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Channel: 道にあるちょっと古いもの
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(仮称)豊栄隧道

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【名称】不明
【所在地】長生郡長南町今泉/千田
【竣工】不明
【延長】約30m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約3m(目測)



2015年6月7日訪問

(仮称)豊栄隧道

長南町今泉、現在地はココ(←クリック) 南に進んでいる。前にいるのはおなじみのまきき氏。画面には写っていないが、この日はdoodoongoo氏もいる。最近リア充してて遊んでくれないdoodoongoo氏だが、忙しい中、時間をやりくりしてわざわざ千葉まで来てくれた。久しぶりに3人集合しての探索。

(仮称)豊栄隧道

50メートル程先の分岐を右に進む。前方に見える築堤は溜め池のもの。

(仮称)豊栄隧道

築堤の上までやってきた。矢印の先に目指す物件があるはず。

(仮称)豊栄隧道
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

さて、ここで今回のターゲットについて予習を。いつも開削済み隧道のチェックでお世話になっている今昔マップから。左は昭和19年部修・昭和22年5月30日発行の地形図。右は現在の国土地理院の地形図。赤丸の中にある隧道マークが今回のターゲット。

そして、この終戦直後の地形図では点線(小径 道幅半間未満)として描かれているが、明治の地形図では二重線で描かれている。現在、北の今泉地区と南の千田地区を結ぶ道は冒頭写真の道を直進して豊英小学校の東に出る道なのだが、少なくとも明治時代にはこの先の道が南北を結ぶ幹線だったのだろう。

それにしても、これを見つけた時は驚いた。近くの(仮称)千田谷隧道には何度か行ったことがある。歩行者専用の小さな隧道だ。しかし、その近くにもう一本あったとは。しかも隧道があると思われる山は航空写真で見る限り昔から手つかずの様子。ってことは、現存する可能性が極めて高いということではないか、と思った次第。

(仮称)豊栄隧道

さて、それでは突入。道は築堤の脇ですでにその体をなしていない。しかしここしかありえない。笹藪の中に迷わず突き進む。

てか、ぶっちゃけ、実はココに突入するのは3回目。しかし、過去の2回は無念の途中撤退をしていた。隧道擬定地まで、せいぜい200メートル程しかないというのに… まぁ、根性が足りないと言われると返す言葉もないのだが(^-^; でも今回は頑張るよ!

(仮称)豊栄隧道

笹藪に突入すると、早速先人の遺物を発見。DVDのパッケージだけど、中身がないし(^-^;

(仮称)豊栄隧道

よい子が見ているとイケナイので一応モザイクをw

えっとー、ボクちんには意味がよく解らないのだけど、「お●ゃ●り予備校 発射数×19発」とかって書いてあるぞ。

これを見て、賢者doodoongoo氏がすばらしい作戦を思いついた。「これをさ~、馬にニンジンをぶら下げるように、まききちゃんに見せれば寄り道しないで付いてくるんじゃないかな?」

(仮称)豊栄隧道

doodoongoo氏の作戦は的中。「ほらほら、いいものがあるよ~」と(空の)DVDパッケージをヒラヒラさせるdoodoongoo氏に素直に付いてきたまきき氏。

現在地は溜め池の東側だ。

(仮称)豊栄隧道

実はここは、おいらが去年の4月、最初にトライして撤退した場所。そして、これがその時の写真(隧道擬定地を向いている) この日は雨上がりで周囲はびしょ濡れ。倒木を乗り越えて先に進んでも大変なことになりそうだし、うっかり足を滑らせて溜め池に落っこちたりしたら、数日後に腐乱死体になって発見されるというオチになってしまうのでここで引き返したのだった。

(仮称)豊栄隧道

さて、前の写真から50メートルぐらい進んだところだろうか、現在地はこの辺り(←クリック)

で、これは去年(2014年)の5月、二度目に来た時のもの。この時は、まきき氏も一緒だったのだが、ふたり揃って気持ちが折れて撤退。普段、二人以上の時は、誰かにまだガンバル気が残っている時はなんとなく進んでしまうものだが、この時はふたりとも淡泊だった。その日はこの後、もう一ヵ所、とびきりの隧道に案内してもらう予定があったので、ちょっと淡泊になっていたようだった。

でも、今回はもう少し頑張ろう。

(仮称)豊栄隧道

ということで、更に2~30メートル進んできた。ここが谷津のドンツキ、ずばり隧道北側坑口の擬定地だ。

でーもー、、、隧道の姿はおろか、その痕跡もない・・・( ;´Д`)

しまった、やらかしてしまったか?せっかく大イバリでdoodonngoo氏を遠くから呼びつけておいて、オケラで帰してしまうことになるのか…

そんな時のdoodoondooさんて、怖いんだよなぁ。過去に、まきき氏が何度か怒りのdoodoongooスペシャル縦四方固めを食らって死にかけたというし…(←ウソw)

(仮称)豊栄隧道

こいつはまずい、怒りのdoodoongoo氏に殺される前に、せめて誠意でも見せないと。という訳で、とりあえず山によじ登ってみる。うん、とりあえず頑張ってみましたアピールねw 見下ろすと、まきき氏がのんびりと、ドンツキの写真を撮っている。

     ※     ※     ※

(仮称)豊栄隧道

そんな具合で、斜面をよじ登りながら見上げると…

(゚д゚)ハッ!!

えっ、えっ、ま、ま、まじで!?穴発見!!

いや~、doodoongoo氏のプレッシャーは、なんてのはもちろんネタなのだけど、ぶっちゃけ、隧道の存在はほとんど諦めていた。とりあえず上からの姿を見てみたかったし、元来た道を戻るのも気が重かったので、あわよくば尾根を越えて南側から戻れたらいいなー、と思っていたのだ(^-^;

(仮称)豊栄隧道

なぜか天井が低いのだが、明らかに隧道。しかも貫通している。

(仮称)豊栄隧道

あわてて、二人を呼ぶ。斜面を這い上がってくる二人を上から。

(仮称)豊栄隧道

隧道の中に足跡や轍は一切なし。ただ、謎の縦溝のみ何本かあった。これはどういう経緯で出来たものだろう??

ところで、先ほども書いたように、この北側坑口付近はやけに天井が低い。およそ1メートルといったところだろうか。しかし、先を見るとだんだんと天井が高くなっているようだ。

これは、あくまで想像だが、北側坑口が崩落して坑口付近に土砂が溜まり、そこから南側から風が吹き込む。一緒に周囲の砂が吹き込み、長い年月をかけて本来の路盤を埋め尽くして、現在の姿になったのではないだろうか。

現地は小高い場所にあり、隧道はちょうど南北を結ぶ向きに存在している。非常に風通しがよいようで、当日も風が吹き抜けていた。それに坑口に来るまで谷津から10メートル近くは這い上がったし。ということでの想像だ。

まぁ、想像の話はこれぐらいでいいだろう。

(仮称)豊栄隧道

いよいよ内部へ。内部から見た北側坑口。

(仮称)豊栄隧道

うん、やっぱりこの断面は下の1/3~半分ぐらいが埋まっているって考えるのが自然だねぇ。

(仮称)豊栄隧道

そして南側へ。

(仮称)豊栄隧道

南は掘り割りになっている。掘り割りの路盤と2メートルぐらいの段差がある。

(仮称)豊栄隧道

見事な掘り割り。

(仮称)豊栄隧道

振り返って内部を望む。

(仮称)豊栄隧道

南側坑口。

南隣にある(仮称)千田谷隧道より大きな隧道だ。あちらは現役ではあるが歩行者専用。

探索後、まきき氏がお得意の笑顔で、近くの畑で作業していたご婦人(70歳前後?)に話を聞いたところ、昔は車も通っていた(!)という。ただ、そのご婦人も実際には通った事がないそうだ。おそらくご婦人が嫁入りした頃(約半世紀前?)に既に廃道に近い状態になっていて、一部の人しか通らない道になっていたのだろう。

(仮称)豊栄隧道

なんとか南側の全景を撮りたくて下がってみたのだが、、、倒木で見えなくなってしまった(^-^;

(仮称)豊栄隧道

さらに離れると…(^-^;

(仮称)豊栄隧道

さて、問題は南側だ。地図や航空写真を見るとこの先は民家が並んでいる。裏庭にひょっこりコンニチワ!ってのはちょっとイヤだけど… 実は過去に2回撤退していながら、それでも北側からアプローチしたのはそんな事情があったからだ(^-^; でもここまで来たからには最後まで行かなきゃね。

(仮称)豊栄隧道

しばらく進むと急に視界が開けた。よかった、人様の家の敷地じゃなかったよ。これなら遠慮せずに出ることができる。

(仮称)豊栄隧道

圧倒的にこちらからアプローチするのが楽。次に来るときはこちらからにしよう。

みなさん乙でした。

     ※     ※     ※

おまけ動画。



たぶん、まきき氏がそのうちにより高画質の動画を発表するはずなので、そちらもご期待のこと。



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全解説入試頻出英語標準問題1100―文法・語法・イディオム・会話表現の総整理 (大学受験スーパーゼミ)





大道橋

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【名称】大道橋(だいどうはし)
【所在地】夷隅郡大多喜町堀切
【竣工】1979(S54)年3月
【橋長】約20m(目測)
【幅員】約6m(目測)



2015年8月9日訪問

大道橋

いすみ鉄道と小湊鐡道の上総中野駅。この日はここからスタート。つい先日もここから一回りしたばかり。ホントは別のところに行くつもりだったのだが、家を出る時にメガネのレンズがポロリと外れてしまった。そこで、いすみにあるメガネ屋さんに行くことに。そのまま目的地をここに変更したのだった。

大道橋

また筒森方面に向かって、先日やり残したところに行こうかと思っていたのだが、国道に出た瞬間気が変わった。チャリを養老渓谷とは反対方向に向け、県道177号に入る。いすみ鉄道の堀切興津踏切を渡る。

大道橋

踏切を越えてカーブを過ぎるとすぐに橋が登場。普通に車で走っていると、ほとんど存在を意識しない橋だ。

いつもなら、「西側より」の写真を載せるところだが、どういうことか撮り忘れていた(^-^; 西側左の親柱。「大道橋」

大道橋

西側右の親柱。「板谷川」

板谷川は夷隅川水系西畑川の支流だ。

大道橋

東側より。

橋の上から川を見下ろす写真は省略。撮り忘れた訳ではないのだが、葉っぱだらけで訳がわからない出来なので(^-^;

大道橋

東側左の親柱。「だいどうはし」

大道橋

東側右の親柱。「昭和五十四年三月竣工」

     ※     ※     ※

大道橋

さて、普段ならここでサラバというところなのだが、枝道があるのに気づいた。

大道橋

道の先は墓地になっている。でも何かあるかもしれない。時間もあるのでちょっと行ってみることに。

大道橋

やっぱりただの行き止まりだよね(^-^;

大道橋

一応川に降りられるようになっていた。しかしここを降りるには長靴が必要だなぁ(^-^;




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ダイドードリンコ ダイドーブレンド ブレンドコーヒー 185g×30本



大橋

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【名称】大橋(おおはし)
【所在地】長生郡睦沢町佐貫
【竣工】1981(S56)年3月
【橋長】約10m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年5月3日訪問

大橋

睦沢町を流れる長楽寺川。一宮川水系埴生川の支流である。その右岸を上流方面に進んでいる。前方に見えるのが本日のお題の橋。

大橋

何の変哲もない普通の桁橋(^-^;

大橋

南側より。

大橋

南側左の銘板。「おおはし」

キタよ。大きくない大橋。かといって、ものすごく小さいくせに精一杯の見栄を張っているといういじらしさもない、若干中途半端な橋だなぁ(^-^;

でも、なぜこれが大橋なのか。少し古い資料を漁れば事情が見えてくるかもしれない…

大橋


さて、これは国土交通省が1975年1月に撮影した航空写真(CKT7413-C45C-17)を拡大加工したもの。

河川の改修とともに耕地整理が行われたのか、現在とだいぶ様子が違う。最も目を引くのはS字にカーブして長楽寺川を渡る東西の道。そして現在の場所に橋はなく、その代わりにここから下流に100メートル程の場所に橋があった。この現存しない橋、周囲の状況からして地域にとってかなり重要度の高い橋だったのではないだろうか。ってことは、ひょっとしたら、これが「旧」大橋だったりして?

まぁ、これ以上想像の話をしても仕方がないのだが、現在の大橋がその名を引き継いでいると考えると納得できたり?(^-^;

大橋

南側右の銘板。「昭和56年3月竣功」

大橋

橋の上から東の下流方面を望む。

大橋

西の上流方面。

大橋

北側より。

大橋

北側左の銘板。「大橋」

大橋

北側右の銘板。「長楽寺川」

大橋

西側より。



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大橋宗桂 vs. 本因坊算砂がもっと楽しくなる本




弘文洞跡

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【名称】弘文洞
【所在地】夷隅郡大多喜町小田代
【竣工】明治初期?
【延長】約10m(推測)
【幅員】約5m(推測)
【高さ】約15m(推測)



2015年6月14日訪問

弘文洞跡

大多喜町葛藤の向山トンネルの東側にて。現在地はココ(←クリック)

弘文洞跡

以前も紹介したことがあるし、そもそも千葉の有名トンネルのひとつなので説明は不要だろうが、一応念のために…

こちらから見ると向こうの坑口が素掘りの三角形に見えるが、なぜかその下にライトが点灯している。これは旧坑口の下に新しい坑口を掘削したから。

弘文洞跡

そして、近づくとこのような独特の姿となっている。なお、下にある新しく掘削された部分は共榮トンネルという別の名前になっているようだ。

今回、この記事を書こうと思って、お題の弘文洞を検索したところ、Youtubeに40年前の動画がアップロードされているのを見つけた。その冒頭にこのトンネルも写っているのだが、なんと昔はこの旧坑口の下に扁額らしきものが設置されていたようだ。

弘文洞跡

さて、隧道を過ぎ、その先にある養老川に架かる共榮橋の上から下流方面を見たところ。左岸に遊歩道がある。

弘文洞跡

遊歩道の入口。「弘文洞跡入口」の看板もある。ところで、そろそろお題の弘文洞について説明しよう。

弘文洞とは、今から140年ほど前(明治初期?)に作られた川廻しの水路隧道である。川廻しというの房総によく見られる人工的な地形で、蛇行する川の途中をショートカットするように新たな水路を作り、結果残された水の流れなくなった旧河床を農地や放牧地などに転用するというもの。房総のあちこちでその痕跡を見ることができる。

川が蛇行しているということは、それをショートカットする部分は小高い山であることが多い。そのため、川廻しの新水路は隧道が掘られるケースが多い。この弘文洞は夕木川(蕪来川)が養老川に合流する地点に掘られた水路隧道で、元々の合流点はもう少し下流側にあったようだ。

さて、跡というのは、現在では隧道が存在しないから。1979(S54)年5月24日に天井が崩落してしまい、今では切り通し状になっている。

弘文洞跡

さて、遊歩道に進む。

弘文洞跡

200メートルほど進むと、川にU字溝をひっくり返したように見えるものが置かれているのが見えてきた。あそこで対岸に渡ることになる。

弘文洞跡

U字溝だなんて言って失礼。こりゃ、川を渡るための専用のものですな。何て呼ぶのかわからないのだけど(^-^;

弘文洞跡

右岸の遊歩道。もうそろそろ見えてくるはずだ。

弘文洞跡

おっ、見えた。あれだ!

弘文洞跡

遊歩道からだとちょっと見えにくかったので、川べりに降りてみた。

弘文洞跡

おおっ、こりゃいいねぇ。崩れてしまったけど、この景観もなかなかじゃないか。写真はパノラマ合成。

それから、この弘文洞の名前の由来だが、これは飛鳥時代の第39代天皇・弘文天皇に由来するそうだ。弘文天皇と言ってもピンと来ない人が多いと思うのだが、天智天皇の没後に起こった壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)に破れ自害した大友皇子と言えばわかるはず。もしもわからないようなら、中学校時代に社会の勉強をサボっていたことになる(笑)

一般的には弘文天皇は滋賀で自害したということになっているが、小櫃川の支流・御腹川は弘文天皇がここで腹を切って自害したという言い伝えがあるし、弘文天皇妃・十市皇女が千葉に落ち延びたという伝説もあるらしい。

弘文洞跡

小櫃川のように、この養老川の河床もナメ床になっているようだ。長靴があれば楽に対岸に渡れそう。

弘文洞跡

上流方面

弘文洞跡

下流方面。

弘文洞跡

最後にもう一枚、正面から。



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現代思想-2015年3月臨時増刊号-総特集◎宇沢弘文--人間のための経済


新川橋、上新川橋

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【名称】新川橋()
【所在地】長生郡白子町南日当
【竣工】1977(S52)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約8m(目測)



2015年5月24日訪問

新川橋など

白子町南日当、千葉県道31号茂原白子線(もばらしらこせん)にて。南白亀川の支流・新川に架かる橋。東側より。

新川橋など

賑やかなバイクのにーちゃん達が通り過ぎていった。いわゆるチバラキ名物で、我が家の前の通りにも時々出現したりする(^-^;

新川橋など

東側左の銘板。「新川橋」

新川橋など

東側右の銘板。「新川」

新川橋など

橋の上から北の下流方面を望む。

新川橋など

南の上流方面。

新川橋など

西側より。

新川橋など

西側左の銘板。「しんかわはし」

新川橋など

ガードレールの先端がグワッと曲がっている。ぶつかった車でもあったのかな?

新川橋など

西側右の銘板。「昭和52年3月竣工」

新川橋など

橋の南側にはライフラインが通っている。

     ※     ※     ※

【名称】上新川橋
【所在地】長生郡白子町南日当/関
【竣工】不明
【延長】約10m(目測)
【幅員】約6m(目測)



2015年5月24日訪問

新川橋など

さて、新川橋を後にして、その東の南日当交差点を左折、南下する。川の名前(新川)を冠したラーメン屋さんがあった。

新川橋など

その先にある橋。現地では銘板がなくて名前を知ることができなかったが、管内図に名前が載っていた。上新川橋という。

新川橋など

橋の上から東の下流方面を望む。

新川橋など

西の上流方面。

新川橋など

南側より。

新川沿いに少し進んでみたのだが、失礼ながら、ちょっと面白みに欠けたので、ここで引き返して当初の目的、もう一本上流側にある支流の赤目川を目指すことにした(^-^;



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<デジタル週プレ写真集> 新川優愛「美しすぎる彼女に一目惚れ」



小沢谷隧道

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【名称】小沢谷隧道(おざわやつずいどう)
【所在地】いすみ市小沢/下布施
【竣工】1975(S50)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】45m(同上)
【幅員】4.6m(同上)
【高さ】3.9m(同上)



2015年7月26日訪問

小沢谷隧道

いすみ市小沢にて。現在地はココ(←クリック) 西を向いている。

地図を見ると、道が2本平行に走っているので、どうなっているのかと思ったのだが、何のことはない、ただ車道と農地の作業道が平行しているだけだった(^-^;

小沢谷隧道

そのまま西へ進む。左の作業道もけっこう頑張っているw

小沢谷隧道

やがて周囲は植林地に。山の中へ分け入るような雰囲気だが、特に坂を登るわけでもないので楽ちんだ。

小沢谷隧道

正面の作業小屋が見えてきたら、そろそろ心の準備を。

小沢谷隧道

はい、隧道の登場。

小沢谷隧道

東側より。

小沢谷隧道

東側坑口。

小沢谷隧道

東側の扁額。「小沢谷隧道」

小沢谷隧道

東側坑口から内部を望む。

小沢谷隧道

内部から見た東側坑口。

小沢谷隧道

ここに来るまで暑くて汗だくだったが、隧道の中は涼しくて快適。隧道の手前でブンブンと周りを飛び回っていた虫もなぜか隧道の中にはついてこない。ということで、撮影した後もグズグズと長居してしまった(^-^;

小沢谷隧道

内部はコンクリ吹きつけ。

「平成16年度道路施設現況調査」によれば、昭和50年度の建設となっているが、もちろん(笑)それはオリジナルの建設時期ではないようだ。今昔マップを見ると、昭和19年部修・昭和22年7月30日発行の地形図には、こことこの西にある隧道が描かれている。明治末の地形図にはないので、大正(ひょっとしたらギリギリ明治末)~昭和初期に竣工したのだろう。

小沢谷隧道

短い隧道なのですぐに通り抜けてしまう。内部から見た西側坑口。

小沢谷隧道

西側も小さな掘り割りになっている。その先はT字路。

小沢谷隧道

西側坑口。

小沢谷隧道

西側の扁額。「おざわやつずいどう」

小沢谷隧道

西側坑口から内部を望む。

小沢谷隧道

少し離れて、西側よりもう一枚。

     ※     ※     ※

おまけ動画。



いつも、動画はサブで持っているコンデジを使っているのだけど、やっぱり画質がいまいちだよなぁ。これからは動画もメインのEOSで撮ることにしようかな…



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小沢一郎 淋しき家族の肖像



美浜橋

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【名称】美浜橋
【所在地】中郡二宮町山西
【竣工】1997(H9)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年2月22日訪問

美浜橋

二宮町山西、現在地はココ(←クリック) 路傍に小さな石碑が。

美浜橋

道祖神だろうか?お供えされているのはスミルノフ(^-^;

美浜橋

50メートル程南に進むと、海水浴場の入口に。公衆トイレの奥に水路がある。

美浜橋

これは東海道本線の築堤から暗渠化されている梅沢川が河口近くで再び姿を現したもの。

美浜橋

そして河口近くに小さな橋が架かっていた。奥に見える巨大な橋梁は西湘バイパスのもの。

美浜橋

西側より。

美浜橋

これは親柱になるのだろうか?「美浜橋」

美浜橋

南側より。おや、銘板があるぞ。

美浜橋

「美浜橋/1997年3月/道示(1993)A活荷重/形式:単純PCプレテンホロースラブ橋」

美浜橋

高欄の一番上の手すり部分のみ木製。
美浜橋

木の方が手触りがよいからとか?

美浜橋

橋の上から北の上流方面を望む。

美浜橋

南の下流方面。すぐ目の前に相模湾が広がる。

美浜橋

季節はずれなのに賑わっているかのように見えるのだが、全員おいらと一緒の集団(^-^;

美浜橋

東側より。

美浜橋

北側より。



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原発事故と「安全神話」―美浜・チェルノブイリの教訓



(仮称)鵜原駅隧道

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【名称】不明
【所在地】勝浦市鵜原
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約2m(目測)



2015年6月28日訪問

(仮称)鵜原駅隧道

勝浦市鵜原、国道128号の脇にて。現在地はココ(←クリック) 8時の方角を向いている。正面に見えるのは寺の谷隧道だが、これから向かうのはその手前、おそば屋さんの奥にある道の先にある。

(仮称)鵜原駅隧道

いきなり荒れてそうな予感の道ですな(^-^; 右のゲートはその奥にある別荘らしき建物のもの。

(仮称)鵜原駅隧道

しかし、その別荘、いかにも長年放置されているという雰囲気。昔は瀟洒な別荘だったのだろうが、今は廃墟一歩手前という風情(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

でも、道路趣味者的にはこういう道ってのは楽しい。

(仮称)鵜原駅隧道

おっ、正面にそれらしきモノが見えてきた!

(仮称)鵜原駅隧道

ここで分岐が。記憶になかったので少し驚いたけど、地図を見るとしっかり載っていた。帰りに寄ってみたのだが、ドンツキに廃墟っぽい建物があっただけ(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

左を見ると線路。実は外房線の鵜原駅まで直線距離で50メートルぐらいしかない。あくまで直線距離でね(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

さて、いよいよ隧道へ。

(仮称)鵜原駅隧道

東側坑口。

(仮称)鵜原駅隧道

坑口の脇に「日米会話学院 うばら荘」という表札?看板?があった。

(仮称)鵜原駅隧道

東側坑口から内部を望む。隧道の内部には屋根が設けられている。

こういう隧道、ごくまれに見かけることがあるが、目的はもちろん、内部の落石避け、つまりロックシェッドということなのだろう(^-^; 相当崩れやすい地質なのかな(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

それにしても、この落石避け、かなりくたびれているなぁ(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

すでにボロボロ(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

でも、落石よけが威力を発揮したのか、一応落っこちた岩は脇に転がってくれたようだ(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

内部から見た東側坑口。

(仮称)鵜原駅隧道

道路趣味的観点からはこの屋根、隧道の際立つ個性となってはいるのだが、ない方が風情があるよなぁ。でも頭が相当に涼しくなりそうだけど(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

こっちではヘルメットも破壊しそうな大きい岩を支えているし(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

屋根にも載っかっている(^-^;

(仮称)鵜原駅隧道

西側坑口近くの屋根はズタボロ。腐食のためなのか物理的に破壊されたものなのか(^-^;

廃隧道は楽しいのだけど、廃墟っぽい姿ってあまり好きじゃないんだよなぁ。。。( ;´Д`) ってことで、せっかくの素掘り隧道だけど、おいらの印象はいまいち(^-^; もっともこんな廃墟のようになった屋根でもこれがあるおかげで一応安心して(?)通ることができるのだけど。

(仮称)鵜原駅隧道

内部から見た西側坑口。

(仮称)鵜原駅隧道

隧道を出ると一件の建物が。さきほどの日米会話学院うばら荘だろうか。英会話学校の研修所なのかな?でも現在では使われていない様子。

(仮称)鵜原駅隧道

西側坑口。

(仮称)鵜原駅隧道

西側坑口から内部を望む。

(仮称)鵜原駅隧道

写真には撮っていないが(下の動画には写っている)坑口のすぐ左に階段があった。建物はないものの階段の上も造成地になっているようだ。

この付近一帯、今では半ば廃墟化した建物しかないが、もともとはしゃれた海近くの別荘地として造成されたのではないだろうか?

海岸までたったの500メートル!!(直線距離)

「駅から50m!!」(直線距離)

とかってコピーをつけて小さなデベロッパーが売り出したのだろうか?

そんなコピーに惹かれて別荘地を購入。「こりゃ、水着で海に行けるなぁ、ワクワクするねぇ~」なんて具合で、別荘を建ててみたものの、実は海岸に行くには、ウルサイ車がブンブン走る国道(下の動画を見ていただければわかるが、国道からの騒音が結構激しい)を通って大きく迂回しなけりゃならないし、駅も近くない。それに海は全然見えないし、、、 なんてことで結局使われなくなってしまったのではないかと想像してみた。

勝浦や御宿の周辺を散策していると、雑草に埋まった別荘風の建物を見かけることがある。楽しい別荘ライフのなれの果ての姿のように思えて哀れ…

     ※     ※     ※

おまけ動画。今回は画質いいよ!( ̄ー ̄)ニヤリ





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鵜原抄―詩集 (1966年)





第二中町橋

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【名称】第二中町橋(だいになかまちばし)
【所在地】茂原市渋谷
【竣工】不明(2012年頃?)
【延長】約5m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年1月25日訪問

第二中町橋

一宮川水系阿久川の支流、準用河川・西谷川の右岸にて。現在地はココ(←クリック) 籾田橋を後にして、南の下流方面に向かっている。

第二中町橋

次の橋、籾田橋と同じく3年前に来たときは扁額がなかった(ので記事にもしていなかった)。しかし、なんと今回は付いているじゃないか。

第二中町橋

北側より。

この時は農閑期(1月)だったので水位は低め。擁壁に水が多いときの

第二中町橋

北側の扁額。「だいになかまちばし」

第二中町橋

隣には小さな水路橋もある。トラス状に補強されてるぞ(゚д゚)ハッ!!

第二中町橋

西側より。

第二中町橋

橋の上から北の上流方面を望む。

第二中町橋

南の下流方面。

第二中町橋

東側より。

第二中町橋

南側より。

第二中町橋

南側の扁額。「第二中町橋」



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週末江戸下町遊覧―神楽坂/神田神保町/門前仲町/千住/浅草 (散歩の達人テーマ版MOOK)



姥神橋

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【名称】姥神橋(うばがみはし)
【所在地】長生郡睦沢町佐貫
【竣工】1981(S56)年3月
【橋長】約10m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年5月3日訪問

姥神橋

睦沢町を流れる一宮川水系埴生川の支流・長楽寺川。その右岸を上流方面に進んでいる。

姥神橋

訪問時は5月に入ったばかり。水田の稲もまだ小さい。しかし睦沢もそろそろ稲刈りのシーズンだ。知人の睦沢の実家も今週から稲刈りを始めるらしい。

姥神橋

坂を下った先に橋がある。まぁ、特徴のない橋だけど(^-^; 気合い入っている風に構図を傾けてみたけど、それも試してみただけ(^-^;

姥神橋

隣の大橋と同じような平凡な橋だ。南側より。

姥神橋

南側左の銘板。「うばがみはし」

ん!名前がちょっとユニーク。隣(下流側)の平凡で小さな「大橋」に続いてちょっと目を引く名前キター。レア度下から2番目ぐらいのね(^-^;

名前の由来は付近の小字「上姥神」「下姥神」だろう。

姥神橋

南側右の銘板。「昭和56年3月竣功」 隣の大橋と同時期に竣功している。

姥神橋

橋の上から東の下流方面を望む。

姥神橋

西の上流方面。

姥神橋

北側より。

姥神橋

北側左の銘板。「姥神橋」

姥神橋

北側右の銘板。「長楽寺川」



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江差・姥神大神宮渡御祭




久半谷隧道

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【名称】久半谷隧道(きゅうはんやつずいどう)
【所在地】夷隅郡大多喜町大多喜
【竣工】1984(S59)~1987(S62)年頃?
【延長】約50m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約4m(目測)



2015年8月16日訪問
前回(2013年6月23日)

久半谷隧道

大多喜県民の森・第二駐車場。ここに車を停めて出発。

いかにも谷津のどん詰まりという雰囲気なのだが…

久半谷隧道

実はその奥に隧道があったりする。

久半谷隧道

東側坑口。

なお、ここは林道泉水西部田線に指定されている。たしか、以前はここは久半谷線だったはずなのだが、変更されたのかしら?

久半谷隧道

東側の扁額。「きゅうはんやつトンネル」

久半谷隧道

東側坑口から内部を望む。

久半谷隧道

内部から見た東側坑口。

久半谷隧道

林道であるゆえか、いつもの「平成16年度道路施設現況調査」にはこの隧道のデータは記載されていない。ということで、建設時期などはよくわからなかった。ただ、千葉県治山林道協会のウェブサイトによれば、この隧道のある区間(旧林道久半谷線?)が建設されたのは昭和59~62年度にかけてとのこと。ということは、隧道もその頃に建設されたということになるのだろうか?元々あった道や隧道を改良した可能性もあるが、今昔マップの昭和57年発行の地形図にはこの道は描かれていない。でも、内壁の具合を見るともう少し古い隧道のようにも見えるし、でも、林道の隧道は平成20年代のものでも吹きつけのものもある(新靑崩隧道)しーーー。ぶっちゃけ、どうなんだろう?(^-^;

さーてー、それから、前方に見えるリング状に光っているものが気になるのだが、あれは何だろう?

久半谷隧道

リング状に光るものの正体は内壁を補強するバンドのようなものだった。「状に」とか「ようなもの」と微妙な表現しかできない知識不足が恥ずかしいなぁ(^-^;

久半谷隧道

天井からポタポタと落ちるしずくの元を辿ると、どうやら写真中央の茶色く錆びたアンカー付近のようだ。前回来たときの写真を見返しても水が垂れているので、どうやらここは慢性的に出水しているようだ。なんだか、内部で空洞が出来てそう… ある日突然、ズザーーーッっと吹きつけが崩れてきたらイヤだなぁ( ;´Д`)

久半谷隧道

隧道内にある照明はこのひとつのみ。しかも点灯していなかった。

久半谷隧道

西側へ抜ける。

久半谷隧道

西側坑口。

久半谷隧道

西側坑口。

久半谷隧道

西側の扁額。「久半谷隧道」

東側は、「きゅはんやつ『トンネル』」だったが、こちらは『隧道』 別に表記のブレを非難する気はないのだが、軽く突っ込み入れてみた(笑)

久半谷隧道

西側より。

久半谷隧道

隧道の西も駐車場になっている。そしてその先はキャンプ場。

     ※     ※     ※

おまけ動画





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お肉屋さんのハンバーグ ≪米久のハンバーグ≫




新瀬又橋、瀬又橋

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【名称】新瀬又橋(しんせまたばし)
【所在地】市原市瀬又
【竣工】1993(H5)年5月
【橋長】約30m(目測)
【幅員】約8m(目測)



2014年8月17日訪問

新瀬又橋、瀬又橋

千葉県道128号日吉誉田停車場線(ひよしほんだていしゃじょうせん)、瀬又交差点の南側にて。北を向いている。

新瀬又橋、瀬又橋

二級河川村田川に架かる橋。南側より。

新瀬又橋、瀬又橋

南側左の親柱。「新瀬又橋」

新瀬又橋、瀬又橋

南側右の親柱。「二級河川 村田川」

新瀬又橋、瀬又橋

橋の上から東の上流方面を望む。

新瀬又橋、瀬又橋

西の下流方面。隣の橋が見える。

新瀬又橋、瀬又橋

北側より。

新瀬又橋、瀬又橋

北側左の親柱。「しんせまたばし」

新瀬又橋、瀬又橋

北側右の親柱。「平成5年5月」

     ※     ※     ※

【名称】瀬又橋(せまたはし)
【所在地】市原市瀬又
【竣工】1993(H5)年5月
【橋長】約30m(目測)
【幅員】約5m(目測)



2014年8月17日訪問

新瀬又橋、瀬又橋

さて、今度は隣の橋へ。

新瀬又橋、瀬又橋

南側より。

新瀬又橋、瀬又橋

橋の袂ではクマさん親子が遊んでいた(笑)

新瀬又橋、瀬又橋

南側左の親柱。「瀬又橋」

新瀬又橋、瀬又橋

南側右の親柱。「二級河川 村田川」

新瀬又橋、瀬又橋

橋の上から東の上流方面を望む。

新瀬又橋、瀬又橋

西の下流方面。

新瀬又橋、瀬又橋

北側より。

新瀬又橋、瀬又橋

北側左の親柱。「せまたはし」

新瀬又橋、瀬又橋

北側右の親柱。「平成六年五月」

なんと、意外なことに竣功したのは新瀬又橋と一緒。でもこっちの方がくたびれているように見えるんだよなぁ。しょっとしたら、新瀬又橋は塗装の塗り直しなどを施しているのだが、こっちは竣功以来放置なのかも?

それよりも、新と旧が同時に竣功しているのが普通ではありえないことでは?(^-^; これって、平成5年の掛け替えは護岸工事か何かによるもので、それ以前にも現在と同じ名前の2本の橋が並んでいたからなのかもしれない。

新瀬又橋、瀬又橋

西側より。



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多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者




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(仮称)宮谷3号隧道

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【名称】不明
【所在地】大網白里市大網
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明



2015年5月17日訪問

(仮称)宮谷3号隧道

大網白里市大網、現在地はココ(←クリック) 北を向いている。

今でこそ、こんなショボイ道なのだが、明治維新の1869年から1871年の間設置された宮谷(みやざく)県の県庁がこの通りを50メートル程南下した本国寺に設置されていた。

つーまーりー、ここは150年前の官庁街のなれの果てだったりする(^-^; それから、この先、今は行き止まりとなっているのだが、かつては隧道があった

それから、この左(東)にももうひとつ隧道があったのだ。

(仮称)宮谷3号隧道

これは近くの日立航空機・大網工場跡(対戦末期に建設された地下軍需工場)の手前にある案内板の地図。

これには、現在の普通の地図には載っていない地図がボコボコと載っている(^-^; この案内板に載っているということは、同工場関係で掘削された隧道なのだろうか? 赤丸が本日のお題。そして、(仮称)宮谷1号隧道2号隧道は以前、別の日に訪問済み。

本日の隧道もその時に少しだけ探そうとしたのだが、植生が激しくなり出した時期だったので、同行していたまきき氏と、「また今度にしよう」と言っていたのだ。結局同じような時期に来ているのだけど(^-^;

(仮称)宮谷3号隧道

さて、ターゲットはこの奥、のはずだが…

ぶっちゃけ、おいら一人(orプラスまきき氏)だったら、やっぱり引き返していたかも(^-^; しかしこの日は写真には写っていないが、強力な助っ人が何人もいたのだ(・∀・)ニヤニヤ

まず、のだの人氏があっという間に藪の中に入り込んでいた。おいらはというと、「どこからら入ろうかなぁ…」と付近をウロウロ(^-^; すると、同氏の声が。。

「あー、隧道、あるようなないような…」

えっ、痕跡を発見!?( ゚д゚)ハッ!

(仮称)宮谷3号隧道

こうなったら覚悟を決めて、、ということで、藪にまっすぐ突撃。

進んだ先は竹やぶだった。写真では解りにくいが、現地に立てば、同業者ならひと目で気づくはず。掘割りだ!!

(仮称)宮谷3号隧道

掘割りの先の斜面。これは後で撮ったものなので、誰も写っていないのだが、この先の斜面にのだの人氏が張り付いて地面を覗きこんでいた。

同氏によれば、小さな隙間があるのだが、中を覗くと奥に続いているようだ、とのこと。

(仮称)宮谷3号隧道

さて、次はきへい氏の登場。普段から行っている地下壕の清掃活動で鍛えられた技を活かして、サクサクと周囲の土を撤去し始めてくれた。

おいらは関心しながら見ているだけ(^-^;

(仮称)宮谷3号隧道

そして再び、のだの人氏が。

小さな穴に頭(とカメラ)を突っ込む。頭が地面の中に埋まり、足をじたばたさせて竹に絡みつかせたり、まるで空からまっすぐに落ちてきて頭を地面に突っ込ませちゃった、というマンガのようなシーンだが、これは必然的な姿だったりする。

(仮称)宮谷3号隧道

そして、おいらも穴の中を覗き込む。カメラをこれ以上奥に突っ込む事が無理なのでちょっと解りにくいと思うのだが、やはりこれは隧道を埋め戻した跡のようだ。狭い空間が奥まで伸びている。こういう時はコンデジじゃなきゃうまく撮れないよなぁ。。。

ちなみに、ここを覗いている時、おいらも半分ひっくり返りながら足を竹に巻きつけていた。そうしないと身動きが取れなくなってしまいそうなのだ。のだの人氏がネタでジタバタしていた訳ではないということを理解した瞬間だった(^-^;

(仮称)宮谷3号隧道

さて、次は西側がどうなっているのかが気になるところ。すると、いつの間に行ったのか、のだの人氏が上から降りてきた。

どうやら、微妙な穴がある、とのこと。う~ん、どういう事だろう。でも、さっきも控えめな表現をしていたし、こりゃひょっとして、スゲーものがあるのか?

というとこで、尾根を越えて西側に降りてきたところ。竹やぶの先に造成地の舗装路が見える。

(仮称)宮谷3号隧道

キョロキョロすると、、、確かにあった。何というか、陥没した穴のような姿だけど…

(仮称)宮谷3号隧道

位置的には、先ほどの東側坑口から西に掘り進めた位置になるようだが…

(仮称)宮谷3号隧道

これが隧道の痕跡かと言われると…

びーみょー (;´д`)

(仮称)宮谷3号隧道

さて、再び東側に戻ってみると、更に、マツ氏の伐採作業(道具提供maya氏)作業の成果でより坑口前の状態が改善されていた。すばらしい!

(仮称)宮谷3号隧道

再びのだの人氏。

それにしても、今回は多くの人のご協力で隧道の存在を確認できた。おそらくオイラ一人では何もできなかったのではないか(^-^; 言い出しっぺのくせに、結局、みなさんにおんぶに抱っこになってしまった。でも、以前から気になっていた事が解決して大満足。

みなさま、大変お世話になりました。ありがとうございました。



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大井戸橋、新橋

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【名称】大井戸橋(おほいどばし)
【所在地】香取郡多古町西古内
【竣工】1956(S31)年3月
【橋長】31.97m(「多古町・橋梁点検結果総括表」より)
【幅員】1.8m(同上)



2015年7月19日訪問
前回(2014年4月27日)
前々回(2012年6月10日)
その前(2011年5月1日)
そのまた前(2011年2月6日)

大井戸橋、新橋

多古町西古内、栗山川の右岸を上流方面に向かっている。

大井戸橋、新橋

多古米と言えばブランド米で有名。水田毎に育ち方が違うのか色が違う。例年8月末~9月初めに収穫しているので、今頃は稲刈りの準備をしているのかな?

大井戸橋、新橋

この時はまだポンプが活躍していた。

大井戸橋、新橋

現在地はココ(←クリック) 栗山川大橋が見えてきた。

大井戸橋、新橋

ここに震災で壊れて撤去された細町橋があった。

大井戸橋、新橋

栗山川大橋の隣に廃橋がある。大井戸橋だ。

大井戸橋、新橋

前回来たときとあまり様子は変わっていない。季節柄か植生は濃くなっているけど。西側より。

大井戸橋、新橋

西側右の親柱。「おほいどばし」

大井戸橋、新橋

隣に立派な橋があるので、この橋は完全に役目を終えている。それでも、震災以前は普通に開放されていた。

大井戸橋、新橋

しかし、震災で橋桁がこんなにズレてしまった(^-^; 以来、通行止め。かといって解体される訳でもなくその姿を晒している。

ビクビクしながらも、つい渡っちゃうんだよなぁ(^-^;

大井戸橋、新橋

橋の上から南の下流方面を望む。

大井戸橋、新橋

北の上流方面。

大井戸橋、新橋

東側より。

大井戸橋、新橋

東側右の親柱。「大井戸橋」

大井戸橋、新橋

東側左の親柱。「昭和三十一年三月竣工」

大井戸橋、新橋

西側左の親柱。「昭和参拾壱年参月竣工」

     ※     ※     ※

【名称】新橋
【所在地】香取郡多古町次浦
【竣工】1963(S38)年3月
【延長】30.0m(「平成23年度多古町橋梁長寿命化修繕計画・概要版」より)
【幅員】3.6m(同上)



2015年7月19日訪問
前回(2014年4月27日)
前々回(2012年6月10日)
その前(2011年2月6日)

大井戸橋、新橋

大井戸橋を後にして上流方面に進行再開。

大井戸橋、新橋

次の橋。車道橋故か、中久橋と同様に改修を受けていた。

大井戸橋、新橋

西側より。高欄の仕様が中久橋とちょっと違うようだ。施工業者か時期が違うのかな?

大井戸橋、新橋

西側右の親柱。「新橋」

親柱の扁額は4枚とも新しいものになっていた。

大井戸橋、新橋

西側左の親柱。「昭和三十八年三月竣工」

大井戸橋、新橋

交通量もさほど多いという訳ではないので、これで当分は頑張ってくれるだろう。

大井戸橋、新橋

橋の上から南の下流方面を望む。

大井戸橋、新橋

屋形船?が係留されていた。

大井戸橋、新橋

北の上流方面。

大井戸橋、新橋

東側より。

大井戸橋、新橋

東側右の親柱。「新橋」

大井戸橋、新橋

東側左の親柱。「昭和三十八年三月竣工」

大井戸橋、新橋

北側より。



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大江戸BlackSmith




中三原隧道跡

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【名称】中三原隧道(なかみはらずいどう)
【所在地】南房総市和田町中三原
【竣工】1934(S9)年(「隧道データベース」より)
【延長】30.5m(同上)
【幅員】5m(同上)
【高さ】3.5m(同上)
【撤去】1995(H7)年(同上)



2015年4月19日訪問

中三原隧道跡

南房総市和田町中三原、千葉県道296号和田丸山館山線(わだまるやまたてやません)にて。現在地はココ(←クリック) 東を向いている。

中三原隧道跡

交差点を右折すると県道186号南三原停車場丸線(みなみはらていしゃじょうまるせん)。その先に切り通しがある。ここにかつて隧道があった。

中三原隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

いつものように今昔マップを見てみよう。左は昭和56年修正・昭和56年12月28日発行の地形図。右は現在の国土交通省発行の地形図。

中三原隧道跡

次は国土交通省が1974年12月31日に撮影した航空写真(CKT7414-C29-15)を拡大加工したものを。

1990年8月15日撮影のもの(KT901X-C9-8)までははっきりと写っているが、1995年10月27日撮影のもの(KT952X-C9-9)では隧道の上の木がグシャグシャとなっていてよくわからない。

隧道データベースには1995(平成7)年撤去と記されている。

中三原隧道跡

この切り通しにも道切りの草鞋が掲げられていた。この草鞋の素性についての推測は寺谷トンネルの記事を参照のこと。

中三原隧道跡

さて、隧道跡へ。

中三原隧道跡

向かって右の法面。

中三原隧道跡

左の法面。

中三原隧道跡

切り通しの南側には石仏があった。

中三原隧道跡

石仏が3体。

中三原隧道跡

切り通しを南側より。

中三原隧道跡

南側にも草鞋が掲げられていた。



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中原誠名局集



鬼御座隧道

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【名称】鬼御座隧道(おにござずいどう)
【所在地】勝浦市上植野
【竣工】不明
【延長】約70m(目測)
【幅員】約3m(目測)
【高さ】約4m(目測)



2014年2月16日訪問

鬼御座隧道

勝浦ダムの堤体から南に進んだところ。現在地はココ(←クリック) 正面からチロチロと水が流れてくる。

鬼御座隧道

流れてきた水の源はこの雪。訪問日の数日前に降った大雪が残っていた。ダムの堤体付近にはほどんど雪が残っていなかったのに、少し日陰ではだいぶ雪が残っていた。

実は県道を北上した峠の北側(君津、大多喜町方面)はこんなものではなくて、国道が通行止めになっていたり、県道が倒木で通行止め(その1その2)になっていたり、駅が真っ白だったりと大変なことになっていた。

おいらの自宅周辺は全く雪が残っておらず、家を出た時は普通に散策するつもりだった。ところが東金ICから圏央道に乗ったところ、ふたつめの茂原長南ICで降ろされてしまい、「圏央道ショボっ、ツカエネー道だな」なんて思ったのだが、進むにつれて増える残雪に驚いた。

鬼御座隧道

分岐が現れた。

鬼御座隧道

左は林道内浦山線。

鬼御座隧道

目的の隧道は右の道の先にある。

鬼御座隧道

ところが分岐を過ぎるとすぐにゲートが現れる。ここから先、車両通行止めとのこと。ただ、立入禁止ではないようなので、チャリを担ぎ上げてゲートを越える。あ、チャリも車両なんだっけ? ま、まぁ、そこは多目にみてもらって… (^-^;

鬼御座隧道

ゲートの先はゆるやかな下り道。快調にチャリを飛ばす。

鬼御座隧道

が、またしても前方に雪が…

鬼御座隧道

溶けかけとはいえ、一応ヴァージン・スノー。チャリで轍を刻みながら進むのも楽しい。

鬼御座隧道

が、車輪が雪に埋まってしまい進むのが大変になってきた。ここでチャリには待機してもらうことに(^-^;

鬼御座隧道

あ、森の仲間たちの足あとだ(^-^;

鬼御座隧道

あまり靴を濡らしたくなかったので、下を向いて気をつけながら進むと、いつの間にか前方に目的の隧道が現れた。

鬼御座隧道

どういう訳なのか、隧道の手前には雪がほとんど残っていなかった。現地ではそんなものなのかと思っていたのだが、今にして思えば不思議。隧道を吹き抜ける風のせいで蒸発したのか?とも考えたが、隧道の上や左右にもほとんど雪が残っていないし… 実は時間帯によってはやたらと日当たりがいい場所だったりするのかな?

東側より。

鬼御座隧道

来た方向に振り返る。

鬼御座隧道

東側坑口。

立派な隧道だ。しかし、土被りが薄い(^-^;

鬼御座隧道

縦長の断面。林道でよく見かける縦長の断面。元々あった隧道を掘り下げたのだろうか?それとも必要があって(伐採した木の搬出など)こうなったのだろうか?

鬼御座隧道

東側の扁額。「鬼御座隧道」

鬼御座隧道

東側坑口から内部を望む。

鬼御座隧道

内部から見た東側坑口。

鬼御座隧道

内部はコルゲート補強済み。

あまりよく覚えていないのだが、動画を再生してみると風切音が盛大に入っていたので内部は風がだいぶ強かったのかもしれない。

鬼御座隧道

西側に抜ける。

鬼御座隧道

西側には雪が残っていた。

鬼御座隧道

西側坑口。

鬼御座隧道

西側の扁額k。「おにござずいどう」

鬼御座隧道

西側坑口から内部を望む。

鬼御座隧道

なんだか、右側の内壁、内側から膨張しているように見えるのだけど、大丈夫かな?(^-^;

鬼御座隧道

西側の道はすぐに倒木で遮られていた。この先にダム湖に架かる橋があるはずだが、まぁ、無理に進む程のものでもないだろう(^-^; 素直に引き返すことに。

鬼御座隧道

最後にもう一枚、西側より。

     ※     ※     ※

おまけ動画。

風切音がうるさいのでボリュームに注意(^-^;





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西大橋

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【名称】西大橋(にしおおはし)
【所在地】香取市下小堀
【竣工】1963(S38)年2月
【延長】約15m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2014年5月4日訪問

西大橋

千葉県香取市小見川の田園地帯。西橋を後にして次の橋に向かう。

西大橋

南側より。

西大橋

袂から。

この水路は東西を貫くものの中で一番広い。

西大橋

南側右の親柱。「西大橋」

西大橋

南側左の親柱。「昭和三十八年二月竣工」

西大橋

橋の上から東を望む。

西大橋

ズームすると、東大橋が見える。

西大橋

西の景色。

西大橋

北側より。

西大橋

北側右の親柱。「にしおおはし」

西大橋

北側左の親柱。「昭和三十八年二月竣工」

西大橋

西側より。



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一休橋、細田橋

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【名称】一休橋
【所在地】南房総市大井
【竣工】1957(S32)年3月
【橋長】約5m(目測)
【幅員】約5m(目測)



2015年8月23日訪問

一休橋、細田橋

南房総市大井、国道410号にて。現在地はココ(←クリック)

右の歩道で区切られた先に旧道が見える。

一休橋、細田橋

20メートル程南に旧道への入口がある。

一休橋、細田橋

旧道に入ってすぐ、右(北)を向くと小さな橋があった。

南側より。

一休橋、細田橋

南側右の親柱。「一休橋」

一休橋、細田橋

南側左の親柱。「昭和三十二年三月竣功」

一休橋、細田橋

北側より。

一休橋、細田橋

北側右の親柱。「一休橋」

一休橋、細田橋

北側左の親柱。「昭和三十二年三月竣功」

     ※     ※     ※

【名称】細田橋(ほそだばし)
【所在地】南房総市大井
【竣工】1962(S37)年3月
【橋長】約15m(目測)
【幅員】約5m(目測)



2015年8月23日訪問

一休橋、細田橋

さて、一休橋の南にもう一本。こちらはちゃんとした川に架かる橋があった。

実はたまたま、この橋が目について引き返したのだった。

北側より。

一休橋、細田橋

北側右の親柱。「細田橋」

一休橋、細田橋

北側左の親柱。「昭和37年3月竣功」

一休橋、細田橋

欄干のスタイルは典型的な昭和30年代の橋のものかと。

一休橋、細田橋

橋の上から北の上流方面を望む。

一休橋、細田橋

南の下流方面。この先にこの川を水源とする安房中央ダムがある。

一休橋、細田橋

現道方面を。

一休橋、細田橋

南側より。

一休橋、細田橋

南側右の親柱。「ほそだばし」

一休橋、細田橋

南側左の親柱。「丸山川」

一休橋、細田橋

下流側より。

一休橋、細田橋

南に150メートル程で現道に合流。



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一休さんDVD 36巻セット 72話




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