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Channel: 道にあるちょっと古いもの
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共榮橋、中久橋

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【名称】共榮橋(きょうえいばし)
【所在地】香取郡多古町井戸山/北中
【竣工】1956(S31)年2月
【橋長】23.30m(「平成23年度多古町橋梁長寿命化修繕計画概要版」より)
【幅員】1.8m



2015年7月19日訪問
前回(2012年6月10日)
前々回(2011年6月5日)
その前(2011年2月6日)

共榮橋、中久橋

多古町のあじさい公園にある駐車場から出発。久しぶりに栗山川沿いに行こうと思う。

共榮橋、中久橋

公園内のあじさい橋

共榮橋、中久橋

県道74号多古笹本線(たこささもとせん)の飯土井橋

共榮橋、中久橋

川沿いの道を上流方面に。ちょっと暑いけど天気も良くてゴキゲンだ。

共榮橋、中久橋

そして現れた最初の目的地。南側より。

共榮橋、中久橋

鉄パイプが渡されていた。震災直後は簡易バリケードが置かれたり、それがなくなったりしていたが、本格的に通行止めになったようだ。同書によれば、平成32年度まで点検の予定があるよううだが、この先保守はされずに放置なのだろう。。。

多古町役場が発行した「平成23年度・多古町橋梁長寿命化修繕計画・概要版」(ネットから閲覧可能)によると、この橋の対策区分(総合評価)はE1「構造安全性の観点から緊急対応が必要」となっている。さらに、「管理シナリオ」の項では「損傷が著しく補修が困難。且つ交通需要が低い。補修による機能回復が困難な橋梁」に分類され「橋の残存寿命以降撤去とする橋梁」に分類されている。

共榮橋、中久橋

西側右の親柱。「きょうえいば(変体仮名)し」

共榮橋、中久橋

じゃ、ちょっと失礼して… (^-^;

共榮橋、中久橋

西側左の親柱。「昭和三十一年二月竣工」

共榮橋、中久橋

橋の上から北の上流方面を望む。

共榮橋、中久橋

南の下流方面。

共榮橋、中久橋

あのボート、前もあったような気がする…

共榮橋、中久橋

東側より。

共榮橋、中久橋

東側右の親柱。「共榮橋」

共榮橋、中久橋

東側左の親柱。「昭和参拾壱年弐月竣工」

共榮橋、中久橋

北側より。

     ※     ※     ※

【名称】中久橋(なかくはし)
【所在地】香取郡多古町御所台
【竣工】(S38)年3月
【橋長】24.0m
【幅員】3.6m



2015年7月19日訪問
前回(2012年6月10日)
前々回(2011年2月6日)

共榮橋、中久橋

さて、共榮橋を後に、さらに上流方面へ向かう。次の橋が見えてきた。

共榮橋、中久橋

まず、白く塗り直された欄干が目に付いた。

共榮橋、中久橋

橋脚の上部、橋桁を支える部分も一箇所綺麗になっていた。

共榮橋、中久橋

車道なので最低限の補修をほどこして延命が図られることになったのだろう。

共榮橋、中久橋

えーと、こういうのもキャッツアイって言うのかな?なんと太陽電池付きじゃないか。こんなのまで新設して奮発したなぁ。確か全部で4つあった。

共榮橋、中久橋

西側右の親柱。「なかくばし」

共榮橋、中久橋

西側左の親柱。「昭和三十八年三月竣功」

共榮橋、中久橋

橋の上から南の下流方面を望む。

共榮橋、中久橋

北の上流方面。

共榮橋、中久橋

東側より。

共榮橋、中久橋

東側右の親柱。扁額が新しくなっていた。「なかくばし」

でーもー、ここは漢字表記で「中久橋」とするべきだったのでは?(^-^; なお、この記事の漢字名の出典は前出の「橋梁長寿命化修繕計画」だ。

共榮橋、中久橋

東側左の親柱。「昭和三十八年三月竣工」 これも西側が「竣功」だったのに、こちらは「竣工」 ちゃんと統一しなきゃ(笑)



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荻原トンネル

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【名称】荻原トンネル(おぎわらとんねる)
【所在地】長生郡睦沢町大上/いすみ市荻原
【竣工】1970(S45)年3月改修?
【延長】49m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】6.8m(同上)
【高さ】4.0m(同上)



2014年1月26日訪問

荻原トンネル

睦沢町大上、千葉県道151号夷隅瑞沢線(いすみみずさわせん)にて。現在地はココ(←クリック) 南東を向いている。

荻原トンネル

100メートル程進むとカーブの先にトンネルが現れる。

荻原トンネル

北側より。

荻原トンネル

平成16年度道路施設現況調査によれば、昭和44年度の建設ということになっているが、明治にお地形図にも隧道の印がある。

北側坑口。

荻原トンネル

北側の扁額。「荻原トンネル」

このトンネル、隧道データベース(昭和30年代編纂)には大上隧道(明治20年竣工)として記されている。改修を機に名前が変更されたのか?

荻原トンネル

北側坑口から内部を望む。

荻原トンネル

内部から見た北側坑口。

荻原トンネル

天井などを見ながら中を通る。車では何度か通った事があるが、チャリで通るのはこの日が初めてだった。

荻原トンネル

南側坑口。

荻原トンネル

南側の扁額。「荻原トンネル/昭和45年3月竣工」

おや、太子坂隧道と同時期の竣工じゃないか。もっともどちらも改修時期のようだが。オイルショック前、高度成長末期だねぇ。

荻原トンネル

南側坑口から内部を望む。

荻原トンネル

内部から見た南側坑口。

荻原トンネル

少し離れて南側より。



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荻原英彦「光る砂漠」



天神橋と高山田の隧道跡

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【名称】天神橋()
【所在地】夷隅郡御宿町高山田
【竣工】1977(S52)年12月
【橋長】約50m(目測)
【幅員】約8m(目測)



2015年6月29日訪問

天神橋と高山田の隧道跡

御宿町高山田にある陸橋。東側より。

天神橋と高山田の隧道跡

東側左の銘板。「てんじんはし」

天神橋と高山田の隧道跡

東側右の銘板。「昭和52年12月完成」

天神橋と高山田の隧道跡

橋の上から北側を望む。

てっきり交差点になっているのだと思っていたのだが、立体交差だった。ちゃんと地図を見れば解ったというのに(^-^;

天神橋と高山田の隧道跡

こちらは南側。

天神橋と高山田の隧道跡

西側より。

天神橋と高山田の隧道跡

西側左の銘板。「天神橋」

天神橋と高山田の隧道跡

西側右の銘板。「昭和52年12月完成」

天神橋と高山田の隧道跡

最後に、橋の名前の由来となったと思われる東の袂にある天満宮。

     ※     ※     ※

【名称】不明
【所在地】夷隅郡御宿町高山田/下布施
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】1975~82年頃



2015年6月29日訪問

天神橋と高山田の隧道跡

さて、再掲になるのだが、天神橋の上から北を望んだところ。こののどかな道を7~800メートル程進んだところに、かつて隧道があった。え、なんで見下ろすだけかだって?そ、そ、それは… (^-^;

天神橋と高山田の隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

まず最初にみていただきたいのがコレ。左は昭和19年部修・昭和22年7月30日発行の地形図(1/50000「上総大原」)の地形図。右が現在の国土地理院発行の地形図。

この地図によれば、橋の下の道を北に進むとその先で右に直角カーブ、そしてさらに進んで左にクイッと曲がると隧道があった。そして現在地、そこはゴルフ場…

天神橋と高山田の隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

現在の地形図を航空写真に切り替えると…

チーン 糸冬 了 ( ;´Д`)

これではとりつく島もない(^-^;

以前、まきき氏がやはり別の古地図の記載を元に橋の上の道から隧道を探しに行ってみたことがあるそうだが、手前の溜め池の辺りで撤退したとのこと。

天神橋と高山田の隧道跡

一応、過去の航空写真もチェックしておこう。

これは国土地理院が1975年1月23日に撮影した航空写真(CKT7414-C12B-43)を拡大加工したものだが… 隧道がどこにあるのか、さっぱり解らない(^-^; なお1982年12月2日の航空写真(KT826X-C12-12)ではゴルフ場が完成していて完全に消失している。

天神橋と高山田の隧道跡

一応ゴルフ場まで来てみた。

天神橋と高山田の隧道跡

ゴルフ場の駐車場にて。この先が隧道の方向だが、まぁ、、、(^-^;



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(仮称)木和田隧道

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【名称】不明
【所在地】君津市豊英
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約3m(目測)



2013年9月1日訪問

(仮称)木和田隧道

君津市豊英にて。まきき氏がスゲー穴があるというのでやってきたのだが、コレだという…

まきき氏「ここなんですよー」(・∀・)ニヤニヤ
doodoongoo氏「まじで?」

大得意のまきき氏だが、ぶっちゃけこの時、他の3人(doodoongoo氏、のだの人氏、おいら)は揃って内心で思っていただろう。

「なんだよ、このしょぼい穴ぼこは!!」

とwww

(仮称)木和田隧道

穴をのぞき込むdoodoongoo氏。ところが、こんなちっこい穴だが、内部に階段らしきものがある。

(仮称)木和田隧道

doodoongoo氏を先頭に内部に。

すると、中から驚嘆の声が聞こえてきた。なんだなんだぁ(゚д゚)ハッ!!

(仮称)木和田隧道

中に入ってみるとビックリ。こ、こ、こりゃ隧道じゃない!?∑(゚д゚;)
まきき氏(・∀・)ニヤニヤ

背中に「廃」の文字が描かれたTシャツを着ているのは、のだの人氏。なんと自作したそうだ(^-^;

(仮称)木和田隧道
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

ここで古地形図を。左は昭和19年部修・昭和22年5月30日発行の地形図(1/50000「大多喜」)。左は現在の国土地理院の地形図。隧道の記号こそないものの、この隧道を通って小糸川(豊英湖)を渡る道が描かれている。

(仮称)木和田隧道

降りてきた階段。

南側の舗装路が整備された時に坑口の大部分が埋められてしまったのだろうか。

(仮称)木和田隧道

天井が尖った五角形の断面。房総名物の観音掘りじゃないか。

(仮称)木和田隧道

崩落もほとんどなく良好な保存状態。房総は掘りやすい地質だったのでこれほどたくさんの隧道が掘られまくったのだろうが、意外と崩れていない素堀隧道が多く残っているのが不思議。

(仮称)木和田隧道

北側坑口の断面は円形。

(仮称)木和田隧道

さて、この先はどうなっているのだろう。

(仮称)木和田隧道

隧道の先は堀割になっている。ゆるやかに右にカーブしながら豊英湖方面に降りていく。

(仮称)木和田隧道

北側坑口。

(仮称)木和田隧道

いやぁ、いい隧道だったねぇ。

(仮称)木和田隧道

北側より。

(仮称)木和田隧道

少し離れてもう一枚。

     ※     ※     ※

(仮称)木和田隧道

ところで、隧道の東側に尾根越えの道があった。普通に考えれば、隧道のさらに旧道なのだが、踏跡もしっかししていて現在でも使われていそうな様子。隧道の南側の入口があの状態だから、案外現在ではこちらが使われることの方が多いのかもしれない。

(仮称)木和田隧道

北側の堀割を上から。



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豊英湖の吊橋跡

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【名称】不明
【所在地】君津市豊英
【竣工】不明
【橋長】約70m(推定)
【幅員】約2m(推定)
【廃止】1960年代?



2013年9月1日訪問

豊英湖の吊橋跡

昨日紹介した(仮称)木和田隧道から北に降りてきたところ。現在地はこの辺り(←クリック)か。何か小さな石碑のようなものが見える。そこで道は左右に分かれている。

豊英湖の吊橋跡

何か文字が刻まれている。

豊英湖の吊橋跡

斜めから光を当てると。。。「馬頭観世音」と刻まれているようだ。

     ※     ※     ※

豊英湖の吊橋跡

豊英湖畔に向かう道跡らしきものを辿ると… (゚д゚)ハッ!!

豊英湖の吊橋跡

なんてこったい、水の中に吊り橋の主塔が突っ立っているよ!

豊英湖の吊橋跡

しかも対岸にも残っているし。

豊英湖の吊橋跡

豊英ダムができ、小糸川がダム湖(豊英湖)になったため廃止&水没したのだろう。なお、豊英ダムが竣工したのは1969(S44)年。ということは廃止されて半世紀近く経っているのか。

豊英湖の吊橋跡

なんか沈んでいるけど… 橋台の跡とか??

豊英湖の吊橋跡

対岸の主塔の所にも湖に突っ込む道の跡が残っているように見える。現在の地図には、つり舟センターの方からあの近くまで道が延びているように記されてるが、あの道は岬の反対側に続いているように見える。

当日は、「まぁ、いいだろう」ということで、あちらの道の探索は放棄(^-^;

豊英湖の吊橋跡

その代わりというか、別の位置から。現在地はココ(←クリック) 南東の方角を向いている。

豊英湖の吊橋跡

もし、ここからあの主塔を見つけたら、ビックリしただろうなぁ(^-^;



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つりばしゆらゆら (あかね幼年どうわ)



一宮川の無名橋など

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【名称】不明
【所在地】長生郡長生村薮塚
【竣工】不明
【延長】
【幅員】
【高さ】



2014年8月13日訪問

一宮川の無名橋など

一宮川の左岸にて。下流方面を向いている。もうすぐ茂原市から長生村に入るのだが、前方に小さな橋が現れた。

一宮川の無名橋など

昭和3~40年代の橋だろうか。銘板等がなく素性は不明。

一宮川の無名橋など

東側より。特に明示されているわけではないが、車両は無理かな。
一宮川の無名橋など

隣には三弦トラスの水管橋も。

一宮川の無名橋など

さて渡ってみよう。

一宮川の無名橋など

なんか、降り口みたい。でもここから降りちゃったら… (^-^;

一宮川の無名橋など

橋の上から北の上流方面を望む。

一宮川の無名橋など

南の下流方面。

一宮川の無名橋など

左岸にあるのは、広域市町村圏組合環境衛生センターとのこと。要はゴミ処理上だよね。クリーンセンターとか衛生センターとか、解りにくい呼称が多くなったなぁ(^-^;

一宮川の無名橋など

西側より。

一宮川の無名橋など

水管橋の銘板。中の島水管橋というらしい。

一宮川の無名橋など

南側より。



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珠玉の「一宮」謎解き紀行 -全国津々浦々に鎮座する一〇三社を巡る-



松作トンネル

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【名称】松作トンネル(まつざくとんねる)
【所在地】いすみ市岬町岩熊/榎沢
【竣工】1972(S47)年4月
【延長】63m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】7.4m(同上)
【高さ】5.5m(同上)



2015年5月10日訪問
前回(2011年9月18日)

松作トンネル

千葉県道274号松丸一宮線(まつまるいちのみやせん)にて。現在地はココ(←クリック) 北東を向いている。坂の上にあるトンネルが本日のお題。

松作トンネル

長い左側の法面、そして右側の路肩(歩道)は不自然に広い。旧隧道がるんじゃないか、と疑わせる雰囲気だが、たぶんそんな事はないとは思う。ちゃんと探しては居ないけど(^-^;

松作トンネル

西側坑口。

松作トンネル

西側の扁額。「松作トンネル/竣工 昭和四十七年四月」 朱の文字がちょっとカッコイイ。

なお、「平成16年度道路施設現況調査」によれば、1971(S46)年度の建設ということになっているが、まぁ、これは誤差の範囲か?w それより、今昔マップを見ると昭和22年発行の地形図にも隧道が記載されているので、この年月は改修時期なのだろう。

松作トンネル

西側坑口から内部を望む。

松作トンネル

内部から見た西側坑口。

松作トンネル

内部はゆるやかにカーブしている。

松作トンネル

東側坑口。

松作トンネル

東側の扁額。「まつざくトンネル/竣工 昭和四十七年四月」 こちらの文字も朱が入っている。

松作トンネル

東側坑口から内部を望む。

松作トンネル

内部から見た東側坑口。

松作トンネル

東側より。



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新橋、分付橋、水神橋

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【名称】新橋
【所在地】香取郡多古町次浦
【竣工】1963(S38)年3月
【延長】30.0m(「平成23年度多古町橋梁長寿命化修繕計画・概要版」より)
【幅員】3.6m(同上)



2014年4月27日訪問
前回(2012年6月10日)
前々回(2011年2月6日)

新橋、分付橋、水神橋

栗山川右岸にて。現在地はココ(←クリック) 上流方面を向いている。

※先日、栗山川沿いを同じように走り、これらの橋も当然取材している。しかし、今回の写真はまだアップしていなかった昨年4月のもの。先日の模様もそのうちにアップするつもりだが、現在と様子が変わっているので、ボツにせずアップすることにした(^-^;

新橋、分付橋、水神橋

西側より。

親柱の扁額はどちらも壊れている。これはおいらが最初にココを訪れた時から変わらない。というか、橋の姿自体、ほとんど変わっていない(^-^;

新橋、分付橋、水神橋

橋の上から南の下流方面を望む。正面に見えるアーチ橋は栗山川大橋。その手前に知らないと解らないと思うのだが、大井戸橋が小さく見える。

新橋、分付橋、水神橋

北の上流方面。

新橋、分付橋、水神橋

東側より。

新橋、分付橋、水神橋

東側右の親柱。「新橋」

新橋、分付橋、水神橋

東側左の親柱。肝心な部分が全部欠けているのだが、西側の断片や多古町の資料などから「昭和三十八年三月竣功」と書いてあるものが判明。

新橋、分付橋、水神橋

北側より。

新橋、分付橋、水神橋

そのまま上流に向かう。

     ※     ※     ※

【名称】分付橋(ぶんつけばし)
【所在地】香取郡多古町次浦/南玉造
【竣工】1955(S30)年8月
【橋長】32.04m(「平成23年度多古町橋梁長寿命化修繕計画・概要版」より)
【幅員】1.8m(同上)



2014年4月27日訪問
前回(2012年6月10日)
前々回(2011年2月6日)

分付橋、水神橋

ほどなく次の橋が現れる。

分付橋、水神橋

今度の橋は歩道橋。

分付橋、水神橋

菜の花に古橋が似合っている。

分付橋、水神橋

西側より。

現在もそうだが、この橋は通行止め。このまま廃止になりそうだ…

分付橋、水神橋

西側右の親柱。「ぶんつけば(変体仮名)し」

分付橋、水神橋

西側左の親柱。「昭和参拾年八月竣工」

分付橋、水神橋

橋の上から南の下流方面を望む。

分付橋、水神橋

北の上流方面。

分付橋、水神橋

東側より。

分付橋、水神橋

50年かけて開いた隙間、、、なのかな?

分付橋、水神橋

東側右の親柱。「分付橋」

分付橋、水神橋

東側左の親柱。「昭和丗年八月竣工」


分付橋、水神橋

北側より。

     ※     ※     ※

【名称】水神橋(すいじんばし)
【所在地】香取郡多古町南玉造
【竣工】1963(S38)年3月
【橋長】30m(「平成23年度多古町橋梁長寿命化修繕計画・概要版」より)
【幅員】3.6m(同上)



2014年4月27日訪問
前回(2011年2月13日)

分付橋、水神橋

さて、次の橋へ。

分付橋、水神橋
分付橋、水神橋

今度は車道橋。こちらは修繕して延命が図られていた。

分付橋、水神橋

東側より。

分付橋、水神橋

東側右の親柱。「すいじんばし」

分付橋、水神橋

東側左の親柱。「昭和三十八年三月竣功」

分付橋、水神橋

橋の上から南の下流方面を望む。

分付橋、水神橋

北の上流方面。

分付橋、水神橋

東側より。

分付橋、水神橋

東側右の親柱。「水神橋」

分付橋、水神橋

東側左の親柱。「昭和三十八年三月竣功」

分付橋、水神橋

途中まで降りられそうだったので下から。



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鹿野山トンネル、鹿野山橋

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【名称】鹿野山トンネル(かのうざんとんねる)
【所在地】君津市鹿野山
【竣工】不明
【延長】約150m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約4m(目測)



2014年8月16日訪問

鹿野山トンネル、鹿野山橋

林道鹿野山線にて。現在地はココ(←クリック) 通行止めの看板を見るとワクワクしてしまうのはなぜだろう(^-^;

鹿野山トンネル、鹿野山橋

なお、これは去年(2014年)8月の模様なので、今はたぶん問題なく通行できるはず。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

てか、そもそも当時、ほぼ復旧工事は完了していたのだ(^-^;

鹿野山トンネル、鹿野山橋

この付近の道がゴッソリと崩落してしまったらしい。Googleマップのストリートビューで2012年のここの様子を見ることができるが全然違っていた ∑(゚д゚) この100メートル程の区間、このように山側に曲がっておらず直線だったようだ(^-^;

鹿野山トンネル、鹿野山橋

この斜面にも植林とかするのかな?このままだとまた崩れそうだ。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

素晴らしく快適な区間、あっという間に終了(^-^; この先も舗装されてはいるのだが、油断すると石や雑草の塊を踏んでしまうので注意が必要。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

おなじみゴキゲンまきき氏。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

さて、そのまま林道を進む。もうすっかり暗くなってしまっている。西側より。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

しばらく進むとトンネルが現れる。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

西側坑口。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

西側の扁額。「かのうざんトンネル」

鹿野山トンネル、鹿野山橋

西側坑口から内部を望む。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

内部から見た西側坑口。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

中を進むと、トンネルの主が出現(^-^;

鹿野山トンネル、鹿野山橋

東側坑口。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

東側の扁額。「鹿野山トンネル」

鹿野山トンネル、鹿野山橋

東側坑口から内部を望む。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

内部から見た東側坑口。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

東側より。

     ※     ※     ※

【名称】鹿野山橋
【所在地】君津市鹿野山
【竣工】不明
【延長】約30m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2014年8月16日訪問

鹿野山トンネル、鹿野山橋

鹿野山トンネルを撮影して、本日の撮影業務終了~、と思っていたら橋が現れた。格別珍しい橋でもないのだが、一応取材しなきゃ(^-^; 西側より。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

西側右の銘板。「鹿野山橋」 西側の銘板はこれ一枚のみ。

鹿野山の名を冠した橋がこんな地味なところにあるなんて… と思ったのだが、調べてみるとこの近辺の地名が鹿野山だった。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

Yahooの地図では50メートルぐらいありそうに描かれているが、実際は30メートル程だろうか。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

東側より。

鹿野山トンネル、鹿野山橋

東側右の銘板。「鹿野山橋」 東側も銘板はこれ一枚。ということで竣功時期等は不明。橋桁を確認すれば解ったかもしれないが、もうすっかり暗くなっていたし、藪だからやめておいた(^-^;



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奈良田橋など

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【名称】奈良田橋()
【所在地】南巨摩郡早川町奈良田
【竣工】1961(S36)年3月
【延長】約100m(目測)
【幅員】約5m(目測)



2014年10月26日訪問

奈良田橋など

山梨県道37号南アルプス公園線をトボトボと歩いている。広河原から開運隧道まで歩き通してヽ(´ー`)ノバンザーイなところなのだが、まだ更に車まで戻らなければならない(^-^; 開運隧道を通り過ぎるのを待ち構えていたかのように雨が降り出した。県道はこの先のトラス橋で左岸側に移る。

奈良田橋など

西側より。

下流に何本かある同種のトラス橋同様14トンの重量制限がある。

奈良田橋など

右を見ると水路隧道らしきものが… でも中に入れそうにはないし、時間もないし、くたびれていたのでスルー。

奈良田橋など

袂の河川標識。

奈良田橋など

西側左の親柱。「奈良田橋」

奈良田橋など

西側右の親柱・「ならだはし」

奈良田橋など

銘板。「1961年3月/山梨県建造/建示(1955)二等橋/製作 株式会社横河橋梁製作所/材質 SS41」

奈良田橋など

橋の上から北の上流方面を望む。

奈良田橋など

右(左岸側)を見ると巨大な砂防ダムがある。早川森林軌道があの砂防ダムの辺りから左岸に沿って上流方面に伸びていたようなのだが、痕跡があるのかないのか… 観音経トンネルから北の隧道やへつり道は有名だが、下流側の踏破レポートはほとんど目にしたことがない。どうなっているのだろう?

奈良田橋など

南の下流方面。左に駐車場が見えるのだが、おいらが車を停めたのはさらに下流方面、奈良田湖(西山ダムのダム湖)そばの駐車場。失敗した(^-^;

奈良田橋など

東側より。

奈良田橋など

東側左の親柱。「奈良田橋」

奈良田橋など

東側右の親柱。「ならだはし」

奈良田橋など

銘板の内容は西側にあったものと同じ。

奈良田橋など

袂より。

     ※     ※     ※

奈良田橋など

奈良田橋を後にして100メートル程だろうか、小さな無名橋があった。北側より。

奈良田橋など

橋の上から西の早川方面を望む。そういえば、早川(野呂川)の左岸を歩くのは広河原以来ずいぶんと久しぶりのことだ。

奈良田橋など

東側の滝は砂防ダムによるもの、だったのかな?(^-^;

奈良田橋など

南側より。

     ※     ※     ※

奈良田橋など

さらに100メートル程歩くと、丸山林道との分岐。ここの駐車場に停めればよかった(^-^; 写真は振り返り。

奈良田橋など

さらにトボトボと歩いたのだが、ふと対岸を見てびっくり。ユンボが斜面にぶら下がっている∑(゚д゚; )

日曜日なので休工中のようだったが、いやはや。オペレーターはどこから乗り込むのだろう、尿意を催したらどうするのだろう、燃料はどうやって補給するのだろう、てか、怖くね?なんてことを考えてしまった。

奈良田橋など

そして、11時間ぶりに車まで戻ってきた。ヤッター

リュックとカメラを車に放り込み、速攻で出発。

奈良田橋など

50分後。下部温泉の宿に到着。やっとゆっくり休めるーヽ(´ー`)ノ



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奈良晒 上保田織 茶巾 5枚組



浅間隧道跡

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【名称】浅間隧道
【所在地】夷隅郡御宿町六軒町
【竣工】1957(S32)年(「隧道データベース」より)
【延長】24.5m(同上)
【幅員】7.5m(同上)
【高さ】4.5m(同上)
【撤去】1988(S63)年(同上)



2015年7月26日訪問

浅間隧道跡

御宿町役場の駐車場から出発。

浅間隧道跡

この町役場の建物だが、なにげにゴージャス。御宿町ってお金持ちなのかな?

浅間隧道跡

以前、この建物、てっきり学校か宗教団体の建物じゃないかと勝手に思い込んでいた(^-^;

浅間隧道跡

さて、国道128号に出て茂原方面に向かう。

浅間隧道跡

現在地はココ(←クリック) 北東を向いている。この400メートル程先に隧道が3本連続しているのだが、以前はその手前にももう一本あった。

浅間隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

いつものように今昔マップより。左は昭和56年修正・昭和57年4月20日発行の地形図(1/50000「上総大原」)、右は現在の国土地理院の地形図。現存する3本と少し離れた場所にもう一本の隧道があったことがわかる。

浅間隧道跡

さて、隧道があった付近まで来た。

浅間隧道跡

左は車屋さん。

浅間隧道跡

右は店じまいしたペット屋さん、明らかに元ガソリンスタンドの建物だ。

浅間隧道跡

さて、今度は隧道が健在だったときの航空写真を見ていただこう。これは国土交通省が1975年1月23日に撮影した航空写真(CKT7414-C14-71)を拡大加工したもの。

現在の法面の姿から想像するよりも短い隧道だったようだ。特に北側、結構頑張って掘り割りにしているようだ。隧道の東側に道らしきものがあるようにも見えるので、隧道の上に国道の東西を結ぶ道があったのかもしれない。東側の農地と西側の民家を連絡していたのかな?

浅間隧道跡

丁度隧道があったと思われる箇所だが、上を見ると道や階段らしきものが見える。先ほどの推測(隧道上に道があって東西を連絡していた)が正しいとすれば、隧道開削後にその代替として設けられた道なのかもしれない。

どうなっているの見に行きたいと思ったのだが…

浅間隧道跡

こりゃちょっと無理だね(^-^;

浅間隧道跡

北側より。



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巡洋戦艦「浅間」 北米決戦1 (C★NOVELS)


(仮称)矢田隧道

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【名称】不明
【所在地】南房総市宮下
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約2.5m(目測)
【高さ】約3m(目測)



2015年4月19日訪問

(仮称)矢田隧道

南房総市宮下、現在地はココ(←クリック) 近くの溜め池沿いの空き地に車を停め歩いてきた。そして正面に現れた小さな暗闇。地図で見て隧道があることは判っていたはずだが、ホントに隧道なのか半信半疑な気になった瞬間(^-^;

(仮称)矢田隧道

間違いなく穴のはずなのだが、全景が見えない。東側より。

(仮称)矢田隧道

かなり近づいてようやく全体が伺えるように。

(仮称)矢田隧道

元々素掘りだった隧道をコルゲート補強したものだった。補強部分が本来の穴の部分から飛び出している。林道などで時々見掛けるパターンだ。

(仮称)矢田隧道

東側坑口から内部を望む。

(仮称)矢田隧道

内部から見た東側坑口。

(仮称)矢田隧道

延長は20メートル程だろうか。内部の補強がなければ、房総の典型的な「こじんまり」とした素堀隧道のひとつになっただろうに(笑)

(仮称)矢田隧道

ということで、あっという間に抜けてしまう。内部から見た西側坑口。

(仮称)矢田隧道

西側の掘り割り。

(仮称)矢田隧道

西側坑口。

(仮称)矢田隧道

この辺りは崩れやすい地質なのかな?

(仮称)矢田隧道

西側坑口から内部を望む。

(仮称)矢田隧道

西側より。

(仮称)矢田隧道

少し離れてもう一枚。



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神楽坂 矢田津世子作品集




籾田橋

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【名称】籾田橋(もみだばし)
【所在地】茂原市渋谷
【竣工】不明(2012年頃?)
【延長】約5m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年1月25日訪問

籾田橋

一宮川水系阿久川の支流、準用河川・西谷川の右岸にて。現在地はココ(←クリック) 中町橋を後にして、南の下流方面に向かっている。

籾田橋

本日の物件はコレ。ここは実は以前、渋谷2号地下水止めゲートとして取り上げている。その時(2012年5月)は橋には扁額がなかった。

籾田橋

ところが、今回は扁額が付いているではないか。オマエが気付いていなかっただけじゃないかって?いやいや、ここから2本下流側にある第一八反目橋には当時から扁額が付いていた。そこで、見落としていたのか?と思って慌てて戻って確認しているので、当時は間違いなく扁額はなかった。

前回(2012年5月)は竣功直後でまだ扁額を設置していなかったのか?この地域の橋の竣功時期を、当ブログではまとめて「不明(2012年頃?)」と表示してきたのはそのような理由からだったりもする。

北側の扁額。「もみだばし」

籾田橋

西側より。

籾田橋

橋の上から北の上流方面を望む。

籾田橋

南の下流方面。

籾田橋

東側より。

籾田橋

南側より。

籾田橋

南側の扁額。「籾田橋」

籾田橋

南側から見た水門。



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既製 印鑑 認印 三文判 黒ボディ 10mm 籾田




坊滝の太鼓橋

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【名称】不明
【所在地】南房総市増間
【竣工】不明
【橋長】約3m(目測)
【幅員】約0.5m(目測)



2015年4月19日訪問

坊滝の太鼓橋

南房総市増間の林道増間線にて。現在地はココ(←クリック)

坊滝の太鼓橋

増間林道は増間川に沿って伸びているのだが、この増間川には増間七滝と呼ばれる7つの滝がある。その最も下流の前蔵引(まえそうびき)の滝にここから向かうことができる。

坊滝の太鼓橋

階段を下りると滝を眺めるための展望台がある。ちょっと行ってみよう。

坊滝の太鼓橋

展望台からは残念ながらあまりよく見えなかったので河原に降りてみた。

坊滝の太鼓橋

ちなみに、これは同じ場所から見た下流方面。

坊滝の太鼓橋

川の水量は少ないので難なく滝に近づく事ができる。

坊滝の太鼓橋

落差10メートル程の二段に分かれた滝。もう少し近づいた方が迫力のある写真が撮れそうなのだが、ジャブジャブしないとならないので、これで我慢(^-^;

     ※     ※     ※

坊滝の太鼓橋

さて、林道に戻って先に進む。

坊滝の太鼓橋

ん、隧道?と思ったのだが気のせいだった(^-^; 行きは(仮称)増間1号隧道の場所を勘違いしていたので、これが隧道跡かと思ったのだった(^-^;

坊滝の太鼓橋

さらに進んで現在地はココ(←クリック) この先で林道はほぼ180度向きを変える。

坊滝の太鼓橋

支流の流れる暗渠の上あたり。

坊滝の太鼓橋

途中にも滝があったようだが、楽なアクセスルートもないようなのでスルーしてきた。

坊滝の太鼓橋

2本目の隧道の跡を通り過ぎ…

坊滝の太鼓橋

その先の切り通し。ここは隧道跡ではないようだ。

坊滝の太鼓橋

そして、またもや案内板が現れる。

坊滝の太鼓橋

この先にはるのは増間七滝の最上流部にあり、なおかつ最大の滝・坊滝だ。

坊滝の太鼓橋

遊歩道があるので遠慮なく見学させていただくことに。木々の隙間から滝が見えている。さすがに前蔵引よりかなり大きそうだ。

坊滝の太鼓橋

こちらも展望台があったが、河原まで降りてみた。正面より。

坊滝の太鼓橋

決して水量が多くはなかったが、タイミングが悪いともっと少ないこともあるようなので、まぁよかったか。

坊滝の太鼓橋

それにすぐそばまで寄ってみるとさすがに迫力がある。

     ※     ※     ※

坊滝の太鼓橋

さて、再び林道に戻って前進再開。

坊滝の太鼓橋

ようやく本日のお題の橋が登場。

坊滝の太鼓橋

橋の先は大日山への遊歩道となっている。行けるようならチャリを携えてグルリと一周、と思っていたのだが、完全に山道なので諦めた(^-^;

坊滝の太鼓橋

北側より。

坊滝の太鼓橋

橋の上から下流側を見ると、これがちょうど坊滝の水の落ち口となっている。

一応補足しておくと、ネットの地図は川と林道が少し離れているように描かれているが、実際はここでは川のすぐ隣に林道がある。

坊滝の太鼓橋

上流方面。ちょっと見えにくいが、正面が川の本流、そして右がから小さな支流(水量はわずか)が合流している。

坊滝の太鼓橋

大日山の側より。



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鬼田第一、第二隧道跡

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【名称】鬼田第一隧道
【所在地】市原市菅野
【竣工】1890(M23)年(「隧道データベース」より)
【延長】35m(同上)
【幅員】3.8m(同上)
【高さ】4m(同上)

【名称】鬼田第二隧道
【所在地】市原市菅野
【竣工】1890(M23)年(「隧道データベース」より)
【延長】37m(同上)
【幅員】4m(同上)
【高さ】4m(同上)



2015年8月2日訪問

鬼田第一、第二隧道跡

小湊鐵道の月崎駅から出発。ここは安心して車を停められるし、トイレも綺麗なのでありがたい。

     ※     ※     ※

ここでちょっとおまけ。

月崎駅

去年の11月、たまたまここに立ち寄ったところ、駅全体が盛大に電飾されていたのでビックリ ∑(゚д゚; )

月崎駅

ゴージャスなトイレもよりゴージャスに(^-^;

月崎駅

ホームも。

月崎駅

月崎駅で四両編成を初めて見たw

月崎駅

キティちゃんの左目が… (ノ△・。)

月崎駅

ということで、真夏にクリスマス気分を(^-^;

     ※     ※     ※

鬼田第一、第二隧道跡

さて、クソ暑い中、チャリを漕ぎながら県道32号を久留里方面へ。現在地はココ(←クリック) 東を向いている。マルフクの看板が懐かしい。いや、まだあちこちに残っていたか(^-^;

鬼田第一、第二隧道跡

で、この先に以前、素掘りの短い隧道が2本連続して存在していたのだ。

あ、またマルフク、しかも2枚。

鬼田第一、第二隧道跡

その建物の反対側だが、やはりダブルマルフク。マルフクどんだけ(^-^;

鬼田第一、第二隧道跡

おっと、隧道跡だった(^-^; この切り通しが隧道の跡。

鬼田第一、第二隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

さて、いつものように今昔マップを。

左は昭和19年部修・昭和22年5月30日発行の地形図(1/50000「大多喜」)、右は現在の国土地理院発行の地形図。

2本の隧道があったはずなのだが、写真を見ても現地で眺めても、その2本がどこにあったのかいまいち判然としない。というか、中間だったはずの区間も含め現在では全部切り通しになっているのだ(^-^;

鬼田第一、第二隧道跡

今度は航空写真を見てみよう。これは国土地理院が1971年10月28日に撮影したもの(MKT713X-C2B-7)を拡大修正したもの。

隧道があったのは明らかだが、やはり中間の明かり区間がどこだったのかさっぱり判らない(^-^;

鬼田第一、第二隧道跡

次は、1975年1月3日に撮影したもの(CKT7414-C5B-29)を拡大修正。だが今度は開削されている。切り通しの前後に微妙に道が隠れている区間があるが、これはただの木の葉に隠されているだけだろう。現在の航空写真もそうだし。

鬼田第一、第二隧道跡

とりあえず現在の切り通しの姿を見ていただこう。

鬼田第一、第二隧道跡

隧道名は隧道データベースに基づいている。そしてその隧道Noから推測するに写真手前(東側・月崎方面)が鬼田第一隧道(1890年竣功、延長35m)、奥(西側・久留里方面)が鬼田第二隧道(1890年竣功、延長37m)だったと思われる。

なお、隧道名の鬼田は市原市菅野の小字、鬼田(オンダ)に由来すると思われる。(※参考:「角川日本地名大辞典12千葉県」p.1377)

鬼田第一、第二隧道跡

判然とはしないが、それでも切り通しの中間付近は左の法面が若干低目。この辺りが明かり区間だったかな。まぁ、状況的にそうとしか考えられないのだが(^-^;

鬼田第一、第二隧道跡

とまぁ、暑い中、カメラ片手にチャリを押して県道をジグザグ進行。でもこの道は結構交通量も多いので車が来ていないかは最新の注意を払わないと(^-^;

鬼田第一、第二隧道跡

切り通しの西端近く。この辺りが第二隧道だったのかな?

鬼田第一、第二隧道跡

切り通しの西にあったコレは井戸かな?

鬼田第一、第二隧道跡

西側より。

     ※     ※     ※

最後に、この隧道跡については、まきき氏も以前レポートしている。いつもながらの社交家ぶりを発揮して地元の方の証言もゲットしているので、そちらも是非ご覧いただきたい。

参考サイト:
トンネルコレクション(まきき氏):旧内山隧道調査(仮称) 【4:あっけなく謎が解けた!】




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三秋橋

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【名称】三秋橋(みあきはし)
【所在地】君津市西日笠/東日笠
【竣工】1971(S46)年3月
【橋長】約30m(目測)
【幅員】約6m(目測)



2014年3月9日訪問

三秋橋

君津市西日笠、小糸川に架かる橋。西側より。

三秋橋

西側左の親柱。「三秋橋」

三秋橋

西側右の親柱。「小糸川」

三秋橋

この橋、どうやら隣に旧橋があったらしい。なんと南隣に橋脚が残されていた。隣にあったというとまるで併存していたようだが、おそらく現在の橋が架設されてから撤去されたのだろう。

三秋橋

西側の旧橋橋脚。ジャンプすれば飛び移れそうに見えてしまうが、もちろんそんな事をしたらじょん・まくれーんいでもない限りかなりの確率で大怪我するはず。てか、大怪我じゃ済まないね(^-^;

三秋橋

橋の上から北の下流方面を望む。

三秋橋
南の上流方面。

三秋橋

視線を下に落とすと… 橋脚の土台らしきものが残っている。しかも2つ!!(゚д゚)ハッ!! ひょっとしてどちらか一方は旧々橋のもの!?

三秋橋

もう一枚西側の旧橋橋脚を。

三秋橋

東側は草に覆われている。

三秋橋

東側より。こちらは君津市東日笠になる。

三秋橋

東側左の親柱。「みかわはし」

三秋橋

東側右の親柱。「昭和四十六年三月竣功」

三秋橋

ウナギもいるのかぁ… 食べたいなぁ(*´д`*)ハァハァ



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一日如三秋



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田渕第二隧道

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【名称】田渕第二隧道(たぶちだいにずいどう)
【所在地】市原市田淵
【竣工】1972(S47)年3月(改修?)
【延長】172m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】7.0m(同上)
【高さ】4.5m(同上)



2015年7月12日訪問
前回(2013年6月9日)

田渕第二隧道

千葉県道172号大多喜里見線(おおたきさとみせん)にて。現在地はココ(←クリック) お題の隧道に行く前に、ちょっと赤矢印の先に寄り道していく。

田渕第二隧道

法面に開いた入口。

田渕第二隧道

ここまでは何の面白みもないのだが…

田渕第二隧道

その先にあるのは素掘りの水路隧道の跡らしき穴。

田渕第二隧道

天井にゲジさんがいるけど、それぐらいでご飯が食べられなくなるようなヤワな人はこのブログを見ないだろうから修正はしていない(←面倒だったw)

田渕第二隧道

今回は行けるところまで行ってみようと思っていたのだが、10メートル程進んだところで、地面に何やら黒っぽいヌラヌラした物体が∑(゚д゚||) まだ水気を含んだ得体の知れない物体、絶対にばっちい物に違いない。まだ出発して10分、こんなところでばっちいモノをくっつけて、この後散策などしたくないよ~( ;´Д`) ということで、ここで引き返した(^-^;

     ※     ※     ※

田渕第二隧道

さて、隧道に。西側坑口。

前回の記事でも触れたが、こちらの坑口の手前、左右にこれまた水路隧道っぽい小さい穴が開いている。

田渕第二隧道

まずは右の穴。

田渕第二隧道

先ほどの穴と繋がっているのだろうか??

田渕第二隧道

そして左の穴。

田渕第二隧道

こちらもご丁寧に階段がついている。

田渕第二隧道

ライトで奥を照らすと、結構奥まで真っ直ぐ伸びている。微かに吹き付ける冷気はありがたいのだが、ちょっとヘドロ臭いのは勘弁( ;´Д`)

田渕第二隧道

これも水路隧道っぽいのだが、ばっちそうな水も溜まっているので入りたくない(^-^;

田渕第二隧道

さてと、、、

隧道の西側扁額。少し葉で隠れているが「たぶちだいにずいどう」のはず。

田渕第二隧道

西側坑口から内部を望む。

田渕第二隧道

内部から見た西側坑口。

田渕第二隧道

東側坑口。

田渕第二隧道

隧道の手前、向かって右側の法面の白さが目立つ。実は今年(2015年)の3月、県道が法面崩落のため一時的に全面通行止めになっていたことを思い出した。崩落現場この隧道付近だったはず。ここが崩落の現場だったのかな?この後、ここから東に300メートル程進んだオークビレッヂゴルフクラブの入口付近でも崩落の復旧作業を見かけたのだが、県の報道発表の資料によればこちらのようだ。

田渕第二隧道

東側の扁額。「田渕第二隧道/昭和47年3月竣工」

隧道の竣功はこの扁額や「平成16年度道路施設現況調査」によれば1972(昭和47)年ということになっている。しかしこの隧道は明治の地形図に既に姿を見せているので、この年に改修されたのだろう。

なお、名称も変更されているのかもしれない。隧道データベースをみるとNo.558・台座隧道(加茂村田淵、延長169m、車道幅員4.6m、限界高4.4m、竣功1906年)がこれに該当するようだ。

田渕第二隧道

東側坑口から内部を望む。

田渕第二隧道

内部から見た東側坑口。

田渕第二隧道

東側より。

     ※     ※     ※

おまけ動画





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新旧鯉見橋

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【名称】鯉見橋(こいみばし)
【所在地】市原市池和田/田尾
【竣工】2005(H17)年3月
【橋長】約50m(目測)
【幅員】約8m(目測)



2015年4月26日訪問

新旧鯉見橋

市原市池和田、国道297号の桟橋上にて。現在地はココ(←クリック) 西を向いている。

新旧鯉見橋

国道脇を流れる養老川の支流・平蔵川を見下ろすと、その先に古びた橋が見えた。地図で見て気になっていた橋だ。明らかに50メートル程下流側に架かる橋の旧橋。さて、現状はどうなっているのか。

新旧鯉見橋

一枚目の写真から100メートル程進んできた。この先の交差点を左に曲がれば新旧ふたつの橋にたどり着くことができる。

新旧鯉見橋

交差点まで来て振り返ったところ。旧道への入口があるのだが、ポールが2本立っていた。自動車は通行禁止となっているようだ。

新旧鯉見橋

早速にも旧橋に行きたいところだが、ここはちょっと我慢して、まずは新橋の方から。なんて言ったら新橋に失礼かな(^-^; 北側より。

新旧鯉見橋

北側左の親柱。「鯉見橋」

新旧鯉見橋

北側右の親柱。「平蔵川」

新旧鯉見橋

橋の上から東の上流方面を望む。さきほど国道から見えた旧橋が見えている。いやぁ、ワクワクするね。重ね重ねすまん、新橋さん( ;´Д`)

新旧鯉見橋

西の下流方面。

新旧鯉見橋

南側より。

新旧鯉見橋

南側左の親柱。「こいみばし」

新旧鯉見橋

南側右の親柱。「平成17年3月竣工」

     ※     ※     ※

【名称】鯉見橋
【所在地】市原市池和田/田尾
【竣工】1955(S30)年3月
【橋長】約20m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年4月26日訪問

新旧鯉見橋

さて、新橋から南に200メートル程進むと旧道への分岐がある。

新旧鯉見橋

南側から見た分岐。もちろん右が旧道だ。

新旧鯉見橋

ゆるやかな坂道を進む。

新旧鯉見橋

橋が見えてきた。ガードレールで塞がれ車両は進入できない措置がとられている。

新旧鯉見橋

右を見ると石碑が。

新旧鯉見橋

「こいみ橋」だって!?

新旧鯉見橋

どうやら歌詞のようだが… 作詞者、作曲者ともにどのような方なのか不明。ひょっとしたら地元の方なのかもしれない。

新旧鯉見橋

横の小屋にあった案内板?らしきもの。う~ん、ご当地ソングというやつか?歌詞はちょっと演歌っぽいかな?

それにしても、橋を主題にした歌とは珍しい。「ロンドン橋落ちた」ぐらいしかとっさに思いつかないぞ ∑(゚д゚)

新旧鯉見橋

さて、いよいよお待ちかねの旧橋へ。南側より。

新旧鯉見橋

南側右の親柱。読み取りづらいのだが、、、「い」の字はなんとか判読できる。おそらく「こいみはし」なのだろう(^-^;

新旧鯉見橋

南側左の親柱。こちらも「昭和三」までは読み取れるのだが、その下はいまいちはっきりとしない。北側に期待しよう。

新旧鯉見橋

橋の上から東の上流方面を望む。2枚目の写真はあの桟橋の上から見下ろしたもの。

新旧鯉見橋

西の下流方面。正面に見えるのは、もちろん先ほど渡ってきた(新)鯉見橋

新旧鯉見橋

北側もガードレールで封鎖されているが、先ほど見たように現道との接続部分にポールが立っているのでこの措置はあまり意味がないかも(^-^;

新旧鯉見橋

北側より。

新旧鯉見橋

北側左の親柱。「昭和三十年三月」 これで竣工時期が判明。

なお、右の親柱は失われている。

新旧鯉見橋

歌の主題にもなり地元に親しまれたであろう橋。今では例え封鎖されていなかったとしても、この橋をあえて通る人などまずいないであろう。現道の橋名に「新」がつけられかったことを見ても、行政がこの橋を残す意義を認めていないことが伺える。それでも撤去されずに残っているのは地元の思いが関係していたりするのだろうか?

新旧鯉見橋

北側の接道は南側とは大違い。熟成の進みかけた廃道の姿だ。このまま放置され続ければ楽しい廃道になりそう(笑)

新旧鯉見橋

ほどなく現道に合流。



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烏鯉【TBSオンデマンド】



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