【点名】豊英(とよふさ)
【基準点コード】TR25239673901
【等級種別】二等三角点
【冠字選点番号】仁京17
【所在地】君津市市場外4村入会字高宕4林班は小班
【選点】1899(M32)年4月25日
【設置】(M32)年5月13日
【緯度】北緯35度11分47.6900秒
【経度】東経139度59分35.5243秒
【標高】315.01m
【訪問日】2018年6月3日
君津市怒田沢、林道高宕線の2号怒田沢隧道の真上にある遊歩道にて。現在地はココ(←地理院地図へのリンク)。なお、地理院地図では1号隧道の東側から尾根上に登るように記載されているが、現状は2号隧道の東側から登る階段がある。地図の間違いなのか道が付け替えられたのかは不明。
30分ほど前にも、ここを通っていた。その時はここから東(写真では手前方向)に進み、直線距離で200メートル程北東に位置する三等三角点「三本木」を見に行ってきたのだ。
次は、高宕山のそばにある二等三角点「豊英」、さらには高宕観音の隧道を攻略の予定。以前、ニコ動でのだの人氏が訪問した時は所要時間1時間だったとのこと。ちょろいもんだ、と思っていたのだが実際は。。。
いかにも遊歩道らしい楽しげな道。まぁ、百戦錬磨のおいらには物足りねーな!
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \←ドヤ顔
山の中によくある作業道風の道。これもまたいいね。
「高宕山遊歩道入口」方面からやってきた。どっちに行ったらいいのか一瞬悩んだが、正解は八良塚方面。
しかし、ここから遊歩道が突如本気を出し始めたのだ Σ( ̄ロ ̄lll)
ここ、右側(柵の奥)が旧道っぽかった。となれば、当然旧道を選択。傍から見ている人がいたら、ただのバカにしか見えなかっただろう(^-^; だが、まだこの時点では余裕があったとも言える。。。
ロープが登場。。。(;´Д`)マ、マ、マダマダ---
鎖まで登場、、、汗
やっとピークだ。。。(;´Д`)ゼェゼェ
ベンチがあったのでひと休み。来た方向を振り返る。これ、降りる方がイヤだなぁ(^-^;
そばの木にくくりつけられていた看板。
金吊(きんつるし)とな!?Σ( ̄ロ ̄lll)
エッチな光景しか浮かんでこない名前だ。しかも、とっても痛そうだぞ(*´Д`)ハァハァ
金吊プレイの後は下り。せっかく稼いだ標高なのにもったいない。
そして再びハードな登り(;´Д`)
さっきまでの平和な遊歩道の姿はどこに。。。(;´Д`)
八良塚というところに出た。なんと高宕山より標高が高い。もちろん、目的の三角点よりも高い。
三角点のものに似た標石があった。
天然記念物???
右の面、「文化財保ゴ委員会」と記しているつもりだと思うのだが、「財」の字が間違っている(;´Д`)
石祠もあった。
再び下り。この頃には気づき始めていた。「たかが標高300メートルそこそこだと思っていたのだが、累積標高は結構あるんじゃね?」と(;´Д`)
すでにかなり日が傾き始めていた。やや不安になりはじめていたのだが、一安心な雰囲気の場所に出た。現在地はココ(←地理院地図へのリンク)
ここまで来るのに90分弱かかった。おいおい、1時間で高宕観音まで行けるんじゃなかったの?(;´Д`)
この時、重大なことを忘れていることに気がついた。そう、のだの人氏は、まぁ世間ではおっさんと呼ばれる年齢に差し掛かってきてはいるものの、未だに超人的な体力を維持しているのだ(会社の健康診断で二十代の持久力と診断されたのだとか)。
案内板に標準タイムが書いてあるが、ここまで90分。ってことは、おいらは全く標準タイム通りのペースで来たということになる。のだの人氏曰くの所要時間60分が異常なハイペースだったのだΣ( ̄ロ ̄lll)
日が傾きかけていたということで、少し考えたのだが、上の看板の場所からR410まではすぐに出られそうだった。最悪の場合、ここをエスケープルートにすればいいと判断して前進することに。ってか、活動開始時刻を早めればいいんだよな(^-^;
ところで、伊●園のペットボトルの首の部分、他のメーカーのものと比べてほんの僅かだが細いということをご存知だろうか?U字型の金具をペットボトルの首にはさんでぶら下げるタイプのペットボトルホルダーがあるが、これに伊●園のペットボトルを取り付けると、抜けやすいのだ。
この日、たまたまホルダーにぶら下げていたのが伊●園のペットボトル。そして、この辺りに差し掛かった時、なんと取り替えたばかりでほぼ満タンのペットボトルが外れて崖下に吸い込まれていった。。。 「お~い、お●ぁぁぁぁぁぁぁ、待ってくれぇぇぇ ( ToT)ノ」 それまでも何度か外れかけたことがあったのだが、この時のように大事に至ったことはなかった。以来、伊●園のペットボトルをぶら下げることは決してしなくなったのだ(;´Д`)
またもや分岐。現在地はココ(←地理院地図)。ここを左(南)に進むと、2キロ弱位で三等三角点「坪井」に出るはずなのだが、とてもではないが、そこまで行く時間的余裕はない。とりあえず、目標の「豊英」まであと400メートルだ。
ここからはまた人に優しい遊歩道。
そしてベンチ。ここから地理院地図にはないが、ここから志組というところに向かう道が左に分かれている。
さらに進む。現在地はこの辺り(←地理院地図)。地理院地図を見ると、道の途上に三角点があるように記されているが、実際の道は三角点のあるピークの少し東側を通っている。つまり、ここから左の斜面をよじ登った付近に目標の三角点はあるはず。
少し行き過ぎて振り返ったところ。この右奥のピーク付近を目安に行こう。
適当にあたりをつけて登っていくと見えてきた。
ようやく到着。当初の予定では、この三角点はもちろん、既に高宕観音の隧道も片付けて帰路についているはずだったのだが(^-^;
点の記によれば保護石は4個あるということになっているのだが、3個のようにも、7~8個あるようにも見える(^-^;
二等三角点の標石なので、よくある三等三角点のものよりやや大きめ。
明治32年に設置された標石なので「二等」は右書きで、「点」の字は正字。
それにしても、この峰はなぜこんなに岩が多いんだろう?などと思いながら、いつものように、標石の周りをぐるぐる。しかし、いつもながら、三角点探訪記は目的地での写真にあまりバリエーションがない(^-^;
解説することもないので、写真とあまり関係ないことになるのだが、、、
点の記の所在地情報がかなりいい加減なケースが多いことに気づいてから、記事にする際に歴代の点の記を一通りチェックするのが習慣になった。で、ここにも少々疑問点というか不自然な点があった。
●現在(平成元年3月2日更新)の点の記
「千葉県君津市市場外4村入会字高宕4林班は小班」
※長いっ。てか小字より後ろは地番なの?(^-^;
●昭和58年3月24日更新の点の記
「千葉県君津市豊英東口662-9番地」
※ん?現在のものと全く違うし。しかも、ここは絶対に豊英ではない。
●昭和49年7月20日更新の点の記
「千葉県君津市豊英」
※これだけかよっ!しかも上と同じくココは豊英じゃねーし(^-^;
●明治32年5月13日新設時の点の記
「千葉縣上総国君津郡秋元村大字市場外四ヶ村入会字高宕■■■地目山林八番」「仝縣仝郡仝村大字市場六百五十八番地」
※現在のものと近い。ってことは昭和の豊英という表記はどこからきたの?
正直、場所的にこれだけ山の中だと、あまり細かい突っ込みをしても意味がないような気はするが、まぁこんな事になっているということで。。。(^ー^;
明治と平成の点の記から、そもそもここは元々は入会地だったことが伺える。ちなみに、現在の君津市には「市場」という地名は存在しない。「清和市場」はあるのだが、ここから5キロは離れていて、隣接さえしていない。一方、『角川日本地名大辞典12千葉県』によれば、清和市場平田植畑西粟倉西日笠入会という大字があり、そこには「高宕」という小字もある(P.1394)。「外4村」を省略せずに表記するとこうなるのかもしれない。ただ、この地名、ネットの地図では検索しても出てこないのだ(^-^; なお、S58年版に出てくる豊英(豊英旧倉沢)の「東口」という小字はたしかに地名辞典にも記載がある(P.1393)。だが、点名はさておき、ここの住所は明らかに豊英ではない。S49年版はぶっちゃけ「住所よくわかんねーからこれでいいか」的な投げやり感を覚えなくもないのだが、S58年版の小字以下の記載にはどういう根拠があったのだろう?
繰り返しになるが、細かい突っ込みはともかく、なぜこのような変遷があるのか、純粋に興味深いところだ。国土地理院に問い合わせても、「なんらかの理由により」って返事しか来ないんだろうなぁ(^-^;
参照:6月21日付け記事「ゼロ回答だった (;´Д`)」
公図を閲覧すれば地番などはわかるのだろうか?でも、この付近は国有林と県有林の境界。このような場所も公図は完備されているのだろうか?
タイムスタンプを見る限り、ここには5分も滞在していなかったようだ。日が暮れるまで、まだ時間がある。先程確認したエスケープルートを確保してはいたのだが、それを使ってしまうと、車を停めた場所まで相当な遠回りになる。ここで次においらが取った行動は。。。(続く、か?)
亀山湖 笹川湖 豊英湖 大明解MAP (別冊つり人 Vol. 468)