【名称】不明
【所在地】長生郡長南町今泉/千田
【竣工】不明
【延長】約30m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約3m(目測)
2015年6月7日訪問
長南町今泉、現在地はココ(←クリック) 南に進んでいる。前にいるのはおなじみのまきき氏。画面には写っていないが、この日はdoodoongoo氏もいる。最近リア充してて遊んでくれないdoodoongoo氏だが、忙しい中、時間をやりくりしてわざわざ千葉まで来てくれた。久しぶりに3人集合しての探索。
50メートル程先の分岐を右に進む。前方に見える築堤は溜め池のもの。
築堤の上までやってきた。矢印の先に目指す物件があるはず。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
さて、ここで今回のターゲットについて予習を。いつも開削済み隧道のチェックでお世話になっている今昔マップから。左は昭和19年部修・昭和22年5月30日発行の地形図。右は現在の国土地理院の地形図。赤丸の中にある隧道マークが今回のターゲット。
そして、この終戦直後の地形図では点線(小径 道幅半間未満)として描かれているが、明治の地形図では二重線で描かれている。現在、北の今泉地区と南の千田地区を結ぶ道は冒頭写真の道を直進して豊英小学校の東に出る道なのだが、少なくとも明治時代にはこの先の道が南北を結ぶ幹線だったのだろう。
それにしても、これを見つけた時は驚いた。近くの(仮称)千田谷隧道には何度か行ったことがある。歩行者専用の小さな隧道だ。しかし、その近くにもう一本あったとは。しかも隧道があると思われる山は航空写真で見る限り昔から手つかずの様子。ってことは、現存する可能性が極めて高いということではないか、と思った次第。
さて、それでは突入。道は築堤の脇ですでにその体をなしていない。しかしここしかありえない。笹藪の中に迷わず突き進む。
てか、ぶっちゃけ、実はココに突入するのは3回目。しかし、過去の2回は無念の途中撤退をしていた。隧道擬定地まで、せいぜい200メートル程しかないというのに… まぁ、根性が足りないと言われると返す言葉もないのだが(^-^; でも今回は頑張るよ!
笹藪に突入すると、早速先人の遺物を発見。DVDのパッケージだけど、中身がないし(^-^;
よい子が見ているとイケナイので一応モザイクをw
えっとー、ボクちんには意味がよく解らないのだけど、「お●ゃ●り予備校 発射数×19発」とかって書いてあるぞ。
これを見て、賢者doodoongoo氏がすばらしい作戦を思いついた。「これをさ~、馬にニンジンをぶら下げるように、まききちゃんに見せれば寄り道しないで付いてくるんじゃないかな?」
doodoongoo氏の作戦は的中。「ほらほら、いいものがあるよ~」と(空の)DVDパッケージをヒラヒラさせるdoodoongoo氏に素直に付いてきたまきき氏。
現在地は溜め池の東側だ。
実はここは、おいらが去年の4月、最初にトライして撤退した場所。そして、これがその時の写真(隧道擬定地を向いている) この日は雨上がりで周囲はびしょ濡れ。倒木を乗り越えて先に進んでも大変なことになりそうだし、うっかり足を滑らせて溜め池に落っこちたりしたら、数日後に腐乱死体になって発見されるというオチになってしまうのでここで引き返したのだった。
さて、前の写真から50メートルぐらい進んだところだろうか、現在地はこの辺り(←クリック)
で、これは去年(2014年)の5月、二度目に来た時のもの。この時は、まきき氏も一緒だったのだが、ふたり揃って気持ちが折れて撤退。普段、二人以上の時は、誰かにまだガンバル気が残っている時はなんとなく進んでしまうものだが、この時はふたりとも淡泊だった。その日はこの後、もう一ヵ所、とびきりの隧道に案内してもらう予定があったので、ちょっと淡泊になっていたようだった。
でも、今回はもう少し頑張ろう。
ということで、更に2~30メートル進んできた。ここが谷津のドンツキ、ずばり隧道北側坑口の擬定地だ。
でーもー、、、隧道の姿はおろか、その痕跡もない・・・( ;´Д`)
しまった、やらかしてしまったか?せっかく大イバリでdoodonngoo氏を遠くから呼びつけておいて、オケラで帰してしまうことになるのか…
そんな時のdoodoondooさんて、怖いんだよなぁ。過去に、まきき氏が何度か怒りのdoodoongooスペシャル縦四方固めを食らって死にかけたというし…(←ウソw)
こいつはまずい、怒りのdoodoongoo氏に殺される前に、せめて誠意でも見せないと。という訳で、とりあえず山によじ登ってみる。うん、とりあえず頑張ってみましたアピールねw 見下ろすと、まきき氏がのんびりと、ドンツキの写真を撮っている。
※ ※ ※
そんな具合で、斜面をよじ登りながら見上げると…
(゚д゚)ハッ!!
えっ、えっ、ま、ま、まじで!?穴発見!!
いや~、doodoongoo氏のプレッシャーは、なんてのはもちろんネタなのだけど、ぶっちゃけ、隧道の存在はほとんど諦めていた。とりあえず上からの姿を見てみたかったし、元来た道を戻るのも気が重かったので、あわよくば尾根を越えて南側から戻れたらいいなー、と思っていたのだ(^-^;
なぜか天井が低いのだが、明らかに隧道。しかも貫通している。
あわてて、二人を呼ぶ。斜面を這い上がってくる二人を上から。
隧道の中に足跡や轍は一切なし。ただ、謎の縦溝のみ何本かあった。これはどういう経緯で出来たものだろう??
ところで、先ほども書いたように、この北側坑口付近はやけに天井が低い。およそ1メートルといったところだろうか。しかし、先を見るとだんだんと天井が高くなっているようだ。
これは、あくまで想像だが、北側坑口が崩落して坑口付近に土砂が溜まり、そこから南側から風が吹き込む。一緒に周囲の砂が吹き込み、長い年月をかけて本来の路盤を埋め尽くして、現在の姿になったのではないだろうか。
現地は小高い場所にあり、隧道はちょうど南北を結ぶ向きに存在している。非常に風通しがよいようで、当日も風が吹き抜けていた。それに坑口に来るまで谷津から10メートル近くは這い上がったし。ということでの想像だ。
まぁ、想像の話はこれぐらいでいいだろう。
いよいよ内部へ。内部から見た北側坑口。
うん、やっぱりこの断面は下の1/3~半分ぐらいが埋まっているって考えるのが自然だねぇ。
そして南側へ。
南は掘り割りになっている。掘り割りの路盤と2メートルぐらいの段差がある。
見事な掘り割り。
振り返って内部を望む。
南側坑口。
南隣にある(仮称)千田谷隧道より大きな隧道だ。あちらは現役ではあるが歩行者専用。
探索後、まきき氏がお得意の笑顔で、近くの畑で作業していたご婦人(70歳前後?)に話を聞いたところ、昔は車も通っていた(!)という。ただ、そのご婦人も実際には通った事がないそうだ。おそらくご婦人が嫁入りした頃(約半世紀前?)に既に廃道に近い状態になっていて、一部の人しか通らない道になっていたのだろう。
なんとか南側の全景を撮りたくて下がってみたのだが、、、倒木で見えなくなってしまった(^-^;
さらに離れると…(^-^;
さて、問題は南側だ。地図や航空写真を見るとこの先は民家が並んでいる。裏庭にひょっこりコンニチワ!ってのはちょっとイヤだけど… 実は過去に2回撤退していながら、それでも北側からアプローチしたのはそんな事情があったからだ(^-^; でもここまで来たからには最後まで行かなきゃね。
しばらく進むと急に視界が開けた。よかった、人様の家の敷地じゃなかったよ。これなら遠慮せずに出ることができる。
圧倒的にこちらからアプローチするのが楽。次に来るときはこちらからにしよう。
みなさん乙でした。
※ ※ ※
おまけ動画。
たぶん、まきき氏がそのうちにより高画質の動画を発表するはずなので、そちらもご期待のこと。
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