

九十九里橋

北側左の親柱。「九十九里橋」

九十九里橋

北側右の親柱。「作田川」

九十九里橋

右岸に戻って下流方面から。

九十九里橋

下流に見えたパイプ橋まで来てみた。

九十九里橋

ガス管だったんだ。

九十九里橋

今度は西側より。



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九十九里浜




鳥止隧道

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【名称】鳥止隧道(とりどめずいどう)
【所在地】夷隅郡御宿町岩和田
【竣工】1963(S38)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】61m(同上)
【幅員】8.6m(同上)
【高さ】4.5m(同上)



2014年7月27日訪問
前回(2012年4月15日)

鳥止隧道

御宿町岩和田、国道128号にある三連隧道の西側にあるもの。東側より。

鳥止隧道

東側坑口。

鳥止隧道

東側の扁額。「とりどめずいどう」 「とりとめ」にも見えなくもないが、う~ん、「平成16年度道路施設現況調査」には「とりどめ」となっているし、濁点らしき影も見えるような気もするので、とりあえず濁点付きということで(^-^;

鳥止隧道

東側坑口から内部を望む。

鳥止隧道

内部から見た東側坑口。

鳥止隧道

車が来ていない隙を狙ってササッと通り抜ける。ホントは歩道トンネルもあるのだが、こっちも通りたかったので(^-^;

鳥止隧道

西側へ抜ける。

鳥止隧道

西側坑口。

鳥止隧道

西側の扁額。「鳥止隧道」

鳥止隧道

西側坑口から内部を望む。

鳥止隧道

西側より。



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「鳥」止マレーズ (2本組) BT-5150


市井橋

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【名称】市井橋(いちいばし)
【所在地】印西市山田
【竣工】1966(S41)年7月
【延長】
【幅員】



2014年11月2日訪問

市井橋

北印旛沼と西印旛沼を結ぶ印旛捷水路脇にて。現在地はココ(←クリック) 北東を向いている。南の山田橋はライトグリーンだったが、こちらは赤。アーチ橋は赤い方が引き立つなぁ。

市井橋

下から。

市井橋

北側より。山田橋とのツーショット。

     ※     ※     ※

市井橋

さて、場所を変えて、現在地はココ(←クリック) 北東を向いている。

市井橋

200メートル程進むと橋の東側に出た。

市井橋

東側より。

市井橋

東側右の親柱。「市井橋」

市井橋

東側左の親柱。「昭和四十一年七月竣功」

市井橋

橋の上へ。

mayaさんの情報によれば、ここは飛び降りの名所だとか(^-^; 確かに絶好のポイントなのかも… (^-^;

市井橋

橋の上から南の西印旛沼方面を望む。

市井橋

北の北印旛沼方面。

市井橋

西側より。

市井橋

西側右の親柱。「いちいばし」

市井橋

西側左の親柱。「昭和四十一年七月竣功」



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笹山隧道

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【名称】笹山隧道(ささやまずいどう)
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】1958(S33)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】66m(同上)
【幅員】4.5m(同上)
【高さ】3.4m(同上)



2014年10月26日訪問

笹山隧道

山梨県道37号南アルプス公園線にて。

笹山隧道

開運隧道まであと2キロ。

笹山隧道

隧道が見えてきた。これを含めてあと3本だ。

笹山隧道

北側坑口。

笹山隧道

ここも激しくカーブしてる隧道か?

笹山隧道

名前は笹山隧道。

笹山隧道

北側坑口から内部を望む。

笹山隧道

内部から見た北側坑口。

笹山隧道

坑口付近は少しカーブしているが、その先は直線。地図では大きくカーブしているように見えるのに(^-^;

笹山隧道

南側へ。

笹山隧道

南側坑口で振り返り。

笹山隧道

南側坑口。

笹山隧道

こちらには竣工当初からあったらしい扁額もある。

笹山隧道

南側より。

笹山隧道

少し離れてもう一枚。



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山真産業 笹葉 10枚入



小戸隧道跡

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【名称】小戸隧道(おどずいどう)
【所在地】南房総市小戸/和田町下三原
【竣工】1928(S3)年(「隧道データベース」より)
【延長】49.3m(同上)
【幅員】3.56m(同上)
【高さ】不明(同上)
【撤去】1979(S54)年(同上)



2015年4月19日訪問

小戸隧道跡

南房総市小戸(旧丸山町)、千葉県道296号和田丸山館山線(わだまるやまたてやません)にて。現在地はココ(←クリック) 北東を向いている。

この正面の切り通しがかつての隧道… という訳ではない(^-^; いかにも隧道を開削した跡のように見えるが、迅速測図まで遡ってもここは切り通しだったようだ。

小戸隧道跡

しかしこの切り通し、ちょっと面白いものがあった。

小戸隧道跡

左の法面に4つほど穴というか凹みがあり、石像や石碑が祀られている。

小戸隧道跡

まずは…

小戸隧道跡

お地蔵さんと牛頭観世音。牛頭観音って日本のオリジナルなんだって?(^-^; なお、南房総は牛が大事にされていたのか、ここ以外でも何ヶ所か牛頭観音を見かけた。

小戸隧道跡

次の凹みには…

小戸隧道跡

馬頭観世音が。でも、少し肩身が狭そう(^-^;

小戸隧道跡

さて、今度は大所帯。

小戸隧道跡

中央は青面金剛。

小戸隧道跡

そして左右を固めるのは…

小戸隧道跡

「庚申」「庚申」「庚申」「庚申」…

庚申信仰の一大サンクチュアリの観を呈している(笑)

小戸隧道跡

そして4つめの凹みにはお地蔵さん。ちょっと機嫌が悪そう(^-^;

小戸隧道跡

切り通しを西に抜けて振り返り。

     ※     ※     ※

小戸隧道跡

少し進んで現在地はココ(←クリック)

小戸隧道跡

この先の切り通しが正真正銘の隧道跡。

小戸隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

さて、いつものように旧版地形図との対比を。左が昭和19年部修・昭和22年5月30日発行の地形図、右が現在の国土地理院の地形図だ。西側の道が現在と違っている。

小戸隧道跡

次は航空写真。国土地理院が1974年12月31日に撮影したもの(CKT7414-C29B-14)を拡大加工したもの。正直、隧道があるように見えないのだが、周囲の地形からここではないかと(ちょっと自信がない)。しかし、幅員が4メートルもない小さな隧道なので、このようなものなのかもしれない。

小戸隧道跡

さて、隧道跡の切り通しを西側より。

ここも左(北側)の法面に凹みがある。

小戸隧道跡

石像がいくつか並んでいる。

小戸隧道跡

「安政(異字体)七庚申二月吉日」

これも庚申塔なのかな?

小戸隧道跡

右の法面。

小戸隧道跡

振り返り。

小戸隧道跡


東側より。ここからは旧和田町。

     ※     ※     ※

小戸隧道跡

さて、その先にもまた切り通しが。現在地はココ(←クリック)

小戸隧道跡

残念ながらここも隧道跡ではない。先ほどの旧版地形図を見ると、この付近で道が蛇行しているので、切り通しになる以前は南側の山を回り込む道が本線だったのかもしれない。

小戸隧道跡

東側より。



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任天堂“驚き”を生む方程式



川畑隧道

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【名称】川畑隧道(かわはたずいどう)
【所在地】夷隅郡大多喜町押沼
【竣工】1951(S26)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】165m(同上)
【幅員】2.4m(同上)
【高さ】2.2m(同上)



2014年12月8日訪問
前回(2013年4月21日)
前々回(2011年5月9日)
その前(2011年4月4日)

川畑隧道

大多喜町川畑、現在地はココ(←クリック) 北西を向いている。この先に向かう。

川畑隧道

植林地に進む。なお、この道は林道ではなく町道らしい。

川畑隧道

隧道が見えてきた。南側坑口。

川畑隧道

ボックスカルバートのつまらない隧道に見えるが、これはかりそめの姿。

川畑隧道

中を覗くといきなり素掘りのお出迎え。

この隧道、数年間こちら側の坑口が崩落して通行できなかったのだが、一昨年(2013年)の初め頃に修理されて華麗に復活を果たした。

なお、崩落時期の姿はこちらの記事(←クリック)を参照のこと。さらに、崩落前の往年の姿はdoodoongoo氏の隧道道に載っていたような気がするけど… 見つけられなかった( ;´Д`) ひろキティ氏の旧サイト「山の隠れ里」にも載っていたが、こちらは残念ながら現在は閉鎖されてしまった。

川畑隧道

内部から見た南側坑口。

川畑隧道

158の書き込み。北側坑口からここまでの距離だろう。

川畑隧道

さて、何度かレポートしたことのある本隧道だが、今回あえて再訪したのは、気になる情報を目にしたから。

平成23年第3回定例会(大多喜町議会議事録)←クリック

こちらの22ページに、「災害防除で黒原佐野線の災害防除、吹きつけ、川畑トンネルの内部の吹きつけと古門部分の工事を予定しております。現在、測量の段階でございます。 」

という記述を見つけたのだ。せっかくの素掘りが吹き付けられちゃう!?∑(゚д゚; )ガーン ということで、あわててやってきた次第。まだ素掘りは無事だった。


川畑隧道

左のケーブルは照明のためのもの。もっとも今は照明が故障中のようだが(^-^;

川畑隧道

この付近は巻き立てられていたようだが、ご覧の通りボロボロ(^-^;

川畑隧道

このビラビラ状のものは… コンクリート鍾乳石みたなものだろうか?そうは見えないけど吹きつけしてるのかな?それとも土壌に石灰分が多いとか?

川畑隧道

ここまで路盤も舗装されており、快適に進んでこられた。

川畑隧道

しかし、この先で隧道は驚きの姿を晒すのだ。

川畑隧道

とりあえず故障中(?)の電灯。崩落したばかりの頃は通る人もほとんどいないだろうにけなげに点いていたらしいのだが、いつしか明かりが消え、修復なったいまもそのままという… (^-^;

川畑隧道

そして電灯の先で内部の姿は一変。突然天井の高さが倍になる。明らかに崩落した跡だ(^-^;

川畑隧道

少し進んで振り返るとこうなっている。

川畑隧道

路盤も急に落石だらけに。崩落が現在進行形で進んでいることが伺える(^-^;

ここを見学する際はヘルメットを忘れずに… でも、おいらは忘れてしまった。なるべく素早く仕事を済ませないと ( ;´Д`)ゞ

川畑隧道

北側の坑口が近づくと若干状況が改善。

川畑隧道

ほんとに「若干」の改善だけど(^-^;

川畑隧道

北側の坑口も巻き立てられている。こちらは以前からのもの。先ほどの議事録に記されていた「古門」とはこちらの事だろうか?

川畑隧道

巻き立て部分で振り返り。素掘り部分でいきなり幅員が半分になるなんて、まるで嫌がらせだ(^-^; 最初に来たとき、ライトを持っていなくて、これを見たら足がすくんだことを思い出す(^-^;

川畑隧道

北側坑口。南側の明かりが見える。

川畑隧道

少し離れてもう一枚。

     ※     ※     ※

おまけ動画





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ON THE WAY HOME



渋谷橋

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【名称】渋谷橋(しぶやばし)
【所在地】茂原市渋谷
【竣工】不明(2012年頃?)
【橋長】約5m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年1月25日訪問

渋谷橋

一宮川水系阿久川の支流、準用河川・西谷川の右岸にて。現在地はココ(←クリック) 四反町橋を後にして、南の下流方面に向かっている。

渋谷橋

次の橋が見えてきた。この仕様の橋はこれで上流側から8本目(^-^;

渋谷橋

あれっ、ここまでの他の橋と同じ仕様かと思ったのだが、よく見るとちょっと違うようだ。これはボックスカルバートかしら?

渋谷橋

北側の扁額。「しぶやばし」

渋谷橋

西側より。

幅員も他の橋より若干大きいようだ。

渋谷橋

橋の上から北の上流方面を望む。

渋谷橋

南の下流方面。

渋谷橋

東側より。

渋谷橋

南側より。

渋谷橋

南側の扁額。「渋谷橋」



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渋谷で教える起業先生!



御嶽橋

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【名称】御嶽橋(みたけばし)
【所在地】東金市山口
【竣工】1983(S58)年3月
【延長】約5m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2014年7月13日訪問

御嶽橋

東金市田中、現在地はココ(←クリック) 両総用水の暗渠の上に立っている。つまりこの下を利根川から引かれた農業用水が沿線の水田に分配されながら茂原方面にジャブジャブと流れているという訳だ。

御嶽橋

道の脇にはこんな水門も。

御嶽橋

用水を跨ぐ水管橋。場所はココ(←クリック)

御嶽橋

「御堂法水管橋 竣工昭和51年3月31日 施工堀内建設株式会社」「九十九里地域水道企業団」

御嶽橋

その先には分水口があった。

御嶽橋

「両総用水南部幹線用水路/福岡南分水口」

御嶽橋

その先には空気弁の小屋がふたつ並んでいる。51号、52号空気弁。

御嶽橋

そして再び分水口。

御嶽橋

「両総用水南部幹線用水路/田中分水口」

御嶽橋

「はいってはいけません」って(^-^; 鍵が掛かっているとはいえ、確かに子供なら入ることのできる大きさか?

     ※     ※     ※

御嶽橋

さて、本日お題の橋。北側より。

御嶽橋

ほとんどが暗渠化された両総用水に数多く残る水の流れが見られない橋のひとつだ。

御嶽橋

西側より。

御嶽橋

西側左の銘板。「御嶽橋」 はて、地図には載っていないが、近所に御嶽神社があるのかな?

御嶽橋

西側右の銘板。「昭和58年3月竣工」

御嶽橋

橋の上から北の上流(利根川)方面を望む。

御嶽橋

南の下流(茂原)方面。

御嶽橋

東側より。

御嶽橋

東側左の銘板。「みたけばし」 なお、右の銘板は設置されていない。本来なら川の名前を載せるところだが、両総用水ということで省略されてしまったのか?

御嶽橋

南側より。



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神棚 御嶽(おんたけ) 特大三社(木曽桧)巾76・高49



大台トンネル

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【名称】大台トンネル(おおだいとんねる)
【所在地】山武郡芝山町大台
【竣工】1992(H4)年5月
【延長】約250m(目測)
【幅員】約6m(目測)
【高さ】約6m(目測)



2014年8月24日訪問

大台トンネル

芝山町大台、千葉県道290号大里小池線(おおさとこいけせん)にて。現在地はココ(←クリック) 西を向いている。この先の自販機が並んでいるコーナーを左に進む。

大台トンネル

ゴルフ場の敷地内を突っ切る道。その先にあるトンネルらしきものといえば相場が決まっているのだが… (^-^;

大台トンネル

見えてきた。やっぱりボックスカルバート。

大台トンネル

それにしてもデカイ!それから扁額まで付いているし!

大台トンネル

本人がトンネルと言っているのだからトンネルなのだろう(笑) なお、このトンネルは平成16年度道路施設現況調査に載っていない。ゴルフ場が管理しているのだろうか?

大台トンネル

東側の扁額。「大台トンネル/平成四年五月竣工」

大台トンネル

あ、飛行機だ…

大台トンネル

東側坑口から内部を望む。

大台トンネル

内部から見た東側坑口。

大台トンネル

照明もむちゃくちゃ大量に設置されている。お金かかってるなぁ(^-^;

大台トンネル

西側坑口。

大台トンネル

西側の扁額。「大台トンネル/平成四年五月竣工」

大台トンネル

西側坑口から内部を望む。

地元のヤ●●ーの仕業だろうか、落書きが目に付く… (-_-メ

大台トンネル

内部から見た西側坑口。

大台トンネル

マシポ上等?ましぽって何だよ? ( ´,_ゝ`)プッ

大台トンネル

ここは、はにわ道じゃないよ… └|∵|┐

大台トンネル

西側より。



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癒しの山 大台ヶ原 第一部: 開山行者の生涯 大台ヶ原シリーズ (偉人伝)



観音橋

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【名称】観音橋(かんのんばし)
【所在地】夷隅郡大多喜町葛藤
【竣工】1984(S59)年3月
【延長】約50m(目測)
【幅員】約1.5m(目測)



2015年6月14日訪問

観音橋

千葉県道81号市原天津小湊線(いちはらあまつこみなとせん)・清澄養老ラインにて。現在地はココ(←クリック) 10時の方向を向いている。正面に見えるのは小田代トンネル

観音橋

続いて葛藤トンネル

観音橋

日曜午後の養老渓谷温泉街は人が少なく閑散としていた。いつもこんな感じだけど大丈夫のかなぁ?

観音橋

現在地はココ(←クリック)

法面の穴。たしか以前はもうひとつかふたつ穴が開いていたような気がする。左の白いコンクリのところが塞いだ跡かな?

観音橋

一応中に入ってみる。

観音橋

奥は素掘り。

観音橋

さらに横穴。でも靴が汚れそうだからここで止めておいた(^-^;

     ※     ※     ※

観音橋

さらにその先。今度はココ(←クリック) 右に何か見える。

観音橋

二五穴(※註)サイズだが水路隧道にしてはちょっと場違いな所にあるか?それにしてもガッチリと封鎖されているなぁ(^-^;

※註 二五穴:江戸時代後期から明治にかけて房総半徳各地に掘削された水路隧道。断面の大きさが2尺×5尺なのでこう呼称される。

     ※     ※     ※

観音橋

そしてようやく本日のお題の登場。

観音橋

東側より。

観音橋

この先の出世観音、養老渓谷の名所のひとつらしい。

観音橋

東側左の親柱。「観音橋」

観音橋

東側右の親柱。「養老川」

観音橋

二径間の太鼓橋。

観音橋

北側より。

観音橋

太鼓橋って見てくれはいいけど、実用的じゃないなぁ(^-^;

観音橋

橋の上から南の上流方面を望む。

観音橋

北の下流方面。

観音橋

橋の先は階段。仕方ない、チャリはここに置いていこう(^-^;

観音橋

西側より。

観音橋

西側左の大家柱。「かんのんばし」

観音橋

西側右の親柱。「昭和五十九年三月竣工」



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てくてく巡礼~秩父札所三十四ヶ所観音霊場&三峯神社~



見晴隧道

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【名称】見晴隧道(みはらしずいどう)
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】1958(S33)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】52m(同上)
【幅員】4.5m(同上)
【高さ】3.5m(同上)



2014年10月26日訪問

見晴隧道

早川町奈良田、山梨県道37号南アルプス公園線にて。笹山隧道を過ぎ奈良田温泉方面に進むとすぐに次の隧道が現れる。同線最後の隧道祭が絶賛開催中だw

見晴隧道

北側より。

見晴隧道

北側坑口。

見晴隧道

延長52メートルの短い隧道。

見晴隧道

扁額はなく、後から取り付けられたらしいプレートのみが。「見晴隧道」

見晴隧道

北側坑口から内部を望む。

見晴隧道

内部から見た北側坑口。

見晴隧道

フラッシュで撮ると白く飛んでしますので、あまり好きではないのだが、ライトを忘れてしまったので仕方がない、ということでフラッシュを使ったのだが、これが案外良かった。もう少しフラッシュを活用すればよかった…(^-^;

見晴隧道

そして南側へ。

見晴隧道

南側坑口で振り返り。

見晴隧道

南側坑口。

見晴隧道

こちらには竣工当時からのオリジナルと思われる扁額も。

見晴隧道

さて、ラストスパート、と思っているとディーゼルエンジン全開の音が聞こえてきた…

見晴隧道

広河原行きの最後のバスがやってきた。

見晴隧道

最悪の時は引き返してきたこのバスに乗らなきゃならないかと思っていたのだが、どうやらそれは避けられそうだ(^-^; ゴールまでもう少し!



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見晴らしのいい密室



大多喜街道の陸橋など

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【名称】不明
【所在地】市原市田尾/池和田
【竣工】不明
【橋長】約10m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年4月26日訪問

大多喜街道の陸橋など

市原市田尾、国道297号大多喜街道にて。現在地はココ(←クリック)北を向いている。

大多喜街道の陸橋など

少し進むと陸橋が見えてきた。

大多喜街道の陸橋など

まぁ、格別な特徴のない普通の橋だ(^-^;

大多喜街道の陸橋など

左に旧道風の道。といっても、大多喜街道の旧道は東を通る県道284号。とはいえかなり古くからあった道のようではある。陸橋の上にも行けそうなので、なんとなくこっちに進むことに。

大多喜街道の陸橋など

現在地はココ(←クリック) 東を向いている。右の道が走ってきた国道から分岐する道。左が陸橋への道だ。緑のトンネルができている。せっかくなのでちょっと行ってみようか…

大多喜街道の陸橋など

ん!?数歩進むと左手の空間に目についた。隧道?そんなはずないよなぁ。また「何でも隧道に見える病」の発作か?(^-^;

大多喜街道の陸橋など

んむむ??

大多喜街道の陸橋など

あー、やっぱり切り通しだったのか(^-^; 落石はあるけど、過去に隧道だった可能性は… まずないだろうな(^-^;

今では忘れられかけているのだろうが、いい雰囲気の切り通しだ。

大多喜街道の陸橋など

切り通しの先の道はそのまま国道に合流する。

大多喜街道の陸橋など

振り返り。

大多喜街道の陸橋など

少し離れて国道脇より。

大多喜街道の陸橋など

左を向くと陸橋。この陸橋を渡りそのまま進む鶴舞に出るようだ。陸橋ができる前はこの切り通しを通り鶴舞方面に向かっていたのかもしれない。

     ※     ※     ※

大多喜街道の陸橋など

さて、それでは陸橋へ。

大多喜街道の陸橋など

西側より。

大多喜街道の陸橋など

橋の上から南の勝浦方面を望む。

大多喜街道の陸橋など

北の八幡宿方面。

大多喜街道の陸橋など

東側より。

大多喜街道の陸橋など

袂から。橋桁を確認しがた銘板の類はなさそうだった。



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ゼンリン住宅地図 B4判 大多喜町 (千葉県) 発行年月201412 12441010I



睦沢町佐貫の隧道跡

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【名称】不明
【所在地】長生郡睦沢町佐貫
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】1970~73年頃



2015年5月3日訪問

睦沢町佐貫の隧道跡

睦沢町佐貫、現在地はココ(←クリック) 南を向いている。

睦沢町佐貫の隧道跡

このカーブの先にかつて隧道があった。

睦沢町佐貫の隧道跡

隧道があったようには見えない地形だが…

北側より。

睦沢町佐貫の隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

左は昭和19年部修・昭和21年11月30日発行の地形図。右は現在の国土地理院の地形図。この先の隧道跡は赤丸の中。とはいえ、この地図には隧道が描かれていない。その代わりというか左下に隧道の印がある。

とーこーろーがー

睦沢町佐貫の隧道跡

これは国土地理院が1970年5月27日に撮影した航空写真(MKT705X-C7-22)を拡大加工したもの。地図に載っている隧道だけでなく、もうひとつの隧道が写っている。

しかし、1973年12月25日に撮影したもの(KT736Y-C12-15)では開削されているように見える(少し微妙だが) 1975年1月4日に撮影したもの(CKT7413-C46-58)でははっきりと開削されているのが判る。

元々は地図にある隧道の方を確認するつもりだったのだが、もう一本、しっかり坑口まで写っているので驚いた。

睦沢町佐貫の隧道跡

隧道があったのは、たぶんこの辺りだろう。

睦沢町佐貫の隧道跡

パノラマ合成。右側がボヤけているのはこの部分の写真がピンボケだったから(^-^;

睦沢町佐貫の隧道跡

南側より。



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讃岐の民話 (日本の民話)



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