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千葉県道32号大多喜君津線の旧道

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【名称】千葉県道32号大多喜君津線(おおたききみつせん)
【所在地】君津市久留里市場
【延長】約200m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年8月2日訪問

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

君津市久留里市場、千葉県道32号大多喜君津線(おおたききみつせん)にて。現在地はココ(←クリック) 東を向いている。この先の左への分岐は県道の旧道だ。この旧道区間、東側がバリケードで封鎖されているので通った事がなかった。さて、どうなっているのだろう?

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

時々、道路自体には何も問題がないのに、片側を封鎖している旧道がある。旧道沿いの民家のために関係のない車両の進入を防ぐための措置かと思うのだが、ここもそのパターンだろうか?

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

特に何も問題のない道に見えるが…

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

最後の民家を過ぎたところで道は封鎖されていた。

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

ん?「車両以外通行禁止」!?(笑)

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

「関係車両以外」なのね(^-^;

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

反対側は「路肩決か(い)」

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

通行止め区間に入る。確かに、路肩が決壊しかけている。

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

現道が開通してから、メンテナンス放棄されているのだろうか。でも、まだまだ熟成不足だなぁ(笑)

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

左右から緑が進出中。

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

終端が見えてきた。

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

東側のバリケード。

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

振り返り。

千葉県道32号大多喜君津線の旧道

東側より。



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平田隧道

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【名称】平田隧道(ひらたずいどう)
【所在地】君津市平田/富津市田倉
【竣工】1959(S34)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】92m(同上)
【幅員】5.0m(同上)
【高さ】3.6m(同上)



2015年12月20日訪問

平田隧道

君津市平田(ひらった)、先日紹介した国道465号平田トンネルの東側。道路脇に悩ましい平場がある。そう、旧道の路盤だ。

平田隧道

見ての通り、木や雑草が幅を利かせていてちょっとトレースするのが無理な状況(^-^;

平田隧道

適当なところで、路盤によじ登る。

平田隧道

まだちょっと早かったか?(^-^;

平田隧道

ところが、(現)平田トンネル坑口の横を通り過ぎた辺りから劇的に状況が改善された。

平田隧道

そして旧隧道の登場。現トンネルが平成7年(1995年)の竣工なので、引退して今年でちょうど20年ということになる。

平田隧道

そして、坑口の上にある凹み。ずばり旧々隧道の跡なのではないかと、もっぱらの噂。記録によれば、平田隧道が竣工したのは昭和34年(1959年) しかし、終戦直後に発行された地形図にも隧道は記されている。昭和34年に拡幅されたのか、それとも旧々隧道の下に新たな隧道を掘削したのか。とはいえ、あの凹みの手前に到達したという話がなく、真相は不明。

平田隧道

ところで、道の状態だが、改善されたと思ったら、今度はぬかるみのトラップが出現(^-^; 実は最初にスニーカーで来たのだが、ズボッとやってしまって、長靴に履き替えて再挑戦したのだ(^-^;

平田隧道

さて、どこから行こう… 倒木は腐りかけているかもしれないし、服が汚れるのも確実だから… 右の土の山を乗り越えていこうか。

平田隧道

東側坑口。写真はパノラマ合成。隧道は資材置き場になっているようだが、資材というより、ガラクタのように見えなくもない(^-^;

平田隧道

あの凹み… 「おいらがチャチャッと登って調査してやるぜ!」と密かに狙っていたのだが、どうにも登るのは無理そう(^-^;

平田隧道

東側の扁額。「平田隧道」

平田隧道

坑口の手前で振り返り。この写真もパノラマ合成。

平田隧道

パイプをかき分けて隧道内部に入ると、謎の物体?水道管のバルブか何かか?まききさん、こういうのを見ると欲しがるんだよなぁ(^-^;

平田隧道

内部から見た東側坑口。

平田隧道

隧道の延長は92メートル。現トンネルの半分弱だ。

平田隧道

内部は漏水している。東側のぬかるみはこれが原因か?

平田隧道

西側坑口付近にもパイプが放置されている。

平田隧道

内部から見た西側坑口。

平田隧道

境界杭が落ちていた。

平田隧道

隧道の先には、なぜか瓦礫が積み上げられていた。

平田隧道

西側坑口。

平田隧道

西側の扁額。「ひらたずいどう」

なお、前にも触れたことがあるが、隧道所在地の君津市平田は「ひらった」と読む。

平田隧道

西側坑口から内部を望む。

平田隧道

3.5メートルの高さ制限の標識は現役時代のものだろうか?

平田隧道

それにしても、この瓦礫は… 廃道化工事?違うよね(^-^;

平田隧道

西側より。

平田隧道

隧道から少し離れると道はカーブする。カーブ地点で振り返り。

平田隧道

さらに進むと現道との合流点、そして(現)平田トンネルの西側坑口が現れる。

平田隧道

こちら側は柵で封鎖されている。何度か、たぶん物欲しげな顔をしながらあそこから中を覗き込んだっけ(^-^;

平田隧道

柵の手前で振り返り。

     ※     ※     ※

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平田裕香/ふたりめぐり [DVD]



柳橋堰など

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【名称】柳橋堰
【所在地】大網白里市柳橋
【竣工】1997(H9)年3月



2014年6月1日訪問

柳橋堰など

大網白里市柳橋、現在地はココ(←クリック) 正面に見える堰は南白亀川のもの。

柳橋堰など

河口側から3つめの堰だっけかな?

柳橋堰など

「柳橋堰ゲート設備 (以下略)」 柳橋というのはこの地域の地名、なお、この800メートル程下流に柳橋という橋がある。柳橋橋ではなく柳橋。

柳橋堰など

右岸より。

柳橋堰など

管理用の橋の上から東の下流方面を望む。

柳橋堰など

西の上流方面。

柳橋堰など

左岸に渡って下流方面より。

柳橋堰など

今度は上流側から。

柳橋堰など

再び右岸に戻り、上流側から。

     ※     ※     ※

【名称】不明
【所在地】大網白里市柳橋
【竣工】不明
【延長】
【幅員】



2014年6月1日訪問

柳橋堰など

さて、堰から100メートル程上流に橋があった。仮設橋のような造りだが、地図にも載っているので正式な橋のようだ。

柳橋堰など

南側より。

柳橋堰など

橋の上から東の下流方面を望む。

柳橋堰など

西の上流方面。

柳橋堰など

北側より。



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柳橋物語・むかしも今も



磨橋

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【名称】磨橋(みがきはし)
【所在地】長生郡長南町長南
【竣工】1958(S33)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2014年4月6日訪問

磨橋

長南町長南、現在地はココ(←クリック) 南を向いている。

一応まだ、お正月なので桜を出してみた。もちろん撮影したのは4月だけど(^-^;

磨橋

長南小学校の前に架かる橋は工事中だった。見たところ、ほとんど作業は完了している様子。

これは一昨年の春の事だったので、今頃は当然改修完了しているはず。

磨橋

無理矢理桜と一緒に写しても見づらかったか… もう一枚(^-^;

磨橋

西側より。

磨橋

西側右の親柱。変体仮名で「みがきはし」

磨橋

西側左の親柱。「昭和三十三年九月竣工」

磨橋

橋の上から北の下流方面を望む。なお、この川は一宮川水系だが名前は解らなかった。ここから5~600メートル下流で三途川に合流している。

磨橋

南の上流方面。

磨橋

東側より。

磨橋

東側右の親柱。「磨橋」

磨橋

東側左の親柱。「昭和三十三年九月竣工」

磨橋

これは…

磨橋

誘ってる?(笑) 立入禁止とも書いていなかったし(^-^;

磨橋

ほうほう、ここはまだ途中なのか。

磨橋

南側より。



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身欠にしん 500g 北海道製造の上乾品



真里谷第三トンネル

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【名称】真里谷第三トンネル(まりやつだいさんとんねる)
【所在地】木更津市真里谷
【竣工】不明(2013年4月供用開始)
【延長】180m
【幅員】約7m(目測)
【高さ】約5m(目測)



2015年12月28日訪問

真里谷第三トンネル

圏央道内回り、真里谷第四トンネルを過ぎるとすぐに次のトンネルが現れる。

真里谷第三トンネル

西側坑口。

真里谷第三トンネル

「真里谷第三トンネル」

真里谷第三トンネル

内部へ。

真里谷第三トンネル

このトンネルの延長は真里谷第四トンネルの五分の一ほどしかないので、あっという間に通り過ぎてしまう。

真里谷第三トンネル

東側へ抜ける。



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ラブハロ!矢口真里写真集




赤沢橋

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【名称】赤沢橋(あかさわはし)
【所在地】南アルプス市芦安芦倉
【竣工】1994(H6)年6月
【延長】約20m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年10月18日訪問

赤沢橋

南アルプス市芦安芦倉、南アルプス林道にて。三連隧道を過ぎたところ。現在地はココ(←クリック)

赤沢橋

法面から突き出したパイプから水が流れ出ていた。これで手を洗ったのだけど綺麗な水だったのかなぁ? もちろん飲んだりはしなかったけど(^-^;

赤沢橋

今日は、野呂川の支流のひとつ、赤沢に架かる橋だ。

赤沢橋

北側より。

赤沢橋

北側左の銘板。「あかさわはし」

赤沢橋

北側右の銘板。「赤沢」

赤沢橋

橋の上から西の野呂川方面を望む。

赤沢橋

あそこは滝になっているのかな?

赤沢橋

東の上流方面。砂防ダムが、、、いくつあるのだろう?(^-^;

赤沢橋

南側より。

赤沢橋

南側左の銘板。「赤沢橋」

赤沢橋

南側右の銘板。「平成6年6月竣工」

赤沢橋

なぜ上流側だけこんなにボッコンボッコンになっているの?落石?雪?それともクマさんがこの上でダンスを踊ったとか?(^-^;

赤沢橋

ところで、銘板によれば、この橋は平成6年竣工。しかし、林道が完成したのは昭和三十年代なので、この橋は平成になってから架け替えられたということになる。さて、旧橋はどこにあったのだろうか?この先の上流側、ちょっと旧道跡のように見えなくもないけど?

赤沢橋

しかし、現橋へのアプローチが橋台の直前まで古ぼけているからなぁ。やっぱり現橋と同じ場所にあったのかな?

赤沢橋

北側に戻る。やはりこの先に旧道があったようには見えない。う~ん。

とりあえず、お腹が空いてきたのでここで食事に。前の晩にコンビニで買ったおにぎりセットを食べた。時刻はまだ午前10時ちょっと過ぎ。広河原を出発した時に歩きながらパンを食べたのにもうお腹が空いてしまって、夕方まで大丈夫のか心配になった(^-^;


     ※     ※     ※

おまけ動画





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伊豆赤沢採れたて新鮮 海洋深層水 ナジーム800




九十九トンネル

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【名称】九十九トンネル(つくもとんねる)
【所在地】富津市田倉
【竣工】1992(H4)年9月
【延長】198m
【幅員】6.0m
【高さ】4.7m



2015年12月20日訪問
前回(2012年3月19日)

九十九トンネル

富津市田倉(たぐら)、国道465号にて。現在地はココ(←クリック) 平田トンネルから西側に抜けると、次のトンネルが待っている。

九十九トンネル

東側坑口。

九十九トンネル

手前の封鎖された道は旧道。「崩落の危険が…」のような事が書いてあったが、そんなに危ない感じでもなかったかな?しかし完全放置されているので徐々に熟成は進んでいるけど。

九十九トンネル

「九十九トンネル Tsukumo Tunnel」 トンネルの名前は「つくもトンネル」と読むことを行政も定めているようだ。この名前、付近の九十九谷という地名に由来していると思うのだが、この九十九谷は「クジュウクタニ」と読むらしい。

九十九トンネル

東側の扁額。「九十九トンネル」

九十九トンネル

東側坑口から内部を望む。

九十九トンネル

右側内壁にある歴板。

「九十九トンネル/1992年9月/千葉県君津土木事務所/延長198m 巾6.0m/高4.7m/施工 不動建設株式会社」

なお、この国道465号が指定されたのは1993(平成5)年4月1日。国道指定に合わせて整備したようだ。隣の平田トンネルは1995年の竣工なので、(旧)平田隧道は2年ほどは国道のトンネルとして活躍したということか。

九十九トンネル

内部から見た東側坑口。

九十九トンネル

延長200メートル弱で真っ直ぐなトンネル。ここ、スピード出す車が多いんだよなぁ(^-^;

九十九トンネル

そして西側へ。内部から見た西側坑口。

九十九トンネル

振り返って、西側坑口から内部を望む。

九十九トンネル

こちら側にも東側と同内容の歴板が。

九十九トンネル

西側坑口。

九十九トンネル

西側の扁額。「九十九トンネル」

九十九トンネル

少し離れてもう一枚。



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九十九怪談 第六夜 (角川文庫)




獅子ヶ口橋

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【名称】獅子ヶ口橋(ししがくちはし)
【所在地】夷隅郡大多喜町上原
【竣工】2002(H14)年2月
【延長】約100m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2015年8月16日訪問

獅子ヶ口橋

夷隅郡大多喜町上原(うえばら)、建設中止になった大多喜ダムの建設現場跡地にて。現在地はココ(←クリック)

以前紹介した隣の柳堀橋と同様、ダムが完成していたらダム湖の周回道路の一部となったはずのもの。しかし、結局実供用のまま放置されている…

獅子ヶ口橋

東側より。

獅子ヶ口橋

東側左の親柱。「獅子ヶ口沢」

名前の由来は、上原の小字・獅子口(ししがぐち※註)に由来すると思われる。

※註:角川日本地名大辞典 p.1443

獅子ヶ口橋

東側右の親柱。こちらの扁額はなぜか未記入のまま。

獅子ヶ口橋

橋上へ。

獅子ヶ口橋

あれっ、ピントが甘い?(^-^;

獅子ヶ口橋

橋の上から北側を望む。本来なら、今頃はここにダム湖が広がっていたはず。

工事中止のおかげで命拾いした木々が元気に葉を付けているが、この用地、これから一体どうなるのだろう?検索してみたところ、一昨年6月の大多喜町議会定例会の議事録がヒットした。その中で、この件が採り上げられていて、三育学院の誘致が決まりかけているような話が載っていた。三育学院って大多喜にあって、いすみ鉄道・久我原駅の命名権を買ったということ以外はよく知らないのだが、改めて調べてみたところ、キリスト教系の若干メインストリームから外れた宗派が母体となっているらしい。ということは、資金力豊富か?

獅子ヶ口橋

南側。こちらの写真はパノラマ合成。

獅子ヶ口橋

中央のアーチの桁を通り過ぎて振り返り。

獅子ヶ口橋

西側へ。

獅子ヶ口橋

西側より。

獅子ヶ口橋

西側左の親柱。「ししがくちはし」

小字の読み方と少し違うようだが、濁点(=濁り)をなくすという橋の命名法則に則っているのでよしか?

獅子ヶ口橋

西側右の親柱。「平成14年2月完成」

     ※     ※     ※

獅子ヶ口橋

橋を後にして西に進む。

獅子ヶ口橋

ここなど、春先には隠れ花見スポットになりそうだ。この趣味を初めてから、何ヶ所かこんなこっそりと花見ができそうな場所を見つけたが、実際に花見をしたことはない。だって、どこも車がないと近くまでも行けないところだし、お酒を呑まずに花だけ見ていても、すぐに飽きてしまいそうだから(^-^;

獅子ヶ口橋

さらに進むとT字路の標識があらわれたが…

獅子ヶ口橋

行き止まり?現在地はココ(←クリック)

獅子ヶ口橋

立入禁止と言われてもねぇ(^-^;

獅子ヶ口橋

草のバリケードの奥に一応ダートの道があった。方角的には先ほどの標識にあるT字路を左に進むことになる。もっとも標識が意図している道とは違うのだろうけど(^-^; まぁ、とりあえず行ってみよう。

獅子ヶ口橋

どこに出るのかと思ったら、道は廃田で終了していた。

     ※     ※     ※

獅子ヶ口橋

次はT字を右へ。こちらの道もダート。進行方向はダム湖(予定地)のど真ん中。もちろん下り坂だ。

獅子ヶ口橋

しばらく進むと大きな舗装路が現れた。

獅子ヶ口橋

工事用道路の跡だろうか。このまま順調に進むかと思ったら…

獅子ヶ口橋

再びダートに戻ったり…

って、おっ、さっきの獅子ヶ口橋(右)と柳堀橋(左)が見えるぞ。

     ※     ※     ※

獅子ヶ口橋

現在地はココ(←クリック)

獅子ヶ口橋

開け放たれたゲートの先へ進む。先ほど橋の上から見えた橋の下の道に続いているようだ。

獅子ヶ口橋

第二のゲート登場。

ん、手前にある「刈草リサイクル施設」ってなんだ?刈り取った雑草を肥料にしたりするスゴイ機械があるとか?ワクワクしながら、反対側に回り込んでみると…

獅子ヶ口橋

なんにもねーし( ;´Д`) ひょっとして、このスペースに放り込むことで刈草をリサイクルしているという理論かしら?何もないけど、まぁ、屏があるので施設と言えなくもないのか? ま、ま、まぁいいけど…(^-^;

獅子ヶ口橋

さて、またもや開放されたゲートの中へ。

獅子ヶ口橋

一応時期が時期(8月)だけに、念のため、ヤマビルを警戒して草むらは足早に(^-^;

獅子ヶ口橋

橋の下は小さな広場になっていた。

獅子ヶ口橋

東側の橋脚を見上げる。

獅子ヶ口橋

下から、「常時満水位 54.20」「サーチャージ水位 57.50」「設計洪水位 59.00」

数字の意味はなんだろう?水深かと思ったのだが、だとすると値がちょっとおかしい。海抜だろうか?

獅子ヶ口橋

西側の橋脚。

     ※     ※     ※

おまけ動画。


東側より。


西側より。獅子ヶ口橋と柳堀橋をまとめて。



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セレブリティバス レオンの湯 ホワイト





(仮称)旧川隧道

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【名称】不明
【所在地】君津市奥米
【竣工】不明
【延長】約5m(目測)
【幅員】約2m(目測)
【高さ】約2m(目測)



2015年11月29日訪問

(仮称)旧川隧道

君津市奥米、現在地はココ(←クリック) ただし、Yahoo地図の道路の線形が間違っているので、これを見ると逆に現在地が掴みにくくなるかも(^-^;

(仮称)旧川隧道

登坂を進むと隧道が見えてきた。

(仮称)旧川隧道

垂直に切り立った岩壁にボツンと口を開けた素掘の隧道。これを見れば、ここは一体どれだけ秘境なんだ!あの先にはどんな光景が展開しているんだ!と期待に胸を躍らせることだろう。おいらもテンション上がったし(笑)

(仮称)旧川隧道

ちなみに、方角的には西側の坑口になる。正面から撮りたいところだが…

(仮称)旧川隧道

正面に回り込むと転落してしまう… (^-^; この西側坑口は隧道を出た途端直角に曲ががらなければならないというありえない接道ぶりなのだ(^-^;

(仮称)旧川隧道

坑口前で三間川を見下ろす。

(仮称)旧川隧道

今度はもう少し広い構図で。写真はパノラマ合成。

(仮称)旧川隧道

登ってきた道を振り返る。現役時代、軽トラぐらいは走ったりしたのだろうか?

(仮称)旧川隧道

さて、内部へ。路盤は少々荒れ気味。そして、反対側の坑口にバリケードが。よく考えれば解ることなのだが、この時は軽く驚いた。一体この先、どうなっているの?

(仮称)旧川隧道

内部から見た西側坑口。全速力で走り抜けたりすると、そのまま20メートル下の三間川にダイブだ(^-^;

(仮称)旧川隧道

そして、内部から見た東側坑口。

その前に…

(仮称)旧川隧道

バリケードを背に、東側坑口から内部を望む。

さぁ、用意はいいかな、、、

(仮称)旧川隧道

はい、ドン。

バリケードを乗り越えると、西側坑口とは全く違う、モルタルで塗り固められた穴がそこにあった(^-^;

(仮称)旧川隧道

のどかな田園風景。あれっ、さっきまで山奥の秘境にいなかったっけ?

(仮称)旧川隧道

ここで、ようやく思い出した。いや、ちょっと考えれば明らかなことなのだが、吊り橋を見たり、川べりに降りたりしているうちに、すっかり現地の状況を忘れていたのだ。

(仮称)旧川隧道

先ほども書いたように、Yahoo地図(Googoleマップやマピオンなども)に描かれている道筋は間違っている。現状はこの国土地理院地図の通り。

地図左上方面からやってきたおいらは、まず廻田橋を鑑賞。そしてその南側の袂から青線で示した旧道と思われる道に入り込んだ。続いてその先で吊橋を堪能。その後、途中の分岐まで戻り、隧道の西側坑口にたどり着いたのだ。

少し古い航空写真を見ると、廻田橋はなく、吊橋のみが写っている。現在では吊橋の西側は道らしい道が残っていないのだが、これが旧道だったことはまず間違いないだろう。そして、国土地理院以外のネット地図はその旧道をいまだに載せているようだ。ただ、この旧道も見ての通り、吊橋から真っすぐ隧道に向かっている訳ではなく、斜面の途中で折り返している。奥に民家があるので、車が通ることもあったと思うのだが、現役時代はどんな様子だったのだろう。

なお、おいらは吊橋や周囲の風景に魅了されているうちに、現道が続いていることをすっかり忘れて、隧道の先にはさらなる険しい地形があるんじゃないか、と勝手にwktkしていた。アホだね(^-^;

(仮称)旧川隧道

それにしても、東側坑口の峻厳と言ってもいい姿に比べて、この東側坑口の姿の生ぬるさは…(^-^; これを先に見たら、バリケード越しにカメラだけ内部に突っ込んで、「OK問題なし」で処理してしまったかも(^-^;

(仮称)旧川隧道

さて、廻田橋の南側においてあるチャリのところに戻ろう。今度は現道を通って。

なお、現在地はココ(←クリック) 航空写真モードで開くようにしておいたが、地図モードよりむしろ位置がわかりやすいかも。

(仮称)旧川隧道

廻田橋まで戻ってきた。

     ※     ※     ※

おまけ動画


西側の直角カーブぶりに注目!



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秋葉古道と愛岐地方の旧河道




堂右橋

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【名称】堂右橋(どうみぎはし)
【所在地】大網白里市上貝塚/清名幸谷
【竣工】2002(H14)年8月
【延長】約20m(目測)
【幅員】約8m(目測)



2014年6月1日訪問

堂右橋

大網白里市上貝塚(かみかいづか)、南白亀川の右岸にて。上流方向に向かっている。現在地はたぶんこのあたり(←クリック)

堂右橋

さらに進むと橋が見えてきた。東側より。

堂右橋

袂から。

堂右橋

南側より。

堂右橋

水道管が併設されている。

堂右橋

南側右の銘板。「どうみぎはし」

堂右橋

南側左の銘板。「二級河川南白亀川」

堂右橋

橋の上から東の下流方面を望む。

堂右橋

西の上流方面。

堂右橋

北側より。

堂右橋

北側右の銘板。「堂右橋」

この「堂右(どうみぎ)」という名前だが、地名に由来するようだ。ネットで検索したところ、競売物件の一覧に「大網白里市清名幸谷字堂右●●●●番●」の所在地を持つものがあった。ただし、「角川日本地名大辞典12千葉県」小字一覧の清名幸谷(せいなごや)の項には堂面(どうめん)はあったが、この堂右はなかった。

堂右橋

北側左の銘板。「平成14年8月竣工」

堂右橋

階段があったので、ちょっと降りてみることに。

堂右橋

この時は初夏の水田に水が必要な時期、下流の水門が閉じられ水位が高かったためか、階段の下部は水没していた。

堂右橋

橋を見てみるが、下側はあまりよく見えなかった(^-^;

堂右橋

西側より。



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瀬張川橋

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【名称】瀬張川橋(せばりがわばし)
【所在地】夷隅郡御宿町高山田
【竣工】1973(S48)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2015年7月26日訪問

瀬張川橋

御宿町高山田、清水川水系瀬張川に架かる橋。東側より。

瀬張川橋

東側左の親柱。「瀬張川橋」

瀬張川橋

東側右の親柱。「瀬張川」

瀬張川橋

橋の上から北の上流方面を望む。

瀬張川橋

おや、現役稼働中の水路隧道の吐口だ。

瀬張川橋

下流方面。

瀬張川橋

西側より。

瀬張川橋

西側左の親柱。「せばりがわばし」

瀬張川橋

西側右の親柱。「昭和四十八年三月竣功」

瀬張川橋

さて、東側に戻って上流方面をプチ探索。

瀬張川橋

東側に橋歴板があった。近くに足場がなかったので読み取れなかった。

瀬張川橋

川が堰でせき止められていた。

瀬張川橋

おや、秘境っぽい雰囲気(笑)

瀬張川橋

ここには水路隧道の呑口があった。航空写真を見ると東側に水田があった。そこに水を引いているのかな?

瀬張川橋

橋を北側より。



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南アルプス林道の洞門など

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【名称】不明
【所在地】南アルプス市芦安芦倉
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約4m(目測)



2015年10月18日訪問

南アルプス林道の洞門など

南アルプス市芦安芦倉、南アルプス林道にて。現在地は赤沢橋のすぐ南であるココ(←クリック)

今度は洞門のお出迎えだ。

南アルプス林道の洞門など

航空写真で見ると、この洞門の西側の山肌が丸裸になっている。地滑りでもあったのだろうか?

南アルプス林道の洞門など

輪っかになったロープがぶら下がっている…∑(゚д゚||)

南アルプス林道の洞門など

北側坑口。

南アルプス林道の洞門など

北側坑口から内部を望む。

南アルプス林道の洞門など

内部から見た北側坑口。

南アルプス林道の洞門など

沢側には明かり取りの窓(?)がある。

南アルプス林道の洞門など

おかげで、洞門の中は照明なしでも明るさ問題なし。

南アルプス林道の洞門など

窓のひとつから外を眺める。下に見えるのは赤沢。

南アルプス林道の洞門など

南側に抜ける。

南アルプス林道の洞門など

南側坑口。

     ※     ※     ※

【名称】不明
【所在地】南アルプス市芦安芦倉
【竣工】不明
【延長】約50m(目測)
【幅員】約4m(目測)
【高さ】約4m(目測)



2015年10月18日訪問

南アルプス林道の洞門など

バスが2台続けて通り過ぎていった。この林道は対岸の県道37号に比べて交通量が多い。

南アルプス林道の洞門など

しばらく歩くと今度は鋼鉄製の洞門が現れた。

南アルプス林道の洞門など

だいぶ年期が入ってそうだ。

南アルプス林道の洞門など

中に入って振り返り。

南アルプス林道の洞門など

もう一度振り返り。

南アルプス林道の洞門など

通り過ぎて、さらに振り返り。

     ※     ※     ※

南アルプス林道の洞門など

洞門から10分ほど歩いてきたところ。現在地はたぶんココ(←クリック) 少し開けたところに来た。

南アルプス林道の洞門など

深沢バス停。深沢まではもう少し距離があるのだが、まぁそれは(^-^;

そして、のだの人さんの動画によると、どうやらここが早川林用軌道の終点だったらしい。少し広々しているのその名残りだろうか?

南アルプス林道の洞門など

軌道の痕跡はないようだが…

南アルプス林道の洞門など

でも、左のスロープ、もしかして?

南アルプス林道の洞門など

このブロック積みはどう考えても軌道時代のものとは思えないけど…

南アルプス林道の洞門など

一応少しだけ登ってみた。この先にも行ったのだが、ゴミが散らばっているだけでよくわからなかった。もう少し探してみればよかったかな?去年、県道を歩いた時に、後半、残り時間が切迫して涙目で走ったので、今回はなるべく急ぐようにしたのだが、今にして思えばもう少し見ておけばよかったと思うところがチラホラと。また行かなきゃならないなぁ(^-^;



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深沢七郎コレクション 流 (ちくま文庫)



打越橋

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【名称】打越橋(うちこしばし)
【所在地】鴨川市成川
【竣工】1962(S37)年9月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約3m(目測)



2016年1月10日訪問

打越橋

鴨川市成川、現在地はココ(←クリック)

この日は、トンネルの旦那ことMKK氏が面白い橋を案内してくれるというので付いてきたのだが、その道中、これを見つけた。屋敷跡と言っても今はただの水田。そりゃそうだよな、「跡」なのだから(^-^; ところで正木環斎って誰?

打越橋

正木環斎(頼忠)は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、勝浦城主だったこともある。後北条氏に仕えたが、豊臣秀吉によって同氏が滅ぼされると、領地を失い、この地に移った。その時の屋敷がここに建っていたようだ。

さて、ここまでの経歴では、戦国時代に没落した武家のひとつということになるのだが、実はこの人、日本人の98パーセントが知っている有名人の縁者なのだ。後北条氏滅亡後、彼の娘・於万は徳川家康の側室になる。そして生まれた子供のひとりが、水戸藩初代藩主の徳川頼房。さらに頼房の三男が徳川光圀、つまり水戸黄門なのだ。ということは、この環斎さんは、水戸のご老公の「ひいじいさん」ということになるのだ ∑(゚д゚;)

打越橋

「こらっ、おっさん!はよチャリ出せや!先はまだ長いんや!チンタラしていると置いてくで!!」とMKK氏に促されて、再び出発。

打越橋

坂を下ると橋が見えてきた。あれはMKK氏の言う「面白い橋」ではない。

打越橋

少し古そうだが、名前はあるのかな?

打越橋

東側より。

打越橋

東側左の親柱。扁額があったので取材開始。

「こらっ、おっさん!はよせんとシバクで!」と仁王立ちのMKK氏。

打越橋

「打越橋」

打越橋

東側右の親柱。「昭和三十七年九月竣功」

打越橋

川の名前は「川の名前を調べる地図」様によれば、川音川。加茂川の支流のひとつで、2級河川に指定されている。橋の上から南の下流方面を望む。

打越橋

北の上流方面。

打越橋

西側より。

打越橋

西側左の親柱。「うちこしばし」

打越橋

西側右の親柱。「昭和三十七年九月竣功」

打越橋

北側より。

(´-`).。oO(出たがりのMKK氏が、この日は妙に構図に入るのを避けていた。もしや、ネタにされることを察したのか?)



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水戸黄門




宇野辺トンネル

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【名称】宇野辺トンネル(うのべとんねる)
【所在地】夷隅郡大多喜町面白/田代
【竣工】1982(S57)年(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【延長】75m(同上)
【幅員】4.0m(同上)
【高さ】4.9m(同上)



2015年8月9日訪問
前回(2014年4月21日)

宇野辺トンネル

千葉県道177号勝浦上野大多喜線(かつうらうえ のおおたきせん)にて。現在地はココ(←クリック) 北を向いている。民家の手前の角を左に曲がる。

宇野辺トンネル

一車線幅の道を進む。

宇野辺トンネル

無名橋。現在地はココ(←クリック)

宇野辺トンネル

山に向かう道。

宇野辺トンネル

また無名橋が現れた。現在地はココ(←クリック)

宇野辺トンネル

ここもよくある休耕田だろうか?

宇野辺トンネル

道は杉林に入る。この先に見えるのは…

宇野辺トンネル

隧道ではなく切り通し(^-^;

宇野辺トンネル

杉林の中を進む。

宇野辺トンネル

隧道の登場。

宇野辺トンネル

東側坑口。

宇野辺トンネル

扁額はないのだが、平成16年度道路施設現況調査の「2120 ウノベトンネル」がこれに該当するのだろう。竣功は1982(昭和57)年。ただ、前回訪問したときの記事にもかいたのだが、この施工だともう少し古いものにも見える。ただし、戦前の地形図にはこの道は描かれていない。

宇野辺トンネル

東側坑口から内部を望む。

宇野辺トンネル

少々傷みが進んでいるようだ。

宇野辺トンネル

内部から見た東側坑口。

宇野辺トンネル

前後の道に比べてトンネルは随分と大口径。車のすれ違いも余裕で可能な幅員が確保されている。

宇野辺トンネル

西側へ。内部から見た西側坑口。

宇野辺トンネル

西側は左右に分岐している。数百メートル以上先で両者は再び合流している。古い地図を見ると、現道とほぼ垂直に交差するような線形の道が描かれている。

宇野辺トンネル

西側坑口。

宇野辺トンネル

西側坑口から内部を望む。

宇野辺トンネル

少し離れてもう一枚。

宇野辺トンネル

西側の分岐は北側の道の方を進む。宇野辺の集落。

宇野辺トンネル

300メートル程進んだところにある宇野辺神社。

宇野辺トンネル

本殿。

宇野辺トンネル

中の様子。

     ※     ※     ※

おまけ動画。





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宇野千代 女の一生 (とんぼの本)




中村橋

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【名称】中村橋(なかむらばし)
【所在地】東金市東中/山武郡九十九里町作田
【竣工】2005(H17)年1月
【延長】約30m(目測)
【幅員】約7m(目測)



2014年8月3日訪問

中村橋

東金市東中(ひがしなか)、作田川の右岸にて。現在地はココ(←クリック)

中村橋

この付近は作田川が東金市と九十九里町の境界になっている。その境界に架かる橋。南側より。

中村橋

西側より。

中村橋

西側左の親柱。「なかむらばし」

中村橋

西側右の親柱。「平成十七年一月」

中村橋

橋の中央になにやら案内板が。

中村橋

作田川についてと、中村橋の名前の由来についてまとめられている。このような案内板は初めて見た。なるほど、「上流の地名をつける」のか。参考になるぞ!

中村橋

橋の上から南の下流方面を望む。

中村橋

北の上流方面。

中村橋

東側より。

中村橋

東側左の親柱。「中村橋」

中村橋

東側右の親柱。「作田川」

中村橋

北側より。



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中村静香 写真集 『 溢れるものが止められなくなったのは、私のネジが馬鹿になったんだ。きっと。 』





君津市折木沢の隧道跡

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【名称】不明
【所在地】君津市折木沢/坂畑
【竣工】不明(明治2~30年代?)
【延長】不明
【幅員】不明
【高さ】不明
【撤去】不明(1966年以前?)



2015年2月1日訪問

君津市折木沢の隧道跡

君津市(一応)折木沢、現在地はココ(←クリック)、南を向いている。ここは、現在国道465号に指定されている道の旧道にあたる道だ。ただし、この道が国道に指定されていた時期はない。そして、ここにかつて隧道があった。なお、この道は坂畑と折木沢の境界にもなっている。右が坂畑で左が折木沢だ。

君津市折木沢の隧道跡
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)

いつものように今昔マップから。今昔マップへのリンクはココ(←クリック) 左は終戦直後に発行された地形図、右は現在の国土地理院の地図。見ての通り、左の地形図に隧道の記号が記されている。なお明治の地形図にも隧道は記載されている。

実は、場所の特定にちょっと手こずった、というか確信がもてなかったのだが、たまたま通りかかったご老人の助けを借りた。まきき氏がいつものように社交性を発揮して、歩いている年配の方に片っ端から声を掛けて聞き出したのだ。

(´-`).。oO(未だに自分は人見知りだと言い続けるまきき氏)

さて、お話を聞いたご老人は、ずっとこの地区に住んでいる方で、子供の自分は学校に通うためにこの隧道を通っていたとのこと。延長は随分短かったそうだ。そして、隧道の外側に回り込むような道があったとのこと。って、つまり旧道があったってこと?(゚д゚)ハッ!!

上記の今昔マップへのリンクを開き、さらに「明治期迅速測図」に切り替えてもらいたい。それを見ると、やはりこの道はあるのだが、隧道はない!ご老人の言っていた道は隧道開削以前の道である可能性が高い。その道は、当時既に普通に通行するような道ではなく、子供が遊びで通るようなものだったそうだ。

君津市折木沢の隧道跡

隧道跡を南側より。

君津市折木沢の隧道跡

さて、残る疑問は、隧道がいつ開削されたかということ。件のご老人もさすがに正確な時期は覚えていないが、相当に昔だったとのこと。そこで、航空写真の登場。上の写真は、国土地理院が1961年12月22日に撮影したもの(KT613YZ-C1-9)を拡大加工したもの。解像度が低くてかなり見づらいのだが、この時点では残っているように見えなくもない。なお、これより新しい1966年11月22日撮影のもの(MKT665X-C4-14)では隧道は開削されているように見える。

ということで、隧道が開削されたのは1966年以前と推定。

君津市折木沢の隧道跡

最後に、隧道があったらしい法面だが、上の方を見て貰いたい。

君津市折木沢の隧道跡

穴、、、人工的なものに見えるのだけど… でも、あそこに登るのは、ちょっと無理(^-^;



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なくなった人形



四町作隧道

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【名称】四町作隧道(よまちさくずいどう)
【所在地】君津市大戸見
【竣工】1955(S30)年3月
【延長】18m(「平成16年度道路施設現況調査」より)
【幅員】6.0m(同上)
【高さ】3.6m(同上)
【撤去】2012年~13年頃



2012年9月9日訪問
前回(2012年1月29日)

四町作隧道

君津市大戸見(おおとみ)、国道410号にて。現在地はココ(←クリック) 西を向いている。昨年3月に撮影したものだが、一応現状の写真ということで。

奥に隧道(大戸見隧道)が見えるが、かつてはもう一本、右手の白い法面の手前にも短い隧道があった。

四町作隧道

100メートル弱進んで振り返り。もう隧道は跡形もない。知らない人なら、西側の法面が隧道跡だと思うだろう(^-^;

本日はその開削された四町作隧道の解体中の姿を。

     ※     ※     ※

四町作隧道

2012年9月、隧道が撤去されることになり現在作業中、という噂を聞いてやってきた。現在地はココ(←クリック)

四町作隧道

同行のまきき氏と「まだ残っていたね~」などと話ながら近づく。

四町作隧道

車は片側交互通行。

四町作隧道

警備のおっちゃんもいるので、ポータルに近づくのは難しいか?(^-^;

四町作隧道

東側坑口。隧道の中には防護用の壁が四角い筒状に設置されていた。

四町作隧道

坑口の手前でウロウロしていると、警備のおっちゃんが近づいてきた。「通るんでしょ」

「あ、う、、、いや、まだいいです…(^-^; (^-^;」

「今ならいけるから、さぁさぁ」

おっちゃんにせかされて、隧道の中を小走りで走り抜ける。ちなみに、まきき氏は走りながらもシッカリと動画を撮っていた(^-^;

四町作隧道

おっちゃん、ありがとう。実は、おっちゃんには、後ほどもう一度お世話になることになる。

四町作隧道

西側坑口。

四町作隧道

こちらはポータルの近くまで行けそうだ。

四町作隧道

西側の扁額。「四町作隧道/昭和三十年三月竣功」

四町作隧道

こうして見ると妙に隧道が大きく見える。

四町作隧道

ポータルを見上げる。

四町作隧道

振り返り。

四町作隧道

今度は左へ。

四町作隧道

ゴロゴロ…

四町作隧道

こちらもしっかりと塞いであった。

四町作隧道

よじ登ろうとするまきき氏(笑)

四町作隧道

西側より。

     ※     ※     ※

四町作隧道

さて、ここは再び戻ってきた隧道東側坑口手前にある足場への入口。って、まききさん、入っちゃダメだよ~~∑(゚д゚; )

なんて、実は、先ほどの警備のおっちゃんが、おいら達の意図を察したのか「入って見ていっていいよ~」と声を掛けてくれたのだ。ということで、遠慮無くおいらも(・∀・)ニヤニヤ

四町作隧道

おっちゃん、ありがとう!

四町作隧道

このアングルは足場がなければ見ることができなかったもの。

四町作隧道

ポータルがよく見える。

四町作隧道

東側の扁額。「よまちさくずいどう」かな?

四町作隧道

国道を見下ろす。



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宵待草~日本のメロディー



田中橋

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【名称】田中橋(たなかばし)
【所在地】山武郡芝山町小原子/飯櫃
【竣工】1993(H5)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約4m(目測)



2014年8月24日訪問

田中橋

芝山町小原子(おばらく)、現在地はココ(←クリック) 西の高谷川方面を見ている。

ところで、この小原子(おばらく)だが、知らないと読めない、いわゆる難読地名。そして、対岸の地区も飯櫃(いびつ)という難読地名だったりする。

田中橋

中央に見える橋に向かう。

田中橋

東側から近づく。

田中橋

東側より。

田中橋

東側左の銘板。「たなかばし」

田中橋

東側右の銘板。「平成5年3月完成」

田中橋

北側より。

田中橋

東側に橋歴板があった。

田中橋

「田中橋/1993年3月/芝山町/道示(1990)一等橋/定着方式:プレテンション工法/施工:ピーシー橋梁株式会社」

田中橋

橋の上から南の下流方面を望む。

田中橋

北の上流方面。

田中橋

西側より。

田中橋

西側左の銘板。「田中橋」

田中橋

西側が右の銘板。「二級河川高谷川」

栗山川との合流地点から遡ってきたが、周囲も暗くなり始めてきたので、この日はここで終了。



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田中角栄 - 戦後日本の悲しき自画像 (中公新書)



川面橋

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【名称】川面橋(かはずらばし)
【所在地】山武市蓮沼イ
【竣工】1964(S39)年3月
【延長】約10m(目測)
【幅員】約5m(目測)



2014年9月14日訪問

川面橋

千葉県道122号飯岡片貝線(いいおかかたかいせん)の橋。西側より。

川面橋

北側より。

川面橋

北側右の親柱。

川面橋

「かはずらばし/39年3月竣工」 元号がないが、明治ということはないだろう(^-^;

川面橋

左の親柱は扁額なし。

川面橋

橋の上から西の上流方面を望む。

川面橋

東の下流方面。

川面橋

南側より。

川面橋

二体の仏像。

川面橋

二人とも片膝を建てている。輪王坐というやつか?

川面橋

大正時代のものだった。

川面橋

南側右の親柱。「川面橋/39年3月竣功」

川面橋

東側より。



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川面凡兒: 日本人の霊性に多大な影響を与えた神人 【フィックス版】

「驚異の神人」だそうな(^-^;



地下壕発見!?

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【場所】大網白里市某所

2016年1月17日訪問

地下壕発見

大網白里市某所、別件での探索の途中だったのだが、穴ぼこ発見。とりあえずちょっと見ていこうか。

地下壕発見

地下壕跡かな??う~ん、ちょっと微妙だけど(^-^;

地下壕発見

ゆず湯?(^-^; 大先生にジャブジャブしてもらいたいぞ (・∀・)ニヤニヤ

「こらっ、おっさん!ワシの奥義をこんなところで発動できるかっ!! (# ゚Д゚)」←どこかから怒声がw

     ※     ※     ※

写真を撮っていると、上から「こんにちは~」という子供の声が。さっきから、山の中で子供の遊ぶ声が聞こえていた。見つかってしまったか(^-^;

「なにしているんですかぁ?」と訊かれたので、

「戦争の頃に作られたものを探しているんだよ」と応える。すると、

「向こうにもあるよ~」との話 (゚д゚)ハッ!!

地下壕発見

そこで、反対側の斜面に行くと、こんな穴が。う~ん、奥は深いのだけど、これはちょっと微妙だなぁ(^-^;

地下壕発見

「違う~~、あっちあっち」と再び声が。そこで場所を変えると、今度は堀状の地形が登場。むむっ、これは交通壕?(゚д゚)ハッ!!

地下壕発見

喜びいさんで突入、右に90度曲がった先は… 行き止まりで、壕を埋めたあともなし(^-^; これは作りかけで放棄されたのか?

地下壕発見

子供達(3人)が本格的に集結してきた。「あっちに小屋がある!」「タイヤが!」

う、う、それはどっちも微妙だなぁ(^-^;

「洞窟が!」

えっ!?(゚д゚)ハッ!!

走り出す子供達について山の中へ。

「ほらっ、小屋!」と指さす方にあったのがこの祠(^-^; でも、こんなところに祠があるというのは、よくよく考えるとちょっと興味深いかも。

地下壕発見

少年達は更に進む。リーダー格の少年はおそらく、おいらの探しているものが判っていたのではないだろうか。しばらく進んだところにあったのがコレ。

おおおおっ!!∑(゚д゚;)

地下壕発見

この穴は土砂が堆積して天井が低くなっているので、ちょっと入るのは遠慮しておいた。ちょっと汚れたくなかったので(^-^;

地下壕発見

しかし、隣にあるもう一本の方は行けそうだ。リーダー格の少年も通り抜けた事があるという。

おいらの案内を終えて、少年達は正義のヒーローのように帰って行った。サンキュー、少年達!

さて、、、

地下壕発見

行ってみよう!

地下壕発見

延長は20メートル程だろうか。

地下壕発見

話の通り、貫通していた。

地下壕発見

銃眼部分が崩落したのだろうか。この穴から這い出た。

この先、どこをどう歩いたのか、気がつくと反対側の住宅地に飛び出してしまった(^-^;

時節柄、見知らぬ子供との関わりは要らぬ疑いを掛けられそうで内心ドギマギしてしまっていたが、少年達は全く気にしていないようだった。それにしても、山をかけずり回って遊ぶ子供を見たのは久しぶり。この日、家に帰ってから、あの子達、「山で知らないおじちゃんが穴を探していたから案内してあげたんだよ~」なんて話をしたのだろうか?「知らないおじちゃんについていっちゃダメでしょ」なんて叱られなかったかな?(汗) ついていったのはオイラの方なんだけど(^-^;


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