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水神橋

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【名称】水神橋(すいじんはし)
【所在地】長生郡長南町千田
【竣工】1982(S57)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2014年4月6日訪問

水神橋

長南町千田、現在地はココ(←クリック)

「称念寺」「龍三体の図欄間」

ちょっと行ってみよう。

水神橋

お寺に行く前に三途の川、じゃなくて三途川(一宮川の支流)を渡らなければならない。三途川に架かる橋。南側より。

水神橋

南側左の銘板。「水神橋」

水神橋

南側右の銘板。「三途川」

水神橋

橋の上から東の下流方面を望む。

水神橋

西の上流方面。

水神橋

北側より。

水神橋

北側左の銘板。「すいじんはし」

水神橋

北側右の銘板。「昭和57年3月竣功」

水神橋

隣の水管橋。

     ※     ※     ※

水神橋

水神橋を後にし、称念寺にやってきた。なるほど、立派な山門だなぁ。「称」の正字ってあのように書くのか、おいらには読めないなぁ(^-^;

水神橋

本堂の手前に少し小さめの門が。

水神橋

その手前にある案内板。どうやらこの龍の彫刻が有名らしい。

水神橋

えーっと、、、

水神橋

あの龍の頭かな?

水神橋

ん?でも、欄間って??

水神橋

どれの事だったのだろう(^-^;



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大幹線用水路・第7号隧道

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【名称】大幹線用水路・第7号隧道
【所在地】南房総市宮下
【竣工】不明
【延長】約50m(地図読み)
【幅員】不明
【高さ】不明



2015年4月19日訪問

大幹線用水路・第7号隧道

南房総市宮下、現在地はココ(←クリック) 以前紹介した(仮称)矢田隧道の東側坑口。念のために書いておくと、矢田隧道というのはあくまで勝手につけた「仮称」である(^-^;

大幹線用水路・第7号隧道

その右隣にもうひとつ坑口があった (゚д゚)ハッ!!

大幹線用水路・第7号隧道

30メートル程北東にある大幹線用水路・第6号隧道の続きだ。こちらが呑口になる。

大幹線用水路・第7号隧道

5号、6号ときたので、次は当然「大幹線用水路 第7号隧道」

     ※     ※     ※

大幹線用水路・第7号隧道

(仮称)矢田隧道の西側に来たところ。

大幹線用水路・第7号隧道

あったあった、吐口だ。

大幹線用水路・第7号隧道

この時、前方でガサッという音が聞こえた。見てみると(写真は撮り損ねたが)子供のイノシシが一目山で逃げていくところだった。ワナがあるので、ひょっとしたらワナの中のエサを狙っていたのかもしれない。だとしたら、結果的にイノシシに命拾いさせたのかも。しかし、ワナを仕掛けた人には申し訳ないことをしたのかもしれない(^-^;

大幹線用水路・第7号隧道

さてさて、吐口である。

大幹線用水路・第7号隧道

呑口より2~3メートル低い位置にある。延長は50メートル程であろうか、だとすると、内部はかなりの急勾配だ。グレーチングがズレているのはおいらの仕業ではない。最初からそうなっていたので、念のため(^-^;

大幹線用水路・第7号隧道

銘板はこちらも「大幹線用水路 第7号隧道」

大幹線用水路・第7号隧道

正面から。

大幹線用水路・第7号隧道

さて、この先だが、水路は再び地下に潜ってこの耕作地の下を真っ直ぐに通っているようだ。しかし、ちょっとぬかるんでいるのでここで引き返した。

大幹線用水路・第7号隧道

次が見えていたのだけどねぇ(^-^;



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漂流幹線000 (1)



宮前橋(82号橋)

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【名称】宮前橋(82号橋)
【所在地】夷隅郡御宿町実谷
【竣工】1990(H2)年6月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2013年8月18日訪問

宮前橋(82号橋)

御宿町実谷、夷隅川水系の上落合川に架かる橋。東側より。

宮前橋(82号橋)

銘板は東側右のこの一枚のみ。「上落合川/宮前橋(82号橋)/平成2年6月竣功」

括弧内の「82号橋」というのが珍しいかも。以前、ネットで睦沢町の「町道認定路線調書」がアップロードされていたのでちょっと目を通してみた。備考欄に橋が載っているのだが、これが皆、「90号永久橋」などのように番号で呼称されていた。ところが、今度は「橋梁調書」の方を見てみると、同じ橋(路線名で同定した)が「姥神橋」と記載されている。ということで、どこの自治体も行っているのかどうかは判らないが、普通使われる名称とは別に通し番号のような名称があるということを知った。この橋の「宮前橋」と「(82号橋)」というのも同じような関係なのだろう。

さて、このような銘板は初めて見た。他にもあるのだろうか?

※それにしても、睦沢町の2つの調書を見比べるのは大変。根性があれば、住所を元に町道、橋梁名、通し番号など解明できるはずなのだけど、さっきの「姥神橋」=「90号永久橋」だけで降参(^-^;

ところが、今回改めて睦沢町のWebサイトをチェックし直したところ、データが更新されていた上に町道路線網図まで追加されているではないか。いつも、このテのデータを見つけると、削除るのが心配なのでまずはダウンロードして、後でゆっくり見たりするのだが、再チェックしてみてよかった。睦沢町やるな!これで楽しみが増えた( ̄ー ̄)ニヤリ

宮前橋(82号橋)

橋の上から北の下流方面を望む。といっても、木の葉で何も見えないけど(^-^; この先、川は蛇行して200メートル程で県道273号の新前川橋、さらに前川橋の下を流れる。

宮前橋(82号橋)

南の上流方面。こちらもなんだか訳の分からない写真だなぁ(^-^;

宮前橋(82号橋)

西側より。

宮前橋(82号橋)

橋の西側に鳥居があった。

宮前橋(82号橋)

橋の名前の由来はココなのだろうが、鳥居以外の建物は現存しない。

宮前橋(82号橋)

何て読むのだろう(^-^; 中央の文字は「礼」だと思うのだが、上の文字はさっぱり見当が付かない。「皿」に似ているけど絶対違うと思う(^-^; で、Wikipediaで見かけた歴代の内閣総理大臣の誰かの署名に似ていたような記憶があったのでチェックしてみた。

まずは吉田茂(←クリック) ・・・、う~ん、気持ちは分かるけど、ちょっと違うなぁ(^-^; 次は岸信介。んんんっ!なんか似てるんじゃね?? そして今度は中曽根康弘。これも点がついていたりするが、少し似ている。

ってか、どれも本人の名前とは思えないし、なぜか似たような格好。ひょっとして、これは「総理大臣」って意味だったりして???(^-^; なお、他の歴代総理の署名も、見てみたが戦後、吉田茂から宮沢喜一まで、池田勇人を除いて皆、この皿と五の中間のような意味不明の文字というか記号のような署名を用いていたようだ。

ますます謎が深まった・・・( ;´Д`)

それにしても、このようななんの変哲もない橋の記事に随分と労力を費やしてしまった。今日はチャッチャと済ませて一杯やって寝ようと思っていたのに。あ、もうとうの昔にバレているとは思うのだが、当ブログの記事、基本的に毎日昼の12時に投稿しているフリをしているが、予約投稿の機能を使っている。ということで、ただいまの時刻は深夜。真っ昼間から酒飲んでグースカ寝ようという訳ではないので(^-^;



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2015 SKE48 卓上カレンダー 宮前杏実



南アルプス林道・広河原から5本目の隧道

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【名称】不明
【所在地】南アルプス市芦安芦倉
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約3m(目測)



2015年10月18日訪問

広河原から4本目の隧道

南アルプス市芦安芦倉、南アルプス林道にて。広河原から4本目の隧道を抜けると、すぐに次の隧道に出迎えられる。そう、三連隧道の真ん中の隧道となる。西側より。

広河原から4本目の隧道

西側坑口。

広河原から4本目の隧道

西側坑口から内部を望む。

広河原から4本目の隧道

内部から見た西側坑口。

広河原から4本目の隧道

中央の吹きつけ区間。

広河原から4本目の隧道

東側坑口の周りも吹きつけになっている。

広河原から4本目の隧道

内部から見た東側坑口。いびつな形になっているけど、一体どうなっているんだ?(゚д゚)ハッ!!

広河原から4本目の隧道

こうなっていた∑(゚д゚; ) 東側坑口。

広河原から4本目の隧道

東側坑口から内部を望む。

広河原から4本目の隧道

東側より。



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山梨県 北杜市南アルプスから見た雲海と朝焼けのポストカード葉書はがきハガキ Photo by絶景.com




セイナギ橋(76号永久橋)、上堰橋など

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【名称】セイナギ橋(76号永久橋)
【所在地】長生郡睦沢町妙楽寺
【竣工】不明
【延長】約3.4m(睦沢町「橋梁調書」より)
【幅員】約30.m(同上)



2014年1月26日訪問

上堰橋など

睦沢町を流れる瑞沢川は一宮川の支流、睦沢町の元となった瑞沢村の名前の由来にもなっている。その瑞沢川の上流にて。民家の門前に架かる橋。奥は民家なので一応モザイクをかけてみた(^-^; 銘板付きの親柱を持つプライベート橋っていいなぁ。

     ※     ※     ※

上堰橋など

さて、しばらく下流に向かって進む。これが橋らしい橋の中で最も上流部にあるものだろうか?

銘板がなくて素性不明となりそうなところなのだが、先日も記事の中で触れたように、睦沢町に限っては頼りになる見方が現れた。

まずは、睦沢町のウェブサイトの町道認定路線調書のページにある「町道路線網図」を見る。すると、ここが町道1662号線であることが判明。次に「町道認定路線調書3級 1201号線~」でこの1662号線の項を見ると、備考欄に「76号永久橋 昭和63年6月17日認定」の記載を見つける。さらに「橋梁調書」には1662号線の橋梁として「セイナギ橋」の記載発見。ということで、いつもは諦める素性が数分で判明!ただ、建設時期は橋梁調書でもこの橋に関しては空欄になっているので不明。なお、橋名のセイナギというのは町道の起点(県道との分岐)の小字。

上堰橋など

橋の上から西の上流方面を望む。

上堰橋など

東の下流方面。

上堰橋など

南側より。

     ※     ※     ※

【名称】上堰橋(かみせきはし)
【所在地】長生郡睦沢町妙楽寺
【竣工】1990(H2)年11月
【延長】9.4m
【幅員】5.0m



2014年1月26日訪問

上堰橋など

さて、上の無名橋から100メートル程下流に次の橋が架かっている。一気に橋がグレードアップした(笑) 西側より。

上堰橋など

北側より。

上堰橋など

北側左の親柱。「かみせきはし」

上堰橋など

北側右の親柱。「平成二年十一月竣功」

上堰橋など

橋の上から西の上流方面を望む。

上堰橋など

東の下流方面。

上堰橋など

南側より。

上堰橋など

南側左の親柱。「上堰橋」

上堰橋など

南側右の親柱。「瑞沢川」



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終わらない河口堰問題: 長良川に沈む生命と血税



いすみ市下布施/上布施の隧道跡

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【名称】不明
【所在地】いすみ市下布施/上布施
【竣工】不明
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】不明(1995年以前)



2015年7月26日訪問

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

いすみ市下布施、現在地はココ(←クリック) 北を向いている。この先の左の道を進む。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

この先にかつて隧道があった。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

さて、ここで予習を。左は1982(昭和57)年発行の地形図、右は現在の地形図。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

次は航空写真。国土地理院が1975年2月13日に撮影したもの(CKT7414-C11-70)を拡大・修正してみた。赤丸内の緑の中に隧道があるようだ。なぜか一番古いものだけがカラー(^-^;

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

さて、次は開削時期が気になるところ。これは、同じく国土地理院による1984年7月4日の(KT842X-C5B-10) これは新しくなっているが、より高々度(1416m→3050m)から撮影されているので、解像度が低くて判りにくい。隧道もあるのかないのか判然としない。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

そして、1995年5月24日に撮影したもの(KT952X-C4-24) このと気には明らかに隧道は開削されている。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

さて、では現在の隧道跡に向かおう。切り通しが見えてきた。東側より。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

切り通しへ。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

右(北側)の法面。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

左(南側)の法面。

いすみ市下布施/上布施の隧道跡

西側より。



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御腹川の水路隧道

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【名称】不明
【所在地】君津市怒田
【竣工】不明
【延長】約10m(目測)
【幅員】約5m(目測)
【高さ】約5m(目測)



2015年8月2日訪問

御腹川の水路隧道

君津市怒田(ぬだ)、現在地はココ(←クリック) 北西を向いている。

先日紹介した(仮称)福野隧道の近く、山に囲まれた平地に耕作放棄地(休耕田?)。独特の雰囲気の場所だ。

御腹川の水路隧道

路肩が崩れ始めている。

御腹川の水路隧道

ビニールハウスの向こうから水の音が聞こえてきた。

御腹川の水路隧道

この小山に水路隧道が穿たれている。写真はパノラマ合成。

御腹川の水路隧道

湧き水を溜める水槽があった。

御腹川の水路隧道

誰にも使われなくなったが、水は淡々と流れ続けている。

御腹川の水路隧道

ここから川に降りられる。

御腹川の水路隧道

1時間前に別れた御腹川と再会。

御腹川の水路隧道

でたっ、水路隧道。

御腹川の水路隧道

北側坑口(吐口)。

御腹川の水路隧道

長靴を履いていないので、河床の石を伝いながら行けるところまで行ってみた。そして振り返って再びもう一枚。写真はパノラマ合成。

御腹川の水路隧道

北側坑口から内部を望む。

御腹川の水路隧道

振り返って北の下流方面を望む。右手前の擁壁が途切れたところから河床に降りてきた。

御腹川の水路隧道

隧道内部の河床には大岩がゴロゴロしている。渡るのに丁度都合がよいのだが、それは結果的なもので、これらは天井から落下したもののようだ。あまり長居したくないなぁ(^-^;

御腹川の水路隧道

隧道内部から南側を望む。地図によればこの数十メートル先にも水路隧道がある。さらにその上流にも何本か、下流にもある。房総名物の川廻しだが、この御腹川は特に多そうだ。平地に恵まれない山の上での集落の人々が、この付近で盛んに川廻しを行って水田を広げていったことが窺える。だけど、今では…

御腹川の水路隧道

あ、山の仲間達の足跡発見。でも会いたくはないなぁ(^-^;

御腹川の水路隧道

北側坑口(呑口)

御腹川の水路隧道

戻ろうとしたら、横穴に気がついた。

御腹川の水路隧道

排水口のようだけど?

御腹川の水路隧道

奥は崩落したのか、それとも埋め戻されたのか?向こう側にはここに繋がってそうな穴は見あたらなかったけど?



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愛しの腹黒弁護士<愛しの腹黒弁護士> (B-PRINCE文庫)



戸逆橋と崩落現場

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【名称】戸逆橋(とさかはし)
【所在地】富津市豊岡
【竣工】1973(S48)年3月
【延長】約80m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年12月21日訪問

戸逆橋と崩落現場

富津市豊岡、現在地はココ(←クリック) 戸面原ダムのダム湖に浮かぶ島になる。そしてダム湖に架かる橋。北側より。

戸逆橋と崩落現場

「通行止めのお知らせ」

んんんっ、「山地崩落」だって?こりゃどうなっているのか興味深いぞ。とりあえず行けるところまで行ってみなきゃ。

戸逆橋と崩落現場

北側左の親柱。「戸逆橋」

戸逆橋と崩落現場

北側右の親柱。「湊川」

戸逆橋と崩落現場

ダム湖の周りにある橋にしては立派。失礼ながら意外だったのは、この柵の集落(宇藤木地区)がそれなりの戸数があったこと。立派なお屋敷や神社もあったっけ。


戸逆橋と崩落現場

橋の上から東側を望む。電線がカーブしてヘンテコなことになっているのはパノラマ合成したから(^-^;

戸逆橋と崩落現場

同じく西側を望む。こちらの写真もパノラマ合成。

戸逆橋と崩落現場

南側より。

戸逆橋と崩落現場

南側左の親柱。「とさかはし」

戸逆橋と崩落現場

南側右の親柱。「昭和四十八年三月竣功」

     ※     ※     ※

戸逆橋と崩落現場

さて、戸坂橋から200メートル程、釣り船屋さんを過ぎたところ。現在地はココ(←クリック)

戸逆橋と崩落現場

ここからで道は通行止め。

戸逆橋と崩落現場

で、バリケードのところから見てみると、、、あそこだ! 少し崩れているぐらいなら、チャリで突破しちゃっても、と思っていたのだがこりゃ無理だな(^-^;

戸逆橋と崩落現場

せっかくなので、近くで見てみよう。

戸逆橋と崩落現場

こちゃ、徒歩でも無理。軽く湖に転落する自信がある!!(^-^;

戸逆橋と崩落現場

ロープやピンクのテープが見える。仕事とはいえ、こんな斜面で作業するのって、怖そうだなぁ(^-^;

戸逆橋と崩落現場

封鎖地点を振り返る。



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墨田橋

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【名称】墨田橋(すみたはし)
【所在地】茂原市墨田/長生郡長南町須田
【竣工】1975(S50)年7月
【延長】約15m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年11月22日訪問

墨田橋

茂原市墨田(すみだ)、現在地はココ(←クリック) 国道409号から少し外れたところ。正面に三途川に架かる橋がある。

墨田橋

東側より。

墨田橋

隣には水管橋が2本。「立入禁止」とらしいけど、ゲートが壊れて入り放題(^-^;

墨田橋

こちらの方が新しいようだ。

墨田橋

東側左の親柱。「墨田川」

墨田橋

東側右の親柱。「三途川」

墨田橋

橋の上から北の下流方面を望む。

墨田橋

南の上流方面。

墨田橋

西側より。

墨田橋

西側左の親柱。「すみたはし」

墨田橋

西側右の親柱。「昭和五十年七月竣功」

墨田橋

隣の新しい方の水管橋は墨田水管橋という名前らしい。

墨田橋

工業用水道だったのか。ってことは、白鳩橋の隣にある水管橋と繋がっているのかな?



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平田トンネル

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【名称】平田トンネル(ひらたとんねる)
【所在地】君津市平田/富津市田倉
【竣工】1995(H7)年3月
【延長】207.0m
【幅員】6.0m
【高さ】4.7m



2015年12月20日訪問
前回(2012年3月19日)

平田トンネル

君津市平田(ひらった)、国道465号にて。現在地はココ(←クリック) 以前紹介したときは西側坑口だけだったので、こちら側は当ブログ初登場。

平田トンネル

東側坑口。

平田トンネル

東側の扁額。「平田トンネル」

さて、このトンネルの呼び方だが、普通の人なら十中八九は「ひらた」と読むだろう。実際のところ、「平成16年度道路施設現況調査」にも「ヒラタトンネル」と記載されている。しかし、トンネル名の元となったとおもわれる君津市平田は「ひらった」と読む。なぜか現地には名前の読み方を示す標識の類がないし(隣の九十九トンネルの手前には「Tsukumo Tunnel」と記した標識がた立っている)、「平成16年度道路施設現況調査」も時々間違いらしきものがあるので確実とは言えないが、地名とトンネル名の読み方が違うようだ。時々、こういうケースがあるが、意図的なものなのだろうか、それも単純な勘違いなのだろうか?

平田トンネル

東側坑口から内部を望む。

平田トンネル

内部から見た東側坑口。

平田トンネル

西側に向かって内部を歩く。トンネル内部は緩やかにカーブしている。

平田トンネル

トンネルの中央は君津市と富津市の境界になっている。向こう側にプレートがあるぞ。

平田トンネル

と思ったら、こちらにもあった(^-^; ちなみに、富津市田倉は「たぐら」と読む。これも微妙に難読地名かも?(^-^;

平田トンネル
平田トンネル

西側坑口へ。すぐ先に九十九トンネルが見える。この九十九トンネルの読み方にも疑問点があるのだが、それは今度、あちらを取り上げる時にまた。

平田トンネル

西側坑口。

平田トンネル

西側の扁額。「平田トンネル」

平田トンネル

坑口の左に設置されている歴板。「平田トンネル/1995年3月/延長 207.0M/幅員 6.0M/高さ 4.7M/千葉県/施工 東急建設株式会社」

平田トンネル

レリーフは桜かな?

平田トンネル

西側より。

平田トンネル

そうそう、坑口の左に封鎖された旧道がある。その奥には地図にも載っている旧隧道が。もちろん取材してきた。ということで、(旧)平田隧道も近日公開予定。動画もあるよ(・∀・)ニヤニヤ



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平田牧場おいしい豚肉料理 (レタスクラブの本)



廻田橋

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【名称】廻田橋(めぐたばし)
【所在地】君津市奥米
【竣工】不明
【延長】約40m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年11月29日訪問

廻田橋

君津市奥米(おくごめ)、現在地はココ(←クリック) 目の前に現れた分岐、さてどっちに行こう。

廻田橋

「この先 通り抜けできません」との事だが、スマホの地図アプリのメモには、この先に廃吊り橋と廃隧道があるということになっている。たぶん、以前Yahooのワイワイマップにあった千葉の素堀隧道(maxdogACDさん)に記載されていたのをメモしたものだと思うのだが、どんな状況なのか、全然記憶になかった。とりあえず行ってみようか。

廻田橋

上の写真に写っている民家を過ぎると急に道が汚れてきた。荒れているという程でもないのだが、入ってくる車両もあまりないのかな?などと思ったのだが、地図を見ると、この先にも民家があるようだ。

廻田橋

坂を下りきったところで橋の登場。小糸川の支流・三間川(さんまがわ)に架かる橋だ。

廻田橋

北側より。

廻田橋

北側左の親柱。「廻田橋」

廻田橋

北側右の親柱。「三間川」

廻田橋

橋の上から西の上流方面を望む。写真はパノラマ合成。

廻田橋

そして東の上流方面。写真はパノラマ合成。

おおっ!!!(゚д゚)ハッ!!

廻田橋

メモの通り、吊り橋があるじゃないか!やったね。ところで、途中、橋に向かう道は見あたらなかったような気がするけど?アクセスルートは無事かなぁ?(^-^;

廻田橋
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

ところで、これはどちらも現在の地形図。左が国土地理院の地図で右がGoogleマップ。ふたつを見比べてみると道路の線形が全然違うことに気付く。この記事冒頭のYahoo地図やマピオンなどもGoogleマップと同様。現地では国土地理院の地図は見なかったので全く気にしなかったのだが、Googleマップで川を渡っているのはズバリあの吊り橋の場所ではないか。ということはあの吊り橋が旧道ということか?

廻田橋

南側より。

廻田橋

南側左の親柱。「めぐたばし」

廻田橋

南側右の親柱。「さんまがわ」

コラ、おっさん(←某氏風に)、ここは竣功年月を載せるところだろっ!ってか、川の名前の読み仮名を載せている親柱って初めて見たかも(^-^;

廻田橋

東側より。

このアングルがあるということは、もちろん…(・∀・)ニヤニヤ ということで、続きにご期待のこと。来週もまた見てくださいね~、んがんんっ



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チャルラララ



南アルプス林道・広河原から6本目の隧道

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【名称】不明
【所在地】南アルプス市芦安芦倉
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約3m(目測)



2015年10月18日訪問

広河原から6本目の隧道

南アルプス市芦安芦倉、南アルプス林道にて。広河原方面から6本目の隧道。三連隧道の一番東側の隧道だ。

広河原から6本目の隧道

西側坑口。

広河原から6本目の隧道

西側坑口から内部を望む。

広河原から6本目の隧道

内部から見た西側坑口。

広河原から6本目の隧道

この隧道は3本の中で一番短く、延長は20メートル程だろうか。両側坑口付近は巻き立てられているが、中間部分はオール吹きつけ。

広河原から6本目の隧道

東側坑口へ。

広河原から6本目の隧道

東側坑口。

広河原から6本目の隧道

東側坑口から内部を望む。

広河原から6本目の隧道

天候にも恵まれ、良い気分。実は早くも腹が減りだしていた(^-^;

広河原から6本目の隧道

野呂川を見下ろす。

広河原から6本目の隧道

対岸に見えるトラス橋は、あるき沢橋だと思う。

広河原から6本目の隧道

東側の切り通しを過ぎて振り返り。

     ※     ※     ※

おまけ動画。



3本の隧道をまとめて一気に。



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秘境・南アルプス深南部逡巡山行記 (YAMAKEI CREATIVE SELECTION Frontier Books(NextPublishing))




学校橋

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【名称】学校橋(がっこうばし)
【所在地】茂原市綱島/八幡原
【竣工】1986(S61)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約2m(目測)



2015年9月20日訪問

学校橋

茂原市綱島(つなしま)、現在地はココ(←クリック) 綱島といえば今は全滅寸前の横浜・綱島温泉が有名だが、茂原にも綱島があったんだ。

そして、工事中のこの建物は茂原市立五郷小学校。近未来をイメージしたのだろうか、公立学校にしては意匠を凝らしているかも。ただ、こういうデザインを全面に押しだし過ぎると、逆にあまり新しさを感じなくなってしまう。銀座の中銀カプセルタワービルや吹田の万博記念公園にあったエキスポタワーなど、いかにも70年代という古さを感じてしまう。いや、古風だから悪いという訳ではない。

自分が子供の頃、21世紀には人類は普通に宇宙と地上を往復し、原子力ロケットだか光子ロケットだかが実用化されて木星や土星の探索もしているだろう、なんて話を本に教え込まれ、それを鵜呑みにしていた。そう21世紀は宇宙時代になるはずだった。しかし実際は大違い。先ほど例に出した中銀カプセルタワービルやエキスポタワーは、そんな裏切られた宇宙時代への希望をおいらに想起されるのかもしれない。この建物も、そこまで先鋭的ではないのだが、少しだけ同じような匂いを感じた。

学校橋

ちなみに、この工事は耐震工事とのこと。

※「耐震工事」と入力しようとしたら、「タイ侵攻時」と誤変換された。太平洋戦争かい(^-^;

学校橋

さて、余計なことを書きすぎた(^-^; 校舎裏の細い道を通り過ぎて、

学校橋

川べりに出る。一宮川の支流・鹿島川だ。上流の方向を見ると小さな橋が架かっていた。

学校橋

東側より。

学校橋

東側左の銘板。「学校橋」

学校橋

東側右の銘板。「鹿島川」

学校橋

橋の上から北の下流方面を望む。

学校橋

南の上流方面。

学校橋

西側より。

学校橋

西側左の銘板。「がっこうばし」

学校橋

西側右の銘板。「昭和61年3月竣工」

学校橋

地図には川の両岸に道が描かれているが、左岸(西側)の道はこのようないかにも民家の裏を通り抜けるという感じの道。なぜかガードレールがあったりするが、ちょっと通るのが気恥ずかしい。小学生なら気にせず通るのだけど(^-^;

学校橋

ということで、右岸の道を行くことに。

学校橋

振り返り。

それにしても、ひどく錆び付いた橋だなぁ。毎日通学路として活躍しているだろうに。ひょっとして、架橋されてから一度も再塗装されていないとか?

学校橋

少し離れて、南側より。



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卒業~「学校へ行こう!」癒し系ミュージシャン作品集



松丘隧道

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【名称】松丘隧道
【所在地】君津市広岡
【竣工】1954(S29)年3月
【延長】91m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】5.5m(同上)
【高さ】3.6m(同上)



2015年3月15日訪問
前回(2011年1月29日)

松丘隧道

君津市広岡、国道410号にて。現在地はココ(←クリック) 北を向いている。本日のお題はあの隧道だ。

松丘隧道

この松丘隧道、今、千葉の隧道関係者(←どういう関係者だよ!)の間でこの隧道に注目していないのはモグリである(はず)

というのも、去る12月23日朝、かねてから補強工事中だったこの隧道の天井が突然崩落したのだ。しかも吹きつけ直したばかりのところが崩落したとのこと。何やってんだか。。。( ;´Д`)

この事故に関するニュースはこちら(←クリック) それにしても事故に巻き込まれた人がいなかったのはなにより。

なお、この記事の写真を撮影したのは今年の3月。この時、既に隧道は改修工事を開始していた。

また、報道によれば、隧道の耐震検査は2012年12月の中央自動車道・笹子トンネルの崩落事故をきっかけに行われたとされているが、その3ヶ月前に2本隣の大戸見隧道でも同じくモルタル吹きつけの天井が崩落する事故が発生している。てっきり、大戸見隧道の事故を受けて点検・改修を行うことにしたのかと思っていたのだが… ちなみに、おいらが調べた限りでは今回の事故の報道で大戸見隧道の件に触れたものはなかった。勉強不足だぞ!

松丘隧道

南側坑口。

松丘隧道

南側の扁額。「まつおかずいどう/昭和二十九年三月竣功」

松丘隧道

自転車は降りて押すのね。はいはい、了解。

松丘隧道

南側坑口から内部を望む。

松丘隧道

自転車を押して歩くには狭すぎるんだけど… 途中で何度かバリケードにぶつけてしまったよ( ;´Д`)

松丘隧道

内部から見た南側坑口。

松丘隧道

この時点で北側半分はほぼ改修が完了していた。最終的には全体がこのようになる予定なのだろう。


崩落したのはこの辺りだろうか?

松丘隧道

改修済み区間との境目。元々あったモルタル吹きつけを剥がし、吹きつけ直した上にコンクリートパネルを貼り付ける、という工法で改修していたらしい。

松丘隧道

今回の崩落は一ヶ月程前に吹きつけ直したモルタルが剥落したとのこと。吹きつけとパネルの下に高さ約1.5メートルの基礎があるのだが、今回はまだその基礎部分の工事が完了していなくて、いわば吹きつけ部分が浮かんでいたのも原因のひとつではないか、という報道もある。

松丘隧道

振り返り。あの車の上辺りが崩落したのかな?(^-^;

松丘隧道

北側の改修区間へ。

松丘隧道

北側坑口付近はまだ手つかず。

松丘隧道

内部から見た北側坑口。

松丘隧道

トラックがゴッツンしちゃっただろうか?

松丘隧道

北側坑口。

松丘隧道

場所を変えて。

松丘隧道

北側の扁額。「松丘隧道」

松丘隧道

北側坑口から内部を望む。

松丘隧道

離れてもう一枚。



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解くだけで人生が変わる! 修造ドリル


次浦橋など

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【名称】次浦橋(つぎうらばし)
【所在地】香取郡多古町次浦/谷三倉
【竣工】1972(S47)年12月完成
【延長】約5m(目測)
【幅員】約6m(目測)



2015年7月19日訪問

次浦橋

香取郡多古町谷三倉(さくみくら)、現在地はココ(←クリック) 千葉県道120号多古栗源線(たこくりもとせん)の橋。東側より。

時々車で通っているがいつもスルーしていた。しかし、銘板がある、つまり名前があるのでチェックしておかなきゃ。

次浦橋

東側左の銘板。「つぎうらばし」

次浦橋

東側右の銘板。「昭和47年12月完成」

次浦橋

橋の上から北の上流方面を望む。

次浦橋

南の下流方面。この先で栗山川に合流する。

次浦橋

西側より。

次浦橋

西側左の銘板。「次浦橋」

次浦橋

西側右の銘板。「新川」

おや、ちゃんと名前のある川だったんだ。準用河川にでも指定されているのかな?

次浦橋

南側より。

     ※     ※     ※

【名称】不明
【所在地】香取郡多古町次浦
【竣工】1972(S47)年12月完成
【延長】約2m(目測)
【幅員】約2m(目測)



2015年7月19日訪問

次浦橋

さて、この新川、栗山川に合流するまでにもう一箇所橋があるようだ。せっかくなので、ついでに行ってみよう。

次浦橋

あったあった。たぶん、多古町の水田地帯に同様のものが大量にありそうな小さな橋。まぁ、こんなものだよね(^-^;

次浦橋

橋の上から北の上流方面を望む。

次浦橋

南の下流方面。

次浦橋

西側より。

次浦橋

南側より。



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フィリピン 裏の歩き方



怒田橋

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【名称】怒田橋
【所在地】君津市怒田
【竣工】1985(H60)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年8月2日訪問

怒田橋

君津市怒田、山に囲まれた水田地帯(耕作放棄地or休耕田)の中にいる。現在地はココ(←クリック)で南西を向いている。

怒田橋

法面をちゃんと工事していない道はところどころプチ路肩決壊が始まっている。数年後には車で通るのも困難になりそう。

怒田橋

周囲は山に囲まれている。隧道水路隧道を堪能した。そろそろ次に向かおう。

怒田橋

御腹川に架かる小さな橋。東側より。

怒田橋

ここから林道怒田福野線になるらしい。ということは、ここから東の福野集落までの道はどのような指定になっているのだろう?

怒田橋

東側左の銘板。「昭和60年3月竣工」

怒田橋

橋の上から北の下流方面を望む。正面には大きな川廻しの水路隧道が真っ黒な口を開けている。御腹川の旧流路は水田のある場所なのだろう。水田を広げるための努力の跡。

怒田橋

南の上流方面。

怒田橋

西側より。

怒田橋

西側左の銘板。「怒田橋」

怒田橋

再び山を越えて久留里方面に向かう。

怒田橋

振り返り。

怒田橋

切り通しを過ぎるといよいよ登り坂の始まり。

怒田橋

東の道はかなり荒れていたが、こちらは概ねよく整備されていた。

怒田橋

いつの間にか随分高くまで登ってきた。

怒田橋

現在地はココ(←クリック) 北向地蔵尊。後で調べたら、どうやらそれなりに由緒のある地蔵尊だったようだ。でも、くたびれ気味だし暗くなりかけていたのでスルー(^-^;

怒田橋

これはたぶん、近くにあった路傍のお地蔵さん。

怒田橋

これもまた近くにあった石仏。

怒田橋

やったぁ、下りだぁ。と喜んだりしたのだが、そうそうは順調にはいかず、登ったり下ったりしながら進み、、、

怒田橋

怒田福野線の起点に到着。現在地はココ(←クリック) ここで、先ほどスルーした地蔵尊が「名所」だったことを知る(^-^;

怒田橋

さらに少し下って集落に。



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怒りの席田―板付飛行場物語 (1974年)



真里谷第四トンネル

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【名称】真里谷第四トンネル(まりやつだいよんとんねる)
【所在地】木更津市茅野/真里谷
【竣工】不明(2013年4月供用開始)
【延長】890m
【幅員】約7m(目測)
【高さ】約5m(目測)



2015年12月28日訪問

真里谷第四トンネル

木更津市茅野、圏央道にて。圏央道の木更津東ICから東金ICの間はトンネルだらけ。正面に見えるトンネルは最も木更津側にあるトンネル。西側より。

真里谷第四トンネル

西側坑口。

真里谷第四トンネル

延長は890メートル。

真里谷第四トンネル

内部へ。

真里谷第四トンネル

緊急時の待避スペース。

真里谷第四トンネル

東側の坑口が近づいてくる。

真里谷第四トンネル

内部から見た東側坑口。その先には次のトンネルが待ち構えている。



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KDPは海外に学べ! (マスズレノベルス)




廻田橋の旧橋

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【名称】不明
【所在地】君津市奥米
【竣工】不明
【延長】約20m(目測)
【幅員】約2m(目測)



2015年11月29日訪問

廻田橋

先週紹介した廻田橋(めぐたばし)の上から見える吊り橋。さて、どこからアプローチしたらいいのだろう?

廻田橋の北側袂には吊り橋に通じそうな道への分岐には気付かなかった。さて、困ってしまったか?

廻田橋の旧橋

ところが、南側の袂に来てみるとバリケードが。ココだ!( ̄ー ̄)ニヤリ

廻田橋の旧橋

封鎖されたのは最近のことだろうか?新しめのバリケード。

廻田橋の旧橋

道の幅員は2メートル程度はあるだろうか。軽トラぐらいならなんとか通ることも可能か?なにしろ、田舎のじーちゃんの操る軽トラはとんでもない山道にも突入するからなぁ(^-^;

廻田橋の旧橋

判りにくいのでアニメーションGIFにしてみたが、ここで道は二手に分かれている。右の道の方が状態はいいが、吊り橋があるのは明らかに左。

廻田橋の旧橋

幅員が半減し、道は荒れてきた。大丈夫か?(^-^;

廻田橋の旧橋

おっ、見えてきたぞ。なんとかなりそうだ。

廻田橋の旧橋

本来の橋への道は大変なことになっているので、

廻田橋の旧橋

横から回り込むことに。

廻田橋の旧橋

東側の主塔。

廻田橋の旧橋

銘板はあるのだが、どうにも読み取れない(^-^;

廻田橋の旧橋

スルーした本来の道の方を振り返る。掘割状で幅員2メートル弱といったところか?ということは、その先の細い区間は路肩が崩落したのだろうか?

廻田橋の旧橋

それでは、早速、橋の上に歩みを進めることに。

廻田橋の旧橋

足下注意(^-^;

廻田橋の旧橋

これだけの橋だとそれほど大きく揺れることもなく、まったく不安感なく渡ることができる。

廻田橋の旧橋

橋の上から北の下流方面を望む。すごい絶壁だなぁ。写真はパノラマ合成。元の写真は縦の構図なのだが、上まで入りきらないし(^-^;

廻田橋の旧橋

ということで、絶壁の上端も別撮り。

廻田橋の旧橋

西の下流方面。こちらの写真もパノラマ合成。

正面に見えるのはもちろん廻田橋

廻田橋の旧橋

一箇所床板の抜けているところがあった。鉄骨が見えているので、逆に安心したりして(^-^;

廻田橋の旧橋

西側の主塔。

廻田橋の旧橋

渡り終えて振り返り。

廻田橋の旧橋

こちらの銘板も読み取り不可能。一文字目の箇所に文字の一部か汚れなのかよく解らないが縦と横の線が見えるような気もするが… 橋の名前は、廻田橋か旧川橋あたりだろうか?

廻田橋の旧橋

西側より。

廻田橋の旧橋

西側は道が判然としなかった。今にして思えば、この先が旧道だったのではないかと思う。上に見えるコンクリートの構造物も気になる。だが、この時は右に細い踏み跡があったので、そちらに進んでみると、、、

廻田橋の旧橋

川べりに出た(^-^; これは上流(吊り橋)方面。

廻田橋の旧橋

そして、下流の三島ダム方面。

ということで、この時は、吊り橋は元々川に降りるためのものだったのではないかと考えてしまった(^-^;

廻田橋の旧橋
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

しかし、地形図を見るとこの吊り橋が元々のルートであったことがわかる。なお、YahooやGoogleの地図はいまだに旧道の線形のままだったりする(^-^;

ところで、左の旧版地形図だが、実は重大な書き漏らしがあるのだ。それはまた今度( ̄ー ̄)ニヤリ

     ※     ※     ※

おまけ動画



今年も一年お世話になりました。それでは皆様、よいお年を。



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マルハ さんま蒲焼 100g×3個




早川林用軌道の隧道

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【名称】不明
【所在地】南アルプス市芦安芦倉
【竣工】不明(昭和10年頃?)
【延長】約10m(目測)
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約2m(目測)



2015年10月18日訪問

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、今年の最初の物件は…

早川林用軌道の隧道

南アルプス市芦安芦倉、南アルプス林道・観音経隧道の北側坑口の前にあるアザミ沢橋の上にて。現在地はココ(←クリック) 南を向いている。

右に小さな坑口がある。それが本日のお題、野呂川林用軌道の隧道だ。

早川林用軌道の隧道

正面から。

現地では気付かなかったのだが、坑口の上に柱のような木?がある。その上の張り出した岩を支えているようにも見えるけど?

早川林用軌道の隧道

軌道の建設が始まったのは昭和の初め。しかし、昭和二十年代には既に軌道は使用不可能になっていたという。経歴的にはちょっと残念な軌道なのだが、この先の光景を見ればぶっ飛ぶこと確実。

なお、軌道は現在観音経隧道がある山の西側をぐるりと山肌を通って南側に回り込み、カレイ沢の左岸から南下して、奈良田方面に伸びていた。

では、隧道に。

早川林用軌道の隧道

東側坑口から内部を望む。

早川林用軌道の隧道

枕木の敷いてあった跡が残っている。

早川林用軌道の隧道

振り返って、内部から見た東側坑口。

早川林用軌道の隧道

再び前進。

2枚上の写真にも写っているのだが、この隧道の先にもう一本隧道があるのが判るだろうか?

「コラッ、おっさん!もちろんもう一本の隧道のレポもあるんやろな?」(←トンネルの旦那M氏の怒声)

えと、あの、そ、それはですねぇ………

早川林用軌道の隧道

内部から見た西側坑口。西側の坑口に公園などによくある丸太風の柵が設置されている。

早川林用軌道の隧道

柵だけでなく、なんだかよく解らない鉄筋のようなものも(^-^;

早川林用軌道の隧道

ここが出入り口?(^-^;

早川林用軌道の隧道

隧道を抜けると、そこは絶壁の中のへつり道だった∑(゚д゚||)

前方には片洞門、そして次の隧道が待ち構えている。

早川林用軌道の隧道

へっぴり腰で進むが、ここが限界。無理っ。もういっぱいでち。許してください (((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル

さすがに現役時代はもう少し幅員もあったのだろうが、こんな絶壁を通るトロッコを操作していた車夫はどんな強心臓の持ち主だったんだろ。林鉄はよく知らないのだが、こんなトンデモナイところに敷設するのって普通のことなの?(^-^;

早川林用軌道の隧道

振り返って西側坑口を。写真はパノラマ合成。

坑口の左に平場があるようなないような。ひょっとして隧道が作られる以前の旧線跡とか?でも、もう充分満足。ってか、隧道の先の路盤跡ほどではないが、やはり怖かったので無理はしなかった。

早川林用軌道の隧道

上の写真はパノラマ合成で若干歪んでいるので、一応ゆがみなしの写真も。

早川林用軌道の隧道

最後に、林道に戻り北の(なぜか)地図に記載のない隧道を抜けた先の光景。先ほどの軌道跡のさらに先の景色である。観音峡渓谷というらしい。この絶壁を削って軌道を通しちゃおうなんてイカレたことを考えたのは誰だ(笑) なお、当日、広河原から歩いてここまできたので、この写真を撮った時点では隧道に到達していなかった。そして、軌道の隧道がこの崖の真ん中を横切っているというところまで考えが廻っていなかった。ちゃんと見れば軌道跡が横切っているのが見えたというのに…

また行きたいなぁ~

     ※     ※     ※

おまけ動画。



カメラを付きだして沢を見下ろすカットあり。現地では恐ろしくてロクに沢を見ることはできなかったのだけど(^-^;



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めまい (字幕版)



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